2016年12月31日土曜日

映画:ザ・ウォーカー

2010年公開のアメリカ映画。
主演はデンゼル・ワシントン。

よくある設定ですが、舞台は最終戦争によって文明が滅びて、わずかな生き残りが汚染された世界に生きている未来。
マッド・マックスと似たような、それ以外にも無数に使われた設定です。
私がこのような世界設定の物語に最初に接したのは、中学生のときに読んだロジャー・ゼラズニイの『地獄のハイウェイ』でした。
極限まで描写を切りつめたハードボイルド文体で、かっこよかったなあ。
子どもごころにしびれた記憶があります。

さらに話はそれるけれど、ゼラズニイは自分の小説に格闘シーンをよく登場させます。
それもそのはずで、彼自身が武術マニアで、その武術歴のなかに私がやっている韓氏意拳につながる系列の形意拳や八卦掌まではいっていて、びっくりすると同時に、親近感をおぼえます。
また、彼が最初の長編小説『わが名はコンラッド』を出版したのは29歳のときで、おなじ29歳で長編デビューした私としては、その点にも親近感をおぼえます。
ただ、彼は意外に短命で、58歳で病死しています。
その点には親近感を覚えませんが。

話をもどします。
この「ザ・ウォーカー」は文字通り、歩く人が主人公です。
デンゼル・ワシントン演じるイーライという男は、格闘や拳銃の腕も相当なんですが、自分でも理由がわからないままにこの世にたった一冊残った本を持って、ただ西へ西へと歩いています。
その本はじつは聖書で、ある街の支配者となっているカーネギーは、聖書はこの世を支配するためのことばが詰まっている本だと信じて、イーライからそれを奪おうとします。
イーライとカーネギーの闘争が後半のストーリーとなります。

世界観というかビジュアルはいまさら目新しいものではありませんが、ストーリーはちょっと興味深いものです。
なんとなく原作小説があるような感じがしますが、調べてみたかぎり、そういうものはなく、映画のための脚本からストーリーが起こされているようです。
終末世界ものが好きな人にはけっこう楽しめるんじゃないかと思います。

水城ゆうのボイスコーチング
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2016年12月30日金曜日

料理:簡単煮豚

年末年始のあわただしいときに、手間いらずの簡単料理で、しかも豪華でボリューム感のある一品を紹介します。

【材料】3~4人分
・かたまりの豚バラ肉……1本(600グラムくらい)
・ウスターソース……100cc
・トマトジュース……100cc
・赤ワイン……100cc
・にんにく……2、3かけ
・サラダ油、黒こしょう、月桂樹の葉

かたまりの豚ばら肉1本を3つくらいのブロックに切り分けます。
フライパンに包丁の腹だつぶしたにんにくとサラダ油(大さじ1杯)を入れ、火にかけます。
十分に熱くなったら、豚ばら肉を入れ、脂以外の部分を焼きつけます。
こんがりと焼き色がついたら、それを圧力鍋にいれてならべます。

ウスターソースとトマトジュースと赤ワインを同量ずつくわえ、黒こしょうと月桂樹の葉を入れて蓋をし、火にかけます。
圧力が加わってシューシューいいはじめたら、弱火にして20分、圧をかけつづけます。
20分たったら火をとめ、そのまましばらく放置します。

圧力が抜けたら完成。
肉を切り分け、レタスなどお好みの野菜の上にならべるなどしてから、煮汁をかけていただきます。

国立での共感茶話会(1.19)
1月19日(木)昼12時から、おたがいに深く聴きあうことのできる場で自分自身の価値とニーズにつながるためのサポートを水城ゆうがおこなう茶話&勉強会を開催します。ミズキランチ付き。カフェタイムからの参加もオーケーです。

2016年12月29日木曜日

気持ちいい三日間プチ断食

ファスティング・トレーナー(といってもいいよね?)の斯波すみれさんからご指導いただいて、すでに何度かプチ断食をやっています。
私がおこなったのは五日間のゆるい断食ですが、それでも身体がとてもすっきりと軽くなり(実際には体重はほんの数キロ程度の変化しかない)、キレがよくなった感じがあり、感覚が鋭くなったり、自分の身体の声がよく聞こえるようになったり、あるいは宿便が出たりと、いいことづくめでした。

断食といっても、完全になにも口にしないわけではないのです。
まず、水分はたっぷりとります。
野菜ジュースも好きなだけ飲みます。
お腹がすいたらジュースをどんどん飲んでもいいのです。

そして一日に一食だけ、軽い食事をします。
玄米ご飯を半膳、具のすくなめの味噌汁、納豆か豆腐か青物のおひたしか漬物、といった感じの食事です。
それをゆっくりとかんでいただきます。
ジュースもおなじようにかむようにゆっくりと味わっていただきます。

ゆっくりとかんで味わう食べ方、飲み方は、「食べる瞑想」のときとおなじで、口にいれた食べ物に集中し、それをしっかりと味わい、それを味わっている自分の「いまここ」のありように気づきつづけます。

このような食べ方をすると、すこししか食べなくても、不思議に満足感があるのです。
いまの自分自身になにがどのくらい必要なのか、体感覚が教えてくれるような気がします。
本来、動物である人間もそのようなものだと思うのです。

野生動物はいくら食料がふんだんにあったとしても、「いま」の必要以上にはとりません。
飼い猫もたくさん餌をあたえても、そのときに必要な分しか食べず、太りすぎたりやせすぎたりということもありません。
犬や猫のなかには、あたえるとあたえただけ腹いっぱい食べてしまう子たちがいますが、それはたぶん人間の生活になじみすぎたり、家畜化してしまったせいでしょう。
本来はそうではないのです。

