2013年3月10日日曜日

介護予防アーティスト養成のフォローアップ講座で浦和まで行ってきた

武蔵浦和のコミュニティセンターまで介護予防アーティスト養成講座のフォローアップのために行ってきた。
武蔵浦和は初めて行ったが、井の頭線で渋谷に出たあと、埼京線一本で行けるので意外に交通の便はよかった。

午前8時すぎに家を出て、9時15分に武蔵浦和に到着。
コミュニティセンターは駅前にあるので、すぐに到着。
すでに主催のNPO法人アート・ビート・ハート代表の日榮さん(現代朗読協会と音読療法協会の仲間でもある)と、お手伝いのみぞれちゃんが来ていた。

椅子やヨガマットをならべたりして、会場準備。
今日は来れない受講者が何人かいて、午前中は少人数。
まずは、各受講者がそれぞれ5回ずつ参加した実習についての報告や気づきについて聞いて、いくつかアドバイス。
そして音読エチュードと共感的コミュニケーションのレクチャー。

昼は近くのスーパーで弁当を買ってきて、会場で食べる。
ひと休みしていたら、日榮さんが下の階にある高齢者福祉センターに飛びこみで行って、介護予防をやらせてもらえないかとたずねたところ、所長が話を聞いてくれることになったというので、私もサポートでいっしょに出かける。
予算などいくつかクリアしなければならない問題はあるが、こういうところにも介護予防や音読療法のニーズはあるんだなということを確認できた。

午後は受講者がひとり加わって、まずは午前中にやった音読エチュードのおさらい。
それから共感的コミュニケーション。
介護予防や音読療法に共感的コミュニケーションを大事な要素として取りいれているのは、ふたつの理由がある。
ひとつは「ファシリテートのためのスキル」としての共感的コミュニケーション。
もうひとつは「ファシリテーターのイキイキとした心身の安定性」を確保するための共感的コミュニケーション。
みんなこれには興味を持って共感してくれたようで、講座の最後はちょっと深い話になって、私も気づきと学びが多い時間となった。
みなさんに感謝。

それにしても、今日は途中、天候が不穏になり、ビルの9階から見ていると、地上の小学校のグラウンドが埃を巻き上げて真っ白になり、それだけではなく空全体が真っ白になって、びっくりした。
あとで煙霧という現象だということを知ったが、埼玉からどんどん東京の都心まで広がったようだ。
寒冷前線が通過して、雨はほとんど降らなかったが、気温が急激に乱高下して、昼は夏のように暖かかったのに、帰るころには真冬のように冷えこんできて困った。
あれほどの天候の変化のなかで、小学校のグラウンドで少年野球の試合がつづいていたのは、指導していた大人たちがどうかと思う。
あれほどの震災があったというのに、危機管理意識はまだまだ低いように感じた。

そういう自分はどうなんだろう。
常にマインドフルをこころがけて、いろいろなことに気づける状態をできるだけ保っていたいと思う。

2013年3月9日土曜日

ライブワークショップ、昼ゼミ、演出ゼミ、テキストゼミ、濃い一日

今日は午前10時から「朗読はライブだ!」ワークショップの第13期の初日だった。
最終ライブは現代朗読協会の公演と合流して、4月19日夜と20日昼におこなう。
初日ということで、参加者のニーズを聞いたあと、現代朗読の基本的な考え方や方法について解説したり、表現についていろいろ考えたりする。
そのあと、身体作りのことや、感受性のエチュードをやったり、宮澤賢治の詩を使って群読のエチュードをやったりした。
新規参加の方もふくめ、それぞれの学びのニーズがたくさん感じられて、今回も楽しくなりそうな予感。

羽根木の家を映画のロケに使いたいという方が来られる。
監督とそのサポートの方のおふたり。
インディーズの映画らしいが、とても真摯な方たちのようだ。

午後2時から昼ゼミ。
午前のワークショップから一転して、てんちゃんと、オーディオブックリーダー養成講座受講中の陽子さんのふたりだけ。
朗読をするときに私たちを拘束しているいろいろな「なにか」についての考察やら、試行やらをおこなって、なかなか密度の濃い時間となった。

ふたりともそのまま残って、午後4時からの演出ゼミに出る。
演出ゼミは今日が初日の新設ゼミで、興味しんしんで参加してくれたゼミ生が何人か。
今日は初日なので、演出というより、表現についての共通認識としてのベーシックな話をした。
芸術表現の歴史、現代朗読はそのなかでどのような位置にあるのか、従来朗読と現代朗読とはどうちがうのか、人が表現するとはどういうことなのか。
これまた密度の濃い時間であった。

午後6時からテキスト表現ゼミ。
もう妊娠7か月めにはいったあい子さんが、大きなお腹を抱えて参加してくれた。
ちょっと心配だが、うれしい。
とにかく安産をお祈りする。

ゼミではまず、植森さんが私のアドバイスを着実に消化してのクオリティの向上した作品を読ませてくれた。
KATも彼女らしいキッチュなアイディアを盛りこんだ楽しい作品を読ませてくれた。
そして奥田くんも、事故原発を舞台にしたすばらしくクオリティの高い作品を出してきて、びっくりした。
これをもとにそのまま長編にできるだろうと思う。
このときにいったことだが、長編にできると感じる短編は、みじかいなかにしっかりと世界観が作られている。
また、すぐれた長編は、どのパートを切り取っても、そのまま短編作品として読めるクオリティがある。
あるパートを切りぬいてみたとき、短編作品として成立しないような長編作品は、クオリティに問題があるといえる。

20時終了。
長い一日だった。
マインドフルな時間をすごせたと思う。
明日は早朝から武蔵浦和に行って、介護予防アーティストのフォローアップ講座を一日おこなう。
夜は「初恋」の打ち上げ飲み会。

酒井俊&栗田妙子ライブ@中野スウィートレイン

(写真は野々宮卯妙が撮ったもので、酒井さんがネットにアップしてもいいと許可をくれたものです)

