2018年12月31日月曜日

YouTube:唱歌「たき火」をモチーフにピアノ即興演奏@曼荼羅

2018年12月23日。
吉祥寺〈曼荼羅〉にて開催されたオープンマイクに、水城ゆうがピアノ演奏で参加しました。
唱歌「たき火」をモチーフにして、ピアノを即興で演奏しました。

映像はこちら

村山槐多没後100年追悼内村水美展で朗読と音楽のパフォーマンスをやります

明大前にまだキッド・アイラック・アート・ホールがあったとき、その地下にあったブックカフェ〈槐多〉でかなりの回数、「槐多朗読」なる朗読と音楽の会を開催させてもらった。
そのときに知り合った画家の内村水美さんが、タイトルの個展を神楽坂の〈セッションハウス〉で開催されるということで、その案内葉書が届いた。

ご覧のとおりシャープな色彩で目のさめるような抽象画が葉書には刷られていて、早く展覧会の全体像を見たくなってしまった。
会期は2019年2月15日から24日まで。

その期間内の2月20日(水)が、村山槐多の没後100年の命日にあたっているということで、槐多忌のイベントを水美さんが取りおこなう。
それにあたって、野々宮卯妙の朗読と私の音楽の即興パフォーマンスを、展示作品がある空間でさせてもらうことになった。
とても楽しみだ。

19時開演。
お時間のある方はどうぞお越しください。

年末の来客、包丁研ぎ

2018年の年末は来訪者や個人セッションが立てこんで、一時的にちょっとあわただしかった。
そんななか、家の包丁をまとめて研ぎあげたほか、ついでにNVC仲間ののぞみさんや理子ちゃんが持ちこんだ包丁もいっしょに研いだ。
理子ちゃんには研ぎ指導付き。

包丁はきときとに研ぎあげておくと、簡単に指を切るので、扱いが丁寧になり、逆に怪我をしにくい。
砥石さえ手元に常備してあれば包丁を研ぐなんてのは5分もあればできることなので、ちょくちょく研ぐ習慣を持つことを、主婦(主夫)のみなさんにはおすすめしたい。

赤さんもやってきて、たいへん楽しくすごしている。
みるみる大きくなってしまうんだけど、ちいさな命と接していられるのはこの上ない幸せだなあ。
自分の命が終わりに向かっていることと入れ違いのようなバランスを感じるのが幸せなのかもしれない。

年末編物

子ども用帽子を二個編みあげた。
一個はどんぐり帽子。
もう一個はおなじ編み方、おなじ糸だけど、どんぐりのぽっちがついていないタイプ。

ほんとはもう一個編んでいて完成近かったのに、出かけたときに持ちだして、出先のどこかで落としてきてしまったらしい。
もうすぐ完成だったのと、編み棒と毛糸玉をなくしたのが残念。
探したけれど、出てこない。

おなじ糸がまだだいぶ余っていたので、マフラーを編んだ。
長編みだけで単純に長く編んでみた。
なかなかいい感じ。
このまま自分で使ってもいいし、ほしい人がいたらあげようかな(自分用にはまた編めばいい)。

もうひとつ、途中まで編みかけていた黒い毛糸の模様編みマフラーを仕上げた。
糸が黒いと目が見えづらくて、編むのが大変。
これは赤さんのお母さん用に。
短めに仕上げて、安全ピンで止める方式に。
ピンを隠すための花のモチーフをくっつけたが、黒に黒でほとんど見えない。

2018年12月29日土曜日

YouTube【じじ編み】子ども用の毛糸の帽子

子どもたちの間でどんぐり帽子がはやっていますが(大人にも?)、どんぐり帽子にしなくても子ども用の帽子を普通に編めますよね。
輪の作り目からはじめて、長編みだけでどんどん編んでいく方法を紹介します。

アクリル70パーセント、ウール30パーセントの毛糸を使って、かぎ針は7号です。

(動画再生は画像をクリック)

2018年12月28日金曜日

2018年内イベントほぼ終了

今年2018年も残すところあと数日となった。
今週中には予定されていた年内のイベントもほとんど終わった。
今週はちょっとあわただしかったけれど。

23日(日)には春野亭でのクリスマス歌会とクリスマスパーティー。
24日(月)は高橋透先生の治療会に行ったあと、吉祥寺〈曼荼羅〉のオープンマイクに参加、夜は身体文章塾のクローズド定期開催の最終回。
25日(火)は吉祥寺〈森の食卓〉でのクリスマス朗読コンサートと食事会。
26日(水)は中村和枝先生のピアノレッスン。
昨日27日(木)からようやく落ち着いて、個人セッションが数件と、夜はひさしぶりにOeufs(うふ)のオリジナル相方の伊藤さやかが来て、積もる話をたくさん。
今日28日(金)は決まった用事のない一日だったが、春野亭には来訪者がたくさん来て、にぎやかだった。

年内は個人セッションが何件かあるだけで、とくに決まった用事はなく、このところがんばって作っている動画コンテンツやら、それから派生したピアノ楽譜やらを作ってみようかなと思っている。
遅れている『共感的コミュニケーション2019(仮)』の電子書籍および紙本も仕上げてしまいたい。

写真は森の食卓のクリスマスコンサートに来てくれた私の小さな友だちのまどかちゃんからもらったプレゼントの絵(超うれしい!)。
もう一枚は国立駅前のたましんの、変わったばかりのショーウインドウ・冬バージョン。

ドイツに演奏旅行に行きます

2019年3月にドイツに行くことが決まった。
もう十年以上海外なんて行ってないので、パスポートはとっくに切れていた。
実家帰省中に戸籍謄本を取ってきて、申請手続き終了、これでほんとに行ける。

ドイツ在住の知り合いはあんまりいないけれど、そのうちのひとりに連絡したら、グッドタイミングとピアノ演奏のチャンスをくれた。

フライブルク在住の音読トレーナーの遠藤なおみさんが話をくれた。
3月にフライブルクでジャパンフェスティバルを開催されることになっていて、生け花パフォーマンスで生演奏する人の候補をちょうど検討中だという。
うまい具合に私を推薦してくれて、演奏することが決まった。

かねてから一度かの地で演奏してみたいと思っていた。
ありがたいことだ。

私は即興ピアニストであり、日本の唱歌など歌曲の即興変奏家でもある。
さらには朗読やダンス、ペインティング、映像表現などとの即興コラボも得意分野なので、そちら方面で日本人的感性の演奏をおこなったとき、欧米の人たちにどのように受け取られるのだろうか、という興味がある。

国内では外国人の方を相手に演奏したことはある。
そのときの反応を見て、本格的に「現地で」演奏するとどんな反応になるのか、一度やってみたいとずっと思っていたのだ。
ドイツ行きは3月中旬なので、その期間に演奏チャンスの情報がある方は私までお知らせください。
よろこんで馳せ参じます。

そんなこんなで、2019年年明けはいろいろと楽しいことになりそうだ。

ピアノ七十二候:冬至/麋角解(YouTube)

日本の二十四節気七十二候にちなんだピアノの即興演奏です。
冬至の次候(65候)「麋角解(さわしかつのおつる)」をイメージして演奏しています。

映像はこちら

2018年12月27日木曜日

ピアノ七十二候:冬至/乃東生(YouTube)

