2017年11月30日木曜日

メールやSNSメッセージで共感は可能か

しばしば標題のような質問を受ける。

しばらく前までは、言下に、
「無理です」
と断定していた。
人と人のコミュニケーションというものは、表面的に交わされている「ことば」など言語情報のほかに、表情や反応、姿勢、息遣い、視線、声のトーンやリズムといった、非常にリッチな情報を交換していて、しかもそれらのほとんどは無意識のうちに処理されている。
それに比べ、メールやメッセージなどによるテキストコミュニケーションは、リッチな情報がほとんど抜け落ちた、言語情報のみによるかなり貧相(プア)な交流といわざるをえない。

共感的コミュニケーションにおける人と人の共感のやりとりは、無意識下の処理を含むリッチな交流で、とてもテキストの交換のみでおこなえるようなものではない、たいていは失敗する、というのが、容易に想像できることだし、また経験的にもそういえる。
実際にメールでやりとりして、こちらの意図がまったく伝わらなかったり、思いもよらない反応が相手から返ってきて、絶望的な気分になった経験を持っている人は多いのではないだろうか。
だから、テキストで共感はできない、といわれているし、私もそう思っていた。

でも、ちょっと待て。
本当にそうなのだろうか。

私は子どものころから本が好きで、さまざまな本をたくさん読んできた。
北陸の山間部という田舎に生まれ育ったので、世界を知るには本は貴重な情報源だった。
その読書体験――テキスト体験を振り返って、それがプアな体験だったとはとうてい思えない。
むしろ非常にリッチな時間だったと、いまでも感じている。
子どものころのテキスト体験がなかったら、いまの私はいまとはまったく別の人間になっていただろう。
そのことはあまり想像したくない。

ことばだけのテキスト情報は、たしかにそれ以外のリッチな情報が抜けおちているが、だからといって読む者に豊かな経験や感覚を喚起させないとはいえない。
ようするに、どう書くか、どう読むか、ということなのではないだろうか。

最初からテキストだけのやりとりでは共感はむずかしい、とあきらめてしまうのではなく、テキストの可能性を共感的コミュニケーションの観点から洗いなおすことで、あらたなコミュニケーションが見えてくるかもしれない、と私は希望を持っている。
というのも、最近の共感文章講座でおこなっているいくつかのワークで、テキストを用いた共感交流の可能性が見えてきたからだ。

だれかが書いた文章を読むとき、私たちはついつい、そこに「なにが」書かれているかを読みとろうとする。
そこに書かれている「情報」に注目する。
そういうふうに読む習性が身についているからだ。
その習性はおそらく、教育や社会性のなかで成長とともに訓練して、あるいは強制されて身につけてきたものだろう。

いったんその習性を手放し、「なにが」書かれているか、ではなく、「どう」書かれているかに注目して文章を読んだときに見えてくるものはどういうものだろうか。
実際にワークで経験したことだが、だれかが書いた文章にはさまざまな感情やニーズが込められている。
それが意識的に書かれていることもあれば、ほとんどの場合は書き手も無意識に書いていることが多い。
しかし、それは文章からある程度読み取ることができる。

人が話したり行動したりするとき、そこには豊かな感情があらわれ、またその奥にはニーズが息づいているように、書かれた文章のなかには感情がこめられ、それはさまざまなニーズにもとづいている。
それを受けとり、フィードバックを返していくことで、これまでとは異なったテキストコミュニケーションができるかもしれない。

また、自分が書くときにもそのことを意識する。
自分のニーズや感情をつかまえ、そこから離れないままなにかを書くとき、それはどんな文章表現になるだろうか。
このことは、実はある程度実験ずみだ。
そこに大きな可能性と楽しさがあることは、すでに実証ずみだ。
そこで起こっていることを、もうすこし整理し、系統だてて説明したり、だれもが練習できるようにしてみたいと、私はいまかんがえているところだ。

◎12月3日:自己共感を用いた文章表現WS
水城ゆう( mizuki-u.com )が長年つちかってきた文章術、指導法に加えて、共感的コミュニケーションにもとづいた共感のプロセスも取りいれたユニークな方法を練習します。オンライン参加も可。

YouTube:ことばではなく自然な態度が共感をもたらす

だれかに共感するとき、どのように聴けばいいのか、相槌はどうすればいいのか、どのような質問がふさわしいのか、どんなことをいってもいいのか、あるいはいってはいけないのか、など、コミュニケーション・スキルとしてテクニックを気にする人がいます。
しかし、もしそれらを身につけたとしても、残念ながらあまり役に立ちません。
本当に役に立つのは、相手に興味を持つ、相手のニーズに目を向け尊重する、相手を思いやる、その「態度」もしくは「姿勢」そのものです。
それがこちらにあるとき、どのようなことばを使っても相手につながることができます。

岐阜各務原のカフェ〈花寧香〉で開催した共感カフェで水城が話したことを、抜粋して紹介します。

映像はこちら。

2017年11月29日水曜日

YouTube:共感とは自分につながるお手伝いをすること

共感的コミュニケーションの解説をしながら、感情とニーズに注目することで相手につながる実践をおこなっている記録映像です。
「共感する」という行為は、話を聴いている相手が自分のニーズに気づき、自分自身につながるお手伝いをすることだ、ということがわかるかと思います。

