2011年2月28日月曜日

エスキモーに氷を売る、日本人に水を売る

(以下の記事はあくまで私見であり、私が自分自身の考えをまとめるために書いたメモのようなものです。暖かな目で読んでいただければ幸いです)

芸術や表現の話ではなく、「商品」の話をする。
『エスキモーに氷を売る』という本がある。
魅力のない製品をどうやって売るか、というマーケティングの本だ。「奇跡のマーケティング」などともいわれ、一時期、大変もてはやされた。
ちょっとかんがえればわかることだが、大変醜悪なかんがえ方だ。
あるモノを「いらない」といっている人に「ほしい」と思いこませ、買わせてしまう。詐欺といかほどちがうというのか。
エスキモー、なんていうから我々は対岸の火事のように眺めているが、実は日本は世界でいちばん「水」を輸入して買っている国だという。
世界一水が豊かでおいしい国の人々が、世界一水をたくさん輸入して買って飲んでいる。氷を買わされているエスキモーとどこがちがうのか。
車を一台持っている人に、さらにもう一台買わせようとしたり、買い替えさせようとしたり。
たくさん服を持っている人にこれでもかと新しい服を買わせようとしたり。
何十年ものローンでがんじがらめにしてまで家を買わせようとしたり。
わけのわからない外国のイベントを輸入して、不必要なプレゼントを買わせたり贈らせようとしたり。
ありとあらゆる調理器具のそろっている家に、一年に一度使うか使わないかわからないホットサンドイッチを作るためだけの器具を買わせようとしたり。

大量の商品が世の中にあふれ、それを人々は大量に消費している。しかし、それは本当に「消費している」のだろうか。「消費させられている」だけではないのだろうか。
本当にその商品は自分にとって必要なものなのだろうか。
必要でもないものを買わされ、大量にモノとカネが動くことでかろうじて回っている経済。そんなものはほとんど「フィクション」といっていいのではないだろうか。
そんなフィクションの世界からはさっさと抜け出したいと思うのだが。

私もモノを作り、売っている人間だ(ほんとにささやかではあるが)。しかし、それを「いらない」という人にまで「売りつけたい」とは思わない。
私が作ったものを心から「ほしい」と思ってくれる人に届けば、こんなにうれしいことはない。
逆にいえば、そう大勢でなくてもいい、何人かが「ほしい、必要だ」と思ってくれるようなものを作りたい。
それがどういうものなのか。そこを熟考したい。
だれかから必要とされているもの。そのなかに、きっと私が作りたいものも含まれているはずなのだ。

以上、「商品」の話でした。