2018年3月17日土曜日

ゆるふわだけど深く楽しかった共感編み物カフェ@天白アロマファン

国立〈春野亭〉でやっている「共感編み物カフェ」を、名古屋市天白区の古民家スペース〈アロマファン〉でもやってみようということで、先日、初めて開催した。

ここでは毎月、なにかしらイベントをやらせてもらっているのだが、今回は平日の日中開催ということで、世話人の水野生惠さんと相談して、ゆるくやってみることにしたのだ。

春野亭と同様、時間内なら出入り自由、編み物以外に好きな手仕事やお絵かきなどやることも自由、参加費も自由、というゆるさだ。
ただし「共感」の場としてすべての人が安心して参加できるように、話をしたいだれかがいたらそれをさえぎらない、決めつけない、非難しない、アドバイスしない、そのかわりに共感的に聴く、ということを心がけてもらう。

といっても、共感的コミュニケーションを知らない人も参加するので、場の舵取りはゆるやかに私がさせていただく、という感じ。

このイベントというか場づくりは、私が提唱する4つの共感モードのうちのひとつである「縁側共感モード」を実践するためにはじめたものだ。
それぞれがただその場に情動態で「いる」ことによって、自然に安心なつながりのある居場所が生まれ、なんでも話せる、なんでも聴きあえる身体性を体験し、またそれを日常のなかでも生かしていくための気づきを得ようというものだ。

実際私は、ほかの共感カフェの場でも、これまで心がけてきた「集中共感モード」から、一見ゆるい「縁側共感モード」に自分を置くことを心がけるようになっている。
するとこれまでとは明らかに違うことが起きる。
これでいいのだ、という確信がある。

今回も私も編み物しながら、編み物がはじめてという生惠さんにアクリルたわしの作りかたを教えたりしながら、手仕事を楽しんだり、人の話を聞いたり、それに共感したりしていた。
なかには人間関係の悩みを話してくれる人もいて、これまでだと積極的に共感しながらなにか解決の方策をさがしたり、話し手が自分のニーズにつながって解決の方向を見つけたりする手伝いをしたのだが、編み物カフェではただ聞いて、ただゆるやかに共感するだけだった。

私も縁側共感モードで提唱している三つの「(ニーズ)当てにいかない」「向かいあわない」「追い詰めない」を心がけていた。
私抜きにそれぞれが聞き合うグループができたりもして、私も楽だったし、みなさんも安心しながら楽しんでおられたんじゃないだろうか。

この共感縁側カフェは、ちょっとした心がけさえみんなで共有していれば、特別な知識やスキルを持ったファシリテーターは不要で、私がいなくてもいつでもだれもが場を開いて共感しあえるだろうと思う。
このような場がどんどん広がっていけばいいのだ。

3月31日:共感編み物カフェ@国立春野亭(オンライン参加可)
編み物をしながら、お茶を飲みながら、ゆるく共感しあう場。まるで昭和の家の縁側のような安心できる居心地となる予定です。編み物ができない人ややりたくない人も歓迎。午後3時から8時まで、出入り自由。