2011年11月11日金曜日

ダンス公演「ジゼル達の森」を観てきた

下北沢・北沢タウンホールでおこなわれたモダンダンス公演「ジゼル達の森」を観てきました。出演者のおひとり・高橋京子さんに明治大学での朗読の臨時講義でお世話になり、この公演の案内をいただきました。

「ジゼル」はクラシックバレエの有名な演目ですが、それに着想を得たモダンダンス作品でした。300席近くあるホールが満席で、びっくりしました。
出演者たちのダンスパフォーマンスや身体性のクオリティは非常に高くて、これにもびっくりしました。でも、これは失礼ですね。考えてみれば、高橋京子さんは大学で教えておられるような方で、そういうレベルの方たちが集まっておこなわれた公演なんですから。
しかし、正直いうと、物足りなさも感じました。
せっかくクオリティの高いダンサーたちがいながら、公演自体のコンセプトがかなり古臭い。クラシックバレエの公演に近い作りです。あるいは、ミュージカルのダンス部分だけ抜きだしたようなショー的な印象です。ダンサーたちの「個あるいは群としての表現」の本質的な核をまったく見せてもらっていないという気がしました。

表現の本質とはなんでしょう。
テクニックを誇示することではないはずです。ダンサーの存在そのものを観客に伝えること、ではないかと思うのです。その点に関して、十全な思考と準備と演出がおこなわれていたのかどうか、疑問です。
以下はいいすぎかもしれませんし、おしかりを受けるかもしれないことを覚悟で書くのですが、ダンスの世界はひょっとしてダンサーが指導したり演出することで限界を作ってしまっているのかもしれない、と思いました。
私の話で恐縮ですが、現代朗読では演出家(私ですが)は朗読をしません。演出は演出というプロセスに集中することで、朗読者のポテンシャルを可能なかぎり、あるいは可能性をさらに超えて引きだしていきます。自分が読んでしまうとそれができないのです。「ジゼル達の森」の演出はどうだったのでしょうか。

などと無責任に書きたい放題ですが、出演者のみなさんは本当にすばらしいダンサーでした。
たとえば高橋さんとは、朗読と共演してもらえないかな、なんてことを夢想しました。あるいは、大きな公演でなくてもささやかなライブでもいいので、音楽と演出を私にやらせてもらえないかな、なんてことも。
そのときには、「モダン」ではなく、より「コンテンポラリー」に行くとは思いますけどね。

現代朗読を知ってもらうためにどこへでも行きます

2週間おきの小牧行きの日です。雨降りです。ちょっと寒いですが、元気に行ってきます。
 小牧行きは「こまきみらい塾」という、いろいろな自治体にある市民大学講座とか生涯学習の一環の市民向け講座で現代朗読を教えるという内容のものです。定員いっぱいの40名の方が申し込んでくれました。毎回40人の方といっしょに汗をかきながら楽しくやっています。
 もともと40名が定員だと聞き漏らしていたので、始まるときに「40名の申し込みがありまと」と聞いてびっくりしたものです。数名の方か、せいぜい10人くらいの方を相手に、できるだけマンツーマンで現代朗読についてじっくりと学んでもらおうと思っていたのです。40人相手となると、手法を変えなければいけません。それはそれで楽しいんですが。
 このように、現代朗読を知ってもらうために、全国いろいろなところに出かけたいと思っています。高額な講師料なんてものを要求したりはしませんので、現代朗読について知りたい、学びたいという方が数人集まっていただけるなら、いつでもどこへでも出かけます。交通費程度はお願いしていますが、自由で楽しく、そして深い表現である現代朗読を知っていただいて、みなさんの人生が生き生きとしたものになるのなら、喜んで出かけたいと思っています。どうぞ気軽にお声がけください。

声、マダム朗読、iPad2、モダンダンス「ジゼルの森」

今日は午前中、現代朗読の朝ゼミ。ゼミ生がひとり、仕事の事情で辞めたのと、欠席がひとり。みんなが寂しい、寂しいというので、ほんとに寂しい気がしてしまいます。ほんとに寂しいんだけど。
 先週の文化の日におこなわれたげろきょ祭りの感想をみんなから聞きました。それぞれ楽しんでくれ、かつたくさん発見をしてくれたようで、うれしいです。毎回、げろきょのライブでは、予想できないことが起こるんですが、今回もそのとおりでした。そういうことにはもう慣れているはずなのに、今回も驚きの連続でした。そのことを、みんなの感想を聞きながら私も確認してました。
 今回のライブでは朝ゼミメンバーで「なめとこ山の熊」をやったんですが、これは元々、オーディオブックとして収録しようとして始めた作品でした。近いうちに収録をしようと思います。
 それとは別に、次期作品をなんにしようという相談。
 結局、いったん宮沢賢治から離れて、夏目漱石の『永日小品』のなかの「声」という作品をやってみようということになりました。その読み合わせを少しだけ。

朝ゼミ後はすぐに出発して、日榮、野々宮といっしょに、北浦和に向かいました。
 朝からなにも食べてなかったので、赤羽で親子丼。
 北浦和の公園のなかにある建物に行くと、すでに玻瑠さんと唐さんが来てスタンバイ。
 ここは楽器禁止のほか、コンピューターも禁止というわけのわからないローカルルールがあるらしいですが、私は朗読に音でからむべく、今日はBOSEのスピーカーとMacBookAirとAKAIのミニキーボードを持ちこんでました。それに加えて、野々宮のiPad2を貸してもらって、音出しのセッティング。
 結果的に、iPad2のみで音出ししてみることになりました。