岐阜各務原のカフェ〈花寧香〉で開催した共感カフェで水城が話したことを、抜粋して紹介します。

映像はこちら。

2017年11月28日火曜日

YouTube:自分の喜びから人の役に立つことの重要性

だれかの役に立ちたい、貢献したい、という気持ちはだれにでもあるものですが、それが勝ちすぎると相手にもプレッシャーを与えてしまいます。
自分が喜びをもって貢献したいと思っているとき、相手は「ありがとう」という気持ちになりますが、そうではなく「やらなきゃ」と思って無理をしているときは、相手は「申し訳ない」という気持ちにさせられてしまいます。

岐阜各務原のカフェ〈花寧香〉で開催した共感カフェで水城が話したことを、抜粋して紹介します。

映像はこちら。

2017年11月27日月曜日

進化した(NVC)共感文章講座

すでに何度か開催しているけれど、「自己共感を用いた文章表現」のワークショップが、最近、とてもいい感じに進化してきた感がある。
とくに先日の名古屋天白区〈アロマファン〉で開催したワークショップでは、参加してくれたみなさんの協力と集中力に助けられて、長年文章講座をおこなってきた私にとっても、いくつもの大きな気づきと進展があって、びっくりした。

かつては文章表現のテクニカルな面ばかりに注目し、それはそれでユニークな内容だったと思うけれど、ここ何年かは身体感覚からもたらされるオリジナリティやその独自性に注目した内容にシフトしてきていた。
それがいまも月に3回のペースで開催している「身体文章塾」だ。

この身体文章塾の入口として単発で開催しているのが、自己共感を用いた文章表現のワークショップだ。
この「自己共感」ということば(=行為)は共感的コミュニケーションから来ているもので、いまこの瞬間の自分自身の「ニーズ」を理解し、それを把握しつづることで、いきいきした行動や身体感覚が表現にもたらされる。

これは、フレッシュな身体感覚を注目するときに有効であるマインドフルネスと密接な関係があって、私がここ十数年おこなってきたマインドフルネス、自己共感、それらによってもたらされる予見不能のオリジナリティを見るためには欠かせない。

身体感覚の側面からアプローチしてきたテキスト表現のオリジナリティだが、ここ何回かは意識的に自己共感のプロセスを取りいれることを試みていた。
なにげなく書かれた文章のなかに、どんなニーズが隠されているのか、自分が書いたものであれ他人が書いたものであれ、そこに注目して読んでみる。
すると、書かれているありふれた表現や言葉遣いのなかに、じつは豊かな感情やニーズが潜んでいたり、あるいはそれを伝えようという試みがあることに気づく。

それを「逆順」にしてテキスト表現にアプローチしてみる。
なにか書こうとしたとき、自分はいったいなんのニーズがあり、またそのときどんな感情があり、身体感覚があったのか。
それをつかまえ、そこから注目をそらさないまま、文章を書いてみるのだ。
ただし、人に読んでもらう文章である以上、言葉・テキストという記号を用いて「伝わる」ことを考慮しなければならない。
その最後の部分では、ある程度テクニカルな配慮が必要になってくる。

このようなプロセスで、先日のアロマファンでのワークショップでも、6時間にわたってみっちりとみなさんにテキスト表現に向き合ってもらったのだが、最後には私にとっても感動的な作品がいくつも完成して、ほんとうに驚かされた。

◎12月3日:自己共感を用いた文章表現WS
水城ゆう( mizuki-u.com )が長年つちかってきた文章術、指導法に加えて、共感的コミュニケーションにもとづいた共感のプロセスも取りいれたユニークな方法を練習します。オンライン参加も可。

2017年11月26日日曜日

YouTube:相手のニーズを聴くための質問のコツ

「あなたのニーズはなんですか?」
というオープンな質問はうまくいきません。
なぜなら、人はなにか聴かれると「答えなきゃ」という無意識が働くことがあって、ついあせってよくかんがえないまま答えてしまうことがあるからです。
共感的に聴くには、具体的に「あなたのニーズは○○ですか?」と、イエス/ノーで答えられる質問をすることがコツです。

岐阜各務原のカフェ〈花寧香〉で開催した共感カフェで水城が話したことを、抜粋して紹介します。

映像はこちら。

2017年11月25日土曜日

YouTube: お金を浪費する人のニーズは?

高価なものを無計画に衝動買いしてしまう、いらないものを次々と買いこんでしまう、パチンコなどギャンブルに浪費してしまう、など、お金を浪費してしまう人が身近にいると、心配になってしまいます。
あるいはお金ではなく、お酒やタバコがやめられない、ひょっとして薬物や恋愛やなにかほかのことへの依存がある人もいるでしょう。
そんなとき、その人が満たそうとしている本当のニーズはなんでしょうか?
そのニーズをきちんと聞いてあげたとき、なにが起こるでしょうか。

岐阜各務原のカフェ〈花寧香〉で開催した共感カフェで水城が話したことを、抜粋して紹介します。

映像はこちら。

2017年11月22日水曜日

止まらない愚痴をどう聴くか

偶然だろうと思うけど、最近の共感カフェやフェイスブックのコメントで何人かから共通の「気がかり」について教えてもらった。
それは、人の悪口や愚痴をいってくる人がいて、それが長々ととまらず、また何度も繰り返されてうんざりする、どうにか愚痴をやめさせる方法はないだろうか、ということだ。
それぞれのシチュエーションは違っているが、ここではざっくりと、
「愚痴を繰り返し長々という相手の話をどう聴くか」
ということに焦点をあてて、共感的コミュニケーションの視点からかんがえてみたい。

これらの方たちに共通しているのは、
「すでに愚痴を聴くことにうんざりしている」
ということだ。
すでに愚痴を聴くことにうんざりしている場合、どのように愚痴をこぼす人に対処すればいいか、という切り口でかんがえてみる。