日本の二十四節気七十二候にちなんだピアノの即興演奏です。
冬至の初候(64候)「乃東生(なつかれくさしょうず)」をイメージして演奏しています。

映像はこちら

2018年12月26日水曜日

YouTube:野々宮卯妙朗読「火事」@曼荼羅

2018年12月23日。
吉祥寺〈曼荼羅〉にて開催されたオープンマイクに、野々宮卯妙が朗読で参加しました。

 作品 :夏目漱石『永日小品』より「火事」
 朗読 :野々宮卯妙
 ピアノ:水城ゆう(即興演奏)

映像はこちら

クリスマスコンサート、ふたつ

12月23日に国立春野亭で、25日に吉祥寺森の食卓で、それぞれクリスマスコンサートだった。

春野亭のはコンサートというより歌会。
みんなでクリスマスソングや賛美歌を歌って、歌声喫茶みたい。
NVCの仲間でもある歌手の鈴木重子さんが呼びかけて開催したもので、毎年おこなってこれが3回目だった。
もちろん重子さんの歌もあって、とっても贅沢な会。

私はピアノ係。
楽しかったな。

翌24日は吉祥寺曼荼羅のオープンマイクに出たのだが、それはクリスマスとは関係なく。

25日はやはり吉祥寺の森の食卓で、朗読のクリスマスコンサートを野々宮卯妙と。
これも昨年に引き続き。
参加型の音読ワークも交えて、来てくれた皆さんと一緒に声を出したり表現したり、楽しくやらせてもらった。

最後は野々宮の朗読と私のピアノで、私の作品を使ってパフォーマンス。
みつばちの話。
音楽記号が埋めこんであって、繰り返し、とか、コーダ、とか、ただ順番に読むだけにはなっていない構造のテキスト。
皆さんはどのように受け取ってくれたかな。

これらのパフォーマンスの模様は、一部、YouTubeで動画公開する予定。
(ひとつめの動画「勝木雪子朗読「ニジェール物語」@曼荼羅」を公開中)

身体文章塾が2019年から変わります(どなたも参加できます/無料)

2011年から現代朗読ゼミ生および身体文章塾生限定でおこなってきた身体文章塾を、このたび2019年からすべての方にオープンなテキスト表現の場として開放することになりました。
文章(テキスト/ことば)で自分を表現したい、伝えたい、という気持ちがある方ならどなたも参加できます。

すべての人を表現者に、だれもが作家になれる、が主宰・水城のモットーですが、そのためには完全に安心して安全に表現を試せる「場」が必要です。

「場」は物理的な空間と時間のほかに「受け取りあう人」で構成されます。
現代の社会構造/システムのなかで著しく損なわれてきた「ただありのままに他者を受けいれ、また自分自身も受け取ってもらうこと」を表現の場に取りもどそうとう試みでもあります。
それはNVC(=Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)をベースにした「共感的コミュニケーション」の考えかたにもとづいています(水城の著書を参考にしてみてください)。

身体文章塾では個人的な思いこみによる批評・批判はご遠慮いただきます。
そのかわり、他者の表現を受け取ったときに自分のなかで起こること、感情やムーブメントに注目します。
外部的・社会的基準にもとづいた批判ではなく、自分のオリジナルな生命現象から生まれてくるできごとを伝えあうことが、お互いのインスピレーションを増幅します。

批判ではなく、表現の交換が、表現者を鍛え、成長させることは、長年のこのような活動を通じて明確にわかってきたことで、それをみなさんとシェアしたいと思っています。


Zoomというネットミーティングシステムを使ってオンラインでご参加いただきます。
パソコン以外にもほとんどすべてのスマホやタブレット端末にも対応しています。
また、期日までに作品をフェイスブックの「身体文章塾グループ」にアップロードしていただきますので、フェイスブックのアカウントが必要になります。

毎回「お題」が出され、それにそって書いた短文をあつかいますが、それとは別に独自に書いたものがあればそれもご提出いただいてかまいません。
あつかうテキストは小説、エッセイ、詩、ブログ記事、その他テキストならなんでもありですが、とくにオリジナリティを重視していて、いかに自分らしいテキスト表現を獲得するかを目的のひとつに据えています。
そのために身体性とむすびついたことば、文章をさがすこと、生身の感触がある文体をどうやって見つけるか、さまざまな試みをつづけています。

オリジナリティあふれるクオリティの高い作品は、機関誌『HiYoMeKi』に収録され、電子ブックとして広く無料配布されます。
自分は書かないけれど、人の作品を読みたい、『HiYoMeKi』の編集に協力したい、というような方も歓迎です。

参加人数に制限があるので、参加を希望する方はあらかじめ所定のフォームから参加予約をお願いします。

案内役は小説家でピアニストの水城ゆうです。
アマゾン検索でたくさんの著書が出てきますので、参考にしてみてください。

開催スケジュールの確認と申し込みはこちらから。

YouTube:勝木雪子朗読「ニジェール物語」@曼荼羅

2018年12月23日。
吉祥寺〈曼荼羅〉にて開催されたオープンマイクに、勝木雪子が朗読で参加しました。

 作品 :フクダヒデコ『ニジェール物語』から抜粋
 朗読 :勝木雪子
 ピアノ:水城ゆう(即興演奏)

映像はこちら

2018年12月20日木曜日

ピアノレッスン再開、ひさしぶりの中野方面

肘の故障がだいぶ回復したので(まだ完調ではない)、しばらくお休みしていたクラシックピアノのレッスンを受けるために、ひさしぶりに中野に行ってきた。

クラシックピアニストというより、屈指の現代ピアニストである中村和枝さんのレッスンを受けられるというのは、東京に住んでいる幸運というしかない。
あらかじめ課題として、バルトークの『ミクロコスモス』という練習曲集をもらっていたのだが、家で練習してみるとなんということはない、ちょっと風変わりな、現代音楽風の奇妙な曲もある楽譜だ。
ところが、レッスンを受けてみると、これがおもしろいのなんのって。
なるほど、譜というのはこのように読み、ピアノというのはこのように弾くのか、ということを再認識させてもらって、スリリングだった。

もちろん私自身は即興ピアニストであって、気のおもむくままに自由に演奏することの専門家だし、譜読みだってそこそこできる。
しかし、あらためて和枝先生から学ぶことの奥深さ、情報量の多さは、圧倒されるくらいだ。

すこし時間をつぶしてから、夜はそのまま新井区民活動センターでの韓氏意拳の講習会に参加してきた。
こちらはひさしぶりだったが、世田谷に住んでいた六年前からこちらの講習会に体験参加したのを皮切りに、私の韓氏意拳歴がスタートしたのだった。
指導者もそのときとおなじ内田秀樹先生で、当初は教練になったばかりだったはずだ。
お互いの深化を、私は勝手に感じながら稽古したのだが、それはそれとして昨日も自分を限界まで追いこむようなきつい稽古だった。
よくがんばった、自分。

今日は休養日にする。
ゆっくりお風呂にはいって、身体をほぐしたり休めたりしておこう。

2018年の締めくくり大整頓、ほぼ終了

2018年もあと半月足らずで暮れようとしている。
明日は冬至で、もっとも日が短い一日だ。
ということは、明後日からはまた一日一日と日が長くなっていく。
それを思うと自分の中でエネルギーが湧いてくるような気がするのは、錯覚だろうか、それとも生物的本能のせいだろうか。

