2017年11月15日水曜日

見てもらうこと、聞いてもらうことの必要性

以下、共感的コミュニケーションの話につながる話だが、まずは私が稽古している武術で体感したことから書き起こしたい。
関係ないようでいて、深く関わりのあることなのだ。
すくなくとも私のなかでは。

私が取りくんでいる韓氏意拳という中国武術は、人の身体的・生命的本質を重視している武術で、それゆえに他流派からも注目されている。
ここでは人がもともと持っている自然本有のポテンシャルを練り、実際の危機にあたってその人が持っている身体能力を十全に発揮してコトにあたれるようになることを目標としている。
なにかを付け加えたり、過去の経験をなぞったり、企んだり、ということではなく、我々の生命が本来持っている能力を全体的に発揮するためにはどうすればいいか、を問うための稽古体系となっている。

稽古の過程でつくづく感じるのは、私たち現代人は自分の身体のことをじつにないがしろにしていて、ちゃんと見ていないし、身体の声を聞いてもいない、ということだ。
見ている「つもり」、聞いている「つもり」というのはある。
その「つもり」でやっていると、腕一本あげるのにおかしなことになってしまうことに気づくことがある。
本当にきちんと身体を見てやる必要があるし、声を聞く必要がある。
それができたとき、身体は必要なことによく応えてくれる。

身体だけでなく、共感的コミュニケーションでいうところのニーズにつながり、よく理解しているとき、言動は非常にクリアでいきいきとしたものになる。
自己共感がよくできているときがこの状態だ。

人と人のつながりにおいても、だれかに本当にきちんと見てもらったり、聞いてもらったりすることが、その人本来の能力を活発にさせる。
ちゃんと見てもらったり聞いてもらったりすることで、自分につながることが容易になり、自己共感が生まれていきいきとする。
だれもがだれかをそのようにいきいきさせる手伝いができるのだ。
これが共感の力だ。

問題は「本当にきちんと」だれかを見てあげたり、聴いてあげることが、我々がすでに身につけてしまっている社会習慣のなかでは、ちょっとした困難を伴うということだ。
共感的コミュニケーションを身につけるには、武術の稽古をするように、「なんちゃって」や「つもり」ではない、隙のない練習が必要となる。

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