2019年10月19日土曜日

音楽製作三昧で命の表現(末期ガンをサーフする(29))

10月17日、木曜日。午前10時。
29回めの放射線治療のために東京都立多摩総合医療センターに行く。

毎週木曜日は診療放射線科の担当医師の診察がある。
今回で治療中の診察は最後となる。
体調の波とか、粘膜の荒れとか、食欲不振については、想定の範囲内ということで、治療は順調とみていいでしょうといわれる。

放射線治療は短期的ではなく長期的な副作用があらわれることが多いので(血液ガンなど別のガンが発症するなど)、一度受けるとしばらく受けられないと聞いていた。
そのことを確認すると、
「いや、今回の治療は照射量が多かったので、しばらく受けられないというより、二度と受けられないと思っておいてください」
といわれた。
なるほど、そういうことか。

この日は治療後、作曲家でアレクサンダーテクニークの教師である海津賢くんが国立の家に来てくれて、いっしょに音楽製作をやることになっていた。
この作業は数週間前に一度やっていて、そのときは二日間で四曲のオリジナル曲をふたりで作った。

私が末期ガンをわずらっていると知ったときに、賢くんが、
「なにかやりたいことない? よかったらサポートするよ」
といってくれ、それならというので、いっしょに好きなように音楽を作ることになったのだ。
いまあらたにオリジナル曲を作るにあたっては、やってみたいことや曲のイメージがたくさんあって、プロの作曲家でデジタル音楽のハンドリングにもたけている賢くんにサポートしてもらえるのは、願ったりかなったりだった。

昼前に賢くんが機材を積んだ自分の車でやってきた。
私もひととおりの製作機材は持っているが、とくに音源関係は賢くんが比較にならないくらいの膨大でクオリティの高いものを持っている。

私がキーボードに向かい、思いついたままのフレーズを演奏する。
それを賢くんが音楽製作ソフトのトラックにならべ、音源やイフェクトを割り当てたり、さまざまな操作をする。
ときには彼もキーボードを持ち、リズムの打ち込みとかやる。
まさに二人三脚でどんどん曲を仕上げていく。

設計図も楽譜もない。
曲ができていくにつれ、それがまたインスピレーションを呼び、つぎの展開が生まれたり、予想もしなかったフレーズや音ができあがっていく。

これほど創造的で楽しい時間はない。
音楽という形で私の生命の表現が生まれ、私の生きている証が形になっていく。
これができる活力が維持できていて本当によかったと思う。
生きながらえることにリソースを注ぎこむより、いまこの瞬間の自分自身の生命を感じ表現しきること。
そのためにいまここに私は生きている。