2018年10月31日水曜日

すこしずつ長く走れるようになってきた

私が最近ランニングをはじめて、以前は走れなかったのにすこしずつ走れるようになってきたことについては、こちらの「走れる(喜)!」という記事にもくわしく書いたけれど、あいかわらず週に何回かは走りつづけている。
そして今日は、連続ランニング記録をまたすこし伸ばすことができた。

たかだか1,000mを数百メートル超えたくらいの距離なので、ふつうに走れる人から見たらなにをそんなに大げさにと思うかもしれないが、膝の故障で20年走っていなかった、そして一生走ることはないだろうと思っていた私にとっては、ちょっとした事件なのだ。

距離はすこしずつ、しかし確実に伸びていて、またこれは今後も伸ばしていくことができるだろうという体感がある。
やがて1,500メートル、2,000メートル、そして3キロ、4キロ、5キロは夢ではないかもしれない。
別にマラソンランナーをめざしているわけではなくて、ある程度負荷のかかる運動(心拍数が160を超えるような)がこの年齢になっても持続的にできるように持ちなおしていけるのだ、という一種の実験がおもしろいのだ。

この年齢、というのは61歳のことだけれど。

身体的にある程度持ちなおしていけるということは、あたまや精神の働きもある程度底あげしなおせるということでもあるかもしれない。
とはいえ、身体とあたまと精神を別々に切りわけてかんがえることはなくて、たとえば私の場合、ピアノの即興演奏をするのは、これらすべてを総動員する行為だといっていい。
身体だけ鍛えてもだめだし、あたまだけ、こころだけ鍛えてももちろんだめだ。

ピアノの即興演奏には身体的負荷のほか、集中力や創造性、感受性など、自分が持っている能力をフル動員するようなところがある。
ピアノ演奏だけでなく、小説を書くなどという行為もじつは全体性が必要だ。

人生の終盤といっていい年齢に差しかかってきたけれど、これまで身につけてきたさまざまな能力をもう一度結集させ、フル動員させ、さらに磨きあげていくことで、どこまで自分を最大限発揮できるのか、楽しい挑戦だと思ってわくわくしてたまらない。