2011年7月29日金曜日

小松左京さんが亡くなった

多くの方は映画にもなったベストセラー小説『日本沈没』で記憶しておられるだろう。私ももちろん夢中になって読んだが、私にはそれ以上の特別な思いがある。
小学校6年生に図書館で『世界SF文学全集』を発見したのをきっかけに、中学生のときは内外のSF小説に夢中になり、手当たりしだいに読みあさった。最初はおもに海外の作家のものが多く、とくにハインライン、アシモフ、ブラッドベリ、フレデリック・ブラウンといったものを読んでいたのだが、そのうち早川書房の『SFマガジン』を読むようになったのをきっかけに、日本の作家のものも読むようになった。そのなかでも小松左京さんの作品は私にとって特別だった。
処女長編の『日本アパッチ族』を皮切りに、超能力者の戦いを描いた『エスパイ』、新型細菌による人類滅亡の危機を描いた『復活の日』、いまだに名作中の名作として時々読み返すこともある『果てしなき流れの果てに』、それらに加えて「日本女シリーズ」などの数多くの短編など、いずれも夢中になって読みふけったものだ。いずれの作品も何度も読み返しているし、なかにはノートに書き写したりして小説の書き方をまねたような作品もある。原稿用紙の使い方も、書き写すことで自然に身につけた。

その後も高校、大学と進んでも私は小説を書きつづけ、大学をやめてバンドマンになったときも習作を書きつづけていた。25歳のときに書いた中編小説が編集者の目にとまり、29歳のときに徳間書店から長編小説を出版し、作家としてデビューした。処女長編は『疾れ風、咆えろ嵐』という冒険SF小説で、これも小松左京さんがいなくてはありえない作品だった。
晴れてSF作家の仲間入りをした私は、その年の大阪で開催された日本SF大会というものに編集者に連れられて出席し、あこがれのSF作家の実物に会うことができました。私がアイドルとして読んでいた作家たちがそこにはずらりといた。筒井康隆さん、いまはなき星新一さん、眉村卓さん。そして小松左京さんにも紹介してもらうことができた。自分がその場にいることに大きな幸福を感じたものだ。

いまは私も商業出版の世界から距離を置き、書くものもずいぶん変わってしまったが、それでもSFマインドは常に持っているつもりだ。今年も朗読作品として上演する予定になっている「繭世界」も「沈黙の朗読——記憶が光速を超えるとき」も、見ようによってはSFといえるかもしれない。
小松左京さんのご冥福を心からお祈りしたい。