2019年1月29日火曜日

私の音楽歴——いかにして即興ピアニストになったか(25)

1990年代のなかごろから、私はネットを使っていろいろと試行錯誤をしていた。
その目的は、もちろん、どのようにしたら私が書いたものを多くの人に届けることができるか、ということだった。

紙本の商業出版の世界にとどまっていては気づきにくいことに、私は気づきはじめていた。
自分が書いたもの——コンテンツに値段をつけて広く売る、おもしろいものがたくさん売れて、多くの収益が発生する、それが従来の収益システムだった。
ところがネットの世界では、コンテンツの質にかぎらず安いもの、無料のものが広まる。

小説にかぎらず音楽もそうだった。
お金をかけて高額なスタジオやエンジニアを使って作った楽曲よりも、安直に自宅で録音したようなクオリティの低いコンテンツのほうが、多くの人に聴かれる。
無料ならば、という条件付きだが。

小説だって無料にすれば多くの人に読んでもらえるだろう。
私ははたと気づいた。
そもそも自分は人に読んでもらいたくて小説を書きはじめたのではないか。
自分が小説を書きはじめたのは、それでお金をもうけるためではなかった。
それなのに、出版社からは「売れる小説を書け」と求められつづけて、自分もそれが自分の目的であり、使命である前提で仕事をしていた。

書いた小説でお金がはいってくるより、多くの人に読んでもらえたほうがうれしいではないか。
それならいっそ、無料で公開してしまえ。
さいわい、ネットという便利なツールがここにある。
ひょっとしてこれは、個人表現者にとって、便利ということばではあらわせないような、とてつもない仕組みなのではないか。

そう思って私はまぐまぐで自分の小説を無料で配信しはじめた。
するとメルマガ読者がどんどん増え、あっという間に数千人規模に育った。
驚いたことに、その多くがケータイ経由で読んでくれている人たちで、それは中高生や二十代の若い人たちだった。
私はネットの双方向性を利用して、彼らとメールや掲示板で交流し、生のフィードバックをリアルタイムでもらうというスリリングな体験に夢中になった。