まずこちらにはどのようなニーズがあるのだろうか。
愚痴を聴きはじめたとき、自分のなかから生まれてくるさまざまな強弱の感情が、自分のニーズを教えてくれる。
愚痴を聴きはじめたとき、こちらには、
「またはじまったよー、いつもと同じ話だ。何度も何度もおなじ話を聴かされて、しかも後ろ向きで非生産的で聴けば聴くほどこちらが落ちこむのがわかっていて、うんざりするよ。やだーもう聴きたくない」
という反応や感情があらわれてきたとする。
そのときの反応や感情が示す自分のニーズはなんだろう、ということだ。
そこにつながってみる。

ただ、その前にひとつやっておきたいことがあって、何度もおなじ愚痴を聴かされたり、うんざりさせられた経験が、あなたのなかに一種の「傷」をあたえていて、その「痛み」があなたの行動や感受性を鈍らせてしまっている、ということがあるかないか、確認しておきたい。
もしそれがあるとしたら――とくに痛みが大きい場合は、それがきちんと「聴かれる」必要がある。

聴かれるのは「だれか」であってもいいし、自分自身であってもいいが、いずれも共感的にジャッジやアドバイスや非難なく受け取られ、認められる必要がある。

自分の痛みにたいする客観的な理解と、できれば癒しを経て、ふたたび「愚痴をくりかえす人」の話を聴けるかどうか、あるいは聴きたいかどうか、自分に問うてみる。

「聴きたい」にしても「聴きたくない」にしても、そこには「自分」のニーズがある。
それにつながっていない状態で話を聴くことはできないし、また話を「聴かない」こともできない。
つまり、ニーズにつながらないままなにかを選択してしまったとき、そこには居心地の悪さや後悔が残るだろう。

さて、もし「愚痴をくりかえす人」がいまふたたびあなたのところに来て、愚痴を話しはじめたとする。
そのとき、あなたにはどんなニーズがいきいきするだろうか。
今度こそいやいやではなく積極的に相手の愚痴を聴き、相手がほっとしたり気がすんだりすることに貢献したいと思う?
いつもうまくできなかったことを今度はうまくできるかどうか挑戦してみたいと思う?
あるいは、自分には自分の時間や選択のニーズがあって、相手の話をいま聴く余裕がないと感じる?

後者だったら相手に正直に、自分にはいま話を聴く余裕がないことを伝え、余裕があるときにあらためて聴かせてくれるようにお願いする。

前者の場合、いよいよあなたはこれまでとは違う態度で、本質的な共感を相手に向けてみる。
このときあなたは、本当の意味で「相手のニーズ」に注目しながら話を聴くことにトライすることになる。

よくやりがちで、失敗してしまうパターンは、相手の愚痴の「内容」を聴き、そのニーズを最初に推測してしまう、ということだ。
たとえば、
「仕事がうまくいかなくて、いつも失敗ばかりしてしまう。上司には怒られてばかりだし、同僚からは見放されてしまった。仕事やめようかな。私なんかいないほうがいいのかもしれない」
というようなことを繰り返しグチる友人がいたとする。
あなたは友人に共感しようとして、
「職場のみんなに受け入れられることが大事なのかな? それとももっと能力を身につけて仕事がうまくいくようになることが必要なのかな?」
というようなことを聴いてみる。

ここで共感がうまくいき、友人が自分のニーズに気づいて活力を取りもどせたとしたら、それはそれでいいのだ。
しかし、ときに、友人がなかなか自分のニーズにつながれず、いつまでもグチグチとあなたに後ろ向きな言葉を伝えつづけ、またそれを繰り返すことがある。
そんな場合、友人のニーズは別のところにあるかもしれない。

ひょっとして愚痴を「聴いてもらう」ことそれ自体が相手のニーズなのかもしれない。
だれかに自分のことを聴いてもらいたい、伝えたい、それを受け取ってもらいたい、自分の存在をただ認め受け入れてもらいたい、つながりを感じたい、そんなニーズがあるのかもしれない。
もしそうだとしたら、愚痴の「内容」に共感を向けても、相手は自分につながることはむずかしい。
そうではなくて、相手の愚痴そのものを「聴いている」「受け取っている」「理解しようとしている」というこちらの態度が相手には必要なことで、それが伝わったときはじめて友人は安心できる。

相手の愚痴の「内容」に共感したり、それを解決しようとしたり、解決の役にたとうとしたりするのではなく、愚痴をいっている相手の不安そのものに共感し、受け入れてあげることが、まずは必要なことであることがしばしばある。

『仕事をやめたいと思ったときに――共感ハンドブック Vol.1』『祈る人』シリーズ1〜4『共感的コミュニケーション2017』『秘密』『桟橋』『ストリーム』『ジャズの聴き方』ほかにも続々とリリース予定です。一度ご覧ください。

YouTube:共感を身につけるのは難しくない?

