資本主義経済においてはモノが「消費」されることが経済の動輪となっている。
人々はモノを買い、対価を支払う。消費行動だ。消費の対象となる「モノ」は、文字どおりの「物」だけではない。娯楽やサービス、情報といった形のないモノも消費対象となる。
モノを買うためのカネはどうやって得るかといえば、自分の労働力を売ったり、なにかを生産したり収穫することで得る。
そういうシステムのなかで「タレント」も消費される。「女性」や「若さ」という「モノ」も消費対象となる。
いろいろなジャンルでそれはおこなわれているのだが、ここでは「声の仕事」を見てみたい。
声優にしてもアナウンサーにしてもナレーターにしても、職業として長くつづいている人はほんのひと握りだ。
表に出て目立つことが多い仕事なので、多くの人が長続きしているように見えるが、実際にはその何十倍、何百倍という人が途中でリタイアしていくか、そこにたどりつくことさえできないでいる。
たとえば声優学校というものがある。びっくりするほどたくさんの学校があって、ほとんどが専門学校なのだが、プロの声優の私塾や事務所の養成所のようなところもふくめると、膨大な数の声優志望者が毎年入校し、そして卒業している。
もちろん、それほどの数の声優の仕事などはない。
そもそも、このところの経済状況の変化やマスコミ業界の構造変化のせいで、声優の仕事はどんどん減ってきており、またジャンル化していて、かつてのような華やかさはない。一見、声優タレントが歌手デビューしたり、ステージで派手なパフォーマンスを演じたりしていて、華やかなように見えるが、現実は非常に厳しいといわねばならない。
テレビ局やコマーシャルの世界も収益が前年の50パーセントを割る、などという劇的な危機を迎えているところだ。
成り手の志望者が多くて、仕事が少ない世界というのは、市場原理が働いて、仕事の単価は著しく低くなっていく。極端な話、ただでもやりたい、という者がいる以上、ギャラが安くなっていくのは当然だろう。
使う側としては、そこそこうまければギャラが安いほうがいいに決まっている。そして声優はよほどの人でないかぎり、ほとんどは取り替え可能なのだ。
また、使う側からしたら、ひょっとしたらなにかでブレークして莫大な収益をあげられる可能性がありそうな者を使いたくなる。つまり、中堅よりも、まだ知られていない若い声優を使うことになる。
かくして、若くてそこそこかわいい女の子、若くてそこそこかっこいい男の子、こういった声優が次々と使い捨てられていくことになる。
長年苦労して技術を身につけても、ある程度の年齢に達した者は声優にしてもナレーターにしても、仕事につけるチャンスは著しく少ない。
私はこういった現状や業界のありかたを批判しているわけではない。こういった現状がある以上、おなじ苦労するならかしこくやってほしいと思っているのだ。すぐれた技術を身につけた声優やアナウンサーやナレーターが、いつまでも取り替え可能な存在のまま、やがては使い捨てられていくのを見るのは、しのびない。
では、どうすれば取り替え不能で、使い捨てられないプロフェッショナルになることができるのだろうか。
それについてかんがえてみたい。
(つづく)