今年は私にとっては、60歳から61歳という年齢にさしかかる年だった。
なぜか衰えよりも成長や成熟を感じ、面白い年だった。
それはいまも進行中で、自分の中ではこれまでの経験と蓄積を新しいアウトプットとして一気に爆発させたいようなエネルギーを感じている。
芸術は爆発だといった人がいるけれど、まさにそんな感じ。

エネルギーを拡散させず、ひとつの火口に向けて誘導集中させたいと、いろいろなことを整理した年でもあった。
最初はなんとなく、やがて手探りで、そしていまは確信的に、流路を整えている。

流路が整っていないまま支流として拡散してしまったいろいろなこと――イベントや勉強会――を大整理した。
共感的コミュニケーション(NVC)の勉強会や朗読ゼミはほぼ水門閉鎖。
残っているのは個人レッスン/個人セッションと出張イベント、音読療法の講習会。

それらに振り向けていたエネルギーを、執筆、音楽や動画など、コンテンツ製作に集中させる。
この体制は15年くらい前、豪徳寺の地下スタジオで仕事していた時に近い。
当時は驚くほど大量の生産体制だった。
いまから思えばクォリティにばらつきはあったが、ハイクォリティなものもたくさんあった。

小説など本を自力出版で出していくこと。
朗読と音楽の映像コンテンツやライブパフォーマンスを行なうこと。
今ちょっと関心があるのは、ブログ(BLOG)ならぬVLOGだ。
気楽に情報発信できるところがいい。
別にユーチューバーを目指すつもりはないけれども、ちょっと試してみたいと思っている。

他には、個人セッションや個人レッスン、大歓迎。
一人ひとりの多様なニーズや可能性に目を向け、演出的な手法で花開くお手伝いをするのは、私の最も得意とするところだ。
特に朗読など1人でやる表現の場合、まだまだ可能性があるのに行き詰まっているような人を見ると、お手伝いできないかとうずうずしてしまう。
個人に対していつでも開いているので、気楽にコンタクトしてほしい。

2018年12月17日月曜日

ひさしぶりのオープンマイク、韓氏意拳の稽古、焼き鳥

昨日の午前中はゼミ生のゆきこさんと、クリスマスにひさしぶりに出演するオープンマイクの打ち合わせとリハーサルをした。
オープンマイクは24日の午後の吉祥寺〈曼荼羅〉で開催するもの。
持ち時間は10分で、ゆきこさんがひと枠、野々宮卯妙がひと枠、それぞれもらっている。
朗読と即興演奏によるライブセッションをおこなう予定で、楽しみ。
私自身もピアノ演奏でひと枠もらっていて、なにを弾こうかな。
もしご都合のよい方がいらしたら、いっしょに行きましょう!

写真は打ち合わせ後にゆきこさんと行った国立〈パスタファクトリー〉の三種のチーズのスパゲティ。

今日は駒井先生をお招きしての韓氏意拳初級講習会を国立春野亭で開催。
運動の起点が身体の末端や外側からはじまる感じを稽古した。
最後はハードな追い込みもあって、大変な人もいたみたいだけど、私は楽しかったな。
来月・1月の国立講習会は、21日(月)午後の予定。

終わってから、参加した桂さん・野々宮と〈クニタチカ〉に飲みに行く。
たくさんしゃべって飲んで、食べて、これも楽しい時間だった。

明日の夜も昭島での火曜講習会。
明日の日中は練馬・富士見台で毎月おこなっている高齢者介護福祉施設での音読ケア。
終了後の焼き鳥屋での買い食いが楽しみ。

2018年12月16日日曜日

豊かな時間を生きた、これからも生きる

風邪がようやく完全に抜けて、くしゃみや鼻水も出なくなった。
めでたし。

昨日はOeufs(うふ)の相方の伊藤はるかが来て、打ち合わせ。
といっても音楽ではなく、イラスト(漫画)の件。
もうすぐリリース予定の書籍『共感的コミュニケーション2019(仮)』に挿絵を使わせてもらおうと思っている。

ついでに過去Oeufs(うふ)の音源やら「サウンドスケッチ」の音源をいっしょに聴いていたら、むくむくと創作意欲が立ちあがってきた。
こんなにたくさん、しかもクオリティの高いものを、毎日のように作りつづけていた日々があったんだなあ。
あらためて豊かな時間だった。
そしてこれからもこのような豊かな時間を生きていこう。

夜は昭島のK-Studioに行って、韓氏意拳の稽古。
がっつりと稽古させてもらいました。
文字通り倒れた。
今朝は階段の上り下りに支障が出るほどだけど、その身体が気持ちいい。

このあとゼミ生のゆきこさんの個人レッスン。
年末にひさしぶりにオープンマイクで暴れる予定。

2018年12月11日火曜日

初雪、氷点下、実家音読カフェ、共感本2019準備

北陸の実家に帰省中だが、日曜日は遅い初雪が降った。
積もるほどではなく、このまま暖冬ですぎてくれればいいのにと思っている。
去年というか、今年の初めはほんとにひどい雪だったので、実家の古い家屋も被害がけっこう出た。
今シーズンはそんなことがなければいいのだが。

今朝は氷点下になった。
これも今シーズン初、かな。
未明の星がめちゃくちゃきれい。
西には牡牛座のアルデバラン、東には明けの明星(金星)がびっくりするくらい明るく輝いている。

今日の午後は音読カフェを実家のリビングで開催。
テキストはなにを使おうかな。
一か月ぶりに常連のみなさんとお会いするのが楽しみ。

帰省中はもっぱら、もうすぐリリース予定の『共感的コミュニケーション2019』の執筆・編集作業をおこなっている。
タイトルは変えるかもしれない。
これまでにメルマガやブログに書いた原稿をもとに、リライトしたり再編集の作業をおこなっているのだが、それにしても今年も書いたなあ。
作業量が半端じゃない。

明日は車検を終えた車で岐阜各務原に移動して、澪ちゃんち〈花寧香くらぶ〉で水城ゼミを開催。
これを含め、年内のイベントはいよいよ残り少なになってきた。

日曜日は共感音読カフェの最終回を国立春野亭で開催する。
以後、しばらく開催予定がないので、タイミングが合う方はぜひご参加ください。

2018年12月10日月曜日

私的発見:お風呂で温まりすぎると風邪をひく

ここ何年も——正確には2011年以来7年間——風邪で寝込んだことが一度もないのだが、古くから私を知っている人は信じられないことだろう。
というのも、若いころからけっこうな虚弱体質で、年に何度かはかならず寝込んで何日か「使えない」状態におちいることが普通だったし、インフルエンザには毎年かならずといっていいほど罹患していたからだ。

最近は風邪をひいたり、体調を若干くずすことはあっても、寝込んでしまうようなことはまずない。
自分でも丈夫になったものだなあと思う。

風邪をひいたり、体調が低下するのは、決まっていまの時期——11月下旬から2月にかけての冬の時期で、ようするに寒さに弱い体質は昔から変わっていない。
ただ、寝込んでしまうほど悪化しない体質というか、免疫力が50代なかばにしてついてきたということだろう。

今年もちょうど一週間くらい前から風邪をひきかけて、鼻とのどの調子がぐずぐずしていたのだが、熱を出して寝込むほどにはいたらなかった。
二、三日、不調がつづいたが、徐々に回復して、いまはほぼ完調(の九割くらい)になっている。

