順調なら、明後日のいまごろはもう国立の自分の家でのんびり荷ほどきをしているだろう。
最後のベルリンでは、ぜひ、ジャズのライブを聴きに行ってみたい、と思っていた。
しかし、ネットであれこれ現地情報を調べていて、ふと気がついた。
ベルリンでジャズライブを聴きたいと本当に思っているのか、それはたんなる思いこみで、聴かなければならないという自分自身に課している一種の義務感のようなものではないのか。
そもそも東京にいても、毎晩のようにジャズのライブを聴きに行きたいなんて思っていない。
もちろんライブを聴きに行くことはあるが、それは自分がどうして聴きたいアーティストであったり、内容であったりする場合であって、なんとなくジャズを聴きに行きたい気分になってぶらっと出かける、なんてことはまったくない。
ライブだけでなく、旅先ではどうも、いろいろ行かねばとか、食べねば、買わねば、といった自分で勝手に義務化している行動があるようだ。
いってみれば貧乏根性だろう。
せっかく旅に出たんだから、できるだけいろんなことを体験しよう、というかんがえだ。
それはそれでひとつのかんがえかもしれないが、私の場合、そんなことを自分では望んでいないことに気づいた。
では、なにを望んでいるのか。
そこで人々が生活し、仕事したり表現活動しているその場に自分を置いてみて、自分のなかでなにが起こるのか、なにを感じるのか、それを見てみたいのだ。
そしてそこからなにが生まれてくるのか。
それが私の仕事だし、生きる意味だろうと思っている。
なので、今日も観光地をがつがつと回るようなことはしないことにした。
今日はちいさなギャラリーがたくさんあつまっている地区をゆっくりと歩いてみたい。
アート作品や、できればそこで生活し仕事しているアーティストと会ってみたい。
その体験で私がどう感じ、どう変化するのか、観察してみたい。
私という生命現象=アート表現を楽しみたい。