 午後3時から朗読会のスタート。
「蜘蛛の糸」の群読から始まって、玻瑠さんによる新美南吉の「花を埋める」、唐さんの東北の民話、野々宮の「夢十夜・第八夜」、そして「なめとこ山の熊」の群読。
 さすがにげろきょのベテラン揃い。群読もソロ朗読も、まったく不安なく、ガンガンやってくれました。こういう朗読を聴いたことのない人には刺激が強すぎたかもしれませんが、みなさん、おおむね楽しんでくれたようでよかったです。
 私はiPadで音入れをしていて、けっこうおもしろいことができることがわかったんですが、決定的なネックがひとつあることに気づきました。それは、iPadで音入れするとき、iPadの画面を見続けなくてはならなくて、朗読者たちのほうを見ることができないのです。
 私のスタイルは、朗読者たちを見て、聴いて、ほぼ手元の鍵盤を見ることなくリアルタイムで即興的に音を入れていくものです。それができなくて、最後までもどかしさを感じてしまいました。やはり、物理的な鍵盤がインターフェースとして指の下にないとだめかもしれない、と感じました。

それはともかく、マダム朗読会は大変クオリティの高い内容で終わり、この先の展開をぜひ考えたいような内容で終了しました。
 みなさん、お疲れさまでした。

 新宿でちょっと家電店に寄ってから、下北沢へ。軽く食事してから、北沢タウンホールへ。
 明治大学の臨時講義でお世話になった高橋京子さんが出ている「ジゼルの森」というダンス公演を観に行きました。
モダンダンスの公演でしたが、こちらもいろいろと思うところがあって、大変刺激的でした。表現とはなにか、ということについて、深く考えさせられました。
 これについて、あらためてじっくりし書いてみたいと思います。

2011年11月10日木曜日

退屈ではない楽しくスリリングな朗読をやりたい方へ

 出演者だけが自己満足の退屈な朗読会がそういつまでもつづくとは思っていませんでしたが、最近すこしずつ、いろいろな形の朗読会が開かれるようになってきたように見えます。音楽との共演をはじめ、ダンスや美術、その他さまざまなパフォーミングアートとの組み合わせを見かけます。また、会場もホールだけでなく、民家やギャラリー、カフェなど、おもしろい場所でやっているようです。
 とてもうれしいことです。もっとも、これらのバラエティが、現代朗読協会の活動によって広まったものだなんて傲慢なことは微塵もかんがえていません。むしろ、現代朗読はまだまだ、いやまったく知られていないので、もっと皆さんに知ってほしいのです。
 というのは、自由でバラエティ豊かな朗読会がひらかれるようになってのはとてもいいんですが、それらがまだたんなる「思いつき」の域を出ていないものが多いみたいだからです。また、音楽などと「共演」するといっても、「伴奏」や「添え物」的に使われることが多く、あくまで主導権は朗読の側にあるようです。
 現代朗読では、朗読が「主導権」を握るのではなく、「共演」することが目的です。どちらが主導ということはありません。ともに表現するのです。お互いにコミュニケーションを取り、触発されながら、表現を高めていくのです。
 また、いろいろ自由にやっているといっても、そこには「コンテンポラリー」という理念があり、表現を根底から支えているものがあります。けっして思いつきでやっているわけではありません。
 バラエティ豊かな表現も、たんなる思いつきだけだと、やはり深みを持つのは難しく、長続きもしません。退屈な朗読を打ち破りたくてやっている方は、ぜひ一度、現代朗読協会をのぞきに来てください。だれもが一様に「目からウロコが落ちました」といってくれます。
 私たちは従来「やってはいけない」といわれていたことを「やってもいい」といい、「やらなくてはいけない」といわれていたことを「やらなくてもいい」といいます。あまのじゃくでいっているのではなく、理念が根底から違うのです。
 現代朗読では、
「表現において〈~ねばならない〉ことはなにひとつない。やりたいことは全部それを自分に許してあげましょう」
 という考え方でやっています。自分を表現するんですからね。そこになんらかの制約があっては意味がないでしょう。私たちはただ一回きりの人生を生きているんですから。

 現代朗読を気軽に体験できる体験講座を毎月やっています。
 次回は次の土曜日、11月12日午後1時からです。くわしくはこちら。

ランチタイムコンサート、クレープ屋、ワークショップカフェ、羊をめぐる

毎月第二水曜日にやっている音倉のランチタイムコンサートでした。
 名古屋の古い友人せっちゃんが用事で上京するというので、ちょうどいいとばかりにランチタイムに来てもらうことになりました。
 正午すぎに店に行くと、すでにせっちゃんが来ていました。お互いの近況やら、重大事件やらについて話をしていると、出演者の野々宮が大学生の娘を連れて来ました。ゼミ生のまりもちゃんや、あとで小梨さんも来てくれました。ありがとう!