で、最近、ふと気づいたことがある。
お風呂と風邪の関係だ。

子どものころから風邪をひいたら風呂にはいってはいけないと(私の家では)教えられてきた。
たしかに風邪をひいているときに風呂にはいるとしんどい。
風呂はがまんして、温かくして、水分をたくさんとってせっせと汗をかく、という治療法が推奨された。
しかし、大人になって世間を見渡してみると、世の中にはさまざまな治療法についての情報があって、なかには風呂にはいることを積極的にすすめるものすらある。

つまりいろいろな情報があり、考え方があり、また人それぞれの体質があるので、なにがいいということは一概にいえない、ということだ。
私が最近気づいた以下のことも、あくまで私の体感覚からきた話だということを強調しておきたい。

一日の終わりに風呂にはいって温まり、体温をあげて十分な睡眠をとることが、風邪にかぎらずさまざまな病気を予防するのに役に立つとよくいわれている。
たしかにそうなのだが、風呂にはいって「温まりすぎる」と、逆に身体は冷えてしまうような気がする。

温泉などに行って、貧乏根性から(笑)できるだけ長くはいっていたい、存分に温まりたいと思って、長風呂したあと、よく観察していると、身体はかえって冷えてしまうのだ。
高くなった体温を身体は懸命にさげようとして、汗をかきつづける。
必要以上に汗をかいて、かえって身体が冷えてしまうというようなことが起きる。

逆に、ちょっと寒いかな、全然十分に温まれなかったなと感じているようなとき、身体は結果的にぽかぽかと温まってくる。

冬場はシャワーではなく、できればゆっくりと湯船につかって温まりたいものだが、時間がなかったり面倒だったりしてシャワーでささっとすませてしまったとき、身体は十分に温まった感じがないのに、そのあとでなんだかぽかぽかと温かくなっていたりする。
ちょっと寒さを感じたとき、身体は逆に自分自身で体温をあげて防衛しようとするのではないだろうか。

なので最近は長風呂は控える、入浴は時間がないときはシャワーでも十分、汗をかくほど温まりすぎるのはかえって身体を冷やしてしまう、という方針で入浴するようにしている。

やる気が出ない/なんにもする気になれない、という人へ

ある男が、自分の進むべき方向性がわからず、コーチングを受けたと思ってくんねえ。

彼はなにかスキルを身につけたり、自分の能力を発揮できる職業に就いて、生活が安定したり社会に貢献できるようになればいいなと思っている。
つまり、ニーズははっきりしている。
が、その方法がわからない。
なにか目標を決めて勉強しようとしても、やる気が起こらない、毎日これをやると決めていざ取りかかろうとするも、なんにもする気になれずだらだらとすごしてしまう。
そのことについてあせりを感じるし、罪悪感もある。
自分がだめな人間だという失望感や、このままいくとどうなってしまうんだろう、すでに手遅れで社会から乗り遅れてしまったんじゃないかという絶望感もある。

思いあぐねて、コーチングを受けてみることにした(私の、じゃないよ)。
いろいろアドバイスを受けたのだが、もっともわかりやすいものがつぎのようなものだった。

 目的地(ゴール)を明確にする
 ゴールまでの道順を明確にする
 車(自分)のガソリンを満タンにする

車(自分)にガソリンが十分にはいっていて、目的地と道順がはっきりしていれば、たどりつくのはたやすい、という。
コーチングという手法には、それらを明確にするプロセスが用意されていて、多くの人にわかりやすく、役に立っている。
なるほど。

しかし、私はすこしちがう考えを持っている。
そもそもどうやったらガソリンを満タンにできる(やる気を出せる)?
目的地がはるかに遠くだったり、そこにいたる道順がはっきりわかっていない場合、出かける気になれるか?

私が提案したいのは、人が生きるためには——あるいは自分をいきいきと生かすためには——目的地も道順もいらない、ということだ。
ガソリンをあらかじめ満タンにする必要もない。
必要なのはただひとつ、エンジンをかけて動きだしてみること。

若い人は知らないだろうが、私が子どものころの車といえば、クランクを回してエンジンを始動させていた。
つまり、人力でシャフトを回転させて、その勢いでエンジンを始動させていたのだ。
エンストしたら(じつにしばしばあった)、何人かで車を押して、ある程度スピードが出たらクラッチをつないでエンジンを始動させたりもしていた。
押しがけというが、バイクレース(マン島TTとか)などで比較的最近まで採用されていたので、知っている人もいるかもしれない。

人間の身体もこれに似ていて、実際に動きたかったら、初動が大切なのだ。
やる気があるとかないとかいう以前に、まず動かしてみる。
身体を起こして、足を踏みだしてみる。
家から出て、外をひと回りしてみる。

どうやったらやる気が出るだろうか、とか、自分はどうしたいのだろうか、とか、目標はなんだろうか、それを達成するにはどうしたらいいだろうか、とかんがえていても、それはあくまで「かんがえ(思考)」にすぎず、動きではない。
いくらかんがえても車は動きださないし、かんがえればかんがえるほどますます動けなくなってしまう。

まずは動いてみる。
すると、ガソリンがどのくらいあるのか、もっと遠くに行きたがっているのか、どんどん動きたくなってくるのか、どちらに向かっていきたいのか、あるいはやはり休んでいたいのか、はっきりとわかる。
動いてみて、ガソリンがまったく空っぽで1メートルも走れないということはめったになく、たいていは補給できるどこかへ行くくらいの燃料は残っている。
それもなければ、だれかにヘルプを出して、ガソリン補給を手伝ってもらうこともできる(私のようなサポートできる者に依頼する)。

動く、というのは、ほんとに物理的に動くことで、身体を動かしてみる、部屋を片付けてみる、掃除してみる、そういうことでもいい。
できれば靴をはいて、玄関から一歩外に出てみるのがいい。

そのときに重要なのが、「かんがえ」からできるだけ離れることだ。
方法としては「かんがえ」の代わりに「観察」をすることだ。
自分自身を観察する。
動いてみたとき、どんな感じがするのか、歩いて動いている自分の手足はどうなっている?
呼吸は? 姿勢は?
どこかに痛みはある? 不具合は感じる? 順調さはある?

観察したら、できればそのことを言語化して、ノートなどに書きつけてみるとさらによい。
思考から観察へ。
これを習慣化する。

自分という車が動きだしたときはじめて、自分自身が実体化し、なにが必要なのか、どこへ行きたいのか、どこまで行けそうなのか、はっきりするだろう。

2018年12月9日日曜日

韓氏意拳中級講習会で古(いにしえ)の體(からだ)に遭う

先日はタイミングが合ったので、新大久保まで行って、日本の韓氏意拳の総帥である光岡英稔導師の中級講習会に参加してきた。
中級とはいえ、韓氏意拳中級の教程にそって講習をおこなうわけではなく、中級の資格取得者向けにより踏みこんだ内容の稽古をする、という内容のものだ。

私はそもそも、中級教程そのものもまだ十分に稽古できているとはいいがたく、有資格者向けの講習会に参加するのはためらいがあったのだが、光岡先生の会はユーモアもまじえて参加しやすく楽しいものであった。
もちろん、光岡先生ならではの深い武術体系の知見を体験させてもらって、自分の身体のことではあるが、発見の連続だった。