人もそうですね。
その時々の自分の身体の「必要」の声を聞き分けることができれば、自分とってもっとも適切な体重、体調、動きをキープできるのだと思います。
その声を聞くための練習の入口として、プチ断食はとても有用だと私は感じています。

今日、何人かで三日間断食をスタートしました。
三日間というごくみじかい期間を設定したのは、まずは成功体験を持ってもらいたいからです。
はじめるにあたって、それぞれのニーズを聞かせていただきました。
みなさん、さまざまなニーズがあって、断食をしたいと思いたっていました。

美のニーズ、健康のニーズ、明確さ、快適さ、能力、自律などなど、たくさんあります。
そのなかでもとくにいきいきしているニーズはなにか、それをメインのニーズとして、サブニーズにもときに目を向けながら、三日間をすごします。
そのとき、注意したいのは、「断食を達成すること」「やせること」といったものを目標に据えないということです。
これらはニーズを満たすための「手段」です。

「断食によってどんなニーズを満たそうとしているのか」
「やせることによってどんなニーズが満たせるのか」
そこにつながりつづけることで、結果的にうまくいく可能性が高まるし、もしうまくいかなかったとしてもそのニーズが消えることなくいきいきしているなら、また折を見て挑戦すればいいのです。

もうひとつ。
最初に共感的に話を聞いたとき、何人かから、
「自分はほんとうに意志が弱いから」
といういいわけのような、自責のことばが聞こえてきました。
このことばから見えるニーズはなんでしょうか。

「意志が強くありたい」
「自律的でありした」
「目的を最後までやりとげたい、まっとうしたい」
「成長したい」
「変化が必要」
そういったことが聞こえてきます。
そこにもつながってみるといいですね。

というようなサポートをオンラインミーティングやチャットを利用しておこないながら、三日間、お互いにはげましあいながらゴールまでたどりつきます。
その過程で自分の体感覚やこころの動きにどのような変化があるのか、あるいはないのか、自分自身を見つめ、その声を聞きます。
それ自体が自分につながるよい練習ですし、断食が終わってからもきっと役に立つことでしょうね。

今度は初日にマインドフルネスなどの自分自身につながるワークと断食のノウハウをシェアするワークを設定した、三日から五日くらいの断食プログラムを実施してみようかな、と思っています。

2016年12月28日水曜日

2016年ラスト韓氏意拳の稽古と打ち上げ

12月23日の天皇誕生日は、内田秀樹準教練による韓氏意拳世田谷初級講習会を大原区民集会所でおこないました。
午後1時からひとコマめがスタートして、ふたコマめが終わったのが午後7時。
ほぼ6時間みっちり稽古して、もちろんくたくたになりましたが、充実した時間をすごすことができました。
内田先生、ありがとうございました。

ひとコマめは始めて間がない参加者も何人かいらしたこともあって、形体訓練から站椿へと、基礎的なことをみっちりとやりました。
その際、「状態」はもちろんのことですが、運動しているときの「ちょうどよさ」がそのつど更新されていくようすに目を向けることが重要だということです。

運動をはじめたときに、なんとなくちょうどいい感じがあると、私たちはついそれを「維持」しようとしてしまいます。
その「感じ」をなぞろうとしてしまいます。
再現しようとしてしまいます。
そうではなく、ちょうどよさは運動が進展するにつれ、そのつど、そのときのちょうどよさに更新されていく、ということです。

それはただ普通に歩いているときを見れば明らかです。
ちょうどよさがそのつど更新されて連続しているのです。

武術でもおなじで、運動状態は歩行よりもより密ではありますが、それなりのほどよさがあって、それは一種「無味無臭」で手応えはなく、ついついほかのことをやってしまいそうになるんですが、そのほどよさに注目し、それがどのように更新されていくのか目を向け、声を聞きつづけられるかどうかが、稽古のかなめとなります。
いやいや、これがなかなかむずかしい。

後半のふたコマめは技撃椿から歩法へとすすみ、さらに状態の深まり、身体のまとまり、緊迫感のなかでの運動の発生に着目しながら、厳しい稽古になりました。

私にとっては、自主稽古をのぞけばこの会が今年最後の講習となりました。
韓氏意拳をはじめて三年半をすぎようとしています。
よくつづいているな、と思う一方で、ますますおもしろくなっていく感じがしています。

講習会のあとは内田先生と私と、今年入会した金野くんの三人だけでしたが、笹塚の〈塚田農場〉でささやかに忘年会をおこないました。
ここでも終始、これでもか、まだまだ、もっともっとと、武術話がつづいたのでした。

新年の世田谷講習会は1月22日の午後の予定です。
そして国立でも駒井雅和中級教練をお招きしての講習会を1月11日の午後におこないます。
くわしくは韓氏意拳学会の公式サイト、もしくは私に直接お問い合わせください。

2016年12月27日火曜日

映画:ワールド・ウォーZ

2013年公開のアメリカ映画。
監督はマーク・フォースター、主演はブラッド・ピット。

日本の映画雑誌『映画秘宝』が発表した2013年度のワーストランキングでは1位となり、「最もガッカリした映画」の栄冠に輝いています。
まあしかし、そこまでいうほどのひどさではないと思います。

映画「バイオハザード」以来、これでもかと作られたいわゆるゾンビもののひとつです。
マーク・フォースター監督は「ネバーランド」や「007 慰めの報酬」などを手がけていて、大作監督だし、ブラピが起用され、公開前の宣伝もかなり大々的におこなわれるなど、鳴り物入りで発表された作品ですが、ほかのゾンビものとくらべてなにか画期的なアイディアがあったり、映像的な工夫があるわけではありません。
たんなるゾンビものです。
たとえ主演がブラピであっても。

