(写真は後日あらためて)
昨日は朝10時にIMYホールに行く。
すでに昨日の仕込みの手直しが始まっていた。深澤さんが来て、出演組も昨日のリハーサルの部分的な「返し」をいくらかおこなう。私もピアノを入れるところ、入れないところなど、いくつか確認。とはいえ、曲は伊藤さやかが歌うメインテーマ曲を除いてすべて即興。
昼食をはさんで、午後もいくらか確認。
客席ができた。70席をならべる。けっこうぎっしりな感じだ。しかし、これがあとで大変なことになってしまった。
午後3時ごろから「ゲネプロ」。これは私が演出だったら決してやらないことだ。当然、げろきょでもやらない。しかし、音楽コンサートでも演劇でも、ごく普通に自然にやっている。この手順には大いに疑問があるのだが、ここは私もひとりの出演者なので、おとなしく従う。
考えてみると、だれかの主宰・演出のもと、私とバラさんがいっしょに出演者として参加するというのは、ひょっとしてこれが初めてのことかもしれない。
開場まで少しのんびりする。椅子を並べて仮眠したり。
18時半、開場。お客さんが続々とやってくる。すぐに、来客数の読みが甘かったことが判明する。急遽、椅子を出して、客席を増やす。それでも、続々とやってくる。舞台監督のチョコくんが走りまわって、お客さんに席を移動してもらったり、パーティションを動かして客席を増やしたりする。
なんとか100席になった。それが開演時にはぎっしり満席になった。遅れて来た人はたぶん立ち見だったのだろう。
位里ちゃんや、クセックの神宮寺さんも来てくれた。設っちゃんも。
19時、ほぼ時間どおり開演。
客電落とし、暗転から、私も板付き。つまり、ピアノに座る。
「死体」のバラさんがよみがえり、そのモノローグからスタート。ピアノがからみ、やがて物語へと入っていく。
役者4人は「朗読劇」ということで読み本を手に持ってはいるが、表現はまったく演劇であり、クセックである。クセック以外の何ものでもない。そこがおもしろいのだが。
ただし、そこに私の即興ピアノが入る。私はクセックの枠組を強く意識しながら、そこに「説明的」であることを極力排した音で枠組を壊そうと切りこむ。
バラさんは当然、軽々と反応して演劇の枠を超えてくるのだが、他の3人も昨日のリハーサルから私の音を聴いてくれていたので、徐々に反応してくる。とくに樋口くんはわざわざピアノのところまで来て、挑発的な声でこちらに仕掛けてきたりした。
こういったことはお客さんにはどのように見えていたのだろうか。
メキシコで亡くなった加藤登さんの訳されたガルシア=マルケスのテキストと、実弟の明さんの音響、そして詰めかけてくれたたくさんのお客さん、スタッフ、出演者が非常な集中のなかで濃密な65分がすぎた。
終わってから長い拍手をいただきながら、カーテンコールはなし。そのかわり、控え室にささやかな交流パーティーの場を設け、そちらで歓談。ただしスタッフは撤収準備。私はパーティーのほうに参加させてもらう。
加藤登さんのご家族、友人、同級生の方々も交え、短い時間だったがよい偲ぶ会であった。私もいくらかなりともお力になれてよかった。
9時半にはすべての撤収が終わり、北村ふみさんが予約してくれた近所の洋風居酒屋に関係者一同移動して、打ち上げ。
そういえば、今回の公演の成功はふみさんがいなければありえなかった。こまごまと心使いをしてもらって、大変ありがたかった。ふみさんとはウェルバ・アクトゥスの活動で知り合ったのだが、今回もこういう形で関われたことにあらためて感謝。
打ち上げでは設っちゃんや、東京から駆けつけてくれた野々宮や、理子さんや、王者館の稽古後に駆けつけたくぼりょなどとも話がはずんだ。大変楽しい打ち上げであった。
0時前、樋口くんの車でバラさんともどもホテルまで送ってもらい、解散。眠りについた記憶がないほど、ぐっすり眠った。