私が最近ランニングをはじめて、以前は走れなかったのにすこしずつ走れるようになってきたことについては、こちらの「走れる(喜)!」という記事にもくわしく書いたけれど、あいかわらず週に何回かは走りつづけている。
そして今日は、連続ランニング記録をまたすこし伸ばすことができた。
たかだか1,000mを数百メートル超えたくらいの距離なので、ふつうに走れる人から見たらなにをそんなに大げさにと思うかもしれないが、膝の故障で20年走っていなかった、そして一生走ることはないだろうと思っていた私にとっては、ちょっとした事件なのだ。
距離はすこしずつ、しかし確実に伸びていて、またこれは今後も伸ばしていくことができるだろうという体感がある。
やがて1,500メートル、2,000メートル、そして3キロ、4キロ、5キロは夢ではないかもしれない。
別にマラソンランナーをめざしているわけではなくて、ある程度負荷のかかる運動(心拍数が160を超えるような)がこの年齢になっても持続的にできるように持ちなおしていけるのだ、という一種の実験がおもしろいのだ。
この年齢、というのは61歳のことだけれど。
身体的にある程度持ちなおしていけるということは、あたまや精神の働きもある程度底あげしなおせるということでもあるかもしれない。
とはいえ、身体とあたまと精神を別々に切りわけてかんがえることはなくて、たとえば私の場合、ピアノの即興演奏をするのは、これらすべてを総動員する行為だといっていい。
身体だけ鍛えてもだめだし、あたまだけ、こころだけ鍛えてももちろんだめだ。
ピアノの即興演奏には身体的負荷のほか、集中力や創造性、感受性など、自分が持っている能力をフル動員するようなところがある。
ピアノ演奏だけでなく、小説を書くなどという行為もじつは全体性が必要だ。
人生の終盤といっていい年齢に差しかかってきたけれど、これまで身につけてきたさまざまな能力をもう一度結集させ、フル動員させ、さらに磨きあげていくことで、どこまで自分を最大限発揮できるのか、楽しい挑戦だと思ってわくわくしてたまらない。
水城ゆうブログ
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2018年10月31日水曜日
2018年10月29日月曜日
映画:しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス
泣いた。
いい映画だった。
今年・2018年公開のカナダとアイルランドの合作映画。
監督はアシュリング・ウォルシュという人(知らない)。
10年以上前に「荊の城」という映画を作っているが、私は未見。
これは実在の画家モード・ルイスの半生をモデルにした映画らしい。
モード・ルイス役をサリー・ホーキンスを演じている。
どこかで見たな、しかも最近……と思ったら、「シェイプ・オブ・ウォーター」の主役で、この映画でアカデミー主演女優賞を取っている。
これも大変よかった(こちらのレビューは書きそびれているが)。
モード・ルイスは重度のリューマチを病んでいて、親戚からもうとましがられ、ひどい仕打ちを受けている。
ただひとつ、絵筆を持って好きな絵を描くことだけがささやかな幸せで、そのために自分の居場所と自立を求めて、家政婦の仕事に出る。
それが夫となるエベレット・ルイスの杣屋《そまや》であった。
本当に質素で、粗末な家なのだが、そこでささやかな自分の時間を見つけていくモード。
そしてある日、彼女の絵に価値を見出す女性があらわれ、モードは徐々に画家として知られるようになっていく。
一種の女性の自立の物語だと感じたのだが、その自立が特別な才能・才覚や人なみはずれた努力や運ではなく、ただありのまま、自分のささやかな幸せを大切にすることだけで成立していくという点が、ほかの成功・自立物語とは異なっているように思える。
そしてそのような人が実在したのだというところに、勇気をもらえるのだ。
夫のエベレット役のイーサン・ホークもよかった。
エベレットは実直な、しかし古い時代の暴力的な男性性を象徴するような存在なのだが、そのなかにもモードにたいする正直さと誠実さがあらわれている。
美しい(だけど荒涼とした)風景と、絶妙な音楽。
引きの画面と寄りの画面の巧妙な構成、静けさと抑制のきいた音楽の絶妙な組みあわせ。
ひさしぶりにサウンドトラックを聴きたいと思いながら、エンドロールでは涙が止まらなかった。
いい映画だった。
今年・2018年公開のカナダとアイルランドの合作映画。
監督はアシュリング・ウォルシュという人(知らない)。
10年以上前に「荊の城」という映画を作っているが、私は未見。
これは実在の画家モード・ルイスの半生をモデルにした映画らしい。
モード・ルイス役をサリー・ホーキンスを演じている。
どこかで見たな、しかも最近……と思ったら、「シェイプ・オブ・ウォーター」の主役で、この映画でアカデミー主演女優賞を取っている。
これも大変よかった(こちらのレビューは書きそびれているが)。
モード・ルイスは重度のリューマチを病んでいて、親戚からもうとましがられ、ひどい仕打ちを受けている。
ただひとつ、絵筆を持って好きな絵を描くことだけがささやかな幸せで、そのために自分の居場所と自立を求めて、家政婦の仕事に出る。
それが夫となるエベレット・ルイスの杣屋《そまや》であった。
本当に質素で、粗末な家なのだが、そこでささやかな自分の時間を見つけていくモード。
そしてある日、彼女の絵に価値を見出す女性があらわれ、モードは徐々に画家として知られるようになっていく。
一種の女性の自立の物語だと感じたのだが、その自立が特別な才能・才覚や人なみはずれた努力や運ではなく、ただありのまま、自分のささやかな幸せを大切にすることだけで成立していくという点が、ほかの成功・自立物語とは異なっているように思える。
そしてそのような人が実在したのだというところに、勇気をもらえるのだ。
夫のエベレット役のイーサン・ホークもよかった。
エベレットは実直な、しかし古い時代の暴力的な男性性を象徴するような存在なのだが、そのなかにもモードにたいする正直さと誠実さがあらわれている。
美しい(だけど荒涼とした)風景と、絶妙な音楽。
引きの画面と寄りの画面の巧妙な構成、静けさと抑制のきいた音楽の絶妙な組みあわせ。
ひさしぶりにサウンドトラックを聴きたいと思いながら、エンドロールでは涙が止まらなかった。
2018年10月28日日曜日
餃子とスイーツのダブルで食の充実日
昨日は食の充実日。
ひさしぶりに餃子を作ろうと思いたち、仕込む。
しいたけの代わりにしめじを使い、みじん切りにしたものを鶏がらスープに浸けこんでみる。
それを肉、にら、キャベツといっしょに混ぜこんで、皮に包んで焼く。
思惑通り、たっぷりとスープを含んで、まるで小籠包のような仕上がりになって、なかなかの出来上がり。
焼け具合もほどよくできて、満足。
そのあと小浜さんが打ち合わせに来て、これまた絶品のスイーツを差し入れてくれた。
生クリーマーの私としては最高の一品。
これ、なんていう名前のスイーツだっけ?
そのあと、野々宮が焼いたインデビジブルなんとかというもケーキも切って、ちょっと食べすぎ。
でもおいしかった(写真を撮り忘れたけど、まだ残ってるのでつぎは忘れないように撮る)。
その合間に InDesign に直接執筆するという荒技を試してみて、これがなかなか具合がよかった。
原稿の進み具合がそのまんま書籍の形になっていくのがよいな、これは。
ひさしぶりに餃子を作ろうと思いたち、仕込む。
しいたけの代わりにしめじを使い、みじん切りにしたものを鶏がらスープに浸けこんでみる。
それを肉、にら、キャベツといっしょに混ぜこんで、皮に包んで焼く。
思惑通り、たっぷりとスープを含んで、まるで小籠包のような仕上がりになって、なかなかの出来上がり。
焼け具合もほどよくできて、満足。
そのあと小浜さんが打ち合わせに来て、これまた絶品のスイーツを差し入れてくれた。
生クリーマーの私としては最高の一品。
これ、なんていう名前のスイーツだっけ?