ブラピは国連職員役で、家族とともに逃げている最中、感染原因を突きとめる仕事を、家族の安全と引き換えに引き受けます。
ゾンビに襲われたり、飛行機が墜落して重傷を負ったりしながら、感染原因をさぐっていくんですが、最後はみずからの身体を使ってゾンビに対抗する方法を見つけだします。

事前宣伝映像にも流れましたが、大量のゾンビが蟻のように巨大な壁をよじのぼっていくカットなど、CGを駆使した映像はたしかにスリリングですが、とくに目新しいものではありません。
CGを使えばどんな映像でも可能ですから、そこに驚きはありません。
ゾンビが襲ってくる、という設定や映像、アクションも、いささかあきあきしています。

まあしかし、ストーリーはまずまずしっかりしていて、とくに最後の解決策にいたる道すじとか、伏線とか、救いがある点は、エンタテインメントとして「もっともがっかりした」とまでいうほどのものではないと思います。
その評価をした人は、なにかに期待しすぎたんじゃないでしょうか。

音楽はマルコ・ベルトラミが担当していて、この作曲家はゾンビとかエイリアンとか、スプラッタホラー系映画音楽を大量に作っている人です。
「バイオハザード」とかね。
なにひとつ、音楽が耳に残らなかったのも、ある意味、すごいですね。

水城ゆうの音楽レッスン
ピアノの即興演奏、オリジナルアレンジ、実用的な演奏方法、ボーカルレッスンを含むユニークな音楽レッスンを随時おこなっています。真に楽しむための音楽へのアプローチを学びましょう。

2016年12月26日月曜日

自分とつながる5日連続講座のちょっと紹介

今日から「年末に自分とつながる五日間連続講座」がスタートします。
その内容をいくつか紹介します。

まず初日の「音楽瞑想ワークで自分とつながる」。
音楽瞑想はソニック・メディテーションという手法をベースに、即興演奏による誘導瞑想を水城が独自に試行・実践してきたワークです。
聴覚という受動感覚を手がかりに、ふだんなかなか気づくことのすくない自分自身の体感覚や感情、イメージに深くアクセスし、「いまここ」の自分につながることを試みます。
人によっては、これまでまったく見えなかった自分のあたらしい姿に出会ったりして、新鮮な体験となることがあります。
そうでなくても、イメージ誘導による深い瞑想によって脳内も身体感覚もリフレッシュできます。

もうひとつ紹介しましょう。
最終日の「自分とつながるテキストライティング」です。
ネットやIT機器、ソフトウェアの普及・充実によって、とくに専門知識がない一般人でも簡単にリッチコンテンツを作り、それを世界に向けて発信できるようになりました。
私もその恩恵を受けているひとりです。
しかし、この時代こそ、人間の表現の根本である「ことば」が重要であり、テキストでなにかを伝えることがますます必要になってきています。

しかし、使い古されたありふれたことばは、もはやだれにもとどきません。
いまこそ私たちは自分自身を語ることばを獲得したいのです。

自分自身を語ることばはどうやって獲得できるのでしょうか。
私たちひとりひとりのオリジナリティを担保しているもの、それは身体です。
知識や経験もオリジナリティを形成するかのように思う人がいるかもしれませんが、それは後天的・社会的に「くっつけてしまったもの」です。
真にオリジナルなもの、いまこの瞬間もいきいきしているユニークな生命現象、そこに目を向けたとき、どのようなことばが生まれてくるでしょうか。

かなりむずかしいことですが、そこにチャレンジするのがこの最終日の講座です。
ユニークな内容になるはずですので、興味がある方はおいでください。

ほかにも2日めは「朗読と身体表現で自分とつながる」、3日めは「音読療法で自分とつながる」、4日めは「共感的コミュニケーションで自分とつながる」という内容でおこないます。

年末に自分とつながる五日間連続講座(単発参加可)(12.26-30)
水城ゆうが現代朗読、音読療法、共感的コミュニケーション、マインドフルネス、音楽瞑想、そして武術・韓氏意拳をとおして長年つちかってきたノウハウを統合させた、集大成ともいうべきワークを、この年末に連続で開催します。

2016年12月25日日曜日

映画:ハンナ

2011年公開のアメリカ映画。
製作国はほかにイギリスとドイツ。
監督はジョー・ライト。
ほかに「プライドと偏見」や「アンナ・カレーニナ」を監督してます。

主演はシアーシャ・ローナン。
2015年公開の「ブルックリン」でも主演をつとめていて、こちらではアカデミー主演女優賞にノミネートされたほか、いろいろな映画賞をかっさらっています。
これ、私は未見。

わけあって、北極圏の森林のなかにある電気も通っていない山小屋に、養父といっしょに暮らしている少女、という設定から映画ははじまります。
なぜか養父からめちゃくちゃに鍛えあげられていて、トナカイを弓矢だけで仕留めたり、不意打ちを襲ってくる養父の攻撃から身をかわしたり(かわせなかったり)、何か国語も自在に話せたり、架空の経歴をすらすらと暗唱したり、という謎の設定です。

それがどういう理由かわからないけれど、自立の時を迎えて、謎のスイッチを押します。
するとたちまち敵がやってきて、叩きのめしたりするんだけど、結局はつかまって、謎の施設に拘束されます。
しかし、そこからも脱出して、砂漠のど真ん中から文明社会へと逃げていきます。
その間、養父もまたさまざまな襲撃をかわしながら、少女ハンナとの合流地点へと急ぎます。

