2019年3月10日日曜日

杉並ここなみ舎の朗読会で至福の喜びをもらう

セシオン杉並まで、ここなみ舎の朗読会「たぐる そして みらいへ」に行ってきた。
この朗読会は丸木位里・俊夫妻による原爆の図第10部「署名」の展示会を応援するイベントとして開催されたものだった。

すこし早めに行って、まずは原爆の絵や資料を見る。
展示されていた絵は多くはなかったけれど、迫力の画面で、すばらしいものだった。
観ているとさまざまな想いが体内を駆けめぐる。

朗読会がおこなわれる2階の視聴覚室に移動。
ほぼ定刻に会がスタートした。

いくつかの作品が、何人かの人によって朗読されたり、群読で表現されたりしたのだが、そのなかに私の「繭世界」という朗読のための作品もはいっていた。

「繭世界」は311の震災に触発されて書いたものだが、直接的には震災のことはほとんど出てこない。
ふたりの朗読者が同時に関連があるようなないような、別々のテキストを読むことが指定されている。

これを野々宮卯妙に「沈黙の朗読」などで何度か読んでもらっていて、当然ながらひとりで読むことになる。
今回は唐ひづるとトコラテンというふたりの朗読者が、指定どおりに、しかし自由に動きを交えながら読んでくれた。

私が書いたものが、目の前で朗読者ふたりにいきいきと読まれている。
しかもふたりはともに現代朗読のセオリーをともに学び、実践した経験のある者で、私が伝えたり、いっしょに試みたりした手法が実行されている。

私はこちら側の客席にいながら、まるで彼女らといっしょにステージに立っているような感覚に包まれていた。
私がこの場にいなかったとしてもこのような表現はおこなわれていたのだろうと想像すると、私の命そのものがふたりの朗読者の表現を借りてここに存在するのだと思えた。

私が朗読の方法を伝えたり、演出したりする意味、朗読されるためのテキストを書く意味が、言語化は難しいけれど体感できた瞬間がそこにあった。
うれしい。
私もまた、丸木位里・俊夫妻の原爆絵画の応援に参加しているといえるかもしれない。

そんなことを感じ、反芻しながら、高円寺の街で気持ちのいいスペインバルに立ち寄り、満ち足りた気持ちで国立に戻ったのだった。

このような経験をプレゼントしてくれた唐ひづるとトコラテンのふたりには、心から感謝したい。
ありがとう。