2009年10月8日木曜日

中野Pignose「げろきょでないと」ライブレポート

 先日10月7日(水)夜、中野のライブスペース〈Pignose〉にて「げろきょでないと」というロードクセッションのレポート。
「げろきょでないと」というタイトルだが、これは「現代朗読協会」の非公式略称「げろきょ」の夜、という意味。
 ロードクセッションとか、朗読という固定イメージにとらわれないカタカナの「ロードク」を使うことで、朗読というよりむしろ音楽ライブに近い形での自由度が高い「セッション」をめざしていた。テキストを読む、ということだけが唯一のルールで、しかし読み方は自由。音楽は即興。朗読と音楽は即興的コミュニケーションをおこない、あらかじめなにかを仕組んだりたくらんだりすることは極力避ける。
 これがロードクセッション。

 午後6時半、早めに中野駅に到着したので、ブロードウェイを少しぶらつく。噂に聞いていた地下の8段ソフトクリームの店に行ってみる。すると、ライブワークショップの参加者で、今日はお客さんで来てくれるといっていた山口さんが、ひとりで悠然と8段ソフトクリームを食しているではないか。
 あとでわかることだが、これをひとりで食べきるのは並大抵のことではない。あとで合流した照井数男がおなじものに挑戦したが、食べきるのに非常に苦労していた。
 野々宮卯妙、うららさん、そして山口さん、照井くんといっしょに、7時に〈Pignose〉に行った。入口に暫六月と千田さんが待っていてくれた。みんなで店にいったが、まだ準備中で、出演者以外はもうしばらく待ってくれという。しかし、だれが出演者でだれが客なのか、すでにどうでもいい状態になっている。かまわず店に押し入った。
 うららさんに手伝ってもらって、PAのセッティング。今回、私はMacとミニキーボードを持っていった。電子音も使う予定である。
 あと、生ピアノの音量に対抗するために、マイクを使わざるをえない。

 7時半もすぎたので、とにかく始めてしまうことにする。最初はピアノソロから。
 そのまま、野々宮卯妙に一曲、いや、一話やってもらう。「燃える世界」というテキスト。
 次は照井数男。私は持ってきたMacとミニキーボードを使って、電子音と生ピアノの両方を使って即興演奏。テキストは梶井基次郎の「ある心の風景」。
 つづいて、暫六月による岡本かの子のテキスト。私はふたたび生ピアノに戻る。知り合いや、知り合いでないお客さんも何人かやってきた。
 それから、千田るみ子による私のテキスト「砂漠の少年」。
 ファーストステージの最後は、野々宮卯妙のロードクに、mizuhoさんのバイオリン、うららさんの歌に加わってもらっての「鳥の歌」のセッション。
 いずれも大変楽しく、自由に、スリリングなセットだった。

 休憩中に、初めてお会いするお客さんのひとりが、私がかつてバーテンダー時代に愛読し、つい最近惜しまれながら休刊が決まったサントリーの雑誌『クォータリー』の元編集長の谷さんだということがわかって、大変びっくりした。いろいろと話がはずんでしまった。
 その方が編集した老舗の和菓子店の冊子があったので、野々宮がセカンドステージをそれを読むことになった。

 9時すぎ、セカンドステージがスタート。最初は、今日はお客さんで来てくれた山口さんが、飛び入りでロードクセッション体験。持ってきた『星の王子さま』の一節を読んだ。ひと前で朗読をすること自体がほとんど初めてで、もちろんライブも初めてという山口さんだったが、まったくたくらまないストレートな素顔の見える読みを聴かせてくれて、大変よかった。
 2番めは、うららさんがロードクセッションでの初ピアノ演奏に挑戦。野々宮卯妙が私のテキスト「砂時計」を読む。私以外の人がピアノを弾くのは大変珍しいことなので、おもしろかった。これからもちょくちょくやってもらいたい。
 3番めは、mizuhoさんにバイオリンで参加してもらって、照井数男得意の数学の定理朗読。今回はユークリッド原論の朗読。いやー、何度聴いてもすばらしい。これがなんで最高のエンタテインメントになるのか、よくわからないけれど、おもしろいのだ。
 かなり盛り上がってきた。4番め。野々宮卯妙による和菓子の冊子のエッセイの朗読。お客さんである谷さんの書いたもの。
 5番め。開高健さんの緒言からスタートして、私のテキスト「ミラグロ」を野々宮卯妙が。
 6番め。お客さんで来ていた山野さんが、実はベーシストだということで、急遽加わってもらうことになった。ウッドベースが引きだされ、mizuhoさんも加わって、いきなり楽器だけによるブルースセッションが始まる。このあたり、まったく言語コミュニケーションが交わされていない。
 7番め。このユニットに、谷さんがカリンバでさらに加わって、野々宮卯妙による私の「死の花」という短編のロードク。
 最高に盛り上がってきたところで、このセットのまま、千田さんによる私の「また君は恋に堕落している」という詩のロードク。これがすばらしかった。演奏者も参加者も朗読者も、全員が一体となり、店のなかが異空間へと旅した瞬間が生まれた。

 終わってから、千田さんは「このまま明日が来なくても満足です」なんていっておられるし、初対面のお客さんたちからも「おもしろかった、また聴きたい」といってもらった。
 私たちも大変充実した気分で、刻々と台風が近づいてきている街を家路についたのであったが、その道中、つくづく感じていたのは、私たちがいま経験していることは、たんに「朗読」とか「音楽」といった枠を越えた、なにか別種の、しかし威嚇的でない、だれもが共有できる表現手段が誕生しようとしている、わくわくするその瞬間なのではないか、ということだった。