一昨日、「ののみず」ライブをやったばかりの中野〈Sweet Rain〉に、酒井俊さんのライブを聴きに行ってきた。

酒井俊さんは何度か聴いていて、最初はどこだったか覚えていないが、ジャズのコンボをバックをスタンダードナンバーを歌っていた。
すでにそのときに、凄腕のボーカリストだという印象を受けた。

その後、カルメン・マキさんに誘われて、下北沢〈レディ・ジェーン〉のライブに行った。
そのときはとても前衛的な試みをされていて、超絶技巧を堪能した。
さらにカルメン・マキさんに誘われて、吉祥寺の〈マンダラII〉でのライブにも行った。
一転して日本語の曲、とくに演歌も含めたレパートリーを歌っておられたのが印象的だった。

今日はスウィートレインに出演が多いピアニストの栗田妙子とのデュオとのことで、楽しみだった。
スタンダードナンバー、童謡、唱歌、宮沢賢治の曲、寿限無とか外郎売りの語りを音楽にしたものなど、大変バラエティ豊かなセットで、楽しかった。
そして音楽側のアプローチではあるが、私たち朗読側からのアプローチと接点がとても近いことに驚いた。

酒井さんとも栗田さんとも、もうちょっとじっくり話したかったのだが、遠慮してしまった。
寿限無の譜面を見せてもらえたのはうれしかった。
いつかじっくり話せる機会が持てるといいな。

2013年3月8日金曜日

出た花粉症、梅丘、菜の花とカキのスパゲティ、軽い手帳

花粉症の症状が軽くなったと喜んでいたのだが、さすがに今日はひどい。
油断して薬を飲まずにいたら、鼻水がとまらなくなった。
飛散(悲惨)情報を見ると、関東全体が真っ赤になっている。

手持ちの薬が切れかかっていて、月曜日から帰省することもあるので、梅丘のかかりつけの医院まで薬だけもらいにいく。
羽根木公園の梅が満開で、大変美しい。
そして強く香っている。

昼に菜の花とカキのスパゲティを作る。
まあまあうまく作れた。
カキとかアサリとか、菜の花は魚介類と合わせるとおいしい。

私はフランクリンのシステム手帳を愛用しているのだが、これが重くて困る。
外出用の軽いバインダーを注文していたのがとどいた。
ファスナー式のもので、カードケースみたいな感じ。
これだとひょいとカバンに突っこんで持って出られる。

今夜はこれから中野〈Sweet Rain〉までヴォーカルの酒井俊さんのライブを聴きに行く。
スウィートレインでの次のライブ日程も決めてきたい。

2013年3月7日木曜日

「上手い/下手」の判断をしないことで幸せになる

今日は木曜日恒例の現代朗読の朝ゼミ、昼ゼミ、夜ゼミの日。

朝ゼミはKATさんと辿さんのふたりだったので、ゆっくり話ができた。
ひさしぶりだったせいか辿さんの声が緊張のために弱く聞こえたので、呼吸のエチュードをいくつかやってみる。
その過程で、いわゆる「声の響き」を出すとか「声を太くする」「腹から声を出す」といったことの実際の仕組みというか、どうやればそのように聞こえるのか、という検証ができたかもしれない。
これについてはもう少し検証してみたいところ。

ランチに〈ピピカレー〉に行く。
チキンのトッピングをおまけしてくれたり、トラジャコーヒーをサービスしてくれたり、いつもよくしてもらっている。

アイ文庫オーディオブックの初代リーダー(reader)といってもいい相原麻理衣が、ひさしぶりに遊びに来てくれた。
まったく変わってなくてびっくり。
振り返ってみれば、彼女とは10年以上に渡る付き合いになるのだった。

午後3時から昼ゼミ。
朗読における「上手い/下手」と感じたり判断したりすることについて、それはどういう根拠にもとずいているのかを検証してみる。
技術と表現の関係は私のなかでも重要なテーマのひとつで、今日はひとつの進展を得ることができたように思う。

私はゼミ生の悩みを聞くのが好き、というか、その時間を大切にしているが、今日もそういう時間がしっかり取れてよかった。

7時から夜ゼミ。
徳島からネット参加のたるとさんも交えて、それぞれの読みを聴いたり、いろんな話をしたり。
ちょっとここには書けない話がたくさん出て、それはそれは楽しかったな。

家に帰ってから記録音声の編集をしてるのだが、レコーダーを長回しにしていたせいか、音声編集ソフトで読み込みが拒否されてしまって、編集できなくて困っている。
明日にでも、音声ファイルを分割するソフトをさがして、再挑戦してみよう。

中野〈Sweet Rain〉での「ののみず」ライブは万華鏡の夜だった

2013年3月6日。
彼女の仕事上の都合で名前は明らかにできないが、ゲストボーカリストのSさん、そしてメインの朗読者・野々宮卯妙と中野駅で待ち合わせて、まずは蕎麦屋で軽く腹ごしらえ。
午後5時半くらいに〈Sweet Rain〉入り。
あたらしいマイクスタンドが届いていて、それの組み立て。

マイクをセッティングして、音響を調整しながら、すこしだけリハーサルというか進行の確認。
Sさんの声はマイクなしのほうが断然気持ちいい。
が、ここのピアノはアップライトながらすばらしくよく鳴るので、バランスを取るためにマイクが必要な場面もある。
なので、どちらのスタイルでもやってもらうことになった。

7時になるとお客さんがやってきた。
今回来てくれたのは、げろきょの仲間や、NVCの仲間。
野々宮、私、Sさんを介した知り合いと、店のお客さんも何人か知らない方。
いつもizaさんや、ピアニストの中村和枝さんもいらしてくれた。

8時すぎ、ライブの1部がスタート。
1部は野々宮と私のみでやる。
私のソロピアノからスタートして、そのまま朗読へ。
夏目漱石の『永日小品』から「蛇」、そして私の「Death Flower」「洗濯女」へと途切れめなく一挙に進行。
1部はそれで終わり。
おもしろくやれた。