そのあと、野々宮が焼いたインデビジブルなんとかというもケーキも切って、ちょっと食べすぎ。
でもおいしかった(写真を撮り忘れたけど、まだ残ってるのでつぎは忘れないように撮る)。
その合間に InDesign に直接執筆するという荒技を試してみて、これがなかなか具合がよかった。
原稿の進み具合がそのまんま書籍の形になっていくのがよいな、これは。
ムイスケッチ、武術の自主稽古会、にぎやかで孤独な環境
年末にリリース予定の『共感的コミュニケーション2019』の表紙絵にするためのスケッチ。
金曜日は午前11時から韓氏意拳の自主稽古会。
数か月前からしつこく開催していたんだけど、これまで私以外の参加者はいなかった(つまりだれも来なかった)。
が、初めて参加者が三人来て、楽しく稽古。
韓氏意拳はひとり稽古が基本とはいえ、いっしょに稽古したり、いろいろ確認しあったりできるのは楽しいし、進展があるなあ。
午後はNVCの基礎づくりコース参加者のための「家開き」を野々宮とのぞみさんが上のリビンクでやるというので、私は下のスタディルームで仕事したり、編み物したり、映画を見たり。
上でなにやらにぎやかに集っているなか、ひとりのスペースが確保されていてそこで自分のことをやれるというのは、なかなか幸福な環境。
まったく静かな孤独な環境もいいけれど、こういう感じも独特の集注があっていい。
いま、主催のイベントやSNSでの交流など、いろいろなことを整理して、執筆・製作に集中できる環境を構築しつつある。
夜は私もリビングに呼んでもらって、みなさんといっしょにのぞみさんが作ってくれたおいしい晩ご飯をいただく。
のぞみさん、いつもありがとう、ごちそうさま。
◎10月29日:国立・韓氏意拳初級講習会
駒井雅和中級教練による国立での韓氏意拳初級講習会を10月29日(月)14時からJR国立駅徒歩5分の会場にて開催します。
◎10月29日:韓氏意拳養生功講習会@国立
JR国立駅徒歩5分の会場にて駒井雅和中級教練による韓氏意拳養生功講習会を10月29日(月)16時から約2時間の開催です。
金曜日は午前11時から韓氏意拳の自主稽古会。
数か月前からしつこく開催していたんだけど、これまで私以外の参加者はいなかった(つまりだれも来なかった)。
が、初めて参加者が三人来て、楽しく稽古。
韓氏意拳はひとり稽古が基本とはいえ、いっしょに稽古したり、いろいろ確認しあったりできるのは楽しいし、進展があるなあ。
午後はNVCの基礎づくりコース参加者のための「家開き」を野々宮とのぞみさんが上のリビンクでやるというので、私は下のスタディルームで仕事したり、編み物したり、映画を見たり。
上でなにやらにぎやかに集っているなか、ひとりのスペースが確保されていてそこで自分のことをやれるというのは、なかなか幸福な環境。
まったく静かな孤独な環境もいいけれど、こういう感じも独特の集注があっていい。
いま、主催のイベントやSNSでの交流など、いろいろなことを整理して、執筆・製作に集中できる環境を構築しつつある。
夜は私もリビングに呼んでもらって、みなさんといっしょにのぞみさんが作ってくれたおいしい晩ご飯をいただく。
のぞみさん、いつもありがとう、ごちそうさま。
◎10月29日:国立・韓氏意拳初級講習会
駒井雅和中級教練による国立での韓氏意拳初級講習会を10月29日(月)14時からJR国立駅徒歩5分の会場にて開催します。
◎10月29日:韓氏意拳養生功講習会@国立
JR国立駅徒歩5分の会場にて駒井雅和中級教練による韓氏意拳養生功講習会を10月29日(月)16時から約2時間の開催です。
2018年10月26日金曜日
コンテンツというアウトプットのための流れ(フロー)
春野亭の前の道の風景、昨日の午後。
こんな街なかであっても、空と光線の具合がいよいよ本格的な秋を感じさせる。
今日は午前中に韓氏意拳の自主稽古会。
参加者四人で、私以外は全員女性。
韓氏意拳は健康や美容にもいいんですよ(きっと)。
毎日たくさん、ブログやSNSに文章を書いているけれど(垂れ流しているともいう)、いよいよこのエネルギーをコンテンツというアウトプットに向けて集中・集約していきたいという気持ちが高まってきている。
つまり、本を書く、映像コンテンツを作る、音楽を作る、そういうものだ。
もともと私は作家なので。
そのための「環境」整備を今日からしようと思っている。
環境というのは、仕事場を確保するとか、掃除するとか、そういうことではない。
いまや私の仕事場はラップトップ・コンピューターなので、その環境整備をするということだ。
とくに執筆・書籍化のフローはしっかり確保したい。
毎日書き、それを書籍コンテンツにする流れとしては、どういうものが快適なのか。
このあと、試行と検証に取りかかる。
2018年10月25日木曜日
楽しみな国立〈アグレアグル・ミュゼ〉でのパフォーマンス公演
オーストラリアから一時帰国した矢澤実穂さんから、お土産のユーカリとオリーブオイルの石鹸をいただいた。
実穂さんとは11月3日(土/文化の日)の夜、国立〈アグレアブル・ミュゼ〉で彼女のダンスと野々宮の朗読と私のピアノとで、パフォーマンス公演をおこなうことが急きょ決まった。
この三人でおこなうパフォーマンスは「FLARE m3」と称していて、今回で(ごくみじかいセッションも勘定にいれれば)四回めとなる。
清里のNVCのIITという合宿で、国立のさくらホールで、渋谷の文化総合センターで、そして今回の国立アグレアブル・ミュゼで。
「m3」というのは、実穂さん、野々宮のNVCでのネーム・まり、そして私・水城の頭文字をあらわしている。
年に一度あるかないかの機会なので、ぜひともお立会いいただきたい。
私もとても楽しみにしているし、即興ピアニストとしての私のもっとも先っちょの部分を聴いていただくことができるので、ご来場大歓迎なのだ。
午後7時開演。
詳細と申し込みはこちらをご覧ください。
実穂さんとは11月3日(土/文化の日)の夜、国立〈アグレアブル・ミュゼ〉で彼女のダンスと野々宮の朗読と私のピアノとで、パフォーマンス公演をおこなうことが急きょ決まった。
この三人でおこなうパフォーマンスは「FLARE m3」と称していて、今回で(ごくみじかいセッションも勘定にいれれば)四回めとなる。
清里のNVCのIITという合宿で、国立のさくらホールで、渋谷の文化総合センターで、そして今回の国立アグレアブル・ミュゼで。
「m3」というのは、実穂さん、野々宮のNVCでのネーム・まり、そして私・水城の頭文字をあらわしている。
年に一度あるかないかの機会なので、ぜひともお立会いいただきたい。