 ほぼ身内ばかり、お客さんはほとんどいないなか、ピアノ演奏スタート。
 最初は完全な即興曲。といっても、フリージャズのような無調のスタイルではなく、調性やゆるやかなリズム進行を保持したスタイル。このために準備した映像があったんですが、持ってくるのを忘れてしまいました。なので演奏のみ。
 二曲めは「この道」という日本の曲。本当は「赤とんぼ」をやろうと思ったんですが、なぜか「この道」と出だしが似ていて、ふと「この道」の出だしが浮かんでしまったのです。そうなるともう「赤とんぼ」の出だしが出てきません。そのまま「この道」を演奏。
 野々宮に出てもらって、夏目漱石の『夢十夜』から「第八夜」を朗読してもらいました。リズムがのってきて、コミュニケーションがかみあった感じが気持ちよく、タンタンタンと共演しました。楽しかった。
 最後はようやく「赤とんぼ」が出てきたので、それをやって終了。
 終わってからは、おいしくてオーガニックな音倉のランチをいただきながら、みんなでお話。

コーヒーも飲んでから、店を出ると、まりもちゃんが近くにおいしいクレープ屋さんがあるので行く、というので、私もくっついて行くことにしました。クレープ屋なんて、生まれて一度も行ったことありません。
 メニューがたくさんあって、どれを選んでいいのかわからないけど、とにかくメニューの上のほうに載ってるやつを注文。カシスとチーズと生クリーム。クレープはしっとりとサクサクが選べるので、サクサクのほうで。
 できあがったクレープはずっしりと重く、甘く、そしてチーズの塩味がほどよく効いておいしいけれど、これはもうしっかり一食分。すでに昼ご飯を食べてきた身にとっては、おやつを通り越してました。
帰りがけに〈せんだい屋〉という山梨の納豆の専門店があったので、納豆を何種類か買ったんですが、その店の外に納豆の自動販売機があったのには驚きました。

 夜、三軒茶屋のパブリックシアターでのSPTワークショップカフェに出かけました。トラストまちづくり世田谷の活動について、話を聞きました。参考になることが多かった。
 別れ際に、羽根木プレーパークのめぐむさんと、プレーパークにピアノがあるんだってね、という話になり、来週の水曜日にピアノと朗読のセッションをいきなり子どもとお母さんたち相手にやることになりました。こういう突発的な話は楽しいですね。
 そのあと、ひさしぶりに〈羊々〉でジンギスカン。知らない人だけど、女性ふたり組とカップルの人たちとテレビや映画の話で盛り上がってしまいました。なんだか新鮮でおもしろかった。

 帰宅してツイッターを見たら、トランジション世田谷・茶沢会の桃さんとあさわさんが、12月の羽根木の家でのイベントの話をもう進めてくれていて、早くも決定。こういうスピード感も悪くない感じで、今日はいろいろとおもしろかったな。

2011年11月9日水曜日

いろいろな健康法より朗読がいいのだ

 現代朗読は身体表現だということで、朗読者にはとにかく身体のことを意識してもらいます。意識してもらうだけでなく、自分なりに身体のクオリティ、身体使いのクオリティをあげていくことを、日常的に心がけてもらうようにしています。
 朗読では呼吸や姿勢がとても大切ですから、呼吸筋や姿勢筋、その他コアマッスルを鍛えるためのヨガや、さまざまな呼吸法を取れいれたオリジナルの呼吸法をやります。
 また、言葉に関係する舌の筋肉、表情筋なども鍛えます。
 そして読むための脳を鍛え、表現のための感受性を高めるさまざまな方法をおこないます。
 これらのことは朗読のためですが、そのまま老化防止や心身の健康にも役立ちます。現代朗読のエチュードを毎日欠かさず続けている人は、みるみる朗読が上達するだけでなく、心身ともに健康になり、生き生きとしてきます。これは嘘ではありません。げろきょのゼミに見学に 来られるとわかります。どなたも生き生きと楽しそうにしています。
 このところ会社で働いている人のメンタルヘルスケアが必要だということが盛んにいわれていますが、私にいわせれば、全員現代朗読をやればいいのです。たちまちみんな元気になりますよ。ほんとです。

2011年11月8日火曜日

げろきょ祭り第一部「処女航海」

2011年11月3日、下北沢〈Com.Cafe 音倉〉にてげろきょ祭り「しもきた奇譚」がおこなわれました。
その第一部「処女航海」からの抜粋映像です。
出演は嶋村美希子(セーラー服)、照井数男、ほか現代朗読協会のゼミ生数名。音楽演奏は水城ゆう。
この公演の詳細レポートは、以下のブログ記事(から始まる複数の記事)をご覧ください。

映画「グレン・グールド 天才ピアニストの愛と孤独」を観た

原題は「Genius Within - The Inner Life of Glenn Gould」。
 平日の午後ということもあって、こんな映画、だれが観に来るんだろう、きっと席はガラガラに違いない、と思っていたのに、行ってみたらほぼ満席でびっくりしたのです。
 渋谷のアップリンク。女性客がほとんどで、しかも中高年が多い。が、男性や若い人もちらほらいます。こんな地味なドキュメンタリー映画に人がはいるというのは、思ったより日本の民度は低下していないということなのか、あるいはグールド人気はあいかわらず根強いということでしょうか。

 映画そのものはそれほど感銘を受けるような内容ではありませんでした。前半の記録映像は大半が「グレン・グールド 27歳の記憶」やDVDなどで観たものです。
 この映画のキモは、グールドの女性関係にスポットをあてたことで、その女性たちをはじめとする実在の人物相手にあらたにインタビュー映像を撮っていることでしょう。私はほとんど知らない話でしたが、いっしょに行ったグールドファンは本などで知っている内容だといってました。
 晩年の孤独や、孤独のなかで残された音は、さすがにグッとくるものがありました。とくに、グールドの名を世界に知らしめたバッハの「ゴールドベルク組曲」の1982年録音のものは、CDで何度も聴いているのに、あらためて映像とともに聴くとそれはそれは美しく、心に染みるものでした。あのような音の、たったひとつでいいから、鳴らすことができれば満足かも、とピアノを弾く人間のひとりとしては思いました。