共感的コミュニケーションでは相手の話を聴くとき、決めつけず、アドバイスもせず、ただ共感する(相手がなにを大切にしているのかに焦点をあてながら聴く)ことが重要とされますが、往々にしてそれを「むずかしい」と感じてしまう人がいます。
なぜむずかしいと思ってしまうのでしょう。
そしてそれは本当にむずかしいのでしょうか。

岐阜各務原のカフェ〈花寧香〉で開催した共感カフェで水城が話したことを、抜粋して紹介します。

映像はこちら。

2017年11月19日日曜日

韓氏意拳の自主稽古

私も韓氏意拳を始めたばかりのころはそうだったが、
「自分で稽古しなさいといわれても、稽古方法がわからない。やみくもにやっているけど、これでいいのかどうか不安だ」
とか、
「形体訓練や站椿の順番や名前がわからない。やってみてもこれでいいのかどうか曖昧だ」
といった悩みがある人がいる。

教練ではないので指導はできないが、教程内容や名前くらいは私にもお伝えできる。
稽古の手順や名前がわかっていると、ちょっとした手がかりになって、自主稽古もとっつきやすくなるような感じが私にはある。
そんな人には、自主稽古会に一度参加してもらえるといいかもしれない。

先日も国立春野亭での駒井先生による講習会で、先生が、
「だれかに伝えようとすると、自分がなにをわかっていて、なにがわかっていないのか、曖昧な点やクリアな部分が明確になって、自分の役にも立つので、どんどんやればいい」
とおっしゃっていた。
このことは韓氏意拳にかぎらず私も実感していることだ。

興味がある方は、春野亭でいつでも自主稽古会をやりますので、いっしょにやってみましょう。
気軽にお声がけください。
手順とか名前がある程度わかってくると、講習会に出るのも楽しくなってくる。

◎11月28日:韓氏意拳養生功講習会@国立
JR国立駅徒歩5分の会場にて駒井雅和中級教練による韓氏意拳養生功講習会を11月28日(火)19時半から21時まで、ショートクラスで開催します。

2017年11月18日土曜日

相手を「甘やかせる」「つけあがらせる」という心配

恋人だったり夫婦だったり、子どもだったり、部下や顧客だったり、さまざまなシチュエーションで起こることだが、
「ここで下手《したて》に出ると相手をつけあがらせてしまうかも」
と思ってしまうことがある。

共感的コミュニケーションの勉強会では、相手を責めたり、間違いを指摘するのではなく、ただ共感することをお勧めするのだが、一様に不安な顔になる人が多い。
そんなことしたら、相手はますます図に乗るのではないか、自分ばかり不利な立場になるのではないか、という不安に襲われてしまうらしいのだ。

実際にそのような感じになってしまうこともある。
相手には相手のニーズがあり、相手もそれを満たそうと懸命になっている。
しかし、そのニーズを満たす手段はいくつかあり、いま相手が必死にしがみついている方法でなくてもニーズは満たせるということに気づいてもらえれば、相手にも余裕が生まれ、「図に乗る」とか「傘にかかってくる」ように見える必死な態度は消えることが多い。

相手に共感し、尊重や思いやりをもって冷静に対応したとき、相手がもしつけあがったり図に乗ったりするように見えたとしたら、それはまだ相手が自分のニーズにつながっていないからだ。
こちらは相手に共感し、なにが必要なのか、なにを大切にしているのか、どんなニーズがあるのか、ただ聞いてやり、相手が自分自身につながるサポートを心がける。
すると相手は自分のニーズにつながり、なにが必要なのかに気づき、それを満たすためにどんなことができるのかに目を向けることができる。
もしそのとき、あなたのサポートが必要だったら相手はそのようにお願いしてくるだろうし、あなたにもしその気があればお願いに応えることもできる。
あるいは、必要なのはあなたのサポートではなく、なにか別の手段が有効であることに気づくかもしれない。

共感というのは、相手が自分自身のニーズに気づき、自立した選択や行動を取れるお手伝いをすることであって、図に乗ったりこちらへの依存を助長することではない。
そのような心配はまったく無用で、自分が相手から依存されたりパワーオーバーな態度を取られたくなかったら、必要なだけたっぷりと共感を浴びせればいいのだ。

NVCをベースにした共感的コミュニケーションの学びの場を水城ゆうが開催しています。オンライン参加も歓迎。11月は24(金)19時半から約2時間です。

2017年11月17日金曜日

豊田、各務原、福井、名古屋天白区

今日・11月17日(金)の夜に豊田入りして、翌18日(土)は「語人サヤ佳「語りの会」2017~お母さんを語る~」にサポートで出演する。
場所は豊田産業文化センター・小ホール。
13時半から。

サヤ佳ちゃんの語りに楽曲を提供しているほか、ピアノで共演する。
ほかにもサヤ佳ちゃんが代表をつとめるゆめぱレットという団体のメンバーの何人かも出演する予定で、その稽古に何度かお付き合いさせていただいた。
「お母さん」をテーマにしたお話や音楽が詰まった、楽しくもしんみりしたコンサートになるはずで、お近くの方はぜひいらしてほしいのだ。

この日は夜に各務原のカフェ〈花寧香〉に行って、共感カフェを19時から。
もともと参加枠は少人数だけど、今回も席が埋まりかけていて、残り枠はせいぜいあとおひとり。
興味がある方はどうぞお早めに。

花寧香共感カフェが終わったら、そのまま北陸の実家に移動。
実家では母がお世話になっている施設に行ったり、車の整備とタイヤを冬用に交換したり、雪囲いをしたり、実家音読カフェを開催したり、合間にオンラインでの個人セッションをおこなったり、そこそこ忙しい。

23日(木)には福井から名古屋に移動して、午後いっぱい、天白区の〈アロマファン〉でテキストライティングのワークショップを開催。
そのあと長野経由で東京もどり。
という明日から1週間のツアー予定。

猫ヘンタイ・猫好きの白狼澪さんが開いているかわいくて居心地のいいカフェで、オリジナルハーブティをいただきながら共感的コミュニケーション(NVC)について学びあいます。午後7時から約2時間。

水城ゆう( mizuki-u.com )が長年つちかってきた文章術、指導法に加えて、共感的コミュニケーションにもとづいた共感のプロセスも取りいれたユニークな方法を練習します。