とくに今回は武具(槍に見立てた長竿)をもちいた、韓氏意拳以前の武術体系にある式をやってみることで、身体がなにをいっているのか、なぜそうなっているのかを身体で実経験するという、日ごろのひとり稽古にも生かすことができるものをたくさん教示していただいた。

私が6年前に入門して以来、韓氏意拳では現代人が見失いがちになっている自分本来の身体そのものや、それが持つ能力を丁寧に整え、武術という行為に生かすことを稽古している。
たしかにいまの私たちは自分の身体があまりにも見えていない。
(なので、わざわざマインドフルネスの練習などというものが必要になってくる)
自分の身体が見えはじめると、その身体にそなわっている本来的な能力が発揮されてくる。

単純な「相手を押す」という動きでも、自分の身体が見えてくるだけで、まるで体重が一気に増えたかのような作用が自分と相手に生じたりする。
不思議なのだが、べつにオカルティックな話ではなく、たんなる物理作用の話だ。
これがおもしろくてたまらない。

習えば習うほど、稽古すればするほど、明治維新以降の近代教育のなかで私たちが失ってきたあまりの多くの貴重な身体のことを、あらためて知ることになる。
いまの、そしてこれからの私たちに必要なのは、まさにここにあるんじゃないかとすら思う。

韓氏意拳はあくまで武術体系だが、そこから得られたり気づいたりするのは、たんに武術にとどまらない。
私たちが生活し、働き、交流し、生きていくことそのものにかかわる、とても大切なことのひとつを教えてくれる。

2018年12月8日土曜日

定期開催の身体文章塾は年内で終わります

毎月3回開催をつづけてきた「身体文章塾」を、年内をもって定期開催を終えることにした。

もともとはNPO法人現代朗読協会主催の現代朗読ゼミのスピンアウトとして2010年に「ブンガク部」としてはじまったものだ。
翌年、ブンガク部から「次世代作家養成講座」として正式に講座枠となり、機関誌『HiYoMeKi』も発刊された。

その後、身体文章塾として現代朗読協会とは独立した講座枠として私個人の主宰となり、現在までつづいてきた。

もっとも古株のメンバーとして、現在も参加している奥田浩二くんがいる。
次世代作家養成講座時代からのメンバーなので、たぶん7、8年は付き合ってくれていることになる。
2016年には知念満二さんも参加し、たくさんの傑作、怪作を書きとぱしてくれたが、昨年からは長編小説の執筆に挑戦した。
奥田くんも同時に長編執筆をスタートさせた。

知念さんの長編はこの10月に一応の完成を見た。
あとはリライトの作業が残っているだけだ。
奥田くんはまだ結末までたどりついていないが、先は見えてきている。

私自身、この塾に提出するための作品をいくつか書いたが、自分自身、書きあげてしまいたい大きなものがいくつかある。
そこで、この年末をひと区切りとして、身体文章塾の定期開催をいったん終了することにした。

思えば今年2018年はさまざまなことにピリオドを打った年だった。
2011年以降、自分で主催したり、カフェなどさまざまな場所で展開してきた共感的コミュニケーションの勉強会の場も、ぱたぱたと閉じさせてもらった。
自分の活動拠点である国立春野亭での共感編み物カフェも、先月で最後にしようと決めたし、あと1回を残している共感音読カフェも、12月16日の回を最後に年内で終了することにした。

残っているのは、本当に必要としている人のための個人的なセッションの受け入れと、名古屋天白および岐阜各務原のワークショップがひとつずつ。

スケジュールを整理してみたら、おどろくほど時間があることに気がついた。
これはお祝いだ。
書きたかったこと、作りたかったもの、やりたかった表現に、まっすぐに向かっていくことができる。
私はもともと、生まれついての作り手=作家なのだ。

定期開催は終了するが、身体文章塾という場はオープンにして継続しようと思う。
書くことを楽しむ方、テキストで表現しあうことを楽しむ方、私も含むそんなみなさんが場をつづけていってくれればうれしい。

現在、フェイスブックのクローズドグループで作品などのやりとりをしている身体文章塾だが、ちかくオープンにしてどなたも参加できるようにするので、よかったら参加してみてほしい。

心筋梗塞か狭心症か? という胸の痛みは無事に解消した

先月末くらいから一週間くらい、胸の中心部にいやな痛みがつづいていて、気になっていた。
最初はよくある肋間神経痛かと思ったが、場所がみぞおちのすぐ上の胸骨(胸板)下部の内側なので、なにかちがう痛みだ。

変な圧迫感があって、それが不整脈が起きたときのような感じにも似ていて、心臓の不調かとも思えた。
運動しているときより、寝起きやデスクワークをしている安静時に痛みが気になる。

しばらくつづいて一向に収まる気配がないので、しかたなく近所のハートクリニックに行った。
予想どおり、24時間心電図を取るホルダー検査というのをすることになった。
これは20年以上前に一度やったことがある。

そのときは不整脈が頻繁に起こるのが気になったのだが、とくに異常はなかった。
私の父方の家系が心臓病が多く、私の妹も手術が必要なほどではないが、幼少のころから弁膜に異常があって、出産のときも医師と相談しながら進めていた。
父方の従兄弟は、私がまだ子どものころ、32歳という若さで心臓発作のために急死しているし、父の母、つまりおばあさんは49歳で亡くなっている。

しかし、いま思えば、不整脈はストレスが原因だったんだろう。
今回はとくに強いストレスがあるわけではないので、原因がわからない。

ホルダー検査は、結局、予想どおりではあったが、異常は検知されなかった。
それにしても、最近の検査はすごいね。
あっというまに、目の前で、検査の分析結果が出てくる。
心臓には異常なし、心筋梗塞も狭心症もなし。
念のためにエコー検査もしたが、肥大も弁膜も血流も正常。
まだ当分はありがたく使えそうだ。

では、なにが痛みの原因なんだろう。
と思っているところに、山形の韓氏意拳の教練の高橋透先生から電話をいただいた。
私のSNSでの書きこみやレスポンスのようすを見て、気にかけてくれてのことらしい。
本当にありがたいことだ。

頭蓋仙骨治療院を開いておられて、毎日おおぜいの患者さんと接しておられるだけあって、的確な質問と見立てをしていただいた。
思いあたることばかりで、その対処法も教えていただき、さっそくやってみた。
その日のうちに痛みは軽減し、翌日にはもう治ってしまった。
これにはびっくり。

高橋先生がされているような東洋医学は、患部だけ部分的に見るということをしない。
つねに全体性のなかで見ていて、自分では思いもつかないような場所同士の関連性を調べていく。
そのような知見を無数に蓄積しておられて、日々の勉強もおこたらない。

12月23日と24日には、昭島の韓氏意拳の教練・駒井雅和先生のK-Studioで隔月で開催している治療会があるので、そこでお会いするのが楽しみだ。

2018年12月4日火曜日

映画:祝福(いのり)の海

音読トレーナーのいしはらまなみがいよいよ社会活動をスタートしようとしていて、その第一歩となる映画上映会を川崎市多摩区のコミュニティハウスで開催するというので、出かけてきた。

〈MUKU〉というコミュニティハウスで、いただいたちらしによれば、映画上映会のほかにもお絵描き教室やヨガ、お話会など、いろいろなイベントをもよおしているらしい。
とても気持ちのいい家で、今回の上映会にも赤ちゃん連れの若いママが何人も参加していたのが印象的だった。
近隣地域のママのちょっとしたコミュニティのようになっているのかもしれない。