最初からなんでふたりでそこへ向かわなかったんだ、というツッコミもありつつ、基本的にめちゃくちゃ強靭な少女のアクションを見せるための映画です。
つまり、バカ映画です。
ストーリーは破綻しているし、敵役の設定やキャラクターもあほらしいです。
見所があるとすれば、主演のシアーシャ・ローナンの演技とアクションです。
といっても、お色気シーンがあるわけでもありません。
なにしろ子どもといっていい少女ですからね。
その手の趣味の人にはそそられる面もあるかもしれませんが、私にはその手の趣味はありません。

とはいえ、シアーシャ・ローナンは不思議な存在感があって、魅力的なんですね。
と書いていて、未見の「ブルックリン」を見たくなってきた。
シアーシャはアイルランド人とのことです。

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2016年12月24日土曜日

大きなニーズにつながったとき人はパワフル

もう五十代も終わりかけというのに、体調はかつてなくいいし体力もあるように感じる、睡眠も規則正しく足りていて、日々武術の稽古は欠かさない。
収入こそままならないけれどだれかの役に立てていることを仕事にしている実感があって、書くこともピアノ演奏も新境地にはいってきていて、これほど充実している日々はないと、この一年は感じていました。
夏に〈羽根木の家〉の契約解除という不測の事態があって、あわただしく国立に引っ越すというドタバタがありましたが、それでも手を差し伸べてくれる人がいて、いまは快適な住まいに安心して落ちついています。
国立という環境も悪くないのです。

なにも不満はない、といいたいところですが、自分のなかをつぶさに観察すると、なにかが足りないといっている声がずっと聞こえてくるのです。
それが遠い太鼓のようにわけのわからない焦燥感を私に植えつけていました。
なんだろう、これは。
ずっとさがしていたんですが、先日、ようやくその正体がわかりました。

二十歳のころ、アルバイトをきっかけに社会と関わるようになり、いろいろな職業を経験しましたが、最終的にバーテンダーからバンドマンというのが職業としての私のスタートとなったと思います。
バンドマンをやりながら、将来設計のようなものはまるでありませんでしたが、必死に演奏の腕をみがいたり、自分のバンドを売り込んだりライブをこなしたりしていました。
それだけで目一杯だったはずですが、その合間に私は小説を書いていたのです。

生まれて初めて200枚強の長編小説を書きあげたときは、ちょっとした達成感がありました。
たぶん一週間か10日くらいで書きあげたように記憶しています。
そのころはバンドマンの仕事も(カラオケブームのおかげで)かなり減っていたので、日中の空き時間を使って夢中で書きました。
もちろんワープロやパソコンが普及する前で、原稿用紙にボールペンで手書きしたのです。
1983年のことでした。

その原稿のことはすっかり忘れていたんですが、1985年になって出版社から連絡があり、1986年に商業作家としてデビューすることになりました。
出版社に原稿を送りつけたことすら忘れていたので、かなりびっくりしましたが。
いまからちょうど30年前のことです。

以来、たくさんの本を書きました。
最近は商業出版ではなく、自力出版で書いていますが、なんとなく「足りない」感じはここにあることがわかってきました。
私は長編小説を書きあげたいのです。

この前に書きあげたのは『ストリーム』という長編で、これはブログ連載を経て去年リリースしたものです。
振り返ってみると、このような長尺の物語を書くことが、私に必要なことだとわかります。
いまは長尺ものを書いていなくて、なんとなく「足りない」感じがしているのです。

じつは書きたいものがあります。
まだくっきりと形はあらわれてきていませんが、大枠はわかっています。
それを、ちょうどキリのいい2017年1月1日から、メルマガ連載という形でスタートさせようと思います。
小説家になって31年め、いまの自分がやれるめいっぱいのテキスト表現を、あらたなチャレンジとしてはじめようと思っています。

いまの私はものすごく「みなぎる」感じがしているのです。
漫画でよく、パワーアップしたキャラクターが筋肉もりもりになって、内側から服をばりばりと引き裂いてしまうシーンがありますが、あんな感じです。

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三日断食やります

三日断食、やります。
いっしょにやりたい人、いますか?

私は以前、二度くらい、五日間の断食をファストアドバイザーの斯波すみれさんに指導してもらって実行したことがあるんですが、とっても調子がよかったのです。
自分もやってみたい、という知人が何人かいたので、年末に三日間だけのプチ断食をやってみることになりました。

断食といっても、完全に断つわけではありません。
野菜くだものジュースは、なるべく自分で作ったものが理想ですが、何度でも飲んでもかまいません。
そしてごく少量の玄米と具の少ない味噌汁を一日一回、食べる瞑想でいただきます。

三日間に限定するのは、まずは成功体験を作りたいからです。
三日食を断つくらいではなんの支障もありません。
ほんとは数週間なにも食べなくても支障なく生きていけるようにできてるんですけどね、人間は。
お腹がへってくらくらするとか、力がはいらないとかいうのは、完全に錯覚ですから。
なので、断食中も仕事や家事、勉強にはまったく影響はありません。
むしろ、感覚が鋭敏になる人が多いので、はかどるかもしれません。

いっしょにやるといっても、定期的にオンラインで報告しあったり、メッセージでつながっていることではげましになったり、といった感じです。
メッセージグループを利用しようと思ってます。

やるのは12月28日から三日間。
興味のある人いたら、私に連絡ください。 この三日間は年末の五日連続「自分とつながる」講座の期間でもあるので、こちらにも参加してもらえるとうれしいですね。
そこで報告とか励ましとかできますしね。

年末に自分とつながる五日間連続講座(単発参加可)(12.26-30)
水城ゆうが現代朗読、音読療法、共感的コミュニケーション、マインドフルネス、音楽瞑想、そして武術・韓氏意拳をとおして長年つちかってきたノウハウを統合させた、集大成ともいうべきワークを、この年末に連続で開催します。