「天才」というのは、私たちには手が届かない存在ですが、それに感情移入できるのはどういうことでしょうか。
「天才」であれ、そもそも人間であり、苦悩を抱えて生きていた(いる)という点に共感するのでしょうか。
 あさって、私は〈Com.Cafe 音倉〉でピアノを弾きますが、ちょっとグレン・グールドのことを思いながら弾いてみようかなと思ったりしてます。
 音倉ランチタイムコンサートのご案内はこちら。

美しく生きる

 数学にとってもっとも重要な価値基準は「美しさ」だと、ある人が書いてました。それを読んでびっくりすると同時に、なるほどとも思いました。たしかに、ある数式を見て、意味はわからなくても「美しい」と感じることがあります。数学者は美しい数式や、美しい解法を求めているのかもしれません。
 では、「美しい」とはどういうことなのでしょう。
 景色や絵を見て「美しい」というのはだれにでもあることです。では、その美しさは人間に共通の価値なのでしょうか。ある風景を見て「美しい」と感じる人もいれば、「醜い」と感じる人もいます。たとえば、荒涼とした砂漠の風景を見たとき。あるいは、ビルが林立した大都市の風景を見たとき。
「美しい」の価値観は確かに人によってまちまちです。しかし、自分のなかにある「美しい」という基準は、他人との比較なしに独立して存在しているようにも思えます。
 この「自分のなかにある美しさ」を規範として行動すると、人生はかなり変化するように思います。
「いま、自分がやろうとしていること、やっていることは、自分にとって美しいことだろうか」
 というふうに。
 ひょっとして、そのように考えながら生きている人は、実はけっこういるのかもしれませんね。

2011年11月7日月曜日

朗読会「槐多朗読」@明大前ブック・カフェ槐多のお知らせ

文芸を現代朗読の手法で読む。
現代朗読とはテキストを素材とした音声表現である。
ある人は笑い、ある人は眉をひそめ、ある人は癒される。
そしてあなたはまったく別の受け取り方をするだろう。

◎日時 2011年11月28日(月) 20:00開演
◎場所 ブック・カフェ槐多 (Book Cafe Kaita)
世田谷区松原2-43-11 キッドアイラックホールB1F
京王線「明大前」駅下車、北へ徒歩1分
Tel : 03-332205564
http://www.kidailack.co.jp
◎会費 1,500円 (ワンドリンク付き)

朗読 野々宮卯妙
演出・音楽 水城ゆう

村山槐多作品をモチーフとして連想された作品群

※ご予約はこちらまで
MAIL : info@roudoku.org
TEL : 090-9962-0848
FAX : 03-6893-0595

◎この会のためのご挨拶
今回、縁あって〈槐多〉というブックカフェを朗読空間として使わせていただけることになりました。そこは地中になかば食いこんだ半地下でありつつ、垂直方向に大きくスペースを取った空間であり、多くの書籍を抱えた書棚が壁面を占める空間でもあります。ある種の個性を主張する「場」に朗読と朗読者がどのように介在しうるか。
また、刻々と移り変わりゆく時間のなかで、朗読者、そしてオーディエンスの心身も変化します。場の空気も変わっていきます。そういうなかで、あらかじめたくらまれ、準備されたものがほとんど有効性を持たないであろうことは容易に想像できます。
このライブは挑戦であり、実験であり、遊びでもあります。繊細な感受性をもって〈槐多〉といういわば「場朗読」をおこなえたら、と私たちは臨んでいます。
(水城)

◎野々宮卯妙
主婦、編集者、ライター、会社経営等を経て現職。代表作に「特殊相対性の女」(2010年愛知県芸術劇場小ホールにて上演)ほか。慶應義塾大学法学部卒。現代朗読協会正会員。ボイスセラピスト、音読療法士(仮)。

2011年11月6日日曜日

テキスト表現ゼミ、12月生を募集します

現代朗読協会では、テキスト(文章/文字)を使った自己表現を研究するためのゼミナールを開催しています。その12月生の募集のお知らせです。
扱うテキストは小説、随筆、詩、シナリオ、評論など、ジャンルを問いません。テキストを用いて自分を他人に伝えることを学び、研究成果をアウトプットしていくためのゼミです。

◎日時 土曜コース 12月3日、17日、24日 18:00〜20:00
水曜コース 12月7日、14日、21日 10:30-12:30
◎場所 現代朗読協会「羽根木の家」
世田谷区羽根木1-20-17
◎参加費 月額10,000円

※申込はこちら。
申込講座名を「その他」とし、備考欄に「テキスト表現ゼミ」とお書きください。

※ゼミの模様の一部がPodcastで聴けます。

また、羽根木の家に来れない方のために、Google+のビデオチャットシステムを利用したオンライン参加も用意しています。ご利用ください。

こういう人におすすめです。

・小説家になりたい、BLOGで詩を発表してみたい、シナリオを書きたい、など、文章で自分を表現することを考えている人。
・これまで書きつづけてきたが、なにか壁のようなものにぶつかって思い悩んでいる人。
・朗読や演劇、音楽、美術などのためのオリジナル作品を書いてみたい人。
・その他、テキスト表現や文学に強い興味がある人。