いしはらまなみはいずれこちらで、音読カフェを開催したいと思っているらしくて、もちろん私も応援したい。
音読カフェにかぎらず、ママカフェや共感カフェもきっといいだろうし、デジタルピアノを持ちこめるなら親子連れで参加できる歌や音楽のイベントも楽しいだろうな、なんて想像していた。

映画は東条雅之という、監督というか映像ジャーナリストといったほうがいいだろう、若い人が作ったもの。
自分の旅の軌跡をそのまま記録映画にしたものだが、旅路そのものがストーリーになっている。
監督の正直な興味、関心、好奇心が、問題をとらえ、ときにはしっかりと踏みこんでいく。
そしてふたたび、旅のスタート地点である山口県の〈百姓庵〉へと回帰していく。

編集の巧みさもあってのことだろうが、押しつけがましくなく貫かれているテーマ性が、こちらに大きな影響を与えてくる。

原発問題などシビアな問題を、批判精神を持ちながら切りこんでいるのだが、そこにはだれをも攻撃することなく対話や見守り、よりそうことを大切にする姿勢があらわれていて、新鮮だ。
ドキュメンタリー映像はとかく、批判の攻撃性を持ってしまうことがあるが、この映画はそれがない。
たぶん、あたらしい感覚のドキュメンタリー映像作家のひとりになるのだろうと思うし、このような作家がいま何人かあらわれてきているような気がして、希望を感じる。

多くの人に観てもらいたい映画だ。
とくに、原発反対派に反感を持っている人や、肯定派、推進派、より豊かな社会をめざして現体制や政権に協力的でありたいと思っている政治家や経済人にも、観てもらいたいと思った。
とはいえ、今日は若いお母さんたちや女性が観にきていたというのも(男の参加者は私ひとりだった)、希望と平和を感じる風景だった。

このような上映会をもよおしてくれたことについて、いしはらまなみに「ありがとう」をいう。

2018年12月1日土曜日

ひさしぶりにオープンマイクに出よう

ゼミ生の雪子さんは今年2018年の年頭の目標のひとつに、
「朗読でオープンマイクに出る」
というものをかかげていたことを思いだしたらしい。

先日の個人ゼミでは、オープンマイクで読むためのテキスト選びとその練習をした。
なかなか興味深い絵本を選んできたので、まずは聴かせてもらった。
みじかいお話がいくつかはいっている本で、どれも独特のイマジネーションに満ちた不思議な世界だ。
砂漠の話なので、ちょっと『星の王子さま』っぽいテイストもあるが、実際に舞台になった砂漠はサン=テグジュペリの飛行機が遭難した場所に近いあたりらしい。

オープンマイクの時間枠にもよるが、持ち時間が5分くらいのみじかい枠なら話をひとつ、10分とか15分あるならふたつかみっつ続けて読めばいいかもしれない。

実際に動画を収録しながら、立って読んでもらった。
なにか演出しよう、気づいたことがあれば指導しよう、と手ぐすねひいていたのだが、まったく口を出す余地がない。
つまり、いきいきと自分自身の正直な表現で、奇をてらわず、いまこの瞬間の自分の身体とともに動いている朗読。

現代朗読をずっと練習してきた成果が目の前にあるのを見て、私自身感動してしまった。
オープンマイクで発表するのが楽しみだ。

あとで調べたら、12月24日昼に吉祥寺の曼荼羅でオープンマイクがあるようなので、雪子さんと、野々宮卯妙と、私もそれぞれエントリーしてみることにした。

2018年11月30日金曜日

ウェル洋光台のみなさんと戸谷さんに会ってきた

横浜のシェアハウス〈ウェル洋光台〉を訪ねてきた。

こちらでオーナー代行をされている戸谷浩隆さんとは、今年5月にガイアエデュケーションの講師で鈴鹿に行ったとき、初めてお会いした。
お名前は存じあげていて、戸谷さんも私のことを気にしてくれていたようで、初めてお会いしたときは共感的コミュニケーションについてうれしい質問攻めにあったのを覚えている。
そのときの戸谷さんの話もおもしろくて刺激に満ちていた。
なので、近いうちにウェル洋光台に遊びに行きますと約束して別れたのだが、ようやくいまになってそれが実現した。

事前の情報や戸谷さんの話から、ウェル洋光台はとても素敵なところなんだろうなと想像していたのだが、想像以上に素敵なところだった。
かつてある会社の女子寮だったという建物をシェアハウスとして使っているのだが、戸谷さんたちが古道具屋でみつくろってきたさまざまな調度品がすばらしく素敵で、居心地のいい空間を作っている。

とくに私が気にいったのは、一階の公共スペースとなっているリビングとキッチンだ。
ともに広々としていて、しかし古道具などの調度品でほどよく生活感のある落ち着いた雰囲気になっている。
住民はそこで思いおもいにつどい、自分の好きなことをしたり、話をしたり、子どもをあやしたりする。

キッチンには大きなテーブルがあり、また過去の住人も含むいろんな人が持ちこんだ調理器具がそろっていて、どんな調理もできるようになっている。
大きな鍋や巨大なオーブンがあるのも、シェアハウスならではだろうか。

そのテーブルに向かって調理したり、食材の準備をしたり、あるいは調理とは関係のない手仕事をしたりして、ただそこにいるだけでも居心地がいい。
私がめざす「縁側的共感空間」が実現している。
私が住人だったら、きっと一日中キッチンにいりびたっていることだろう。
料理をしたり、編み物をしたり、本を読んだり、だれかと話をしたり。
居眠りしたくなったら、隣のリビングに行って、ソファに横になる。

リビングは庭に面していて、庭の外側は崖になっている。
まさに陽光が降りそそぎ、風が通りぬける。
畑があり、野菜やハーブが育てられている。
また烏骨鶏が二匹放し飼いになっていて、これがまたかわいいんだ。
卵も産んでくれるらしい。

私はこの庭に日本みつばちの養蜂箱を置きたくなった。
絶好の立地だと見た。
この庭もそうだが、見渡したところこのあたりはそこそこ、緑地が点在しているようで、蜜源もおそらく充実しているだろう。

そういうこととは別に、戸谷さんは私が来るのを待ちかまえてくれていたようで、さっそく最新のアイディアを、ノートを広げて教えてくれた。
人が自由に、安心して、お互いに共感しあい、そしてクリエイティブになれるための具体的な方法が示されていて、私もインスピレーションを受けてわくわくした。
このアイディアはぜひとも本に書いてもらいたいと思い、そう伝えると、
「まっ先に読んでもらいたい」
といってくれたのがうれしかった。

ウェル洋光台にはまたちょくちょく遊びに行きたいし、戸谷さんのアイディアが熟成していく経過話をさらに聞いてみたいと思っている。
今回はみじかい訪問だったが、あらためてゆっくりと。
歓迎してくれたウェル洋光台のみなさん、そして戸谷さん、ありがとうございました。
近いうちにまたお会いしましょう!