私もとても楽しみにしているし、即興ピアニストとしての私のもっとも先っちょの部分を聴いていただくことができるので、ご来場大歓迎なのだ。
午後7時開演。
詳細と申し込みはこちらをご覧ください。
もうすぐ折り返し地点の腹巻帽子
あと数センチでようやく前半部分が編み終わる腹巻帽子。
あと半分は糸を変えて、リバーシブルの帽子兼ツートンの腹巻になる予定。
目を見てみると、編みはじめは目を飛ばしたり、抜かしたり、けっこうぼろぼろなんだけど、だんだんきれいに揃ってきて、きれいになってる。
この一本めは練習として、二本めからは人にあげられるようなものが作れるかな。
それにしても、時間がかかる。
糸が細いせいもある。
二本めはすこし太い、六本ヨリの糸でやってみよう。
エコアンダリアのどんぐり帽子を追加でまた作ってほしいと頼まれた。
うれしいな。
大人がみんなこれをかぶって歩いてたら平和だな。
今日も朝から走ってきた。
なんとなく重いので、無理せずいつもとおなじ距離。
ただしスピードをちょっとだけあげてみる。
そして心拍数がもとにもどる時間は確実に短縮されている。
こんな年齢でも身体能力をあげていくことは可能なんだということは、頭ではわかっていたけれど、実際にやってみるとどのくらいそうなのかがちゃんとわかるのがおもしろい。
今日と明日、個人セッションを受け付けられる時間がたくさんあるので、なにか解決したい問題やシビアな問題を抱えている人、悩みがある人など、歓迎です。
あと半分は糸を変えて、リバーシブルの帽子兼ツートンの腹巻になる予定。
目を見てみると、編みはじめは目を飛ばしたり、抜かしたり、けっこうぼろぼろなんだけど、だんだんきれいに揃ってきて、きれいになってる。
この一本めは練習として、二本めからは人にあげられるようなものが作れるかな。
それにしても、時間がかかる。
糸が細いせいもある。
二本めはすこし太い、六本ヨリの糸でやってみよう。
エコアンダリアのどんぐり帽子を追加でまた作ってほしいと頼まれた。
うれしいな。
大人がみんなこれをかぶって歩いてたら平和だな。
今日も朝から走ってきた。
なんとなく重いので、無理せずいつもとおなじ距離。
ただしスピードをちょっとだけあげてみる。
そして心拍数がもとにもどる時間は確実に短縮されている。
こんな年齢でも身体能力をあげていくことは可能なんだということは、頭ではわかっていたけれど、実際にやってみるとどのくらいそうなのかがちゃんとわかるのがおもしろい。
今日と明日、個人セッションを受け付けられる時間がたくさんあるので、なにか解決したい問題やシビアな問題を抱えている人、悩みがある人など、歓迎です。
映画:教誨師
うちから一番近い映画館である立川の CINEMA CITY で観てきた。
監督(脚本も)は佐向大。
1971年生まれとまだ若いが、監督歴はずいぶん長いようで、作品もたくさんあるが、ほとんどがマイナーな作品で、私も名前を知らなかった。
しかし、この監督は注目株だと思う。
ふだん日本映画を観ることは少ない私だが、NVC関係の知り合いにクリスチャンが多いこともあって、この映画のことを知った。
「教誨師」とは、刑務所で希望する囚人にボランティアで話を聞いたり、宗教の話を説いたりするボランティアの牧師のことだ。
牧師とはプロテスタントの用語なので、神父とか、ほかにも仏教や他宗教の宗教家がいるのかもしれないが、この映画では牧師役を今年の2月に亡くなったばかりの大杉漣が演じている。
そう、この映画は大杉漣の遺作でもある。
全編をとおして、音楽はまったくない。
そしてほとんどのシーンが室内での教誨師と死刑囚との対話だ。
個性的な死刑囚が何人も出てくる。
それぞれが勝手なことをしゃべったり、沈黙を守ったり、苦しんだり、泣いたりわめいたり、さまざまな表情を見せる。
役者の見せ所ともいえる。
フィクションなのでぼかしてはあるけれど、実際に起こった事件とその容疑者を想定していることがうかがえる。
それぞれの役者がそれぞれの容疑者——その後死刑囚——を演じている。
私は知らなかったのだが、玉置玲央という若い役者が印象的だった。
障害者介護施設での連続殺人事件を想定する語りがつづく。
そこで彼がいう人の命、この現代社会の矛盾、そして死刑制度というものに対する問題提起は、なかなか衝撃的である。
いい役者だと思った。
東京の劇団「柿喰う客」のメンバーらしい。
ほかにも五頭岳夫、古舘寛治、光石研といった印象的な役者が出演しているが、なかでもびっくりしたのが烏丸せつこだった。
汚れ役を見事に演じていて、私はしばらく彼女だと認識できなかった。
そんなことも含めて、一見の価値はある映画だなと思った。
監督(脚本も)は佐向大。
1971年生まれとまだ若いが、監督歴はずいぶん長いようで、作品もたくさんあるが、ほとんどがマイナーな作品で、私も名前を知らなかった。
しかし、この監督は注目株だと思う。
ふだん日本映画を観ることは少ない私だが、NVC関係の知り合いにクリスチャンが多いこともあって、この映画のことを知った。
「教誨師」とは、刑務所で希望する囚人にボランティアで話を聞いたり、宗教の話を説いたりするボランティアの牧師のことだ。
牧師とはプロテスタントの用語なので、神父とか、ほかにも仏教や他宗教の宗教家がいるのかもしれないが、この映画では牧師役を今年の2月に亡くなったばかりの大杉漣が演じている。
そう、この映画は大杉漣の遺作でもある。
全編をとおして、音楽はまったくない。
そしてほとんどのシーンが室内での教誨師と死刑囚との対話だ。
個性的な死刑囚が何人も出てくる。
それぞれが勝手なことをしゃべったり、沈黙を守ったり、苦しんだり、泣いたりわめいたり、さまざまな表情を見せる。
役者の見せ所ともいえる。
フィクションなのでぼかしてはあるけれど、実際に起こった事件とその容疑者を想定していることがうかがえる。
それぞれの役者がそれぞれの容疑者——その後死刑囚——を演じている。
私は知らなかったのだが、玉置玲央という若い役者が印象的だった。
障害者介護施設での連続殺人事件を想定する語りがつづく。
そこで彼がいう人の命、この現代社会の矛盾、そして死刑制度というものに対する問題提起は、なかなか衝撃的である。
いい役者だと思った。
東京の劇団「柿喰う客」のメンバーらしい。
ほかにも五頭岳夫、古舘寛治、光石研といった印象的な役者が出演しているが、なかでもびっくりしたのが烏丸せつこだった。
汚れ役を見事に演じていて、私はしばらく彼女だと認識できなかった。
そんなことも含めて、一見の価値はある映画だなと思った。
2018年10月24日水曜日
ローカライズ/パーソナライズに突き進んでみるよ