※講師については最初のお知らせを参照ください。

新品の手帳ってわくわくする

 昔から手帳が好きで、いろいろなものを使ってきました。若いころは、手帳というよりノートですが、植草甚一さんに影響されてソニープラザで売っていたものを日記にしていました。
 その後、システム手帳ブームというものがやってきて、私も例にもれずはまりました。さまざまなサイズやメーカーのシステム手帳を試したものです。
 システム手帳の次は電子手帳にはまりました。
 でも、結局は手帳は手書きのものが私にはしっくり来るので、システム手帳にもどりました。フランクリンの分厚いやつを長年愛用しました。が、さすがに重いのとかさばるのとで、思い切ってモレスキンのポケットサイズを使いはじめました。それが意外にしっくりきて、気がつくとモレスキン歴も10年くらいになっているでしょうか。
 いま使っているモレスキン手帳がいろいろ終わりかけるので、次の真新しいものに変えようとしています。限定発売でスヌーピーのキャラクターがカバーに印刷してあるものを大事にとってあったので、それを使おうとしてます。あたらしい手帳って、なんだかわくわくしますね。古い手帳のなかの必要なものを書き移したりして。
 スヌーピーの次は「星の王子様」の限定発売のやつもすでに入手してあるので、何年後かわかりませんがそれを使うのも、気の早い話ですが、楽しみなんです。

2011年11月5日土曜日

朗読から現代朗読への突破口

 某所で朗読の公開講座があるというので、行ってきました。講師は元NHKアナウンサーの、だれもが知っている有名な方。あえて名前は伏せておきます。あまりこういうことは書きたくないんですが、内容は残念のひとことでした。ただのひとこともあたらしいことを教えてもらえなかった。時間を返して〜。
 というのはいいすぎですね。ごめんなさい。私なりに確認できたことは多かったです。
 現代日本の朗読会は放送業界(とその周辺)という狭い世界でしか考えられていないこと。それは「表現行為の追求」としてはとてもレベルの低いものであること。また「著者の思いに寄り添うことができる、それがよい朗読である」という幻想に取りつかれたものであること。
 帰りがけに講師のイントネーションがおかしかったことを確認しあって溜飲をさげているおばさまの集団の声が耳にはいってきました。重箱の隅をつつくような会話はとても美しいとはいえませんでした。このことに象徴される浅いレベルのことをちまちまやっているのが、いまの朗読。これをなんとか生き生きしたものに取りもどしていきたいと思っています。
 現代朗読(コンテンポラリー表現)というものをやっていますが、これをさらに深める鍵は、日本にいにしえからある能・狂言、文楽、歌舞伎、落語などの「語り芸」の身体使いだと思っています。伝統的身体使いを取りこみながら、伝統の枠を超えてコンテンポラリーに行く。これが現代朗読の突破口なのです。

2011年11月4日金曜日

げろきょ祭り「ここから前に向かう歩みをはじめる」

予想外の、しかしおもしろく、楽しく、すばらしいことが次々と起きたげろきょ祭り「しもきた奇譚」も、午後6時半には全終了しました。
 お客さんとお別れし、すみやかに撤収。羽根木での打ち上げが待っています。
 打ち上げに参加できない人たちと下北沢で別れ、みんなでそれぞれ羽根木の家に向かいました。
 羽根木での打ち上げ宴会はもう手慣れたもので、買い出し組、準備組に分かれてたちまち豊富な食べ物と飲み物がテーブルに並びました。そして打ち上げスタート。
 まあ、そのにぎやかなこと。
 ちょうど木曜日の夜で、ビデオゼミの日だったので、Google+を立ちあげたら、たるとさんと、仕事のために下北沢で別れた小梨(福豆々子)さんが接続してきました。が、こちらはにぎやかすぎて、ほとんど音声が聞こえません。そこで、コンピューターをひとりずつ回して、それぞれ話してもらいました。
 大量の食べ物があっという間になくなり、ビールやワインも次々となくなり、追加の買い出し隊が出るほどでした。

 時間の都合で途中で帰ってしまった人もだいぶいましたが、最後にみんなに今回の公演の感想をひとことずつもらいました。
 私にとってはこれ以上ないうれしい時間でした。というのも、私は現代朗読協会を最初に作ったとき、このような集団にしようと思っていたわけではなかったので。まさかこんなすごい、すばらしい集団ができるとは夢にも思わなかったことです。しかし、私の意志とは関係なく、自然に、みなさんのニーズが合わさって、このような暖かく、共感的で、しかも次々と驚くようなあたらしい表現が生まれる場ができていたのです。
 このような場に自分が居合わせることができていることに、私は最高の幸福を感じています。そして、これはまだスタート地点にすぎないのではないか、とも思います。
 現代朗読協会は表現の世界ではまだほとんど知られていません。ライブや公演をやっても、いつも集客に苦労します。が、来てくれた人はかならずびっくりして帰っていきます。まったく観たこともないものを観るからです。
 げろきょはここからスタートして、閉塞感の大きいさまざまなジャンルの表現に風穴をあけていけるのではないかと思っています。その「前に向かう歩み」に、いまのメンバーと応援してくれるお客さんが付き合ってくれるとうれしいんですが。
(おわり)

げろきょ祭り「25人でひとつの演目をフリースタイルでやるってか」

オーラスは、この日まで一度もリハーサルをしていなかったんですが、ぶっつけ本番での「一年生たちとひよめ」です。しかも、これ、出演者25名が全員参加で。
 いったい、ひとつのテキストを25名が打ち合わせもなしで、どうやって読むというのでしょう。私にも予想がつきませんでしたが、これがなんと、おもしろくなったんですね。実際にライブを見た方はわかると思いますが、こうやってこれを読んでいるだけの方は想像つかないことと思います。次回はぜひ、げろきょのライブにお越しください(笑)。
 全員でわっとステージに出て、瀬尾明日香とまぁやが主導権を握ってはいましたが、みんなで一体となって「一年生たちとひよめ」をやり、お客さんも巻きこみ、そして全員で歌をうたって大団円。
 最後のご挨拶でちょっといったんですが、お客さんよりもたぶん出演している私たちのほうがたくさん楽しんでいたのだろうと思います。そういうことに対する罪悪感を持つ人もいますが、私たちはまず自分が楽しむ、そしてその明るく開かれた身体性が観客に伝わったとき、共感が生まれ、お客さんも楽しんでくれる、という考え方なのです。