2016年12月23日金曜日

12月の共感強化週間

いよいよ師走ですね。
あわただしかったり、気ぜわしかったり、個人的な用事、家族の用事、仕事の用事、忘年会などの付き合い、そういったことに加えて社会情勢や自然災害も不安な要素がたくさんあって、とくに落ち着かない季節かもしれません。
そんなときこそ、身体の声を聞き、心身を整え、人とのつながりを大切にして、活力をもって乗りきりたいものです。

12月の共感カフェ(共感茶話会)はそれをテーマに、とくに自分とつながる練習を進めていきたいと思っています。
そして12月4日(日)からはじまる週は、なんと金曜日まで毎日、なんらかの形で共感的コミュニケーションの勉強会が開催されます。
どれかタイミングが合うものがあれば(あるいは全部でも!)どうぞご参加ください。

共感カフェ in おがわまち(12.4)
埼玉県小川町での初開催です。〈たまりんど〉という江戸時代に建てられた風情ある長屋を改装したコミュニティースペースが会場。小川町在住の狩野亜矢子さんが主催、ファシリテーターは水城ゆう。12月4日(日)13時より。

カフェ・オハナ(三軒茶屋)で共感的コミュニケーション(12.5)
恒例の三軒茶屋〈カフェ・オハナ〉での共感的コミュニケーション・ワークショップ。朗読と音楽のミニライブ付き。参加費1,000円+ワンオーダー。12月5日(火)19時半より。

水城ゆうのオンライン共感茶会(12.6)
自宅や好きな場所にいながらにして気軽に参加できる、ネットミーティングシステム(zoom)を利用した共感的コミュニケーションの60分勉強会、12月6日(火)16時からと20時からの2回、それぞれ約1時間です。

親密な関係における共感的コミュニケーションの勉強会(12.7)
共感的コミュニケーションでもとくにやっかいだといわれている親密な関係であるところのパートナーと、お互いに尊重しあい、関係性の質を向上させるための勉強会。12月7日(水)19時より。

寿美ちゃんち共感おはなしカフェ@東松原(12.8)
東松原在住で自宅をイベントに開いている星寿美さんが、共感おはなしカフェを主催してくれます。おたがいに深く聴きあうことのできる場で自分自身の価値とニーズにつながるためのサポートをおこなうおはなし会です。12月8日(木)14時より。

もけごはん付き共感カフェ@国立〈門〉(12.9)
国立の富士見通りにあるブックカフェ〈門〉にて、もけさんによるおいしいもけごはんと〈門〉のご主人・和田さんによる絶品のお茶をいただきながら、共感的コミュニケーションについて学ぶ会をおこないます。12月9日(金)12時より。

映画:アウトロー

2012年公開のアメリカ映画。
主演はトム・クルーズ、監督はクリストファー・マッカリー。
原作はリー・チャイルドのベストセラー「ジャック・リーチャー・シリーズ」の9作目にあたる小説『アウトロー』。

ある無差別狙撃事件と思われた事件を、元米軍憲兵隊捜査官でいまは一匹狼のジャック・リーチャーが真実をあばいていく、というストーリー。
原作がよくできているのか、なかなかよくできているストーリーで、ストーリー的な見せ場もしっかりあるほか、ハリウッド映画的にもお約束の暴力アクションやカーチェイスもあって、「卒なく」以上に完成している映画として楽しめました。
お色気シーンはないけど。

悪役の動機とかキャラクターがかなりとってつけたような印象で、違和感が残ったんですが、まあそこはハリウッド映画の「お話」なので見逃しておきましょう。
映画の成功はトム・クルーズの起用によるところが大きかったようですが、トム・クルーズじゃなくてもよかったような気もします。

いずれにしても、そこそこ楽しませていただきました。
基本、フールハリウッド映画だけどねー。

アマゾンKindleストアで水城の著書が続々とリリース
『仕事をやめたいと思ったときに――共感ハンドブック Vol.1』『祈る人』シリーズ1~4『共感的コミュニケーション2』『秘密』『桟橋』『ストリーム』ほかにも続々とリリース予定です。一度ご覧ください。

2016年12月22日木曜日

すべては自分につながることからはじまる

人間は文明という壮大なる「怠惰装置」を築きあげた歴史を持っているといえます。

とはいえ、現代にいたる文明が起こったのはたかだか数千年前のことで、その文明とて局所的に偏在していたわけで、つい最近まで、いやいま現在も文明社会とは隔絶した生活を送っていた人たちが多くいました。
文明以前は人間も狩猟採取時代が長く、数百万年あったわけです。
つまり、人類は厳しい自然のなかでみずからすみかと食料を確保し、子育てをしてきた数百万年の時を生き残った遺伝子を受け継いでいるといえます。

外敵から守られた住居を確保し、みずから食料を調達して生き残る能力を、私たちは本来全員が持っているはずです。
食料を調達するためには、安全なすみかから移動して採取したり、狩りをしなければなりません。
そういった生活がどれほどの緊迫感のなかにあったのか、どれほど生命維持のための能力を一瞬一瞬発揮しなければならなかったのか、想像することはむずかしいですが、生死を賭けた日々であったことは理解できます。

それを生きぬいた遺伝子を、文明という怠惰装置のなかに生きる私たちも、いまだ持っているはずなのです。

しかし、現代社会のなかで私たちは、住まいを確保するにも、食料を調達するにも、移動するにも、自分の「能力」をまったく使わずにすませることができます。
移動するための自動車、電車、飛行機、いずれも外敵から襲われる心配をすることなく、怪我の心配もほとんどなく、体力の心配をすることもなく、能力をまったく節約できる装置です。

私は長らくものを書いたり、音楽演奏をしたり、朗読演出をしたり、自分を表現することをつづけてきました。
以前はいかに人よりすぐれたものを誇示できるか、人をびっくりさせたり喜ばせたりウケたりできるか、いかにお金を稼げるか、いかに集客できるか、そんないわば社会的・外的基準を設定して自分を鼓舞していましたが、そんなことをいくらやっても自分の成長ははかばかしくないし、第一まったく楽しくないよな、ということに気づいたのです。
それに気づいてからは、自分の内側に表現の根拠を探し、自分自身につながり、自分がすでに持っている可能性を十全に発揮することを練習しはじめました。
これが本当に厳しく、しかし楽しいのですよ!