2部は9時スタート。
ゲストボーカルのSさんに入ってもらって、まずは唱歌「早春賦」の歌詞朗読、そして歌。
ここからトークをまじえて進行。
以下、私の「繭世界」をふたり朗読で。
「彼は眠らない」をフリースタイル朗読で。
「たとえおまえが僕の敵だとしても」をSさんが歌うイスラエルの反戦歌「Lay Down Your Arms」をワンフレーズずつ挿入しながらの朗読で。
最後は「あめのうみ」を朗読とヴォカリーズで、そしてエンディングはSさんのアカペラで単旋律の歌「コルトナラウダ31番」を。

みなさんからアンコールをいただいたので、「森の音」の朗読とスタンダードナンバーの歌をつづけて。
2部はたっぷり1時間半近くやっていた。
終わったからのビールがうまいこと!
そしてみなさんとの会話が楽しいこと!
いろいろ感想を聞かせてもらってうれしかった。

店からはまたやりましょうといっていただいて、たぶん6月くらいになると思うけれど、またこの3人でやれるといいな。
Sさんは普段、大きなホールやホールに近い大きなライブハウスで歌うことが多い人なのだが、このような小さなライブハウスで即興をまじえた自由なスタイルで歌うことや、お客さんとのコミュニケーションが直接できる機会を貴重だと思ってくれているようで、私としてもそれを提供できたことがうれしかったし、また提供したい。
私の演奏も喜んでもらえて、はげみになった。
なんだか、今年になってから、自分の演奏が自分でも知らないフェーズにどんどん進んでいってしまうように感じるんだよね。
どこへ行くんだろう、自分。楽しみ。

2013年3月6日水曜日

ま、まさか! 花粉症がなおった?

photo credit: Stuck in Customs via photopincc

自分でもちょっと信じられないのだが、今年はなんだか花粉症の症状がまったく出ないか、出てもすごくかるいのだ。

私が重度の花粉症であることは、身近な知り合いならみんな知っている。
30代の前半に発症して、以来20年にわたって苦しみつづけてきた。
アレルゲン検査も受けたことがあって、複数の種類の花粉、枯葉、ハウスダストでアレルギー症状が出ることがわかっていた。

市販薬をふくめいろいろな薬をためしてみたが、最近はアレグラという種類を医者で処方してもらっていた。
市販薬はとくに眠気が出たり、喉がやたらと乾いたりと、身体に合わなかった。
マスクも面倒だし、目もしょぼしょぼする。
一時は点鼻薬も使っていたが、これは習慣化しやすい。
使いすぎると慢性的な副鼻腔炎になりやすいということで、いまは使っていない。
そんなわけで、アレグラはかろうじて私の体質に合うようだった。
1か月分をまとめてもらうのだが、気がついたらここ数か月、ずっともらわずにすんでいる。

今年は去年より花粉の飛散量が多いという。
今日のように天気のいい日は、例年だったら悲惨なことになっていたはずだ。
ところがなんともない。
これはいったいどうしたわけだろう。

花粉症がなおった、という人をひとりかふたり、知っている。
しかし、そんな例はあまりに少ないので、なにかの偶然か、気のせいだろうと思っていた。
が、自分にそれが起こるとは。
なおった原因がわからない。
とにかく、侵入物にたいする過剰なアレルギー反応が正常にもどりつつあることはたしかなように思える。

ここ1、2年でなにか変えた習慣があるだろうか、とかんがえてみる。
ご飯に玄米を混ぜるようになったのは5、6年前のことだから、それが原因とは思えないが、ここ2年ばかりはおなじ玄米でも無農薬のものを実家から送ってもらっている。
それがいいのだろうか。

ここ1、2年といえば、私のなかでもっとも大きいのが、音読療法だ。
この呼吸法は私もみんなにレクチャーしているが、自律神経をととのえ、免疫力を高めることに役立つ。
高めるばかりでなく、正常にする効果も期待できそうだ。
ひょっとして呼吸法が花粉症の症状を和らげてくれたのだろうか。

もうひとつは、羽根木の家という古民家の一角に下宿していた生活から、古いけれど独立した木造アパートの部屋に引っ越したことだ。
ハウスダストの環境が変わったのかもしれない。

これらの原因のどれか、あるいは全部が影響して、症状が激減したのかもしれない。
花粉症に苦しんでいる人がいたら、これらを試してみることをおすすめする。
試してみる価値はあると思う。
あんなに苦しんでいた私がこんなに楽になったのだから。

2013年3月5日火曜日

共感的コミュニケーション部会、トランジション世田谷例会、『花のしつらい、暮らしの景色』

シンビジウム、全開。
この花、どのくらい咲いているんだろう。
割合長持ちするとは聞いているけれど。

昼すぎ、ゼミ生のひとりが相談ごとにやってくる。
じっくり話を聞く。
共感的コミュニケーションのおかげで、人の話を聞いたり、悩みや愚痴を聞いたりすることはまったく苦ではない。
むしろ、その人の大切にしていることにつながることができるのでうれしいのだ。

午後3時から私が勝手に立ちあげたトランジション世田谷の「共感的コミュニケーション部会」の初会合。
最初なので、共感的コミュニケーションの基本的な考え方をレクチャーしてから、実例を使ってそのプロセスを解説する。
喜多見の農家の池田さんが、農地に自動車専用道路が通ってそのジャンクションが計画されていることに反対している地元のグループに参加していて、その問題について共感的コミュニケーションの方法を使って共感したり、かんがえたり、みんなで共有してみる。
少しはお役に立てただろうか。
この部会は継続的にやっていきたいと思っている。
というのは、共生社会、持続可能な社会のありようをいま住んでいる地域で移行していこうというトランジションの考え方をそっくりそのまま人間関係にもあてはめれば、共感的コミュニケーションとなるからだ。