 ご来場のみなさんに書いてもらったアンケート用紙から、一部、抜粋して紹介します。

■とても楽しかったです。長丁場でしたが、すべて聞きほれてしまいました。これが「身体性」ということだなと目からウロコのロードクでした。演出も興味深かったです。

■朗読の概念を打ち破る様なライブに、正直なところ、驚きました。ああ、これはJAZZだなぁと感じました。しかも私の好きなフリージャズに近いと思います。

■とても楽しませていただきました。絵本をお母さんに読んでもらっているような気持ちになれました。

■朗読会の公演は初めてでしたが、とても楽しく観ることができました。とてもバイタリティがあり、もう少し、広いステージで行なった方がより魅力が増すと思います。

■おもしろかったです。「第三夜」が怖く引きこまれました。「双子の星」好きな話だったので嬉しかったです。素敵でした。生ピアノ、良かったです。

■皆さん、それぞれ個性的で楽しかった。敦子さん、麻奈さん、明日香さん、ひづるさん、たくさんの方々、次もみてみたい方がいっぱい! ありがとうございました。元気になりました。

(つづく)

げろきょ祭り「予定を大幅にオーバーしつつも最後まで持ちきる」

休憩後はいよいよ最後のステージ、第二部の後半です。
 演目は次のとおりでした。

 4. 宮澤賢治「なめとこ山の熊」
 5. 落語&漱石「三年めの第一夜」
 6. 新美南吉「二ひきの蛙」
 7. 新美南吉「一年生たちとひよめ」

 最初の「なめとこ山の熊」は朝ゼミメンバーによる群読です。
 木曜日の午前中に開催されている朝ゼミは固定メンバーで、みんなでひとつの演目を研究し、収録したり、ライブをすることが多いのです。今回もよい機会だということで、みんなで群読をすることになり、数ヶ月前から稽古を重ねていました。
 出演したのは、まりも、前野佐知子、藤沢真弓、日榮貴子、片岡まゆみ、近藤薫、弓子。比較的長くつづけている人もいれば、ごく最近入ったばかりの人もいます。年齢も経験もまちまち。ライブ初出演の人もいて、事前にはかなり緊張していたようですが、本番が始まってしまえばそこはげろきょメンバー。堂々と、多少のミスなど臆することなく、おこなってくれました。そして当然ながら、稽古とはまったく違うピリリとして空気感で、お客さんを引きつけてくれました。

二番めは唐ひづる、福豆々子、玻瑠あつこの、自称「マダムトリオ」による演目。これは落語の「三年め」と漱石の「夢十夜・第一夜」を巧妙に組み合わせた群読で、三人が自分たちで工夫して作りあげたものです。私はこれには演出として手を出してません。ピアノ演奏で参加しましたが、大変おもしろくやらせていただきました。

三番めはゼミ生のふたり、まぁやと瀬尾明日香によるフリースタイルの朗読セッション。
 フリースタイルというのは、だれがどこを読むとか、どう動くとかを、あらかじめ決めておかずに、その場で即興的にお互いの呼吸で組みたてたり、ぶつけあったりしてやる朗読のことです。
 このふたりは大変息もあっていて、ボケと突っ込みというより、ボケとボケみたいな味のあるかけあいが楽しく、ビジュアルもキュートでした。
 実はこのあたりの演目まで来たとき、予定時間を大幅にすぎていて、お客さんも大変だったろうと思うんですが、最後までちゃんとついてきてくれました。午後6時に終わる予定が、全部終わったときには午後6時半を回っていて、私もびっくりしたものです。
(つづく)

げろきょ祭り「年齢は関係ない現代朗読ってなに」

休憩時間にはお客さんと朗読出演者がにぎやかに交流。
 げろきょの特徴として、参加者もお客さんもとても若い、というのがあります。いや、若いというのは正確ではないかもしれません。年齢層にとても幅があるのです。たいていの朗読サークルや公演は年輩の方が多いので、それと比べると断然若い印象があるんですが、実際には幅広い年齢層といったほうがいいでしょう。
 現代朗読をするにはあまり年齢は関係ないのです。年齢ではなく、「その人自身のいま」という精神性・身体性を、飾らず偽りなく提示していくのが現代朗読なのです。年齢は、背が高い/低いとか、髪が長い/短いといったことと同様、あくまでその人の属性のひとつにすぎません。

 で、この場を借りて、今回のげろきょ祭りをいろいろな方に告知するにあたって私が書いた「現代朗読ってなに?」というテキストを紹介しておきます。

◎現代朗読ってなに?
 美術、音楽、ダンスなど、あらゆる表現の分野に「コンテンポラリー」があるように、朗読にもコンテンポラリーがあってもいいじゃないか、ということでスタートしたのが現代朗読です。
 いま、この時代の私たちが、ありのままにおこなう表現。伝統や決まりごとや既成の枠にとらわれない表現。
 私たちがおこなっている朗読では、まず「話者」が最初にあります。そこが伝統朗読との決定的な違いといっていいでしょう。
 たとえば、だれかが芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を読む。話者は、なんのために、なにを伝えようとして「蜘蛛の糸」というストーリーを読むのでしょうか。私たちはまず、その根源的な問いからスタートします。
 だれかが「蜘蛛の糸」を読もうとするとき、「蜘蛛の糸」を読むことでなにを伝えたいのか、という意識を持つこと。これが現代朗読だと私たちは考えています。
 音楽に言葉がかき消されるときがあるかもしれません。しかし、リスナーに言葉の一部が伝わらなかったとか、ストーリーが理解できなかったということは、もはや最重要問題ではないのです。重要なのは、話者の存在がどのように伝わったのか、ということなのです。
 現代朗読における主役は、テキストやストーリーではなく、話者の存在そのものです。