共感的コミュニケーション(NVC)を自然な日本語、日常的な自然言語と身体性で使えるようにしようという、ローカライズとパーソナライズに情熱を持っている私だが、このところその手がかりを多方面からつかみかけていて、ぜひみなさんとシェアしたり、研究したり、練習したいと思っている。
近日のイベントでもそこに焦点を絞った内容にしていきたいとかんがえているので、お付き合いいただける人がいたらありがたいかぎりである。
もうこれは「水城式共感術」でいいよな、といわば開きなおっているわけだが、アプローチはいくつかの面がある。
・音読(朗読)や身体表現に用いた「いまここ」の自分自身に気づき共感していくマインドフルネスのワーク(表現ワーク)。
・編み物など手仕事をしながら平和・安心な場でなんとなくつながりあい、聞き合うワーク(縁側ワーク)。
・文章を書くことで自分に深く気づいたり、相手の文章を共感的に読むことでテキストによるコミュニケーションを深めるワーク(テキストワーク)。
これらを組み合わせれば最強だと感じているし、どれかひとつのアプローチでも共感を身につける実践になると思う。
チャンスがあれば参加してみてほしい。
◎10月28日:共感文章講座@国立春野亭(もしくはオンライン)
メールやLINE、SNSでのテキストコミュニケーションにおいて、共感的コミュニケーション(NVC)の方法をもちいてお互いに尊重をもってつながりあう文章表現を練習するための講座です。
◎10月31日:共感編み物カフェ@国立春野亭(オンライン参加可)
編み物をしながら、お茶を飲みながら、ゆるく共感しあうまるで昭和の家の縁側のような安心できる居心地を提供しています。編み物のほか、なにかやりたいこと、手仕事など各自お持ちください。
◎11月24日:共感音読カフェ@国立春野亭(オンライン参加可)
心身の健康向上・調整・未病・活力向上に力を発揮する音読療法(ボイスセラピー)と、人間関係や自分自身とのつながりの質を作ることに力を発揮する共感的コミュニケーションを組みあわせていいとこ取りをするカフェ形式の勉強会です。
近日のイベントでもそこに焦点を絞った内容にしていきたいとかんがえているので、お付き合いいただける人がいたらありがたいかぎりである。
もうこれは「水城式共感術」でいいよな、といわば開きなおっているわけだが、アプローチはいくつかの面がある。
・音読(朗読)や身体表現に用いた「いまここ」の自分自身に気づき共感していくマインドフルネスのワーク(表現ワーク)。
・編み物など手仕事をしながら平和・安心な場でなんとなくつながりあい、聞き合うワーク(縁側ワーク)。
・文章を書くことで自分に深く気づいたり、相手の文章を共感的に読むことでテキストによるコミュニケーションを深めるワーク(テキストワーク)。
これらを組み合わせれば最強だと感じているし、どれかひとつのアプローチでも共感を身につける実践になると思う。
チャンスがあれば参加してみてほしい。
◎10月28日:共感文章講座@国立春野亭(もしくはオンライン)
メールやLINE、SNSでのテキストコミュニケーションにおいて、共感的コミュニケーション(NVC)の方法をもちいてお互いに尊重をもってつながりあう文章表現を練習するための講座です。
◎10月31日:共感編み物カフェ@国立春野亭(オンライン参加可)
編み物をしながら、お茶を飲みながら、ゆるく共感しあうまるで昭和の家の縁側のような安心できる居心地を提供しています。編み物のほか、なにかやりたいこと、手仕事など各自お持ちください。
◎11月24日:共感音読カフェ@国立春野亭(オンライン参加可)
心身の健康向上・調整・未病・活力向上に力を発揮する音読療法(ボイスセラピー)と、人間関係や自分自身とのつながりの質を作ることに力を発揮する共感的コミュニケーションを組みあわせていいとこ取りをするカフェ形式の勉強会です。
秋は運動、人生の秋も運動は楽しいな
昨夜は韓氏意拳の駒井火曜クラス@昭島スポーツセンターだった。
ある程度の固定メンバーで体系的な稽古を進めていけるのは、ほんとにありがたい。
このような練習の機会を提供していただいている駒井先生には感謝(ご負担も多いだろうと思うのだが)。
メンバーがそろうまで、重さ2キロの麦入りバッグを投げ回したりして、ちょっとした遊びをかねたウォーミングアップ。
子どもにもどったみたいで、たのしー!
参加者のリクエストもあって、初級教程の頭から順次すすめていく。
形体訓練から站椿、そして試力へ。
そのあとは駒井先生が独自で工夫された対人接触をともなう稽古。
韓氏意拳では基本的に対人稽古はやらないのだが、ある程度武術や競技の心得がある人ならいざしらず、人との接触の経験がまったくない人が基本稽古だけやっていても、いざというときには「使えない」だろうという駒井先生の持論があって、その部分には私も同意できる。
というのも、実際に対人稽古をやってみて、そのあとにふたたびひとり稽古で基本の站椿などにもどってみると、自分の「穴」が明確になっていて稽古の要点がはっきりするからだ。
昨夜は受け手の肩口にこちらの肩を接触させて歩法で位を取る稽古と、相手の肘のあたりと首に手をそえて順式から逆式への転体で動く稽古。
とくに後者はおもしろかった。
こちらが充分に「腰をおろし」、状態にはいって転体したとき、相手はこちらの質量によっておもしろいようにゴロンと移動し、なおかつ自分自身も相手の重心移動にともなって前へと進む、という変化がある。
この変化を、もう一度基本の技撃椿にもどって順式、逆式とやってみると、その関係性がはっきりとわかる。
たぶん、ひとり稽古にもどって站椿をおこなったときにも、この対人稽古の感覚は重要になるのだろうと思う。
そんなわけで、今朝は足腰にかなりきていたのだが、がんばって走ってきた。
いつもとおなじくらい走り、ちょっとだけ(ほんの100メートルだが)がんばって距離をのばしてみた。
走りはじめて初めて心拍数が170を超えた。
◎10月29日:国立・韓氏意拳初級講習会
駒井雅和中級教練による国立での韓氏意拳初級講習会を10月29日(月)14時からJR国立駅徒歩5分の会場にて開催します。
◎10月29日:韓氏意拳養生功講習会@国立
JR国立駅徒歩5分の会場にて駒井雅和中級教練による韓氏意拳養生功講習会を10月29日(月)16時から約2時間の開催です。
ある程度の固定メンバーで体系的な稽古を進めていけるのは、ほんとにありがたい。
このような練習の機会を提供していただいている駒井先生には感謝(ご負担も多いだろうと思うのだが)。
メンバーがそろうまで、重さ2キロの麦入りバッグを投げ回したりして、ちょっとした遊びをかねたウォーミングアップ。
子どもにもどったみたいで、たのしー!