2018年11月28日水曜日

水城式タイムブロックで毎日やりたいことを着々とこなす

最近「タイムブロック」ということばをちょくちょく聞くようになってきていて、そのようなアプリも出ているらしい。
時間管理術のひとつだが、私の場合、自分なりに(ひょっとして拡大解釈して)工夫して使っている。
それがうまく回っていて、このところとても気分がいいので、内容と方法をシェアしたい。

といっても、そう難しい話ではない。

私が提唱している「エンパシーノート」というものがある。
共感的コミュニケーション(NVC)の手法を応用した手帳術で、自己共感によってニーズを明確にすることで日々の行動をパワフルにするという方法だが、水城式タイムブロックはその延長線上にある手法といっていい。

ここでいう「ブロック」は「ブロックする」のブロックではなく、煉瓦とかコンクリートのブロックのような「かたまり」の意味だ。
タイムブロックは時間のひとかたまりのこと。

カレンダーを使うのだが、カレンダーはGoogleカレンダーでも紙の手帳のカレンダーでもなんでもいい。
ただし、月間カレンダーのようなものではなく、一日のタイムラインが書きこめるデイリーやウイークリーをおすすめする。
スマホアプリでも使い勝手のいいもの、かわいいもの、さまざまなアプリが出ているので、お好みでどうぞ。

エンパシーノートでおこなったように、自分のやりたいこと、やらなければならないと思っていること、人から頼まれたこと、仕事や家事のTODOなど、あらゆることをニーズベースで分類していると思うが、それらのなかで「ひとかたまり」にしてまとめて実行できそうなことをピックアップする。

 一日のはじまりの家事や身だしなみのルーティン
 自分の成長のための勉強
 健康維持のための時間

これらをひとかたまりにして、手順化してしまう。
たとえば健康維持のための時間に一日のうちのいくらかを使うと決める。
私の場合、

  ジョギング/ウォーキング
  筋トレ
  意拳の稽古
  音読体操

などがある。
これに時間を割り振る。

 00分 ジョギング/ウォーキング
 20分 筋トレ
 25分 意拳の稽古
 35分 音読体操

だいたい45分の所用時間だ。
この45分をひとつのタイムブロックとしてまとめておく。
名前をつけてもいいだろう。
「ヘルスブロック」とか、あるいは自分にだけわかるようなオリジナルな名前でも。
このブロックを1日のうちのどの部分に置くか、前日の夜、就寝前にスケジュールに書きこんでおく。

肝心なのは、当日その時間になったとき、なにもかんがえずにただ自動的に集中してそのタイムブロックの手順を進めていく、ということだ。
あれこれかんがえない。
マインドフルに雑念は追いはらい、この瞬間のおこないに集中する。

このようなブロックをふたつかみっつ、作っておいて、毎日スケジュールのなかに配置するのを習慣化する。
毎日こなすブロックだけでなく、隔日におこなうブロック、週2回おこなうブロック、毎週1回のブロックなどがあってもいいだろう。
それぞに自分でわかる名前をつけておくといい。

とてもシンプルだけどすぐれた方法なので、もし毎日がごちゃごちゃとしていてやりたいことがなかなか手につかないというような人がいたら、やってみることをおすすめする。

なにか質問があればいつでもどうぞ!

2018年11月23日金曜日

映画:大統領の料理人

二〇一二年公開のフランス映画。
なにげなく、どうというきっかけもなくなんとなく見はじめた映画だったが、これは拾いものだった。
いい映画だなあ。

一九八〇年代にフランスのミッテラン大統領に二年間仕えた実在の料理人であるダニエル・デルプシュさんをモデルにしているらしい。
映画ではカトリーヌ・フロという女優が演じている。
この人がまたいいんだな。
中年女性なのだが、自然体でしかしこだわりがある自信に満ちた人物を演じていて、魅力的だ。

映画は「現在」の彼女をオーストラリアのテレビ局スタッフが追いかけはじめる、というシーンからスタートしているのだが、そこは南極基地なのだ。
テレビ局は南極地方にある島の研究基地の取材に来たのだが、そこに女性の料理人がひとり働いているのを見つけ、追いかけようとする。
しかし、彼女はテレビを嫌がり、逃げまわりながらも、基地で料理する二年間の契約の最後の日をすごそうとしている。

テレビ取材を嫌がる理由を明らかにするかのように、大統領のシェフとしてエリゼ宮で働きはじめる日々へとシーンがカットバックしていく。
以後、島の基地とエリゼ宮を時間を超えて行ったりきたりしながら、物語が進んでいく。

最後のシーンで、基地の荒くれ男たちからいかに彼女が愛され、そして別れを惜しまれているのかが描写されるシーンがあって、カトリーヌ・フロという女優の魅力とそれが重なって、ちょっと胸が熱くなる。

昨今の合衆国発の娯楽映画を見慣れている身としては、最初はやや冗長に感じるが、きちんと見ているとそれも計算され、必要があってそうなっているのだということがわかってくる。
演出がじつに丁寧で、緻密なのだ。

たとえば、主人公がエリゼ宮の厨房に初めて入っていくシーン。
すでにたくさんの、ほとんどは男の料理人たちが忙しく立ち働いていて、しかし女料理人がやってくると興味しんしんで視線を注ぐ。
彼女を目線で追う男たちの演出が、画面のすみずみにまで行き渡っていて、その丁寧さが映画全体の空気を引き締めている。

南極基地とエリゼ宮を行ったり来たりする構成も、前半は冗長に感じていたのに、終わりのほうになるとちゃんとそれも必然性があってのことだとわかってくるし、むしろ南極基地での「現在」のほうに、この映画の「いいたいこと」が表現されているのだと判明する。

いい時間をプレゼントされた感じだ。
晩秋の夜にぴったりの映画だった。

2018年11月20日火曜日

韓氏意拳の個人レッスンで鍛えられる

毎月、駒井雅和中級教練をお招きして、国立春野亭で韓氏意拳の講習会を開催している。
グループ講習なのだが、今回は講習会のあとに個人レッスンをお願いした。

受講機会の比較的すくない中級教程を、まずは入口だけでもちゃんとやってみたい、という希望をお伝えしたら、こころよく応じていただいた。
中級講座は駒井先生をはじめ、日本の代表である光岡英稔先生や何人かの中級教練、あるいは韓競辰導師が開催しているが、遠方だったり、土日だったり年に一回だったりと、なかなか参加機会にめぐまれなかった。
そこで個人レッスンをお願いしたのだ。

中級教程は当然のことながら、初級教程がひととおり「できている」という前提になっている。
今回は教程の最初にある中級形体訓練の、さらにその前半部分を習ったのだが、要求される状態や集注の深さが(あたりまえに)レベルが高くて、気を抜けなかった。
しかし「やりかた」すらちゃんとおぼえていないので、動作に気がそれてしまって、状態どころではない。
さんざんだったのだが、練習すべき方向や注目ポイントはしっかり教えていただいたので、今後の自主稽古のなかですこしずつ消化していくしかない。
道のりはまだまだ遠し、という感じだ。

前提となる体力や身体観にも高い要求がある。
私のような年齢であらたにこれまで経験のない運動に挑戦するというのは、なかなかきついものがあるが、まだなんとかがんばれるところもあるのではないかという(希望的)観測もある。

それにしても、へろへろになってしまった。
なさけないけれど、明日は使いものにならないかもしれない(わからないけど)。
きついけれど、毎日積みかさねていくことで、自分がすこしずつでも前に行き、昨日とはちがう風景が見えるようになるかもしれないということに、希望と好奇心をかきたてられる。

