(以下の記事はあくまで私見であり、私が自分自身の考えをまとめるために書いたメモのようなものです。暖かな目で読んでいただければ幸いです)
日テレの「所さんの目がテン」という番組を作っている制作会社から連絡があって、読み聞かせができる人をひとり派遣してもらいたいという。一ヶ月くらい前のことだが。収録場所が遠かったり、日程が二転三転したりしたこともあって、融通がつく野々宮卯妙に行ってもらった。
その番組の放送が、先週の土曜日の夕方にあった(地方によっては日曜日の朝だったようだ)。私も録画しておいたので、見てみた。
まあ、うまくまとまっていたと思う。そもそも私は子どもがまだ小さかったころ、この番組がけっこう好きだった。思えば長寿番組だ。
番組は読書特集で、まず黙読に焦点をあてて本を読むのとケータイで小説を読むのとの比較をやっていた。
そのあとに今度は、速読と普通に読むことの比較。
そして、黙読と読み聞かせの違い。子どもたちに本を黙読してもらうのと、読み聞かせで聞いてもらうのとの違いを比較していた。その読み聞かせを、野々宮がやっていたのだ。
興味深かったのは、番組の最後にやっていた機械音声での読み聞かせだった。その良否はここでは問わない。
以下は現場で読み上げソフトを実際に見てきた野々宮の補足も踏まえての考察である。また、私も毎年、国際ブックフェアに足を運んでおり、そこのブースで年々進化をとげていく機械音声読み上げを観察しつづけてきている。
番組内でも少し聞けたのだが、最近の音声読み上げソフトは、人間のナレーションとなんら遜色のない出来のところまで近づいてきている。電話の自動案内、駅の案内アナウンス、自動販売機のガイド、防災のアナウンスなどなど、私たちが気づいていないところでも機械音声がどんどん使われてきている。最新のソフトでは、イントネーションの微妙な調整をすることで、専門家でなければ人間が読んでいるのか機械が読んでいるのかほとんど区別ができないくらいのところまで来ているという。
機械音声のいいところは、テキストさえあれば、それをどんな声でも読ませることができるということだろう。色っぽい女優の声だろうが、清純な新人アナウンサーの声だろうが、渋いおじさまナレーターの声だろうが、萌え萌えのアイドルっぽい声だろうが、サンプルさえ用意しておけば好きな声で読ませることができる。また、読み違えることもないし、高いギャラも不要だ。控え室もお茶や食事も、加湿器も必要ない。
間違いなく、いずれ近いうちに、ナレーションや吹き替えの現場は機械音声にとってかわられるだろう。カラオケの音源が生バンドからすべてmidiデータに置き換わっていったように。そして、ひょっとするとゲーム音楽などの主題歌のヴォーカルがヴォーカロイドに取ってかわられつつあるように。
しかし一方で、これも間違いなく人間にしかできない仕事は残る。
その仕事とはどういうものなのか、ということだ。
答えはいうまでもなくはっきりしている。