参加者のリクエストもあって、初級教程の頭から順次すすめていく。
形体訓練から站椿、そして試力へ。
そのあとは駒井先生が独自で工夫された対人接触をともなう稽古。
韓氏意拳では基本的に対人稽古はやらないのだが、ある程度武術や競技の心得がある人ならいざしらず、人との接触の経験がまったくない人が基本稽古だけやっていても、いざというときには「使えない」だろうという駒井先生の持論があって、その部分には私も同意できる。
というのも、実際に対人稽古をやってみて、そのあとにふたたびひとり稽古で基本の站椿などにもどってみると、自分の「穴」が明確になっていて稽古の要点がはっきりするからだ。
昨夜は受け手の肩口にこちらの肩を接触させて歩法で位を取る稽古と、相手の肘のあたりと首に手をそえて順式から逆式への転体で動く稽古。
とくに後者はおもしろかった。
こちらが充分に「腰をおろし」、状態にはいって転体したとき、相手はこちらの質量によっておもしろいようにゴロンと移動し、なおかつ自分自身も相手の重心移動にともなって前へと進む、という変化がある。
この変化を、もう一度基本の技撃椿にもどって順式、逆式とやってみると、その関係性がはっきりとわかる。
たぶん、ひとり稽古にもどって站椿をおこなったときにも、この対人稽古の感覚は重要になるのだろうと思う。
そんなわけで、今朝は足腰にかなりきていたのだが、がんばって走ってきた。
いつもとおなじくらい走り、ちょっとだけ(ほんの100メートルだが)がんばって距離をのばしてみた。
走りはじめて初めて心拍数が170を超えた。
◎10月29日:国立・韓氏意拳初級講習会
駒井雅和中級教練による国立での韓氏意拳初級講習会を10月29日(月)14時からJR国立駅徒歩5分の会場にて開催します。
◎10月29日:韓氏意拳養生功講習会@国立
JR国立駅徒歩5分の会場にて駒井雅和中級教練による韓氏意拳養生功講習会を10月29日(月)16時から約2時間の開催です。
YouTube:ピアノコンサート@福井県立病院 2018年秋の抜粋
2018年10月10日。
数か月に一度のペースでおこなっている福井県立病院エントランスホールでのボランティア・ピアノコンサートの記録映像の抜粋です。
「里の秋」「紅葉」「赤とんぼ」など、即興変奏で約10曲をお送りしました。
ピアノ演奏:水城雄
映像はこちら。
数か月に一度のペースでおこなっている福井県立病院エントランスホールでのボランティア・ピアノコンサートの記録映像の抜粋です。
「里の秋」「紅葉」「赤とんぼ」など、即興変奏で約10曲をお送りしました。
ピアノ演奏:水城雄
映像はこちら。
2018年10月23日火曜日
幸せな引きこもりの日々と水城式共感術について
先週からしばらく、韓氏意拳の稽古と買い物に出かける以外はほとんど国立の家に引きこもって、映像編集したり、あたらしいガジェットをいじったり、編み物したり、料理したり、映画を見たり、しんなりとひとりの楽しい時間をすごしていた。
いまは輪針で腹巻帽子を編んでいて、これはひどく時間がかかる。
いま編みはじめて4日めくらいだが、まだ15センチくらいしか編めていない。
全部で52センチ必要なのだ。
もちろん、ずっと編みつづけているわけでなく、なにかをする合間にちょこちょこと針を持つ。
それでも、しつこく編みつづけていると、だんだん上手になっていくのがわかる。
あまりにも進まないので、昨日は立川のユザワヤに行って、おなじオパール毛糸のすこし太めのものを買ってきた。
ふつうのオパール毛糸は4本ヨリだが、これは6本ヨリ。
こっちのほうがなんとなく暖かそうな感じがする。
いま編んでいる腹巻帽子を仕上げてから6本ヨリのものを編みはじめようか、それともすぐに編みはじめようか、迷っているところ。
引きこもってはいるが、振り返ってみると、土曜日にはゼミ生のゆきこさんと朗読収録をしたし、午後には共感音読カフェを開催した。
共感的コミュニケーション、すなわちNVC(=Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)を知ってまだ日が浅い方の参加が多かったのだが、みなさんと話していて確信したのは、こういうことだ。
私がこのところ情熱を持っているのは、NVCを教えることではなく、NVCを日本語や日本の社会風土や個々人にローカライズ/パーソナライズすることなんだ、ということ。
そしてそれもまた、私自身の固有の経験にもとづく、いわば「水城式共感術」とでもいうようなものであり、それを伝えたり、いっしょに練習したりしたいのだ、ということ。
おまえがやっているのはもはやNVCではないよ、といわれてもしかたがないかもしれないと思う。
しかし、NVCがめざす世界と私が大事にしていることが一致しているという体感はあるので、水城式でいいではないか、とここ何日か引きこもりながらかんがえていることである。
◎10月28日:共感文章講座@国立春野亭(もしくはオンライン)
メールやLINE、SNSでのテキストコミュニケーションにおいて、共感的コミュニケーション(NVC)の方法をもちいてお互いに尊重をもってつながりあう文章表現を練習するための講座です。
いまは輪針で腹巻帽子を編んでいて、これはひどく時間がかかる。
いま編みはじめて4日めくらいだが、まだ15センチくらいしか編めていない。
全部で52センチ必要なのだ。
もちろん、ずっと編みつづけているわけでなく、なにかをする合間にちょこちょこと針を持つ。
それでも、しつこく編みつづけていると、だんだん上手になっていくのがわかる。
あまりにも進まないので、昨日は立川のユザワヤに行って、おなじオパール毛糸のすこし太めのものを買ってきた。
ふつうのオパール毛糸は4本ヨリだが、これは6本ヨリ。
こっちのほうがなんとなく暖かそうな感じがする。
いま編んでいる腹巻帽子を仕上げてから6本ヨリのものを編みはじめようか、それともすぐに編みはじめようか、迷っているところ。
引きこもってはいるが、振り返ってみると、土曜日にはゼミ生のゆきこさんと朗読収録をしたし、午後には共感音読カフェを開催した。
共感的コミュニケーション、すなわちNVC(=Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)を知ってまだ日が浅い方の参加が多かったのだが、みなさんと話していて確信したのは、こういうことだ。
私がこのところ情熱を持っているのは、NVCを教えることではなく、NVCを日本語や日本の社会風土や個々人にローカライズ/パーソナライズすることなんだ、ということ。
そしてそれもまた、私自身の固有の経験にもとづく、いわば「水城式共感術」とでもいうようなものであり、それを伝えたり、いっしょに練習したりしたいのだ、ということ。
おまえがやっているのはもはやNVCではないよ、といわれてもしかたがないかもしれないと思う。
しかし、NVCがめざす世界と私が大事にしていることが一致しているという体感はあるので、水城式でいいではないか、とここ何日か引きこもりながらかんがえていることである。
◎10月28日:共感文章講座@国立春野亭(もしくはオンライン)
メールやLINE、SNSでのテキストコミュニケーションにおいて、共感的コミュニケーション(NVC)の方法をもちいてお互いに尊重をもってつながりあう文章表現を練習するための講座です。
2018年10月22日月曜日
YouTube:菅原稔作「音が聴こえなかった愛犬ジュディ」朗読・勝木雪子
生まれつき音が聴こえない犬・ジュディとの、フリスビーでの遊びや競技会出場を通しての交流で気づいた多くのことを、みずからも病を得た菅原稔さんがフェイスブックに発表した文章を、現代朗読ゼミ生の勝木雪子が朗読作品にすることを希望し、収録しました。
作:菅原稔
朗読:勝木雪子
ピアノ演奏/演出:水城雄
映像はこちら。
作:菅原稔
朗読:勝木雪子
ピアノ演奏/演出:水城雄
映像はこちら。
2018年10月21日日曜日