5時に終わって、そのあと1級ボイスセラピストの資格取得中の植森さんが、部会に参加した人を対象に音読ケアのグループセッションを実施する。
数回にわたるグループセッションの実施とそのレポート提出が1級資格の必須要件なのだ。
トランジションの人たちが協力してくれた。

夜はそのままトランジション世田谷の例会。
助成金を継続して申請するための下地作りとして、去年の活動の振り返りや、あらたな活動の展望について、各自意見を出す。
あたらしいアイディアがどんどん出てきて、新年度も活発な活動ができそうな展望が見えてきた。
ここの活動は以前にも書いたことがあったかもしれないが、わざわざ私が共感的コミュニケーションを持ちこまなくても、それぞれがお互いに大切にしていることを尊重しあっている人たちがつながっていて、本当に気持ちのいいコミュニティとなっている。
イベントなどは土日が多いので参加できないことが多いのだが、私にできることはなるべく応援したと思っている。

トランジション世田谷の発起人のひとり矢郷桃ちゃんは写真の仕事をしていて、発売されたばかりの書籍『花のしつらい、暮らしの景色』の写真を撮っている。
本を持っているというので、さっそく譲ってもらった。
とても楽しい本で、うれしくて奥付のところにサインを入れてもらった。
この本のことはあらためて紹介したい。

明日はいよいよ中野〈Sweet Rain〉でのライブ。
秘密の特別ゲストを迎えて、ゆったりと深い、そしてスリリングな時間を持ちたいと思っている。
くわしくはこちら。

ピアノレッスン、桜新町で音読療法のレクチャーと音読ケア

昨日の日記。
午前中、ピアノレッスン。
「Fly Me To The Moon」のコード進行についての解説とアレンジ法について。
コードについての理解がまだ進んでいない人なので、まだまだ時間がかかりそうだ。
クラシック音楽をやりこんで楽譜を読むことに習熟した人ほど、コードを理解し楽譜から離れて自由に演奏することにたいして敷居が高くなる。
これをどうやって越えてもらうか、工夫のしどころだ。

桜新町へ。
待ち合わせて、ボイスセラピストのKAT、音読療法士の野々宮と打ち合わせをかねたランチを、駅前のロイヤルホストで。
ランチ後、桜新町区民集会所に行き、〈菜の花〉というサークルの人たち約25人の方々に音読療法のレクチャーと音読ケアを実施する。
高齢の方が多かったが、みなさんお元気で、呼吸法もとどこおりなくできた。
前半は音読療法のレクチャーと実施だったが、後半は茶話会で、なごやかに談笑しながらみなさんと交流。
音読療法をやったおかげでみなさんの身体がほぐれ、話もとてもはずんでます、といっていただいてうれしい。
時間の最後に、音楽や演劇、朗読など、なにかパフォーマスを共感的に観たり聴いたりするための練習の「インスピレーション・エチュード」を、解説しながらすこしやらせてもらった。
みなさんにとても喜んでもらえて、最後はみなさんひとりひとりからお礼をいわれてうれしかった。

いったん羽根木にもどり、夜は岩名雅記さんの映画「夏の家族」の上映会とアフタートークへ。
その模様はすでにこちらに書いた。

明日の夜はいよいよ中野〈Sweet Rain〉でのライブです。
素敵なゲストが来てくれることになりました(名前は内緒)。
詳細はこちら。

音読療法でおこなうハミング発声の効用

photo credit: - Annetta - via photopincc

 発声と音読、つまり声を出すことによって、呼吸法とおなじ効果をえられることに加えて、さらにべつの効果を期待できる。
 声を出すためには、呼吸によって声帯を振動させる。声帯は気道の途中にある器官で、声門という筋膜の開閉構造が開いたり閉じたりすることで、発声をコントロールする。声門を閉じれば、そこを空気が押し通ろうととして声帯が振動し、声が出る。声門をあければ、振動はなくなり、そこをただ空気が通るだけとなる。
 音読療法ではハミングという発声法を用いる。これは口を閉じたまま鼻から声を出す方法で、大きな声を出す必要はない。声帯の振動を鼻腔から鼻口へと抜けさせる。
 ゆっくりとハミング発声をおこなうことは、ゆっくりと息を吐きつづけるのとおなじ呼吸法でもあり、ハミング発声そのものが呼吸法になっているともいえる。
 ほかに、ハミング発声は声帯から生まれた振動が骨格や体腔構造をたどって身体のさまざまな部位に伝わっていく。胸や腹、頭にも伝わっている声帯の振動を、実際に手をあてて自分でたしかめることで、自分の声を確認し、さらには自分の身体にたいする意識も持つことができる。
 自分の身体全体が「いまここ」に存在していることの認識をみずから持つことは、こころの安定のために大変効果的である。自分の身体の声帯から伝わってくる振動を確認することで、身体にたいする意識をしっかりと持ってもらう効果が期待できる。
 また、声を出すことは、意識を自分の内側から外側へと向けるきっかけにもなり、内にこもりがちな思考を外部環境や他人に向けることにも役立つ。感覚を外側に開くのは、こころの健康のために大変有効なことである。いきなり声を出すことに抵抗がある人でも、ゆるやかで静かなハミング発声なら抵抗なく声を出しはじめられる。

岩名雅記監督「夏の家族」上映会と舞踏、アフタートーク

明大前〈キッド・アイラック・アート・ホール〉まで、舞踏家の岩名雅記さんが監督した映画「夏の家族」の上映会に行ってきた。
先日は同監督の「うらぎりひめ」の試写会を観た。
その感想はこちら。

3月1日から9日まで、キッド・アイラック・アート・ホールにて同監督の全作「朱霊たち」「夏の家族」「うらぎりひめ」の連続上映会を開催中だ。
メジャーではなくインディーズの、本当に手作りの上映会で、岩名さんみずから孤軍奮闘に近い形でがんばっておられる。
今夜は上映前に岩名さんの舞踏もあるということで、楽しみにして出かけた。

