photo credit: Ed Yourdon via photopincc
私は文章を書くのが苦手だ。
というふうに、自分自身を規定してしまうと、そのことが事実になってしまう。本当はそうではないかもしれないのに。
なんとなく苦手だとか、あまりやりたくないと感じているとき、それをそう感じているだけならまだいいが、それを言語化してしまったとたんに本当に苦手になってしまったり、やりたくなくなってしまったりすることがある。
自分がそれが本当に苦手だったり、嫌いだったりするのかは、実際にやってみないとわからないことがある。
実際にやってみて、あらためて苦手なんだなとか、これは嫌いだと確信するのはやむをえないことだが、やってみたら案外すんなりやれたり、好きになったりすることも多い。
というより、そんなことはしょっちゅうある。
つまり、私たちはいかにかたよった思いこみで自分の行動に制約を課してしまっているか、ということだ。
苦手だと思っていることがあっても、まずはそれを「苦手だ」と言語化しないこと。
だれかにいったり、ブログやメールに書いたりしないこと。
言語化する前に一度ためしてみること。
一度ためして苦手だとわかっていても、時を経て挑戦してみること。
なぜなら、人は刻一刻、日一日と変化しつづける生き物だからだ。
昨日の苦手が今日の得手になっていることはよくある。
ともあれ、自分の思いこみを言語化したり、口にしたり、書くことによって自分の可能性を狭めてしまうことがある、ということをしっかりとおぼえておきたい。
これは実は、相手に対する「決めつけ」もおなじ作用があるのだが。