2014年8月12日火曜日

音読こくご塾夏休み特別編

今日は朝9時から「音読こくご塾」の夏休み特別講座を開催した。
音読こくご塾は小学生から高校生までを対象として、音読エチュードで声と身体を使った遊びをしたり、それでいきいきした子ども本来の感性のなかで自由な文章表現をしたり、といった、現代の寺子屋的な遊びと学びの場を提供することを目的としている。

今日は世田谷在住の小学五年生の女の子ふたりと、名古屋から羽根木のおばあちゃんちに来ている小学二年生の男の子、その保護者たちの見学参加のもと、音読こくご塾特別講座がスタートした。
夏休みなので、宿題の作文をやっつけてしまおうという目的もあった。

初めて来る子、リピートの子とまじっていた。
初めての子は最初はちょっと緊張ぎみだったが、羽根木の家という古民家の環境や、猫がいること、そしてなにより指導の大人たちが共感的コミュニケーションを心がけた「安心の場」を提供していることで、すぐに打ちとけて、のびのびとした態度になっていくのがうれしかった。
指導の大人というのは、私と音読療法士の野々宮卯妙、そして現代朗読協会ゼミ生の宮本菜穂子の3人である。

最初に私が呼吸法と音読エチュードのとっかかりをやって、あとは野々宮にバトンタッチ。
野々宮が今日は「吾輩は猫である」の冒頭部分を使って音読エチュードをいくつかやる。
子どもたちになにかをやらせるとき、大人はとかく、「こうしなさい」「そうしちゃいけない」あるいはそれ以外の子どもの行動についてもなにかとコントロールしようとすることがあるが(行儀よくしろ、トイレはがまんしろ、無駄口をたたくな、など)、こくご塾ではそういうことは一切しない。
子どもにもそのときそのときのニーズがあり、それを大人も尊重して、なにかを命じるようなことはない。
もっとも、大人にもニーズがあるので、それを子どもたちに尊重してもらうことをお願いする。

なんでも許されるんだ、といわれると、子どもは最初おそるおそるいろいろなことを試してみて、ときにはどこまで許されるのか目にあまる行動を取ることがあるが、それをも受け入れてもらえることがわかると安心して、落ちつきを取りもどす。
完全に自分が受け入れられて安心できる、ということがわかると、お互いのニーズを聴き合えるようになるのだ。
しかし、大人たちがやってしまうのは、子どもらを完全に受け入れる前に彼らを自分のコントロール下に置こうとすることで、それでは子どもは安心できず、結局は逆にことあるごとにストレスを爆発させてしまうことになる。

今日は私はほとんどを野々宮に任せて、ときどき顔を出す程度だったのだが、そのたびに子どもたちが表現を発揮し、絵や文章を自発的にガンガン書いていたのにはびっくりした。
なかのひとりなど、作文をA4用紙に10枚も集中して書きあげてしまったのにはおどろいた。
完全に安心できて受け入れられる環境において、子どもがどれだけクリエイティブになれるかということについては、理論と想像である程度わかっていたことだが、今日はそれを実際に目の当たりにして想像以上の確認ができて本当に驚きつつ、うれしかった。

今回の音読こくご塾特別編は、参加者の都合で明日が最終となるが、できれば夏休みが終わって新学期がはじまってからも、継続的に開催したいと思っている。
なにより、子どもたちは元気で、かわいくて、創造的で、この子たちが羽根木の家に来てくれることが私にはうれしく、幸せでしかたがない。