時間になってまず岩名さん自身から挨拶や断りがあり、そのあと舞踏へ。
スクリーン前にスポット照明がひとつだけあるなか、着物を後ろ前に着てひたいに布をつけ、脚に鈴をいくつか付けた岩名さんが踊りはじめる。
スローモーションの動きのなかに逆に饒舌なディテールが浮かびあがり、いまここの瞬間につながっている踊り手と私たち観客のあいだをつなぐピンと張った糸の震えのようなものを感じて、飽きない。
岩名さんが踊りはじめ、変化した空気を感じた瞬間、私はその感触がまったく「うらぎりひめ」を観ているときにおぼえた感触そのものだと思い、うれしくなった。
舞踏家の岩名さんと、映画監督の岩名さんの存在がぴたりと重なった瞬間だった。

あえて言及するが、照明はホールの早川さんが担当していたんだと思う。
始まりと終わりで張りつめた明度の微細な変化は、岩名さんの踊りにたいするリスペクトの現われとしての緊張感だったのだろう。

映画の内容についてはあえて書かない。
私はさまざまなディテールがあるなか、生命讃歌を感じたし、「うらぎりひめ」と比較するのは邪道だと思いながらもあえていえば「うらぎりひめ」よりずっとおおらかで、映画製作に対する無邪気さすら感じられて好感を持ったのだが、完成度からいえばもちろんいうまでもない。
もっとも、「夏の家族」のほうが断然好き、というオーディエンスもいるだろうし、実際にいる。
とにかく観てみてほしい、というしかない。
ただし、プロの映画人が作ったような安定的な気持ちよさは期待するほうがおかしいし、ましてや商業作品のような予定調和などまったくないので、観るにはある程度の覚悟がいる。
その覚悟は、観る者の感性の自由度を試されるような種類のものだ。

上映が終わってから、トークゲストとして私と野々宮が岩名さんとアフタートークをさせていただいた。
お客さんのほとんどが残ってくれて、これにはびっくりした。
客のなかにはげろきょのゼミ生や私の知り合いが何人かいて、遠方からの人は上映後帰られたみたいだが、来てくれてうれしかった。

岩名さんの作品についての思い、映画にたいする愛情、フランスでの生活のこと、いろいろなことをお客さんからの質問を交えながら聞かせてもらえて、楽しかった。
岩名さんが私と野々宮に対して現代朗読のことを話させようという気配りをしきりにしてくれたのが、ほほえましくもありがたかった(大先輩に対してとても失礼なものいいではあるけれど)。

ハネてから、来てくれたゼミ生のみぞれちゃん、三木夫妻、野々宮卯妙と私で、近所の(ちょっと不信感をおぼえるくらい信じられなく安い)中華料理屋に寄って、軽く食事しながらビールで乾杯。
映画やトークについて盛り上がって、これも楽しかった。
キッド・アイラック・アート・ホールでの岩名雅記作品の上映会は9日まで。
詳しくはこちら。

2013年3月4日月曜日

まるでバレリーナ、羽根木公園の梅祭り、一升瓶を飲みつくす

昨日。
シンビジウム、全開。
まるでバレリーナのような風情で、本当に美しい。
去年はこれが支柱で立てられた状態で届いたのを思いだした。
支柱仕立てではなく、この自然な状態のほうがよほどいい感じがする。

梅丘駅まで羽根木公園を横切って歩いていく。
羽根木公園では恒例の梅祭りの最終日とのことで、にぎわっている。
水曜夜に中野〈Sweet Rain〉にシークレットゲストで出てくれる友人と駅で待ち合わせて、ふたたび羽根木公園を通って梅見。
去年、おととしはなんだか梅の花があまり咲かずに貧相な感じがしたのだが、今年は豪勢に咲き誇っている。
土壌改良がうまくいったのかもしれない。

羽根木の家にもどり、歌の友人、朗読の野々宮卯妙、私の3人で飲食会をかねた打ち合わせ。
野々宮が手作りのピザパイを作った。
歌の友人がキャベツとあさりを使った蒸し料理を作った。
あさり蒸しはトマトやにんにくも入れて、ちょっとイタリアンな感じ。
簡単料理だが、いろいろと応用できそうで、しかもとてもおいしい。
差し入れのにごり酒の一升瓶を傾けながら、どんどん食べて、どんどん飲む。

もちろん打ち合わせもしっかりと。
どんなテキストと曲をどんな順番で、どんな感じでやろうかということを、ざっとした流れでかんがえる。
もちろん当日はどうなるかはわからないけれど、素材はそろえておく。

