2019年6月20日木曜日

自分をコンテンツ化する(老後にそなえて?)

以下の私見は半分冗談、半分本気です。
読み流していただければ幸い。

まじめに払っているのに年金が支給されなくなるとか、減額されるとか、2千万円の蓄えがないと老後を安心して生きられない、いや本当は3千万円だとか、いろいろ不安な情報が飛びかっている。
お金を稼ぐ能力があろうがなかろうが、つまり子どもだろうが高齢者だろうが、障害者だろうがなにかのマイノリティだろうが、すべての国民が安心して生存できることを保証しているのが憲法だろうし、文明国(日本がそうであるかどうかはさて置いて)のありかただと思うが、現日本国の政治家や政府はそんなものを遵守するつもりはまったくないらしく、ホリエモンのツイートが代表しているような自己責任論ばかりが幅をきかせている。
自分がマイノリティになったとき、無力になったときのことなど、だれも想像すらしないらしい。

いまの日本の社会資産は、それがうまく再配分されれば、すべての国民が充分に安心して暮らせるだけの余剰があると私は思っているし、そういう試算もある。
たとえばベーシックインカムなどによってすべての国民が、すくなくとも金銭面では安心暮らせるような社会システムは、そんなに不公平なものなのだろうか。
働ける者、稼ぐ能力のある者、持てる者が、働かない者(働けない者)や持てない者の生活を支えるのは、そんなにいやなのだろうか。
むしろ心の豊かさをもたらすのではないかという私の想像は、それほど奇抜なものなのだろうか。

残念ながら、すべての者が自己責任を押しつけられてなんとか生きていかねばならないのが、現実社会だ。
当分これがつづくだろうとせねばなるまい。

自分という資産を活用しよう、というのが私の提案のひとつだ。
資産といっても、お金や貴金属や証券や不動産のことではない。
自分のなかに蓄積してきた「経験」という資産だ。

自分の経験をコンテンツ化しておく。
有料コンテンツでもいいし、無料でもいい、とにかく必要な人がそこにアクセスしコンテンツを入手できる仕組みを作っておけば、一生そのコンテンツは提供されつづける。
私が提供するコンテンツは、私が生きているあいだはもちろん、私が死んだあとも残っている。

そのために自分の経験や生産したものをデジタルコンテンツ化しておく。
音楽や朗読、トーク、講演、などの音声コンテンツ。
著作物などのテキストコンテンツ。
漫画やイラスト、写真、絵画などの映像コンテンツ。
YouTubeに代表されるような動画コンテンツ。

自分はなにをコンテンツ化できるだろうか。

電子書籍の世界でおもしろいコンテンツと現象がある。
スマホの音楽アプリで、指だけでドラムを演奏できるものがある。
音のクオリティはすばらしく、修練すれば本物のドラムを演奏しているような音を残せる。
マルチトラックを駆使してオリジナル音楽を作ることも簡単だ。

その指ドラムの練習方法だけを記した電子書籍がある。
だれがこんなものを買うんだろうと思うかもしれないが、指ドラムを演奏したい、練習したいという人は意外に多く、この電子書籍はおどろくほどの売り上げがあるらしいのだ。
たぶん、自分の趣味を人にも分かちたいという軽い気持ちで作ったものだろうが、それを必要とする人がいて、電子書籍として公開販売したらその人たちに届いた、というわけだ。

自分の経験のどんなことが、だれに必要とされているのかわからない。
自分の創作物がだれに気にいられるかわからない。

コンテンツというと有料を前提とかんがえる人がいるようだが、無料公開でもいい。
それが必要な人に届くとき、そこにつながりが生まれ、ひょっとしてコミュニティに成長するかもしれない。
それは自分にとって生きていく「場」になりうるのだ。

私も商業出版とは距離を置き、出版社に依存しない自力出版で自分のテキストコンテンツなどを配信している。
じつに自由で楽しい世界だ。
多くはないが、売り上げもある。
あてにならない微々たる年金を不安な思いで待ちつづけるより、楽しみながらせっせと自分をデジタルコンテンツ化していくほうがずっといい、と私は思っている。


次の講座、今夜です。
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