2013年6月27日木曜日

小学校というアウエイで自分を鍛える

先日、墨田区立外出小学校で朗読授業をおこなってきた。
対象は4年生1クラスで、2時限を使って身体と言葉をつなぐエチュードをおこなった。
現代朗読協会では墨田区の教育支援プログラムの協力団体として登録していて、時々お呼びがかかる。
これまで小梅小学校、業平小学校などでも出張授業をおこなっている。
中学校や高等学校にも何校か行ったこともある(公演以外に)。

子どもたちを相手にしていると、ときに「怖い」と感じることがある。
なにが怖いかというと、それはこちらの「正直さ」を見抜かれているような気がするからだ。
子どもたちは常にマインドフルで、自分のニーズに正直に生きている。
それは、一見大人になりかけて世の中をハスに構えて見ているように見える思春期の生徒たちもそうなのだ。

こちら側がなにかたくらんでいたり、計算していたり、うまいことやろうとしたり、こびようとしたりすると、すぐに見抜かれてしまう。
そしてつれない態度になる。
当然、授業もうまくいかない。

こちらが正直に自分の弱点も欠点も未熟さもさらけだして、いまここのありようで誠実に接したとき、子どもたちもそれにめいっぱい応えてくれる。
先日の外出小学校でも、私がそれを完全にできたかどうかはわからないけれど、できるかぎり誠実に、正直に、いまここの自分自身であろうとこころがけながら四年生たちに接してきた。
子どもたちも実にイキイキと反応し、こちらの提案にどんどんノってきて、最後は担任の先生や参観のお母さんがたが心配そうな顔になるほど大ノリで、ひとりひとりが個性爆発させていた。
うれしかったなあ。
そして楽しかった。

大人が子どもたちの場にはいりこんでいくというのは、一種のアウェイの場に行くような感じがする。
自分が試されるようなところがある。
とても鍛えられるし、多くのことに気づかされる。
こちらが授業をやっていながら、実はこちらが子どもたちから多くのことを教えてもらっている。