『朗読の力』という本を

たくさん書きたいことがたまっていて大変なんだけど、また一冊、書いてみたい本ができた。
というより、すでに断片的にはメールマガジンやブログで書いていることなのだが、それをもうすこしまとまった形にしたくなっている。

タイトルが先に降ってきていて、『朗読の力』という。

2006年に特定非営利活動法人として現代朗読協会を立ちあげる以前から、私自身は朗読をやらないくせに朗読という表現行為についてかなり大きな可能性を感じていた。
自分では朗読しないかわりに、朗読演出という形で朗読者と関わりつづけ、またステージ表現を演出という立場で数多く試み、また音楽家・演奏者という立場でおなじステージに立って共演してきた。
その過程で「朗読の力」に気づき、年を重ねるごとにその可能性をますます確信するようになってきた。

「朗読」という表現は、さまざまな表現行為のなかでも特別な位置づけにある。
だれもがいますぐチャレンジできるその表現行為には、現代人にとって非常に重要で必要なことに気づき、獲得できる、特殊な有用性が秘められている。

このことをいまここで解説するつもりはない。
それは『朗読の力』のなかで明らかにするつもりだ。
また、きちんと順を追い、ある程度の質量のことばを重ねなければ、みなさんに納得してもらうのは難しいと思っている。
だから、一冊本を書きたくなっているのだ。

まあしかし、私や現代朗読家の野々宮卯妙がやっているゼミやワークショップに参加したことがある人なら、その一端は垣間見ておられるかもしれない。
ピンと来た方がいるかもしれない一方、まったくピンと来なかった人もいるだろう。
よくわからないままについてきてくれているうちに、おぼろげながら方向性が見えてくる人もいるだろう。
なんだか曖昧な話だが、なかなかひとことで説明するのが難しい、明快に言語化することが困難なことをやっているからだ。
といって、やっていることそのものは難解でもなんでもない。
ごくシンプルなことだ。

ようするに自分の身体、生命の働きをよく注視し、そこから生まれ出ずるいきいきとした脈動を「邪魔しない」ようにする、というだけの話だ。
難しくはないが、やってみればわかるとおり、ちょっとやっかいな面がある。
それは私たちが現代的な文明生活のなかで自分の生命活動を解きはなつ機会を失ってしまっていて、むしろそれを抑制し阻害する習慣ばかりを強固に身につけてしまっている、という理由による。

長々と書いたが、ようするに朗読という表現行為は、私たちが自分自身をひとつの生命体として生かしきるための練習の有効性がある、ということだ。
みなさん、いっしょに楽しみながらやってみましょう!

朗読や群読などの身体表現を用いていまこの瞬間の自分自身をのびやかに表現するための研究の場・現代朗読ゼミ、12月の開催は5(火)/7(木)/16(土)/21(木)/26(火)、いずれも10時半から約2時間。

2017年11月16日木曜日

あした農場の日本みつばちのお世話

あした農場に行って、日本みつばちの巣箱の内検と麦わら巻きをやってきた。
巣箱はみつばち部のものと、あした農場の渡辺さんちのものの2箱があって、いずれも順調に冬に向かっている。
渡辺さんちのほうはかなり勢いがあって、先月、採蜜した。
今回の内検でも、勢いは衰えておらず、このまま元気に冬越しをしてくれると思われる。
みつばち部のほうも勢いがないわけではなく、冬越しはたぶん大丈夫だろうと思われる。

みつばちはスズメバチなどとは違って、女王蜂を含む群全体で冬を越す習性があって、そのための貯蜜が必要になる。
冬のあいだも巣箱のなかは一定の温度に保たれ、冬眠しない。
天気のいい日は真冬でも蜜を集めに出かける。
ただ、冬場に花を咲かせる蜜源植物は少なく、そういう花はみつばちにとっては非常に貴重なものとなる。
蜜源が近所にない場合は、人工的に給餌してやる必要が出てくることもあるが、あした農場の2群についていえばその必要はないだろうと思われる。

巣箱のまわりにわらを巻いてやる。
保温してやらなくても乗りきってくれそうだが、少しでもみつばちの負担を軽くしてやれば、春になったときの勢いが違うだろう。

あした農場では麦も作っているので、稲わらよりも保温効果が高いらしい麦わらをいただいて、巣箱に巻いた。
このまま無事に冬越しして、春には女王蜂がたくさん卵を産んで、働き蜂がどんどん蜜と花粉を集めてきて、幼虫を育て、さなぎから成虫へとどんどん羽化していくことを期待したい。
すると雄蜂も生まれはじめ、女王蜂を育てるための王台が作られ、新女王が誕生したら旧女王は巣箱のなかの働き蜂を半分くらい引き連れて、巣分け(分封)のために出ていく。
新女王は結婚飛行を繰り返し、あたらしい群を育てていく。

みつばちの精緻な生態は本当に驚くばかりで、興味がつきない。
年内か年明けあたりに、報告会をかねてひさしぶりに BEE’s Cafe を開催したいと思っている。
興味のある方は仲間にどうぞ。

我がレンタル歴とネットコンテンツの巨流

LPレコードをレンタルする店ができたのは、1981年ごろのことだったと思う。
私はそのとき、京都に住んでいて、バンドマンのはしくれをやっていた。
バンドマンというくらいだから、大量の音楽を聴いていて、学生時代はレコードを買うお金がなかったからもっぱらラジオや、ラジカセで録音した(エアチェックといった)音楽をカセットテープで聴いていた。

