SNSを利用している人ならだれもが、だれかがだれかを口ぎたなくののしったり、あざけったりする場面に遭遇して、怖くなったり、こころが冷たくなった経験があるだろう。
そのことで実際にSNSをやめてしまう人もいる。
SNSはうまく使えば情報交換の有用な手段だし、必要な人とのつながりを持つこともできる。
そこから離れるという決断もあるだろうが、できればトラブルに対処するスキルをこちらが持ち、上手に付き合っていきたい。
自分がだれかからdisられたり、だれかがdisられているのを見て不快な気分になったとき、どうすればいいだろうか。
避難されたり、ののしられたとき、人は反射的に自分に非があったのではないかと思ってしまう。
自分がなにか非をおかし、その結果、相手を怒らせてしまったのではないか、と。
そして、相手の怒りをなんとかしなければとあわててしまう。
あやまったり、自分のおこないを反省したり、SNSから消えようとしたり。
相手の怒りの原因は、こちらのおこないではなく、相手のなかにある。
こちらのおこないは、相手の怒りにとってたんなるきっかけである。
相手がなにを大切していたのか、そのことを知ることによって、相手の怒りの原因もわかる。
相手にも怒りの原因について気づいてもらうことで、善後策をともにかんがえることができる。
こちらがあわててなにかする必要はない。
たとえば、しょっちゅうだれかに「バカ」とか「死ね」というののしりの言葉を投げつける人がいる。
Twitterなどでよく見かけるのだが、かなりの有名な人で知性的で知られている作家やコラムニスト、思想家といった人でも、そのような言葉をしばしば使う。
このときの彼らのニーズを推測してみる。
彼らはいったいなにが大切で、相手にたいして怒りの言葉をぶつけてくるのだろうか。
このような相手をののしる言葉というのは、それ自体、メッセージとして受け取ることができる。
「自分は相手を見下す言葉を使うことによって、相手より優位な立場に立ちたい」という、悲痛なメッセージとして聴こえることがほとんどだ。
この人たちは自分が人より下の立場に置かれたり、影響力を行使できないようになることが本当に怖くて、おびえているのだ。
だから自分を守るために、相手を威嚇する強い言葉を使う。
しかし、そこに見えるのは、自分の立場を必死で守ろうとしているおびえた人の姿だ。
そのことに共感してあげよう。
「あなたは自分が人より優位に立ちたくてそのような言葉を使いたいのですか? 安全・安心のニーズがあるんですね?」
と。
共感してあげよう、と書いたけれど、実はこれは方便である、本当の共感ではない。
これはあなたがだれかからひどい言葉を投げつけられたとき、あなた自身を守るための武器としての言葉になる。
本当に相手に共感するためには、さらに深くつながっていくスキルが必要になるが、自分を罵倒してくる人間を前にして、まずは自分の安全を確保することが優先事項となる。
※2月の羽根木の家での共感的コミュニケーション勉強会は、2月22日(土)15時からと、2月27日(木)に開催します。27日の昼の部は15時から、夜の部は19時からです。
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