2010年11月14日日曜日

お願い(request)と要求(demand)についての考察

NVC(Nonviolent Commnunication)では「お願い」と「要求」を明確に区別する。
「お願い」のように聞こえる言葉でも、実は「要求」である、というようなことを、私たちはしばしばやってしまう。
たとえば、朝、学校に行こうとしている娘に母が、あるいは出かけようとしている夫に妻が、
「ゴミ出しといてね」
という。
これは一見お願いのように聞こえる。
「お願い」と「要求」を区別する明確な方法がひとつある。それは、
「お願いを断られたとき、あるいはお願いの内容が実行されなかったとき、あなたの心はどうふるまうか」
ということだ。

「なんでやってくれないんだ」と腹が立つ。
「期待していたのに」とがっかりする。
「いつもお願いしてるのにやってくれない」と悲しくなる。
いずれもあなたの「ゴミ出しといてね」という言葉が「お願い」ではなく「要求」であったことを示している。
もしあなたの言葉が「お願い」として発せられていた場合、あなたは相手に共感を持つはずだ。
「きっと忙しくて忘れてしまったのね。決して意図的に忘れたわけではなく、ましてや私を困らせようとして無視したわけでもない。ほんとはやろうと思ったのに、つい忘れてしまっただけよね。きっとそのことに気づいたら、娘も(夫も)私に対して申し訳ない気分になるに違いない」
こうやって共感を持てたとき、彼らが家に帰ってきたときも、あなたは笑顔で迎えることができ、そして次の「お願い」を口にすることができる。
「次は忘れないようにゴミを出してくれるとうれしい」
もちろんこの言葉も「お願い」として発せられる。

こうやってちょっと考えてみるとわかるのだが、誰かに向かって発せられる私たちの多くの言葉が、実にしばしば「お願い」ではなく「要求」であることに気づくだろう。また逆に、自分に向けられている実に多くの言葉が「要求」であることに気づくかもしれない。
要求し、要求され、腹を立て、腹を立てられ、がっかりし、がっかりされて悲しむ。日々そのくりかえしだ。穏やかでいられるはずはない。
だれかになにかを「させよう」とすることをやめてみたい。そうすれば心穏やかにすごせるし、きっとあなたの「お願い」は相手に届くようになるだろう。結果的にだれもがあなたのためにいろいろなことを喜んで引き受けてくれるようになる。