自分で稼ぐようになると、レコードを買ったりもしたけれど、月に何枚か買えるかどうかで、レンタルレコード店ができたのはほんとうにありがたかった。
レンタル屋ではLP1枚が200円とか300円で借りることができて、それを家ですぐにテープにダビングして、ラジカセやステレオセットで聴く。
当時はまだカセットテープだったウォークマンで聴いたりもした。

そのあと、LPレコードはコンパクトディスク(CD)に取ってかわられていった。
CDウォーマンも出たけれど、私はそれは使わずに、MDウォークマンを愛用していた。
つまり、CDをMDにダビングして、それを聴いていたのだ。

レンタルビデオ店も爆発的に普及した。
ビデオも最初はVHSやベータ、あるいは光学(レーザー)ディスクであるLDなどが混在していたのだが、いつのまにかVHSばかりになり、やがてはDVDに取ってかわられた。

レンタル店は音楽とビデオを、それぞれCDとDVDで扱うようになっていって、いまはその状況がつづいている。
が、この状況も間もなく終焉を迎えるだろう。
というのも、私個人についていってみても、すでにレンタル店に足を運ぶことがなくなって久しいからだ。

いまは音楽もビデオもネットで聴いたり見たりしている。
音楽は2005年にApple社のiTunesとiPodが日本にも上陸して、当初はその普及を疑問視する人もいたけれど、いまは音楽はネットで買ったり、無料で聴いたりすることが当然になっている。
音楽配信サービスも、有料コンテンツから、サブスクリプション契約による聴き放題へと主流は移ってしまった。

ビデオも単発映画のダウンロード販売からはじまって、これも月額定額制の見放題サービスが普及しつつある。
こちらは単発映画だけでなく、連続テレビドラマやお笑いなどの既成のテレビ番組の使い回しコンテンツ、さらにはオリジナルコンテンツなども充実してきている。

大手映像配信のNetflixとアマゾンのシェア争いは熾烈を極めている。
それぞれ年に1兆円近い規模の予算をオリジナルコンテンツに投入していて、アニメを含む映像の人材や設備はことごとくこの2社の元に集まりつつある。

私は最初、Huluを契約していたのだが、圧倒的なボリュームの差でNetflixに移った。
また、アマゾンはプライム会員なので見放題サービスも利用できるが、私の使い方だとNetflixのほうが楽しめる感じがする。

Netflixでは単発映画のほか、オリジナル連続ドラマが充実している。
映画をベースに連続ドラマにする場合もあるし、かつてのテレビシリーズをあらたにリメイクすることもある。
最近ではあの「スター・トレック(宇宙大作戦)」のシリーズがNetflixオリジナルとしてスタートしたばかりだ。
スター・トレックではあるが、主人公はカーク船長ではなく、スポックももちろんいなくて、黒人女性がメインキャストになっていて驚かされた。

ドラマといっても、映像のクオリティは1回1回が映画となんら変わりなく、CGやSFXも相当凝っているし、俳優も有名どころをどんどん使っている。
脚本を含む製作陣にも湯水のように予算が投入されている感じが伝わってくる。

これがいいことか悪いことなのかはわからない。
しかし、ネットの普及による商業コンテンツの巨大な流れがとめようもなく生まれてきていることは確かだ。

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2017年11月15日水曜日

見てもらうこと、聞いてもらうことの必要性

以下、共感的コミュニケーションの話につながる話だが、まずは私が稽古している武術で体感したことから書き起こしたい。
関係ないようでいて、深く関わりのあることなのだ。
すくなくとも私のなかでは。

私が取りくんでいる韓氏意拳という中国武術は、人の身体的・生命的本質を重視している武術で、それゆえに他流派からも注目されている。
ここでは人がもともと持っている自然本有のポテンシャルを練り、実際の危機にあたってその人が持っている身体能力を十全に発揮してコトにあたれるようになることを目標としている。
なにかを付け加えたり、過去の経験をなぞったり、企んだり、ということではなく、我々の生命が本来持っている能力を全体的に発揮するためにはどうすればいいか、を問うための稽古体系となっている。

稽古の過程でつくづく感じるのは、私たち現代人は自分の身体のことをじつにないがしろにしていて、ちゃんと見ていないし、身体の声を聞いてもいない、ということだ。
見ている「つもり」、聞いている「つもり」というのはある。
その「つもり」でやっていると、腕一本あげるのにおかしなことになってしまうことに気づくことがある。
本当にきちんと身体を見てやる必要があるし、声を聞く必要がある。
それができたとき、身体は必要なことによく応えてくれる。

身体だけでなく、共感的コミュニケーションでいうところのニーズにつながり、よく理解しているとき、言動は非常にクリアでいきいきとしたものになる。
自己共感がよくできているときがこの状態だ。

人と人のつながりにおいても、だれかに本当にきちんと見てもらったり、聞いてもらったりすることが、その人本来の能力を活発にさせる。
ちゃんと見てもらったり聞いてもらったりすることで、自分につながることが容易になり、自己共感が生まれていきいきとする。
だれもがだれかをそのようにいきいきさせる手伝いができるのだ。
これが共感の力だ。

問題は「本当にきちんと」だれかを見てあげたり、聴いてあげることが、我々がすでに身につけてしまっている社会習慣のなかでは、ちょっとした困難を伴うということだ。
共感的コミュニケーションを身につけるには、武術の稽古をするように、「なんちゃって」や「つもり」ではない、隙のない練習が必要となる。

◎アマゾンKindleストアで買える水城ゆうの著書
『仕事をやめたいと思ったときに――共感ハンドブック Vol.1』『祈る人』シリーズ1〜4『共感的コミュニケーション2017』『秘密』『桟橋』『ストリーム』『ジャズの聴き方』ほかにも続々とリリース予定です。一度ご覧ください。