(つづく)

げろきょ祭り「予想できないことが次々と起こる朗読ライブ」

午後2時半に音倉にリターン。ランチタイムコンサートを終えたばかりのいまむらさんがまだ残っていらしたので、少しだけお話をしました。彼女もまた、朗読と共演することがあるということで、言葉と音楽のワークショップを始められたばかりだそうです。どんなことをやっているのか、ちょっと興味をひかれました。
 さて、第二部のセッティング。とくに照明のセッティングを変えました。
 書きわすれていましたが、今回の照明は、農大生のあいさんに全面的にやってもらいました。ほとんど経験がないにも関わらず、いいセンスでやってくれて助かりました。
 第二部は120分を予定していて、長丁場なので、途中で一度休憩をはさみます。
 第二部の前半の演目は次のとおり。

 1. 宮澤賢治「双子の星」
 2. 夏目漱石「夢十夜・第三夜」
 3. 太宰治「待つ」

「双子の星」は「朗読はライブだ!」ワークショップで取りあげていた作品で、出演者もライブワークショップ参加者の10名。
 近藤薫、弓子、みぞれ、佐藤麻奈、中村敦子、青木祥子、なお、鎌田絽未、山本美子、佐藤ピリカ。
 これがライブワークショップの第8期となります。
 ほとんどがライブ出演初体験。そして全6回のワークショップを経たのみでライブ出演。みなさん、さぞかし緊張でドキドキしてかたくなっているだろうと思いきや、開演前も仲良くわいわいとリラックスした様子でした。あとで聞いた話でも、とてもリラックスしながらも集中してやれたということで、これも現代朗読の方法の有効性を証明してくれたいい話でした。
 ワークショップ中の稽古と本番とでは、まったく違った空気感になり、出演者のみなさんがそれぞれの個性をしっかりと表現できていました。

二番目の演目「第三夜」は唐ひづる、福豆々子、玻瑠あつこ、まぁやの4人によるフリースタイルのパフォーマンス。あらかじめだれがどこを読む、どう動く、ということを決めずに、即興的に進めていくのも、現代朗読の方法のひとつです。
 これは私も演出というほどの演出はおこなっていません。出演者4人のまったくの自主性と、内在している表現欲求が「いまここ」で即興的におこなわれていく、スリリングなパフォーマンスでした。

第二部前半の最後の演目は、鎌田絽未と野々宮卯妙による「待つ」のパフォーマンス。これは全面的に私が演出に関わらせてもらって、コンテンポラリー朗読としての一種のチャレンジをおこなった作品です。
 鎌田絽未が読んでいる途中で私のピアノが入ると、鎌田絽未は口パク——つまり朗読はしているけれど声は出ていない状態——になります。私のピアノが止まるとふたたび声を出します。それの交代です。これは、げろきょがよく音楽と朗読のセッションをやるとき、非常にしばしば「音が大きくて朗読の言葉が聞こえなかった」というクレームがくることを逆手に取ったものです。
 朗読をするとは、どういうことなのでしょうか。文字情報を伝えることが朗読することなのでしょうか。私たちはそれは朗読のごく一部であって、もっと豊かなものが朗読者とオーディエンスの間でやりとりされているはずだ、という信念を持っています。そのことを浮きあがらせるためのパフォーマンスでした。鎌田絽未と野々宮卯妙の「からみ」もスリリングで楽しかったですね。

 そして第二部の前半が終わり、約15分の中休憩に入りました。
(つづく)

げろきょ祭り「インターバルと当日パンフレット」

午前の第一部が終わり、いったん撤収。というのも、この日は音倉のランチタイムコンサートの予定がはいっていて、ピアニストのいまむらなおこさんの演奏のために私たちはいったん、会場を明け渡すことになっていたからです。
 南口のダイエーの跡地にあたらしくできた食料品売場に行ってお弁当を仕入れ、羽根木の家にもどりました。午後2時半まで待機です。
 このインターバルを利用して、今回の公演の当日パンフレットのために私が書いた「しもきた奇譚について」「現代朗読の聴き方」というテキストを紹介しておきます。

◎「しもきた奇譚」について
 まずは当公演に足をお運びいただいたことについてお礼を申し上げます。
 現代朗読協会ではこれまでにも大小さまざまな公演/ライブをおこなってきましたが、今回の公演には特別な思いがあります。
 私たちは朗読という表現にもう一度、生命を吹きこもうとしています。狭い場所に閉じこめられてしまっている朗読を、もう一度広い場所に引っぱりだし、ときにはジャンルを超えてのびやかで自由にみずからを表現したいと思っています。
 それは、きっちりと作りあげられ、たくらまれたものではなく、「いまここ」にある私たちとあなたがたの間に起こること、その手触りを大切にしていく行為です。どうぞみなさんも「いまここ」の手触りをじっくりと味わっていただけたら、と思います。
 これが私たちの表現であり、くびきから解き放たれた朗読です。