それにしてもよく飲んだ。
3人で一升瓶ほとんど一本カラにしてしまった。
私は日本酒はいまいち苦手なのだが、これはおいしくいただいてしまった。

2013年3月3日日曜日

呼吸法の心理的作用

photo credit: Andrea Castelletti via photopincc

 呼吸法をおこなうとき、音読療法士がこころがけるのは、クライアントがそのことに集中できるように気を配ることだ。
 呼吸に集中してもらう。気道を通って口や鼻を出入りする呼気、吸気をしっかりと観察してもらう。胸や腹がふくらんだりへこんだり、肩があがったりさがったりすることに注意を向けてもらう。自分の呼吸によって起こる空気や身体の動き、音などに集中し、そのほかのことをかんがえないようにする。
 実際、呼吸法をやってもらったあとで、
「いまなにをかんがえていましたか?」
 と質問すると、たいていの人からは、
「呼吸以外のことはなにもかんがえなかった」
 という答えが返ってくる。そのとき、呼吸法はうまくいっているとかんがえられる。なぜなら、呼吸法の目的のもうひとつが「いまここにある自分の身体、ありように集中すること」だからだ。「マインドフルネス」ともいう。
 人がなんとなく不安を感じたり、不機嫌な状態が持続する原因は、いまここにないことをあれこれかんがえてしまうことにある。たとえば、いまここではないどこか別のところにいる家族や友人のことをあれこれ心配してしまう。病気になってないだろうか、事故にあってないだろうか、勉強はちゃんとやってるだろうか、人間関係でなやんでないだろうか。いまここで思いなやんでもしかたのないことを、つい思いなやんでしまう。
 あるいは、まだ起こってもいないことを想像して、重苦しい気分になってしまう。地震が起こったらどうしよう。友だちとけんかしたらどうしよう。親が死んだらどうしよう。ガンにかかったらどうしよう。仕事をくびになったらどうしよう。それはまだ起こってもいないことなので、いまここで思いなやんでもしかたがないのだが、ついついあれこれわるいことを想像してしまう。
 逆に過去に起こったことをいつまでもくよくよと思いなやんでしまう。友だちと喧嘩した、仕事で失敗した、地震で怖い思いをした、だれかから悪口をいわれた、ギャンブルでお金をすってしまった。これらのこともすでに過ぎ去ってしまったことであり、いまここでくよくよとかんがえてもどうしようもないことだ。しかし、気がついたら思い返してしまっていて、いつまでもそのことばかりかんがえてしまう。
 そういった思考癖が私たちの身についてしまっている。これはやむをえない面がある。なぜなら、私たち人間は、他の動物とちがって大脳皮質を飛躍的に発達させた生き物だからだ。大脳皮質を発達させたことによって言語活動や論理思考や情報記憶ができるようになり、大勢の人とコミュニケーションをはかったり、文明社会を築き発展させてきた事実がある一方、その大脳皮質を発達させたことでいろいろ悪いことも起こる。そのひとつが、上記のような想像力や記憶力による思考の働きだ。
 このような思考の働きは人の心に不調を生じさせ、結果的に身体運用能力にも影響をあたえる。この思考からのがれられなくなると、うつにおちいったり、不安神経症になることもある。
 いまここにはないことをくりかえし思い出したり、かんがえつづけてしまうことを「反芻思考」と呼ぶ。いったん反芻思考がはじまると、なかなかそこから抜け出せなくなる。活発に活動していてほかのことをかんがえなければならなくなったり、目の前のことをすぐにやる必要がある場合は、簡単に反芻思考から抜けだすことができるが、ひとりでいるときや眠りにつく前など、反芻思考におちいってなかなか抜け出せなくなることがある。
 自分が反芻思考におちいっていることに気づけば「いかん、いかん」とほかのことに気を向けたり、べつのことをかんがえようとするのだが、それがまた別の反芻思考を引きおこしたり、ふたたび元の反芻思考に立ち戻っていったりすることが多い。そんな経験はだれにでもあることだろう。
 こころの病や心身の不調の原因となるこの反芻思考を断ち切るもっとも簡単で確実な方法が、呼吸法なのである。手順どおりに呼吸法をおこない、自分の呼吸に集中する。自分自身の「いまここ」に意識をむけることで、反芻思考を簡単に断ち切ることができる。反芻思考におちいりそうになったらすぐに呼吸法をやり、「いまここ」に立ちもどるスキルと習慣を身につけることで、もやもやした不安や不機嫌な状態から開放されていくだろう。
 呼吸法を入口とする「いまここ」の意識、マインドフルネスの意識は、なにより有効なこころの病の予防である。

呼吸法の生理的作用

photo credit: AlicePopkorn via photopincc

 音読療法の呼吸法にはさまざまな効果が期待できる。
 呼吸という身体運動には、たくさんの骨格と筋肉、神経が連動的に関わっている。
 呼吸は肺の体積が縮小したり増大することによって酸素を取りこみ、二酸化炭素を排出するのだが(ガス交換の働き)、肺そのものは筋肉ではなく、みずから収縮・膨張できないいわばたんなる袋である。その袋状の肺を取り囲んでいる胸郭と横隔膜が動くことで、呼吸がおこなわれる。呼吸には筋肉の運動がともなっており、さまざまな筋肉(呼吸筋群)が連動的に収縮したり弛緩したりする。通常、これらの運動はほぼ無意識におこなわれているのだが、これを意識的におこなうことで一種の筋肉トレーニングの効果を生んだり、身体全体の血行を改善したり、健康法としての効果が期待できるようになる。
 また、呼吸法によって不随意神経系である自律神経に意識的にアクセスし、自律神経がつかさどっているさまざまな生理現象を調整することに役立てることができる。

 呼吸は「吸う」ことと「吐く」ことがあるが(ヨガや瞑想法では「止める」もある)、それぞれ使う筋肉が異なっている。
 吸う呼吸では、横隔膜、外肋間筋、胸鎖乳突筋、斜角筋群などのほか、大胸筋、小胸筋、広背筋、僧帽筋、菱形筋なども連動して働いている。
 吐く呼吸では、内肋間筋、外腹斜筋、内腹斜筋、腹横筋などのほか、腹直筋、骨盤底筋群なども連動して働いている。
 このように多くの筋肉群が連動して働いていることを意識しながら呼吸をおこなうことで、これらの筋肉を鍛えたり整えたりして心身のリフレッシュおよび健康促進をはかることができる。