書く人、読む人、編集する人、本を作る人、大募集
チャリティーバザールから返ってきたエコアンダリアの手編み帽子。
子ども用もしくは頭囲の小さな女性用、ほしい方おられれば差し上げます。
梅村マルティナさんの腹巻帽子を輪針で編んでいる。
糸が細いのでなかなかはかどらない。
が、棒針もだいぶ慣れてきた。
かぎ針に比べてけっこう雑に編んでも目がそろうことがわかってきた。
かぎ針より棒針のほうが入門向けというのが納得だが、なぜか私はかぎ針からはじめてなかなか棒針になじめずにいた。
やっと克服できるかな。
今日はそんなことをしながら、NPO法人関連の書類作りやら、揚げ物やらやりましょう。
外はいい天気なので、あとでちょっと散歩に出よう。
夜は身体文章塾。
なにか作品を書いていないと参加できないように思いこんでいる人がいるみたいだが、そんなことはない。
読むだけの人も歓迎。
読んでくれる人もいなければ作品を書いてもはりあいがない。
また身体文章塾では機関誌『HiYoMeKi』の編集を手伝ってくれる人も募集中。
◎10月21日:身体文章塾
テキストで自分自身を伝えるために、自身の身体性とむすびついたことばや文体についてのさまざまな試みをおこなっています。10月の開催は21(日)/28(日)、いずれも19時から約1時間半程度です。
子ども用もしくは頭囲の小さな女性用、ほしい方おられれば差し上げます。
梅村マルティナさんの腹巻帽子を輪針で編んでいる。
糸が細いのでなかなかはかどらない。
が、棒針もだいぶ慣れてきた。
かぎ針に比べてけっこう雑に編んでも目がそろうことがわかってきた。
かぎ針より棒針のほうが入門向けというのが納得だが、なぜか私はかぎ針からはじめてなかなか棒針になじめずにいた。
やっと克服できるかな。
今日はそんなことをしながら、NPO法人関連の書類作りやら、揚げ物やらやりましょう。
外はいい天気なので、あとでちょっと散歩に出よう。
夜は身体文章塾。
なにか作品を書いていないと参加できないように思いこんでいる人がいるみたいだが、そんなことはない。
読むだけの人も歓迎。
読んでくれる人もいなければ作品を書いてもはりあいがない。
また身体文章塾では機関誌『HiYoMeKi』の編集を手伝ってくれる人も募集中。
◎10月21日:身体文章塾
テキストで自分自身を伝えるために、自身の身体性とむすびついたことばや文体についてのさまざまな試みをおこなっています。10月の開催は21(日)/28(日)、いずれも19時から約1時間半程度です。
2018年10月20日土曜日
朗読の収録、共感入門者たちとの交流、課題山積の撃研
今日は濃い一日だった。
午前中、ゼミ生のゆきこさんが来て、ある事情から収録を急ぐことになった作品の朗読(と即興ピアノでの共演)を収録。
ゆきこさん、ものすごくがんばった。
明日には編集を仕上げてしまいたい。
ゆきこさんに預けてあった「リレー・フォー・ライフ・ジャパン」のチャリティーイベント用の帽子の残ったやつが返ってきた。
いくつか売れたとのことで、微力ではあるけれど協力できたことがうれしい。
お花をいただいた。
かわいいブーケで、心使いがありがたい。
収録後、〈パスタ・ファクトリー〉でランチ。
この店は3回めだが、まだ試していなかったミートソースをいただいてみる。
なかなかおいしかった。
午後は共感音読カフェ。
今日はオンラインで参加したひろこさん以外、全員が共感的コミュニケーション(NVC)に接してまだ月日がみじかい入門者の人ばかり。
私の勉強会でこういうパターンは、最近ではめずらしい。
とはいえ、「教える」とか「解説する」とかはやりたくないので、みなさんの話を聞いたり、私の経験を伝えたり。
リクエストで「朗読してみたい」というのがあったので、会の終わりのほうでマーシャルの本に載っている詩の一部をみんなで音読してみる。
詩の意味ではなく、それを読んでいる自分自身を繊細にとらえることを試みてもらったのだが、短時間でうまく意図が伝わったかどうかは疑問。
参加してくれた皆さんには感謝だけれど、私ではいたらないNVCについての講義やプラクティスについては、ぜひともほかの講座やワークショップに行ってみてほしい。
とくに日本人トレーナーが何人も誕生しているので、その人たちのワークに参加してみることをおすすめする。
その上でまた私の(主流からはずれているかもしれない)場が必要だと感じた方がいたとしたら、うれしいことではある。
今日参加してくれた方のひとりがクロモジの枝を持ってきて、それでお茶をいれてくれた。
初めて飲んだが、おいしかった。
山の仕事のおこぼれをいただくことができた。ありがとう。
夜は韓氏意拳の駒井先生による「技撃研究会」に参加するため、昭島スポーツセンターに行く。
韓氏意拳の稽古体系にはない対人稽古をおこなう。
毎度のことだが、自分の課題が山のように噴出して、いやになってしまうことを通りこして笑ってしまう。
しかも、以前からわかっている課題がまったく克服できていない自分がいて、落ちこむ。
が、いやになること、落ちこんでしまうことは、自分自身になにが必要なのかを教えてくれているはずと思いなおし、そのための自主稽古を自分なりに組みたててやってみるしかない。
女性も参加していて、ちょっと痛い思いをさせてしまったのも、ほんと申し訳ない。
午前中、ゼミ生のゆきこさんが来て、ある事情から収録を急ぐことになった作品の朗読(と即興ピアノでの共演)を収録。
ゆきこさん、ものすごくがんばった。
明日には編集を仕上げてしまいたい。
ゆきこさんに預けてあった「リレー・フォー・ライフ・ジャパン」のチャリティーイベント用の帽子の残ったやつが返ってきた。
いくつか売れたとのことで、微力ではあるけれど協力できたことがうれしい。
お花をいただいた。
かわいいブーケで、心使いがありがたい。
収録後、〈パスタ・ファクトリー〉でランチ。
この店は3回めだが、まだ試していなかったミートソースをいただいてみる。
なかなかおいしかった。
午後は共感音読カフェ。
今日はオンラインで参加したひろこさん以外、全員が共感的コミュニケーション(NVC)に接してまだ月日がみじかい入門者の人ばかり。
私の勉強会でこういうパターンは、最近ではめずらしい。
とはいえ、「教える」とか「解説する」とかはやりたくないので、みなさんの話を聞いたり、私の経験を伝えたり。
リクエストで「朗読してみたい」というのがあったので、会の終わりのほうでマーシャルの本に載っている詩の一部をみんなで音読してみる。
詩の意味ではなく、それを読んでいる自分自身を繊細にとらえることを試みてもらったのだが、短時間でうまく意図が伝わったかどうかは疑問。
参加してくれた皆さんには感謝だけれど、私ではいたらないNVCについての講義やプラクティスについては、ぜひともほかの講座やワークショップに行ってみてほしい。
とくに日本人トレーナーが何人も誕生しているので、その人たちのワークに参加してみることをおすすめする。
その上でまた私の(主流からはずれているかもしれない)場が必要だと感じた方がいたとしたら、うれしいことではある。
今日参加してくれた方のひとりがクロモジの枝を持ってきて、それでお茶をいれてくれた。
初めて飲んだが、おいしかった。
山の仕事のおこぼれをいただくことができた。ありがとう。
夜は韓氏意拳の駒井先生による「技撃研究会」に参加するため、昭島スポーツセンターに行く。
韓氏意拳の稽古体系にはない対人稽古をおこなう。
毎度のことだが、自分の課題が山のように噴出して、いやになってしまうことを通りこして笑ってしまう。
しかも、以前からわかっている課題がまったく克服できていない自分がいて、落ちこむ。
が、いやになること、落ちこんでしまうことは、自分自身になにが必要なのかを教えてくれているはずと思いなおし、そのための自主稽古を自分なりに組みたててやってみるしかない。
女性も参加していて、ちょっと痛い思いをさせてしまったのも、ほんと申し訳ない。
映画「ジェーン・ドウの解剖」
2017年公開のイギリス映画。