2017年11月13日月曜日

文章表現WSの参加者特典追加

オンラインおよび国立春野亭や名古屋天白区〈アロマファン〉などで開催している「自己共感を用いた文章表現ワークショップ」に、参加者特典を追加します。

このワークショップに参加してくれた方には(希望すればですが)もれなく、月に3回開催している「身体文章塾」へのお試し参加1か月分を進呈します。
ワークショップで試したことをさらに深めたり、疑問点などを確認したり、まとまった作品を書きあげたり、試してみる機会を延長できます。

お試し期間のあと、継続を希望する場合は身体文章塾メンバーになっていただく必要がありますが、継続するかしないかはご自由に選んでください。
もちろん、お試し期間特典を利用するかしないかも、自由に選択できます。
ご利用いただければ幸いです。

◎11月23日:自己共感を用いた文章表現WS@名古屋天白
水城ゆう( mizuki-u.com )が長年つちかってきた文章術、指導法に加えて、共感的コミュニケーションにもとづいた共感のプロセスも取りいれたユニークな方法を練習します。

◎12月3日:自己共感を用いた文章表現WS
オンライン参加も可。

2017年11月12日日曜日

自己共感がもたらす「ほがらかさ」

自分が機嫌よくほがらかでいるというのは、とても大切なことだ。
不機嫌な態度でいる人と、機嫌がいい人とでは、どちらに近づきたくなるだろうか。
あるいはいっしょにいてこちらも気が楽なのは、どんな態度の人だろうか。

お母さんが不機嫌だと、家族全員が暗い気持ちになってしまう。
ひょっとして子どもは勉強がはかどらなくなったり、話したいことも話せなくなってしまうかもしれない。
お父さんも本来の自分の能力を発揮しにくくなるかもしれない。

逆に家族のだれかがほがらかだと、みんなも元気になる。
多少しんどかったりつらいことがあったりしても、ほがらかな人に話を聞いてもらって解決策を探してみようと思えるかもしれない。
自分もがんばろうという気持ちになれる。

だれかの気分はまわりに伝染し、影響を与える。
共感的コミュニケーションでは、自分と他人の感情やニーズを切りはなし、影響を受けない、ということを重視しているが、そうはいっても落ちこんだりいらいらしている人のそばにいれば気になるし、機嫌がいい人のそばにいればこちらも元気になる。
人にはミラーニューロンという神経系があって、本能的にまわりの人の感情や身体性を写し取ろうとしてしまう。

では、どうしたらいつもほがらかでいられるのだろうか。
いつもほがらかな人は、いつもしかめつらしい人となにが違うのだろうか。

私自身の経験では、ほがらかさはマインドフルネスや自己共感、心身のいきいきさなどからもたらされる。
いまこの瞬間の自分自身の状態やまわりのことに気づいていて、必要なことや大切にしていることがあればそのことを理解している。
こころも 身体も分離することなくまとまりをもってほどよくいきいきしていて、必要があればすぐに動けるような一種の運動状態である「活体」にある。

こんな状態にあるとき、その人はまわりにたいして感覚や態度がオープンになっている。
自分自身を受容しているだけでなく、他者をも受け入れ、話を聞く準備ができている。
このオープンさは自然なほがらかさを生む。

多くの人が想像できると思うが、自分がいまここにつながってオープンになっているとき、自然に微笑みが生まれ、余裕や客観性がそこにあると感じるだろう。
ここに至るには、ただただ、マインドフルネスと自己共感を心がけ、自分の心身を見るよい視力を養うことが必要だ。

◎11月開催:国立春野亭共感カフェ(11.14)
NVCをベースにした共感的コミュニケーションの学びの場を水城ゆうが開催しています。オンライン参加も歓迎。11月は14(火)19時半/27(金)19時半、いずれも約2時間です。

2017年11月11日土曜日

韓氏意拳の講習会に参加する人たち

内田秀樹先生にご指導をお願いしている11月の世田谷韓氏意拳世田谷講習会は、先日、烏山区民センターにて終了した。
参加は少人数だったので、かなりじっくりと核心部分をじっくりと指導していただき、また稽古もできたので、充実した時間となった。
内田先生、ありがとうございました。

充実した時間だったが、当然武術の稽古なのでかなり疲れる。
今回はショートクラス(1時間半)とレギュラークラス(2時間半)の2コマを、ごくみじかい休憩をはさんでほとんどぶっつづけでおこなった。
私はやや体調がわるかったこともあって(食中毒か流行りの風邪か原因は不明ですが嘔吐と下痢のなか)、終わってから相当消耗したが、やっている最中は集中していてあまり疲れは感じなかった。

しかし、毎回、私以外の参加のみなさんの集中力にも驚かされる。
とくに韓氏意拳の講習会は女性や高齢の方の参加も多く、なかには私よりずっと上の年齢の方も多い。
私より長くつづけておられる方もいれば、最近になってあらためて入会した方もいる。
長い経験者の方は、ご一緒させてもらうと、その動きや身体性に触発されたり刺激を受けてありがたい。
経験が浅い方は、衰えない好奇心や探究心をお持ちのようすに、こちらも大いに刺激を受ける。
いずれにしても、先輩のみなさんには敬意をおぼえるばかりで、そのような方々といっしょに稽古できることが本当に幸運だと思う。

女性も男性も、高齢といってもその集中力と体力はすばらしく、こちらがへろへろになってくたばりそうになっていても、まだまだしゃんとしておられる方が多い。
2コマぶち抜きの講習会だと、5時間以上なんて時もあるので、もう驚くしかない。
もっとも、私にしても、入会したばかりのころは、2時間半のひとコマですら立っているのがやっとというありさまだったので、いまは5時間立っていられるだけでもかなり進歩したというべきだろう(きついけど)。