 呼吸法がおよぼす神経作用については古くからよく知られている。
 気持ちが落ち着かないときに深呼吸をするとなんとなく落ち着くのはだれもが経験のあることだろう。座禅や瞑想、ヨガ、古武術などにおいても呼吸はとくに重視されている。古来からさまざまな呼吸法が考案され、経験的にその効果が認められているが、音読療法ではさまざまな呼吸法のエッセンスを抜きだし、だれでも利用できるように整備してある。いわば「いいとこ取り」の呼吸法である。
 呼吸がおよぼす神経作用のなかでもっとも注目されているのが、自律神経におよぼす働きだろう。
 自律神経は不随意神経系と呼ばれていることからわかるように、自分で意図的に操作できない神経系である。たとえば自律神経がつかさどっている体温調節や心臓脈拍の変動などは、通常、意図的におこなうことはできない。「体温をあげろ」とか「心拍数をさげろ」などと自分の身体にお願いしても、普通はそのとおりならない。
 自律神経は生命維持やさまざまな体調の調整をつかさどっている重要な神経系だが、これがなんらかの理由で不調をきたすといろいろな不都合が生じる。自律神経が不調をきたすと、睡眠障害、動悸、息切れ、便秘、下痢など、神経系、循環器系、消化器系、免疫系などの不調につながる。
 自律神経は「活動・消耗」の神経である交感神経と「休息・回復」の神経である副交感神経が対になっているが、現代人は交感神経ばかり昂進させる生活をしいられていることが多く、それが原因で自律神経に失調をきたしている人が多くなっている。ひどい場合には自律神経失調症という病状におちいる。これを正常にもどすためには副交感神経もしっかりと働かせるようにこころがける必要がある。
 しかし、これらは不随意神経系であり、自分の意志では、直接、自在にコントロールできない。そこで、呼吸法が役に立つことになる。呼吸法は、不随意神経系である自律神経にアクセスする唯一の方法なのだ。
 通常、交感神経が昂進しているときには(活動・消耗期の状態)、呼吸は比較的浅く速い状態になっている。副交感神経が昂進しているときには(休息・回復期の状態)、呼吸は比較的深くゆっくりした状態になっている。このことを逆に利用し、呼吸を意識的に深くゆっくりすることで、副交感神経の昂進をうながすのだ。このメカニズムについては、経験的にも実験的にもすでに実証されていて、臨床の場でも多く利用されるようになってきている。
 このように、呼吸法はだれでもできる非常に簡単な健康法といってもいいだろう。そのことを理解した上で、音読療法士は呼吸法をおこなうようにする。

2013年3月2日土曜日

シンビジウム、梅、体験講座、テキストゼミ

シンビジウムの花が1輪を残して開花した。本当に美しい。
ほれぼれする。

午前中はテキスト書き。
午後は現代朗読体験講座。
羽根木の家に行く途中、梅の花が5分以上咲いていた。
これもきれい。
いかもいい匂いがあたりにただよっていた。

午後2時から体験講座。
外部からの参加者が半分、ゼミ生が半分。
しかも外部参加者は遠くから来た人が多かった。
愛知県春日井市、山梨県上野原市、横浜市戸塚など。
春日井の男性は、近くでげろきょのようなことをやっている朗読の教室や集まりを探してみたが、なかったのでわざわざ来られたとのこと。
それはそうだろう、現代朗読は日本のなかでもここでしかやっていない。

今日の体験講座でおこなったエチュードは、新作で、中原中也の「サーカス」を使ったブランコのエチュード。
複数人数でのパフォーマンスでやったことがあるが、それを改良してひとりずつ独立してやれるようにして、そのあと複数人数でもやれるあたらしいエチュードに形を作ってみた。
なかなかおもしろいエチュードになったので、これはゼミでもやってみたい。

午後6時からテキスト表現ゼミの予定だったが、参加表明者がゼロだったので休講にしたら、あとになって参加したいという者が出てきたので、奥田くんとあい子さんはハングアウトで、体験講座から引きつづきの植森さんとかっしーはリアルで、小一時間だけゼミをやる。

中野〈Sweet Rain〉ライブ「ののみず」は来週水曜日夜です

今年にはいってから現代朗読と即興音楽によるライブをいくつかやってきた。下北沢〈APOLLO〉と〈レディ・ジェーン〉、そして来週は中野〈スウィートレイン〉。
朗読はいずれも野々宮卯妙で、音楽は私のほかにギターの臼井康浩さん、チェロの翠川敬基さん、ヴォイスパフォーマーの徳久ウイリアム氏ら、いずれも即興の人たちとやってきた。
どれもスリリングだった。

スウィートレインでやるのは、実はこれが正式には初めて。
一度、ピアノの板倉克行さんが病気で休まれたときに、代役でライブをやったことはある。
あくまで代役だった。
今回は正式に店側と合意してライブをやることになった。
板倉さんがスウィートレインでライブをやるようになって数年が経過しているが、そのたびに遊びに行って、ちょっといっしょにやらせてもらったりしていた。
それがようやく独立してやれることになった。

そもそも板倉さんと知り合ったのは、やはり中野の〈ピグノーズ〉でげろきょライブを定期的にやっていて、そこへ板倉さんがふらっと遊びに来てくれるようになったのがきっかけだった。
そのときにやはり我々のことをおもしろがってしょっちゅうお客さんで来てくれていたizaさんが、板倉さんをスウィートレインに紹介して、板倉さんはスウィートレインでやるようになったのだった。
そんな経緯があって、けっこうスウィートレイン通いは長いのだが、正式にライブをワンマンでやるのは初めて、というわけだ。

今回の「ののみず」でどんなテキストを朗読に使うか、いま選定中だ。
文豪の文学作品と私のオリジナル作品を組み合わせようか、などと不遜なことをかんがえていたりする。
そして、たったいま連絡がはいってきたのだが、ある人がゲスト出演してくれることになった。
ちょっとしたサプライズゲストなので、皆さん、来てね。
くわしくはこちら。

音読療法の正当性を担保するもの

photo credit: Valentina_A via photopincc

 音読療法ではその正当性を重視している。
 さまざまある民間療法や○○セラピーと称するもののなかには、その正当性を疑うものも多々あることは衆知の事実だろう。なかには金銭目当ての詐欺まがいのものもある。
 音読療法においてその正当性を担保するために、以下の三つの要件を重視している。

 (1) 客観性
 (2) 論理性
 (3) 実証性

「客観性」はその事象が主観的ではなく、客観的であること。たとえばある音読エチュードをおこなったとき、それがもたらす効果や変化についてだれかが主観的に思ったり感じたりするだけでなく、ほかの者がそれを観察して効果や変化について確認できるようなことをいう。
「論理性」はその事象について客観的に説明や証明が可能であり、それが論理的であってだれにでも理解できること。
「実証性」はできれば科学的・学術的に実証できることがのぞましいが、現時点において現代科学で必ずしも証明されていない事象でも、長い歴史や経験のなかで観察され現象面で確からしいことが確認されているものも、音読療法では取りいれることがある。たとえば瞑想や古武道、ヨガなどでつちかわれてきた呼吸法など。もっとも、呼吸法のもたらす効果については、最新の医学や検査装置の発展によって徐々に明らかになりつつある。
 以上の要件を重視しながら、できるかぎり正当な体系を築いているのが音読療法である。