この十数年来、私が追求しているのは、ありもしない(架空の)能力を身につけようとすることではなく、自分自身が本来持っている能力をあますところなく発揮するための方法でした。
それはマインドフルネスとの出会いからはじまり、瞑想、呼吸法、身体へといたり、現在は韓氏意拳という武術によってそれらと精密に、厳しく向かい合うトレーニングを日々おこなっています。
これはたぶん、一生、死ぬまでやりつづけるでしょうし、それだけの甲斐があることでもあります。

狩猟採取時代の人々が一瞬一瞬を緊迫感のなかに生き、能力を全開にして生きのびてきたような生命の闊達さをもって表現行為にもあたれたら、どれほどそれはいきいきしていることでしょう。
表現行為にかぎらず、怠惰装置に囲まれた現代生活のなかにあっても、本来的な自然能力を解放することができたら、きっとおもしろいに違いありません。

自分自身につながること、自分の能力の可能性にアクセスすること、それを練りあげるトレーニングを楽しむこと。
私の毎日はこれらに満ちていてわくわくするのです。

これを「年末に自分とつながる五日間連続講座」でみなさんとシェアします。
仲間がいたほうが楽しいですからね。
「音楽瞑想」「朗読と身体表現」「音読療法」「共感的コミュニケーション」「テキストライティング」というそれぞれのアプローチで、自分につながるワークをおこないます。
全部参加してもらうのが一番うれしいですが、部分的参加でも歓迎します。
どれか興味を惹かれたものがあれば参加してみてください。

年末に自分とつながる五日間連続講座(単発参加可)(12.26-30)
水城ゆうが現代朗読、音読療法、共感的コミュニケーション、マインドフルネス、音楽瞑想、そして武術・韓氏意拳をとおして長年つちかってきたノウハウを統合させた、集大成ともいうべきワークを、この年末に連続で開催します。

2016年12月21日水曜日

映画:ヒューゴの不思議な発明

2011年公開のアメリカ映画。
監督はマーティン・スコセッシ。

スコセッシですよ!
いま、遠藤周作原作の「沈黙」が完成して公開を待つばかりで、話題沸騰中ですが、それがなくてもスコセッシは私のもっとも好きな監督のひとりです。
「タクシー・ドライバー」「ニューヨーク・ニューヨーク」「ラスト・ワルツ」「レイジング・ブル」「ディパーテッド」など、どちらかというとアメリカの裏社会を描いたものが多いですが、間違いなくプロフェッショナル中のプロ。
映画を知りつくした男といっていいでしょう。

それが子ども向け3D映画として作ったのが、これ。
1930年代のパリ駅が舞台。
孤児のヒューゴは駅に住んでいて、時計の補修をひそかにやっている。
駅を交点とした人間模様が描かれていきますが、出だしからすばらしい長回しのカメラワークと動画で、まさに映画の魅力に観る者を引きこんでいきます。
もちろんCGも駆使していますが、加味されたレトロな空気感がCG臭さを払拭しています。

ストーリーが展開していくと、やがてこれは映画を扱った映画であることが徐々に明らかになっていきます。
映画の黎明期に活躍した実在の映画監督が登場してきますが、ドキュメンタリーではなくあくまでフィクション。
スコセッシは映画をものすごく愛する人であり、このCGや3Dというハイテクの時代にあって、あらためて映画愛を自分なりに表現してみせたのではないか、と感じます。

時計や機械仕掛けの人形などのメカニック、駅、孤児の冒険、ほのかな恋、ファンタジー、そういった子どもでなくてもわくわくする物語と映画の要素が詰めこまれ、しかしそれはけっしてあざとい感じはなく愛にあふれている作りなのです。

もうすぐ公開になる「沈黙」はもちろん観たいですが、その前にスコセッシ監督の旧作をひととおりおさらいしてみたくなりました。

年末に自分とつながる五日間連続講座(単発参加可)(12.26-30)
水城ゆうが現代朗読、音読療法、共感的コミュニケーション、マインドフルネス、音楽瞑想、そして武術・韓氏意拳をとおして長年つちかってきたノウハウを統合させた、集大成ともいうべきワークを、この年末に連続で開催します。

2016年12月20日火曜日

命の快適さのニーズ

この季節、私のまわりであまりに体調をくずしている人が多くて、心が痛みます。
たいていは風邪引きですが、胃腸の不調などもあります。
そしていま流行の風邪は長引くタイプらしく、一週間くらい休んでしまう人も多いようです。
さいわい私はまったく流行とは関係なく、毎日元気にすごしています。

共感的コミュニケーションでは自分のニーズにつながり、自分を大切にあつかうことを学びますが、長年これを学びつづけている人たちが、自分の身体を大切にあつかえていないように見えることがあって、ときどき私には気がかりです。

たとえば、NVCの合宿やワークショップに参加したとき、ワーク以外の時間に参加者があまりに身体のメンテナンスに気を使わなかったり、暴飲暴食をしている姿を見ることがあります。
深夜遅くまで、ときには徹夜に近いような時間まで仲間たちで語りあっているのは、つながりや学びのニーズがあるのだと思いますが、翌日のワークは当然体調万全というわけにはいかなくなりますよね。
暴飲暴食をしてもそうです。