そんなきつい稽古をなんで毎回やるんだ、といわれれば、楽しいから、としかいいようがない。
韓氏意拳では「自然運動」ということを重視していて、軌道をねらった動きや、動き方をなぞったやり方を厳しくチェックしていく。
その過程で、たとえば「腕をあげる」という単純な運動ひとつ取っても、自分がいかに頭でそれをかんがえ、あらかじめイメージした軌道ややり方をなぞろうとしているかに気づかされる。
では、どうすれば自然運動としての「腕をあげる」という運動が生じるのかというと、それは「発生する」としかいいようのないとどこおりのなさで生まれてくる瞬間がある。
その瞬間をつかまえ、育て、全身に響かせ、つづけてみる。
そこにはまったく「手ごたえ」とか「力感」はないのだが、なんともいえない心地よさは味わいがある。
自分も自然生命の一部であることを感じ、可能性をかいま見、喜びを感じる瞬間だ。

今回の烏山区民センターでの講習会でも、形体訓練という、練習体系の最初にあるものからはじまって、丁寧に身体と運動を見、ときにそこから站椿や技撃椿、歩法との関連を検証しながら、奥行きのある稽古をさせてもらった。
もう何年もやっている稽古なのに、あらたな発見がいくつもあったのには驚く。

とっつきにくく、またつづけていくのも難解に思える部分がある武術だが、すくなくとも私にとってつづけることに非常に大きな意味を持っていて、自分の未知なる身体のさらなる探求のためには不可欠なものとなっている。

◎11月14日:国立・韓氏意拳初級講習会
駒井雅和中級教練による国立での韓氏意拳初級講習会の2017年11月は、14日(火)午後にJR国立駅徒歩5分の会場にて開催します。

2017年11月10日金曜日

いまさらながらあらためて著書紹介『共感的コミュ……』

この年末に『共感的コミュニケーション2018』をリリースする予定で準備をすすめている。
今年初にリリースした『共感的コミュニケーション2017』のつづきにあたるが、内容的には一切かぶっていないので、合わせてお読みいただけるとうれしい。

ところで、この『共感的コミュニケーション』のシリーズは、アメリカの心理学者マーシャル・ローゼンバーグが提唱し、体系化したNVC(=Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)にもとづいて開催している共感カフェや共感サロン、その他ワークショップや勉強会で実際に提示された人間関係の実際的で具体的な問題を、ひとつずつ取りあげ、読み物としてまとめたものだ。
マーシャルのNVCは『NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法』というタイトルで日本経済新聞社から翻訳本が出ている。
私の友人である安納献氏が監訳にたずさわっていて、こちらも参照していただくことをおすすめする。

私の本の特徴としては、前記のように、実際に起こったことで具体的なエピソードにもとづきながら、共感的コミュニケーションについて考察している、ということがある。
この本に書いたかんがえかたを踏まえて、私は共感カフェなどの勉強会を開催したり、個人セッションをおこなっているが、そこで起こったことや話されたことがまた本にフィードバックされていく、という双方向性が特徴となっている。
年末にリリースする予定の『共感的コミュニケーション2018』も、まさに今年2017年一年間でみなさんから聞いたり私自身が経験したことをもとに書かれた、具体的な内容となっている。
私自身のリアルな経験であり、身体的実感から生まれた、いわば水城ゆうという身体を通過した共感的コミュニケーションの事例考察だ。

日本にNVC(=Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)がはいってきたのはまだほんの十数年にしかすぎない。
アメリカからの輸入であり、初期の勉強会といえば、英語の堪能な人が原書を読んだり、現地のワークショップに参加してきた体験をシェアしたり、あるいは現地のトレーナーを招聘してそれを通訳を介して学んだり、といったもどかしいものだった。
しかし、深く学んでいけばわかるように、このコミュニケーション体系はアメリカだけのものでなく、英語圏だけのものではなく、他の言語文化圏や、もちろん日本人にもまったく通用する、人類普遍といってもいいものだ。
それゆえに、日本文化、日本語文化圏のなかでも十分に咀嚼され、こなれていき、身体化する必要があると私は思っている。

かつて仏教が大陸から伝来したとき、僧侶が大陸に渡って学んだり仏典を持ち帰ったり、あるいは大陸から高僧がやってきたりして、ありがたく拝んで学んでいった。
それがいつしか、日本に根付き、土着の文化や宗教ともまじわり、そのスピリッツは保ちながらも日本オリジナルの仏教として広まっていった。
そのときはじめて、仏教は日本人にとって身体化したといえた。
NVCについても、おなじようなことがいえるのではないかと、私はかんがえている。

NVCを共感的コミュニケーションとして日本でも身体化するにはどうしたらいいか。
それは日本人である私が、自分自身の個人的なコミュニケーション体験として実践し、身につけていくことでしか実現できないのではないかと思っている。
その体験を書きしるすことが、私において身体化した共感的コミュニケーションを多くの人に共有の体験としてシェアできることだろう。

◎アマゾンKindleストアで買える水城ゆうの著書
『仕事をやめたいと思ったときに――共感ハンドブック Vol.1』『祈る人』シリーズ1~4『共感的コミュニケーション2017』『秘密』『桟橋』『ストリーム』『ジャズの聴き方』ほかにも続々とリリース予定です。一度ご覧ください。

◎紙本『共感的コミュニケーション2017』はこちらから購入できます