監督はアンドレ・ウーブレダル。
知らない。
いやー、びっくりした。
なんか息抜きに観るおもしろそうな映画がないかなと思って、NETFLIXで、全部観るつもりじゃなくて出だしのところだけブラウジング的にちょいちょいとつまみ見していたところ、これに出くわした。
つまみ見が上手になってくると、出だしの数分を見ればそれが自分にとってよい映画なのかどうか、すぐにわかる。
これは最初の1分で「あたり」だと思った。
一家が殺戮された凄惨な殺人現場の地下室から見つかった、まったく損傷のないきれいな遺体。
主役の親子は、その遺体を扱うことになった検死官で、そこはなぜか遺体安置所と火葬場にもなっている(イギリスではそういうシステムなのか?)。
「名無しの権兵衛」を女性にして英語でいうと「ジェーン・ドウ」になるらしいが、身元不明のその遺体をふたりが解剖していく。
非常にリアルで、血とか内臓とか皮膚を切り裂くシーンとか、その手のものが苦手な人はまず見ないほうがいい。
あと、これは声を大にしていっておこう。
気の弱い人はけっしてひとりで見ないでください。
私はうっかりひとりで見はじめてしまって、途中で目を離せなくなって、そしてひさしぶりに、
「肝を冷やした」
たいていのホラーとかサスペンスとかスプラッタなものも含めてたくさん観てきたけれど、この「ジェーン・ドウ」はひさしぶりに心底こわかった。
はじめて「エクソシスト」を観たときのこわさにちょっと似ているけれど、あれをもっと知的に、リアルに、そしてオカルト色を慎重に抑えて丁寧にした感じで、その分心理的な恐怖が増幅される。
いっておくけれど、前半はとくに、遺体を解剖するだけの映画なのだ。
ところが、不可解な事実がつぎつぎと明るみになっていって、気がついたら怖ろしい仕掛けに観客は巻きこまれる。
難をいえば、後半がややサービス過剰でわかりやすく作ってあり、興行的にはそれが必要なのかもしれないが、押さえた筆致の前半とのバランスがやや悪いように感じられる。
「大変気持ち悪い映画だが、私の好きな映画の一本に入れてもいいな」
という気分になっている。
前半を観て、ひとりで観るのはとても怖ろしくて中断してしまったのだが、結局気になって、あとで最後まで観てしまった。
今夜はきっと、夢をみる。
監督はアンドレ・ウーブレダル。
知らない。
いやー、びっくりした。
なんか息抜きに観るおもしろそうな映画がないかなと思って、NETFLIXで、全部観るつもりじゃなくて出だしのところだけブラウジング的にちょいちょいとつまみ見していたところ、これに出くわした。
つまみ見が上手になってくると、出だしの数分を見ればそれが自分にとってよい映画なのかどうか、すぐにわかる。
これは最初の1分で「あたり」だと思った。
一家が殺戮された凄惨な殺人現場の地下室から見つかった、まったく損傷のないきれいな遺体。
主役の親子は、その遺体を扱うことになった検死官で、そこはなぜか遺体安置所と火葬場にもなっている(イギリスではそういうシステムなのか?)。
「名無しの権兵衛」を女性にして英語でいうと「ジェーン・ドウ」になるらしいが、身元不明のその遺体をふたりが解剖していく。
非常にリアルで、血とか内臓とか皮膚を切り裂くシーンとか、その手のものが苦手な人はまず見ないほうがいい。
あと、これは声を大にしていっておこう。
気の弱い人はけっしてひとりで見ないでください。
私はうっかりひとりで見はじめてしまって、途中で目を離せなくなって、そしてひさしぶりに、
「肝を冷やした」
たいていのホラーとかサスペンスとかスプラッタなものも含めてたくさん観てきたけれど、この「ジェーン・ドウ」はひさしぶりに心底こわかった。
はじめて「エクソシスト」を観たときのこわさにちょっと似ているけれど、あれをもっと知的に、リアルに、そしてオカルト色を慎重に抑えて丁寧にした感じで、その分心理的な恐怖が増幅される。
いっておくけれど、前半はとくに、遺体を解剖するだけの映画なのだ。
ところが、不可解な事実がつぎつぎと明るみになっていって、気がついたら怖ろしい仕掛けに観客は巻きこまれる。
難をいえば、後半がややサービス過剰でわかりやすく作ってあり、興行的にはそれが必要なのかもしれないが、押さえた筆致の前半とのバランスがやや悪いように感じられる。
「大変気持ち悪い映画だが、私の好きな映画の一本に入れてもいいな」
という気分になっている。
前半を観て、ひとりで観るのはとても怖ろしくて中断してしまったのだが、結局気になって、あとで最後まで観てしまった。
今夜はきっと、夢をみる。
2018年10月19日金曜日
高橋透先生の治療会で自分の全体性を実感する
山形の韓氏意拳教練・高橋透先生が昭島K-Studio(駒井先生宅)で隔月におこなっている治療会に行ってきた。
実は高橋先生の知り合いからどんぐり帽子を頼まれて、それが編みあがったのでお届けがてらだったが、うまいぐあいに時間があいていたので、治療の予約もいれたのだ。
私は約20年前の膝の骨折、そのリハビリの失敗から、つい数年前まで杖を離せない生活だった。
ここしばらく、どんどん回復してきていて、まだ膝を完全に折り曲げることはできないまでも、日常生活にはほとんど支障がないほどになっている。
が、その影響は知らないあいだに身体の別の場所にあらわれていて、たとえば肘が痛い。
とくに左肘。
もう2年くらい故障がつづいている。
前回も指摘されたのだが、肘の具合が悪いというのは、肘が悪いのではなく、身体の他の部分からの影響が多分にある。
他の「部分」というより、全体のバランスといったほうがいいだろうか。
高橋先生の治療を受け、実際に説明をされながらあちこち動かしてみると、たとえば肘だけでなく腕全体が、そして肋骨や肩甲骨や背骨、骨盤の動きがおかしかったりする。
当然、膝も影響している。
膝の違和感のせいで左右の脚のバランスがおかしくなっていたり、足首が片方だけ硬かったりする。
それが影響して、横隔膜の左右の動きがちがっていたり、肩が硬かったり、肘に故障となって出たりしている。
実際に説明してもらいながら動かしてもらうと、そういう全体の関係性がよくわかる。
西洋医学的、整形外科的局所治療がいかに不自然かということが、自分の身体を通して実感される。
帽子のお礼にと、山形銘菓をおみやげにいただいた。
材料費もいただいたのに、お心遣いがうれしい。
実は高橋先生の知り合いからどんぐり帽子を頼まれて、それが編みあがったのでお届けがてらだったが、うまいぐあいに時間があいていたので、治療の予約もいれたのだ。
私は約20年前の膝の骨折、そのリハビリの失敗から、つい数年前まで杖を離せない生活だった。
ここしばらく、どんどん回復してきていて、まだ膝を完全に折り曲げることはできないまでも、日常生活にはほとんど支障がないほどになっている。
が、その影響は知らないあいだに身体の別の場所にあらわれていて、たとえば肘が痛い。
とくに左肘。
もう2年くらい故障がつづいている。
前回も指摘されたのだが、肘の具合が悪いというのは、肘が悪いのではなく、身体の他の部分からの影響が多分にある。
他の「部分」というより、全体のバランスといったほうがいいだろうか。
高橋先生の治療を受け、実際に説明をされながらあちこち動かしてみると、たとえば肘だけでなく腕全体が、そして肋骨や肩甲骨や背骨、骨盤の動きがおかしかったりする。
当然、膝も影響している。
膝の違和感のせいで左右の脚のバランスがおかしくなっていたり、足首が片方だけ硬かったりする。
それが影響して、横隔膜の左右の動きがちがっていたり、肩が硬かったり、肘に故障となって出たりしている。
実際に説明してもらいながら動かしてもらうと、そういう全体の関係性がよくわかる。
西洋医学的、整形外科的局所治療がいかに不自然かということが、自分の身体を通して実感される。
帽子のお礼にと、山形銘菓をおみやげにいただいた。
材料費もいただいたのに、お心遣いがうれしい。
水城雄がおこなっている個人セッションについて