共感的コミュニケーションを身につけて、自分と自分以外の人たちとつながりを持ち、毎日をいきいきと活力をもって生きていくためには、もちろんそのベースに自分の身体の自分なりのベストな状態が必要です。
自分のニーズにつながるためにも、だれかのニーズを尊重するためにも、いきいきとした活力が必要で、それは逆のこととしてもいえます。
身体的活力があるからこそ、自分のニーズにいきいきとつながったり、だれかのニーズを尊重したり、それに貢献できたりするのでしょう。
そこまでいわなくても、身体的に快適な状態であることはだれにとっても望ましいことではないでしょうか。

共感的コミュニケーションのスキルのなかにも、もっと自分の身体の状態を良好にたもち、活力を維持したり高めたりするものがあってもいいのではないか、と思います。

食事にしても、いま自分にとってなにがどの程度必要なのか、身体のニーズに耳をすまし、節度をたもつことによって、自分なりにもっとも適切な体重なり体調なりをキープできるスキル。
睡眠はどの程度必要なのか。
自分にとっての一日の活動量はどのくらいなのか。
もっともクオリティの高い活動時間はいつなのか。
いま身体はなにを必要としているのか。
自分の身体の微細な声に耳をかたむけることができるかどうか。
それこそ自己共感のスキルといえるかもしれません。

年末に自分とつながる五日間連続講座(単発参加可)(12.26-30)
水城ゆうが現代朗読、音読療法、共感的コミュニケーション、マインドフルネス、音楽瞑想、そして武術・韓氏意拳をとおして長年つちかってきたノウハウを統合させた、集大成ともいうべきワークを、この年末に連続で開催します。

2016年12月19日月曜日

映画:クラウド アトラス

2012年公開のSF映画。
原作はデイヴィッド・ミッチェルの同名の小説。
デイヴィッド・ミッチェルは日本に長く住んでいたことがあって、日本語も堪能とのこと、そして奥さんは日本人らしいです。
彼の他の小説は未読ですが、新潮クレスト・ブックスから『ナンバー9ドリーム』とか、河出書房新社から『出島の千の秋』といった著書が出ているみたいなので、いずれ読んでみたいですね。

という気になるほど、「クラウド アトラス」は不思議な魅力に満ちた映画です。
監督はウォシャウスキー姉弟とトム・ティクヴァが分担しています。
というのも、この映画はいくつかの時代にまたがった、一見まったく関係のないエピソードによって編まれているからです。

エピソードは1849年、1936年、1973年、2012年、2144年、2321年と、時代をこえて描かれています。
ストーリーもつながりがあるような、ないような、微妙な位置関係を感じます。
トム・ハンクスやハル・ベリーなどのキャストが、それぞれの時代で複数の人物を演じています。

24世紀にあたる最後の時代では、どうやら人類はなんらかの理由で滅びに瀕しているようです。
地球外文明に救助を求めるシーンが出てきます。
しかし、全体として統一されたストーリーがあるわけではなく、腑に落ちるような伏線や結末もありません。
しかし、観ているうちに、なにか不思議な全体性を感じるのです。

人間という存在、文明の行方、人間社会の理不尽さ、そして人の命のはかなさと強さ。
じわじわと映画のなかに引きこまれていき、最後にはなぜか感動に包まれて涙が出てきます。
しかし涙の理由を説明することは難しいのです。
とにかく、観てみてください、としかいいようがありません。
いや、もし観てもらったとしても、私とおなじ感動が観た人に起こるかどうかはわかりません。

いったい私はこの映画のなんに感動するんだろう。
そしてできれば、私もこのような物語世界を描いてみたい、とも思います。

余談ですが、監督のひとりトム・ティクヴァは、私は「パフューム」を観ているだけですが、経歴が気になります。
ベルリンの映画館で8年間、映画技師として働いたあと、映画監督になったそうです。
「パフューム」もそうですが、彼は監督のほか、脚本、音楽まで手がけるマルチな人みたいです。
1965年生まれ。

水城ゆうのボイスコーチング
Skypeを利用したリアルタイムでのオンラインボイスコーチングをおこなっています。対面でのリアルセッションも可能です。どなたもまずは気楽に無料相談で。

【YouTube】「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演@明大前〈キッド・アイラック・アート・ホール〉抜粋

2016年12月12日。
2016年末をもって閉館が決まった明大前の〈キッド・アイラック・アート・ホール〉のギャラリースペースで、定期的に開催してきた「沈黙[朗読X音楽]瞑想」の最終公演をおこないました。
そのもようのごく一部を抜粋してお送りします。

 朗読テキスト「悲しみの壁に希望を探す」作・水城ゆう

 朗読 野々宮卯妙
 ピアノ 水城ゆう

映像はこちら

2016年12月18日日曜日

【YouTube】まるじゅんにお話をうかがいました

知る人ぞ知る、あのまるじゅんこと中園順子さんが国立・春野亭に遊びに来てくれたので、お話をうかがいました。
人になにかを伝えることのむずかしさや、それでも伝えたいことがあることなどについて。

映像はこちら

HiYoMeKiミーティングとクリスマスパーティー

現代朗読ゼミのスピンアウトとしてはじまった「次世代作家養成ゼミ」は、長年の継続を経てこの11月いっぱいで終了しました。
その間、参加者のユニークな作品を集めた機関誌『HiYoMeKi』を第4号までリリースしました。
現在、第5号の準備をすすめているところです。

