2019年1月6日日曜日

私の音楽歴——いかにして即興ピアニストになったか(5)

トランペットを吹くのは初めてだったが、音さえ出るようになれば、譜面が読めたので上達は早かった。
いっしょにブラスバンドに入部した同級生は譜読みに苦労していて、よく教えてあげたりした。

大きなアンサンブルの一部としてみんなといっしょに音楽を作るのは楽しかった。
ひとりでピアノを弾くのとはまた違った楽しさだった。

トランペットは4人いて、上級生がふたりと、私と、同級生。
ブラスバンドではたいてい、第一、第二、第三までトランペットのパートがあって、それぞれ分担して演奏する。
私と同級生は第二、第三パートを担当して、華やかな主旋律はめったに吹かなかったが、それでも楽しかった。
音もすぐに出るようになったし、高音も徐々に吹けるようになっていった。

ただ、私には苦手なことがあった。
それは、先輩後輩という人間関係、集団行動という枠組みだった。
演奏や練習そのものは楽しいのに、人間関係が徐々に苦痛になり、夏休みが終わって秋の演奏会やコンクールが近づくにつれ、部活動に参加することに嫌気がさしてきた。

そうなると、上達も止まる。
同級生は譜読みこそ苦手だったが、練習熱心で、気がついたら私より上達していた。
とくに高音部の音の美しさ、のびやかさが、私にはとても真似のできないものになっていた。
さらに部活が苦痛になっていった。

三学期にはもう完全にやる気をなくして、私は退部届けを出した。
引きとめられたが、もうまったくブラスバンドには魅力を感じなくなっていた。

とはいえ、音楽が嫌いになったわけではない。
先述したように、家では熱心にレコードを聴いていたし、ピアノもレッスンには通っていなかったが自分で好きなように好きな曲を弾いては楽しんでいた。
いまでもマーチ(行進曲)を聴くとわくわくするのは、短いながらもブラスバンド時代につちかわれた楽しみかもしれない。

あとで気づいたことだが、レッスンや部活から離れ、強要されたペースではなく自分の好きなペースで練習していたことが、音楽を身体化することの役にたったのかもしれない。
音楽からいったん距離を置いてから、あらためて近づいて自由に遊びはじめてみたことで、音楽の楽しみや可能性を知ることができたのではないか。
もちろん、このあとたくさん苦労をすることになるのだが、根底にある「本来自由で楽しいもの」という音楽と付き合う姿勢は手放さなかったような気がする。

◆ピアノ七十二候
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