生番組なので、私もディレクターの横で立ちあった。
ラジオの仕事は楽しかった。
楽しいばかりでなく、このメディアがいまにいたるまで、私の表現スタイルの原点になっている。
名古屋のタレント派遣事務所からやってきた榊原忠美は、前にも書いたようにちょっと変わったところのある人だったが、話してみるといろいろ共通の話題があることがわかった。
私はそのころ、ラテンアメリカの文学にはまっていて、集英社の全集を買ったりしていたのだが、榊原もそちら方面に造詣が深かった。
とくにガルシア=マルケスやボルヘスの作品を読みこんでいて、話が合った。
なにかいっしょにやらないか、という話になった。
彼が作品を読み、私が即興でピアノを演奏する。
このスタイルがいま現在——これを書いている2019年にまでずっと私の表現の中核スタイルとしてつづいていることは、当時は予想もしていなかったことだった。
ただおもしろそうだからやってみよう、という軽いノリだった。
私はちょうどそのころ、福井の駅前にある楽器店でポピュラーピアノを教える仕事をはじめていた。
大人のためのピアノ教室がはやりはじめたころで、福井ではクラシックピアノの先生はたくさんいたが、ジャズやポップスを教えられる者はほとんどいなかった。
私は楽器店のレッスン室で、OLやサラリーマン、高校生などに、ジャズやロック、ポップスのピアノ演奏を教えはじめたばかりだった。
榊原の朗読イベントの話が持ちあがったとき、会場としてその楽器店のビルの上の階にあるイベントスペースを借りられることになった。
話はとんとんと進み、ラジオ告知もやらせてもらったり、新聞社の地方記事でも出してもらったりした。
そのあたりの展開は、劇団員が長い榊原が手慣れていた。
朗読作品はガルシア=マルケスの「大きな翼を持った老人」に決まった。
1985年の春先のことだったと思う。
イベントは盛況で、榊原の朗読は奇矯で前衛的でありながらも、自由自在、音楽的であり、私も思う存分自由にピアノを弾き、かつてないような楽しさを満喫した。
当然ながら、「またやろう」という話になった。