このところ、個人セッションの申し込みが増えています。
対面でもオンラインでも、気軽にご利用ください。
ひとコマ30分単位(5,000円)ですが、延長や金額については直接ご相談ください。
セッション受付可能な日時は、こちらから確認できます(申し込みも)。
対面の場合は国立までおいでいただくか、ご指定の場所まで出向します(相応の移動経費をお願いすることがあります)。
オンラインはzoomというネットミーティングシステムを利用しますが、PC以外にもスマホやタブレットにも対応しています。
水城雄の個人セッションは以下のような内容に対応しています。
・共感的コミュニケーション
共感を必要とする人間関係のトラブルの解決の糸口をともに見つけたり、個人的な悩みを共感的にお聞きします。また、共感的コミュニケーション(NVC)そのものの深い学びのお手伝いもします。
・ボイスコーチング
自分の声に自信がない、嫌いだ、ひと前で話すときに緊張する、怖れがある、声が小さかったり話し方が不明瞭でよく聞き返される、など、声や話し方の悩みについて、身体の使い方も含めた全体性を見る独自の方法でコーチします。
・表現レッスン
長年の朗読表現や身体表現とのコラボ、音読レッスンなどでつちかってきた独自の「その人本来のオリジナリティやポテンシャルを引き出す」表現レッスンをおこなっています。こうしなさい、こうしてはいけない、ではなく、どうしたいのかをいっしょに発見する共感的レッスンです。
くわしくはこちらをご覧ください。
対面でもオンラインでも、気軽にご利用ください。
ひとコマ30分単位(5,000円)ですが、延長や金額については直接ご相談ください。
セッション受付可能な日時は、こちらから確認できます(申し込みも)。
対面の場合は国立までおいでいただくか、ご指定の場所まで出向します(相応の移動経費をお願いすることがあります)。
オンラインはzoomというネットミーティングシステムを利用しますが、PC以外にもスマホやタブレットにも対応しています。
水城雄の個人セッションは以下のような内容に対応しています。
・共感的コミュニケーション
共感を必要とする人間関係のトラブルの解決の糸口をともに見つけたり、個人的な悩みを共感的にお聞きします。また、共感的コミュニケーション(NVC)そのものの深い学びのお手伝いもします。
・ボイスコーチング
自分の声に自信がない、嫌いだ、ひと前で話すときに緊張する、怖れがある、声が小さかったり話し方が不明瞭でよく聞き返される、など、声や話し方の悩みについて、身体の使い方も含めた全体性を見る独自の方法でコーチします。
・表現レッスン
長年の朗読表現や身体表現とのコラボ、音読レッスンなどでつちかってきた独自の「その人本来のオリジナリティやポテンシャルを引き出す」表現レッスンをおこなっています。こうしなさい、こうしてはいけない、ではなく、どうしたいのかをいっしょに発見する共感的レッスンです。
くわしくはこちらをご覧ください。
2018年10月18日木曜日
ダンスと朗読との臨時公演、サヤ佳ちゃん知立市の新人賞受賞が決まる
急きょ決まったイベントのお知らせリーク。
オーストラリア在住の矢澤実穂さんが一時帰国するタイミングで、実穂さんのダンス、野々宮卯妙の朗読、私のピアノという、いまやなじみの組み合わせともなった3人で、1回きりの臨時の公演をおこなう。
11月3日の午後か夜。
会場はたぶん、国立のどこか。
詳細は追ってお知らせします。
語人・サヤ佳ちゃんのお母さんから電話があった。
何年か前から、いっしょに年末の知立演劇フェスティバルに出演していたが、その縁で知立市の文化協議会から「新人賞」をサヤ佳ちゃんがいただくことが決まったらしい。
詳細については不明だが、とにかくおめでとう!
いっしょに活動してきた私もうれしいよ。
写真は昨日の国立散歩で、道端に咲いていた秋の花。
ホトトギスとナンテンハギ。
秋は紫の花が多いな。
そういえば、日本みつばちも紫色の花粉を巣箱に運びこんでいた。
オーストラリア在住の矢澤実穂さんが一時帰国するタイミングで、実穂さんのダンス、野々宮卯妙の朗読、私のピアノという、いまやなじみの組み合わせともなった3人で、1回きりの臨時の公演をおこなう。
11月3日の午後か夜。
会場はたぶん、国立のどこか。
詳細は追ってお知らせします。
語人・サヤ佳ちゃんのお母さんから電話があった。
何年か前から、いっしょに年末の知立演劇フェスティバルに出演していたが、その縁で知立市の文化協議会から「新人賞」をサヤ佳ちゃんがいただくことが決まったらしい。
詳細については不明だが、とにかくおめでとう!
いっしょに活動してきた私もうれしいよ。
写真は昨日の国立散歩で、道端に咲いていた秋の花。
ホトトギスとナンテンハギ。
秋は紫の花が多いな。
そういえば、日本みつばちも紫色の花粉を巣箱に運びこんでいた。
国立での定期開催現代朗読ゼミ、終了します
2006年3月にNPO法人として許認可された現代朗読協会だが、その活動の中心は「ゼミ」という形で継続してきた。
多いときには週に5、6回くらいのペースで盛んに開催し、またそのゼミでおこなっている現代朗読のエチュードがそのままステージになって、ライブや公演を頻繁におこなった時期もあった。
世田谷の豪徳寺で生まれた現代朗読協会は、羽根木の古民家に拠点を移し、その時期がもっとも活動が活発だった。
古民家の定期借家契約が終了し、拠点が国立市に移って以来、従来のメンバーは参加しにくくなり、また新天地での参加者もあまり増えないまま、細々と活動を継続してきたというのが実情だ。
まだまだやりたいこともあるし、またその形も私のなかでは具体的なものがあるので、現代朗読そのものがなくなるわけではないが、団体主宰としての私の役目はそろそろ収束に向かってもいいかなという思いがこのところ強まってきていた。
ゼミをなんとか継続できないかとかんがえていたが、私も時間的・経済的リソースに余裕がなくなり、心残りではあるが、定期開催のゼミはここで終わることにした。
現代朗読という思想とノウハウは消えてしまうわけではなく、今後もライブを含め活動は継続していくつもりだ。
現代朗読について学びたい、演出を受けたい、私と共演したいという人がいたら、もちろん大歓迎だ。
ゼミはなくなるが、レッスンは引きつづき受けつけているので、いつでもいらしていただきたい。
ゼミを通してこれまでお世話になった多くの方々に、心から感謝を申しあげたい。
ありがとう。
多いときには週に5、6回くらいのペースで盛んに開催し、またそのゼミでおこなっている現代朗読のエチュードがそのままステージになって、ライブや公演を頻繁におこなった時期もあった。
世田谷の豪徳寺で生まれた現代朗読協会は、羽根木の古民家に拠点を移し、その時期がもっとも活動が活発だった。
古民家の定期借家契約が終了し、拠点が国立市に移って以来、従来のメンバーは参加しにくくなり、また新天地での参加者もあまり増えないまま、細々と活動を継続してきたというのが実情だ。
まだまだやりたいこともあるし、またその形も私のなかでは具体的なものがあるので、現代朗読そのものがなくなるわけではないが、団体主宰としての私の役目はそろそろ収束に向かってもいいかなという思いがこのところ強まってきていた。
ゼミをなんとか継続できないかとかんがえていたが、私も時間的・経済的リソースに余裕がなくなり、心残りではあるが、定期開催のゼミはここで終わることにした。
現代朗読という思想とノウハウは消えてしまうわけではなく、今後もライブを含め活動は継続していくつもりだ。
現代朗読について学びたい、演出を受けたい、私と共演したいという人がいたら、もちろん大歓迎だ。
ゼミはなくなるが、レッスンは引きつづき受けつけているので、いつでもいらしていただきたい。
ゼミを通してこれまでお世話になった多くの方々に、心から感謝を申しあげたい。
ありがとう。
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