◎現代朗読の聴き方
 わざわざこんなことを申し上げるまでもないと思いながらも、あえて書いています。というのも、私たちは自分たちの成長ばかりでなく、私たちを支えてくれるオーディエンスのみなさんとともに表現の場を育てていきたいと思っているからです。
 まず、申し上げておきたいのは、
「私たちは観客に対する自分たちの〈優位性〉を誇示するためにステージに立っているわけではない」
 ということです。
 多くのパフォーミングアートが、演者の〈特別性〉〈優位性〉を観客に示そうとします。たとえばだれもが絶対に弾けないような難曲を完璧に弾きこなすピアニスト。だれも踊れないようなテクニックを披露するダンサー。複雑で困難な立ち回りを演じる役者。観客はそれを見て驚嘆し、自分には絶対にできないパフォーマンスに対して賞賛を送ります。
 しかし、私たちは違います。私たちは、自分の「いまここ」のありのままを誠実にみなさんに提示することから始めます。私たちとみなさんはおなじフロアに立ち、私たちが提示する生の声や動きを共有し、味わいます。
 みなさんから入場料をいただいてますが、それもパフォーマンスに対する「対価」としていただくのではなく、この場、つまり私たちとみなさんが朗読表現を通して共感するための場、を成立するために必要な「経費」としてお願いしています。
 このようなことにご理解いただいて、ともに「作品」を作るつもりでご参加いただければ、どんなにうれしいかわかりません。

(つづく)

げろきょ祭り「セーラー服の肉体朗読」

午前11時、げろきょ祭り「しもきた奇譚」第一部がスタート。
 嶋村美希子のファンや、照井数男の知り合いなど、男性客が多いのはげろきょにはとても珍しい光景です。
 第一部の演目は次のとおり。

 1. 夏目漱石「夢十夜・第七夜」
 2. 水城ゆう「二匹と猫の冒険」
 3. 水城ゆう「ロンリーセーラー」
 4. 太宰治「女生徒」

まずいきなり、嶋村美希子がセーラー服を着て登場。ステージ中央に置いたストゥールによじのぼり、あぐらをかいて座ります。すでにその時点で観客の目は釘付けに(笑)。
 その背後に照井数男が立ち、「第七夜」がスタート。私がシナリオ化し、演出したものですが、椅子という「定点」からスタートして、次第にふたりが螺旋を描くように外側に向かって動いて(読んで)いくものです。
 最後はふたたび中心に向かって収束して、そのまま次の演目「二匹と猫の冒険」へと続きます。これは私のテキストですが、セリフだけの、朗読というより演劇に近いものです。会話がつづき、そこへゼミ生4人が次々と飛びこんできて、不条理な内容で終わるというもの。
 次の「ロンリーセーラー」は私がテキストを書いて演出した「コンテンポラリー朗読」。最初はフィットネスで使うステッパーを踏みながらやってもらう計画だったのですが、ステッパーが調達できなかったため、脚立を使うことになりました。脚立を嶋村美希子がゆっくりと登ったり降りたりしながら、ぶらさがっている原稿を読むというパフォーマンス。
 なるべく日常パターンではない動きを作りたかったので、嶋村は足を使わず腕だけで登るような動きを工夫しました。そのせいで彼女の両足は痣だらけになってしまいました。あとでだれかに「あれは労災を適用できないのか」といわれてしまいましたが。おかげで非常におもしろいパフォーマンスになりました。そしてもちろん、この際、ストーリーやテキスト内容はあまり重要ではないのです。言葉が人の身体からどのように生まれてくるのか、そしてその身体はどんな人のものなのか、パフォーマーそのものの運動と存在を観客に伝えるのが目的です。
 最後は照井数男がふたたび加わっての「女生徒」。なかなかおもしろい呼吸でふたりがからんでいます。私も演奏で参加していましたが、これまで何度かやったリハーサルとはまったく違った音を使いたくなりました。静かな、去年ここでやった「特殊相対性の女」のような雰囲気になっていったと思います。
 若手によるパフォーマンスでしたが、全体的に大変深みのある、クオリティの高いものになりました。終わってから、皆さんから大きな拍手をいただくことができました。

 以下、ご来場の方からいただいた感想のなかから、いくつか抜粋で紹介しておきます。

■一時間、飲み物に手を付けるのも忘れるほどくぎづけになりました。朗読もBGMも照明効果も、どれも素晴らしかったです! 演じられた朗読劇は四つとも空気が違っていて、とても密度の濃い一時間を過ごせました。

■すごくおもしろかったです! 少し声が聞き取りにくい所があったので、そこを直したらもーっと良いと思いました。キャラクターが良い。二人の息がびみょーにズレてる感じもか人的にはツボで、おもしろかったです! 来て良かったー。これからもがんばってネー。あ! 音楽も最高でした!

■ストーリーというより登場人物の話し方や動きに目がいってしまいましたが、音楽と共に独特の世界にひたってしまいました。

■テルイ君。キャラがとても立っていて面白かった。最初の20分くらいのところは、2人ともハクシン。とても感動しました。

■午前中の舞台を見たが、非常におもしろかった。朗読と伺っていたので、もっと座っていたりしていると思っていたが、動きがあり、イメージしていたものと全く違った。パンフレットに今回の題材のあらすじでもあればもう少し内容がわかりやすく、話の中に入っていきやすかったと思った。

■展開が様々ですごくおもしろかったです。いろんな情景が浮かんできて、頭の中にいろんな世界が広がりました。ステキな時間をありがとうございました。

■イメージとして知っている「朗読」よりは「演技」に近い印象を受けました。もちろん、朗読に演技の要素が全く無いとは思いませんが、大変刺激的な感動をもらいました。おもしろかったです。

■以前も似たような会を拝見させていただきましたが、今回の方がおもしろく感じました。日頃なかなか朗読?を聞くことはないので、新鮮だったし、いろいろな方にも見てもらいたいと思いました。これからも頑張ってください。

(つづく)