2013年3月1日金曜日

鉢の植えかえ、咲きはじめた蘭はシンビジウム・ナガネブとほぼ突き止める

去年の春に買って、その後名前もわからなくなってしまった蘭を大事に育てていたのだが、先日から花穂が伸びてきて、ここ数日、急につぼみがふくらんできた。そして今日、ついに花が開きはじめた。
淡いレモン色の花だ。

今日は朝から猛烈な風が吹いて、生暖かく、春一番とのことだ。
暖かくて窓をあけるが、風が強いので全開にはできない。
先日、鉢を内側からの圧力で割ってしまったストレリチア・レギネ(極楽鳥花)の植え替え作業。
大きいのでかなりの大仕事になってしまった。

ついでに部屋の掃除。
だいぶすっきりした。

午後になると、蘭の花がどんどん開いてきた。
茎と花の形を手がかりに、ネットで種類を調べてみる。
なかなかわからなかったが、まずはなんとかシンビジウムの一種らしいことがわかる。
そして画像検索した結果、小型蘭のシンビジウム・ナガネブではないか、というところまでたどりつく。
ただし、香りが特徴の「フラグランス」ではないようだ。
香りはあまりないので。

派手ではないが、とてもつつましくて美しい。
花を楽しみながら、書き物仕事。
もうひと鉢、これはクワズイモだと思えるが、その小さな株をひとまわり大きめの鉢に植え替え。
今日は一歩も家から出なかった。

「好きなことで食べていく」という矛盾

photo credit: José Ramón de Lothlórien via photopincc

私のもとへは、日々、多くのナレーター志望、声優志望、アナウンサー志望などの「声の仕事」につきたいと望んでいる人たちがやってくる。
私はできるかぎりゆっくりと話を聞き、彼女たちのニーズがなんであるのかをいっしょにかんがえる時間を作っている。

その過程でわかったのは、彼女たちのほとんどが、
「自分の好きなことを仕事にしたい、それで食べていきたい」
と漠然と思った結果、声の仕事につきたいと志望するようになった、ということだ。
私にも覚えのあることなのでとても共感できるが、しかし同意はできない。
なぜなら、この思考経路は矛盾に満ちているからだ。

好きなことをやりたい、ということと、それで生活のための収入を得る、ということはとても矛盾している。
なぜなら、好きなことをお金に換算しようとした瞬間に、それは好きなこと・やりたいこと(=ニーズ)ではなく生活の手段になってしまうからだ。


私は小説を読んだり書いたりすることが好きで、それで生活できたらどんなにいいだろうかと思って、20代のころに書いたSF小説で商業作家になった。
最初に書いた小説はそれこそ好きで書いたもので、だれの意見も取りいれなかったし、売れるか売れないかすらかんがえなかった。
ただ夢中で好きなことに向かいあった結果、一本の小説が完成したというわけだ。
それが結果的に出版社に売れ、職業作家になった。

2作め以降は「それで生活をする」ために書くことになる。
当時はまったく気づいていなかったが(おろかであった)、作家になったからといって好きなことばかり書いていられるわけではない。
書いたものは商品であり、それは売れなければならない。
自分もそれが売れることによって生活するわけだから、売れる小説を書かねばならない。
どんな小説が売れるのかは、編集者から指示される。
好き勝手に書けるものではない。
書く作品がすべてある程度売れることが保証されるような人気作家ならともかく(そんな作家はひと握りしかいない)、ほとんどの職業作家は編集者や出版社の意向で書かされている。
好きなことを仕事にしたつもりが、いつの間にか仕事が生活の手段になり、苦痛に満ちたものになっている。


自分の好きなことがあれば、それは大切にして、生活の手段にしないほうがいい。
結果的にそれで収入が発生して「結果的に」生活できれば幸せだが、それで生活することを「目的」にしないほうがいい。
好きなことがずっとできるようにするために、どのような生活をするか、そのようにかんがえたほうがいい。
声の表現が好きならば、声の表現をずっとつづけていくために、そんな自分をささえ持続させるために、どのような生活や仕事が自分には必要なのか、とかんがえたほうがいい。

外部バッテリー「ハイパージュース」で給電+充電を可能にする

MacBookを持って外出する際、AC電源が使えないことが想定される場所に行くときは、外部電源のハイパージュースというものを重宝して使っていた。定格が14.5V〜18.5V、4.5Aマックス、60Whという容量で、さらにでかい容量のものも何種類かあるが、私はもっとも小型の60Whのものを使っている。
USBアウトもついているので、MacBookだけでなくiPadやiPhoneも充電できるし、電圧が高いので充電時間も短いのがよい。

具体的に私はMacBookPro13インチを持って出ることが多いのだが、このハイパージュース電源は本体とほぼおなじ容量ある(やや少ないが)。
つまり、本体で5時間作業をやれるとしたら、ハイパージュースにつなぎなおしてさらに5時間近く作業を確保できるわけだ。
1泊2日程度の外出だったらこれで充分いける。

このハイパージュースを、給電だけでなく本体の充電もできるようにするキットを入手したので、さっそく組み立ててみた。
MacBookのマグセーフアダプターを途中でブスっと切断して、キットをかましてつなぎなおすのだが、さすがに切断するときはちょっとためらった。
が、なんとかうまくキットをつなぐことができた。

これでハイパージュースから充電できるし、給電しながら使用もできる。
また、ハイパージュースそのものを充電しながらMacBookを充電したり給電しながら使うこともできる。
ハイパージュースをかまさず、普通にコンセントから給電しながら使うこともできる。
実際にどのくらいの時間無給電で使えるのか、今度試してみよう。