FM番組「ジャズフラッシュ」を聴いていてとくにびっくりしたのは、ウェザー・リポートというグループがかかったときだった。
オリエンタル・エスニックな感じのメロディとサウンドを、ポリリズムっぽいアフリカンなリズムが支えていて、それまでなんとなく「ジャズっぽい」と思っていたどの音とも違っていた。
こういうのもジャズというんだ、と新鮮な驚きがあって、ジャズをもっと聴きこんでみたくなった。
調べてみると、ウェザー・リポートは1974年に「ミステリアス・トラベラー」、1975年に「テイル・スピニン」、1976年に「ブラックマーケット」をリリースしている。
私が出会ったのはそのあたりだ。
そのあたりがジャズ・フュージュンのはじまりで、そのころはクロスオーバーともいっていた。
ほかにもハービー・ハンコックのヘッド・ハンターズ、チック・コリアのリターン・トゥ・フォーエバーというグループ、デオダード、ボブ・ジェームス、リー・リトナー、ラリー・カールトンなど、爆発的な商業的成功をおさめつつあった時期だ。
キース・ジャレットがケルンコンサートで前代未聞の売り上げを記録したのもそのころだった。
高校から大学にかけて、私はジャズにのめりこんでいった。
ただし、自分で演奏はできなかった。
すこし真似事はしてみたけれど、ジャズという音楽の仕組みはまだよくわかっていなかった。
そのかわり、仕組みが非常にわかりやすかったのはフォークソングだった。
私はギターを買ってフォークソングを演奏したりした。
有名なフォークジャンボリーの直後のことで、吉田拓郎が「人間なんて」を延々と歌っているアルバムを聴いたりもした。
フォークソングは仕組みがシンプルで、演奏もすぐにできたし、自分でも曲を作れるようになった。
高校時代にいっしょに演奏していた同級生は、いまだにライブハウスでときたま歌ったりしているらしい。
私の演奏欲求はフォークソングで解消していた。
本格的にジャズ演奏に取りくむようになるのは、大学時代、ジャズバーでアルバイトをはじめてからのことだった。
ちょうど二十歳になるかならないか、という時期だった。
◆ピアノ七十二候
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