駒井雅和中級教練による国立での韓氏意拳初級&養生功講習会を12月17日(月)14時からJR国立駅徒歩5分の会場にて開催します。

2018年11月19日月曜日

映画:キング・コング

「・(中グロ)」のはいっている「キング・コング」、2005年公開のニュージーランドと合衆国の合作映画。
なぜニュージーランドかというと、監督がピーター・ジャクソンだからだ。

うかつにもそのことを知らずになにげなく観はじめた。
すでに一度観ていると思いこんでいて、出だしはどんなだっけなと観はじめたところ、まだ観たことのないことがわかった。
最近観たと思っていたのは、このあとで公開された別のキングコング映画「キングコング: 髑髏島の巨神」を観ていたからだろう。
こちらは今年の6月にレビューを書いているので、気になるかたはこちらをどうぞ。

出だしだけ確認するつもりだったが、観はじめたら止まらなくなった。
さすがにピーター・ジャクソン監督。
「ロード・オブ・ザ・リング」「ホビットの冒険」「第9地区」、全部好きだ。
非常に緻密なCGと画面構成、ストーリー展開、いうことない。
そして主演女優のナオミ・ワッツのきれいなこと。

公開当時、37歳のヒロインと、話題になったらしい。
ナオミ・ワッツはイングランド生まれだが、14歳のときにオーストラリアに家族と移住し、シドニー時代にニコール・キッドマンと知り合い、いまでも交流があるという。
二コール・キッドマンはいちはやく売れてスターダムにのしあがったが、ナオミ・ワッツは陽の目を見るまでに時間がかかった。

ほかの役者陣もたくみで、もちろんバリバリのエンタテインメント映画なので繊細さは押し出されていないが、こまかなところでかいま見ることができる。

ストーリーはいまさら説明する必要もないだろうが(1933年の最初の映画にのっとっている)、キャラクターや設定にはかなりの工夫がされている。
とくにコングだけでなくたくさん登場する恐竜や巨大昆虫など、凶暴な巨大生物とのバトルは、「ロード・オブ・ザ・リング」をほうふつとさせるものがある。

すこし前の映画ではあるが、かなりおすすめだ。
なぜこれをいままで観ていなかったんだろうと不思議なくらいだ。
そういえば、コング映画は好きで、なぜなんだろうと思っていたら、小学校のころ日本のテレビでキングコングシリーズをやっていたんだった。
日本独自のテレビ製作だったが、日本ではアメリカ本土よりキング・コングが人気があったとのことだ。

2018年11月18日日曜日

YouTubeチャンネル、ほそぼそじわじわと登録キャンペーン

あまり(というかほとんど)宣伝してないが、たまに細々と更新している編み物のYouTubeチャンネル「じじ編み(Granpa Crochet)」のチャンネル登録者が10人になった(笑)。
めざせ、20人!
今後は編み物のほかに、ゆるーく共感的コミュニケーションやライフハックなどのつぶやき(ひとりごと)を、編み物映像といっしょに配信していく予定だ。
よかったらチャンネル登録、よろしく!

「じじ編み(Granpa Crochet)」チャンネルはこちら

ちなみに、私のメインチャンネルである「U. Mizuki」チャンネルはこちら

ジャズパーチー、おもろ数字、初冬の九頭竜湖、名札の化石

福井から東京への長距離ドライブ。
午前10時前に出て、首都圏には午後3時くらいに到達するも、横浜、川崎あたりからゆるい渋滞につかまった。
都心部を横切って臨海部の葛西まで、首都高速駐車場を経由してのろのろと進む。
結局、目的地である知り合いの編プロ事務所に到着したのは、午後5時半すぎ。
お疲れ、自分。

事務所では午後2時からはじまったというジャズパーティーがおこなわれていて、皆さんすでに「できあがった」状態。
お酒は飲めないけれど、おいしいものをいろいろいただき、皆さんとジャズナンバーを歌ったり、語ったりも、私も事務所のアップライトのピアノを弾いたりして、疲れているはずなのに気がついたら午後10時をすぎていた。

そこから国立まで、今度は順調に流れる首都高と中央道を通って帰着。
あっというまに眠ってしまった。

実家では片付けでいろいろとめずらしいものを発掘したが、写真のはもネームプレートは1992年に横浜で開催された日本SF大会のもの。
東京湾クルーズとかもあって、そこでピアノを弾いた覚えがあるなあ。
谷山浩子さんとかと交流したような記憶が(一度小説本の解説を書いていただいたことがある)。

2018年11月17日土曜日

雪囲い、庭の紅葉、セイコガニ、東京への移動

すこし長めの実家滞在が終わった。
今回は音読カフェのほかに主目的があった。
それは冬じたく。

去年というか今年はじめの大雪は大変だった。
実家は二階建ての母屋と平屋の離れがあるのだが、その両方の屋根に井戸水をあげて融雪できるようになっている。
……はずなのだが、大雪でうまく機能しなかった。
溶けずに積もって、ずり落ちてきた大量の雪が、庭先に落ちて堆積し、縁側のガラス戸を突きやぶりそうになったり、のき先をへし折りそうになったり、実際に雨どいを破壊したりした。

屋根から雪がずり落ちてきても、庭の池に井戸水が流れていれば、冬場も暖かい水温でどんどん溶かしていってくれるのだが、今年はなぜか池に井戸水が行っていなかった。

それらもろもろを点検し、修理し、さらにのき先の下に波板を張った雪囲いを作って、落ちてくる雪を池へと誘導するような仕掛けを作った。
池にはもちろん井戸水が行くようにした。

いずれにしても、手間とお金がかかる。

作業しながら気がまぎれたのは、ささやかな庭にある木々の冬を迎える姿だった。
マユミがピンク色のかわいらしい実をたくさんつけている。
ブルーベリーがみごとに紅葉している。

港町の親戚からセイコガニがたくさん送られてきた。
子どものころはおやつがわりに食べていたセイコだが、セイコとはいわずに別の呼称があったような気がする。
それをどうしても思いだせない。
北陸地方のかた、教えてくれたらうれしいです。

今日は長距離ドライブで東京に向かう。
ルートは大野、和泉村経由で東海北陸道に乗って、美濃関ジャンクションから東海環状道、豊田東ジャンクションから新東名、東京インターから首都高で船堀橋まで行って、北葛西の知り合いの事務所へ。
休憩なしでたっぷり6時間の道のり。
私がピアノを弾き、みなさんがジャズナンバーを歌いまくるというジャズを楽しむ会だ。

2018年11月15日木曜日

親父の写真

実家の荷物を整理していたら、今度は父の写真が出てきた。
ごく小さい顔写真が、プラスティックか金属かなにかの丸いプレートに焼きつけられている。
どうやって作ったんだろう。
いずれにしても、父の海軍時代の軍服姿だ。

ということは、昭和18年か19年あたり。
大正11年生まれの父は、学生時代に学徒出陣で招集され、海軍にはいった。
呉の海軍学校で短期間の訓練を経たのち、将官として掃海艇に乗りくんでいた。
その船の写真もいっしょに出てきた。

父はもう亡くなってしまったけれど、自分の戦争体験についてはよく話してくれた人だった。
その記憶をたどって、私は『ストリーム』という長編小説のなかに父の物語を残した。
自分ではそれが父への供養だと感じている。

『ストリーム』はこちら(Kindle)から読めます。

それにしても、なかなかの男前だ。
私の父ではあるが、くやしいけれど私よりずっと男前だったようだ。