ところで、ゼミは終了しましたが、『HiYoMeKi』に集う集団を継続することになりました。
称して「次世代作家集団HiYoMeKi」です。
こちらはどなたも無料で参加できます。
ただし、テキストでの表現に熱意を持っている人、次世代のテキスト表現をともに研究することに興味がある人、フェイスブックの秘密のページに参加できる人、が参加条件になります。

HiYoMeKiはある程度定期的なミーティングと研究会を予定しています。
月に何回か、オンラインで開催します。
コンピューター、タブレット端末、スマートフォン、いずれも参加可能です。
興味がある方は水城まで直接ご連絡ください。

このHiYoMeKiの第1回ミーティングを12月25日(日)の夕方18時から開催します。
オンラインでもリアルでも参加可能です。
オンライン参加の方には当日、ミーティングルームのURLをお送りします。
リアル参加をご希望の方には会場の案内をお送りします。
JR国立駅から徒歩5分ほどの会場を予定しています。

なおこの会場では15時から18時まで、クリスマスパーティーをおこないます。
飲食は持ち寄り、会場費はカンパでお願いします。

クリスマスパーティーへのご参加は、HiYoMeKi会に参加する方、もしくは13時から15時まで開催する共感おはなし茶話会に参加する方に限らせていただきます。
共感茶話会のご案内はこちらをどうぞ。

2016年12月17日土曜日

寿美ちゃんちと共感本の大幅改訂増補作業

先週12月8日は世田谷の東松原で「寿美ちゃんち共感カフェ」に参加して、案内人をつとめてきました。
先週はいわば共感強化ウィークで、ほぼ毎日なにかしら共感的コミュニケーションの勉強会があったのです。

勉強会といってますが、茶話会というほうがしっくりきます。
共感茶話会です。

共感的コミュニケーションはNVC(=Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)をベースにした、人と人が共感的につながるためのスキルといってもいいでしょう。
それを学ぶこと自体が目的のワークショップや講座、勉強会がたくさん開催されています。
私が世話人として参加する場も、勉強会としての側面もありますが、最近はより「実践の場としての茶話会」といった感じになってきています。
お互いに共感的に聴きあい、つながり、気づき、人間関係や自分自身の問題に深く向きあえる安心の場です。

まったく共感的コミュニケーションを知らない人も来るので、そういった人のために解説することもありますが、それは最小限にとどめて、実際に共感のプロセスのなかで理解したり、体感してもらうほうを重視しています。
共感的コミュニケーションは学ぶためのものではなく、使うためのものだからです。
実践のないスキルはただの知識です。

そんななか、アマゾンKindleや紙本で配布中の書籍『共感的コミュニケーション』と『共感的コミュニケーション2』の新版改訂作業に取りかかっています。
実践の場である共感茶話会のありようもすこしずつ変化してきましたが、書籍の内容も書きなおしたり書き足したくなったものが多くあります。
ついでに2冊を1冊にまとめ、不要な部分をカットして内容を濃くし、さらに『2』を出して以降に執筆した原稿も付けくわえて、現時点での「決定版」というようなものを出したりと思っています。

タイトルを『共感的コミュニケーション2017』とすることを検討中です。
毎年、改訂するつもりか(笑)。

新版リリースまでいましばらくお待ちください。

東松原在住で自宅をイベントに開いている星寿美さんが、共感おはなしカフェを主催してくれます。おたがいに深く聴きあうことのできる場で自分自身の価値とニーズにつながるためのサポートをおこなうおはなし会です。

2016年12月16日金曜日

映画:バレエボーイズ

2014年公開のノルウェー映画。
舞台は首都オスロのバレエスクール。
そこに通うルーカス、トルゲール、シーベルトという3人の少年を4年間にわたって追ったドキュメンタリー映画です。

ドキュメンタリーとはいいながら、映像や構成は非常にしっかりしていて、フィクション映画と遜色のない感じがします。
しかしやはりドキュメンタリーなので、現実の記録なのです。
とくに思春期の少年3人の成長、挑戦、選択、日常という記録であり、これは実際に起きたことの記録なのです。
と思いながら見ると、ちょっと胸が痛くなるような感じもする瞬間もありますが、彼らのいきいきした日常が活写されていて、見応えあります。

タイトル通り、男子ではありながらバレエが大好きで、いたずらやおふざけも大好きな少年たちの成長の映画です。
みんながプロのバレエダンサーをめざし、しかしときにはいったん諦めたり、ふたたびもどってきたり、なかのひとりはバレエコンクールのファイナリストになって才能を見出され、ロンドンのロイヤルバレエ団からスカウトされたりします。

3人とも日本でいえば高校進学にあたる時期に、国立のバレエ学校への進学をめざし、そして合格します。
しかし、ひとりだけイギリスに旅立つことを決め、ずっと一緒の仲間だった3人のあいだに微妙な距離が生まれたりします。
そういったストーリーも、このドキュメンタリー映画に深さを与えています。

実際のダンスシーンもなかなか見応えがあります。
カメラがいいのです。
おそらくバレエを熟知したカメラマンでしょう、その視線はダンサーやバレエのシーンを的確にとらえています。
ドキュメンタリーなので一回きりのチャンスをとらえた場面ばかりだと思いますが、どれも鋭い視線で切りとっています。

ところどころ挿入されるインサート映像もすばらしいのです。
挿入されるなにげない風景が、ストーリーと時空表現を支えます。
編集もすばらしいです。
これだけの内容のものを、75分という長さ(短さ)に凝縮しています。

とても密度の濃い、楽しめる、複雑さも含んだ、すぐれた映画だと感じました。
観て損はないと思います。

水城ゆうの音楽レッスン
ピアノの即興演奏、オリジナルアレンジ、実用的な演奏方法、ボーカルレッスンを含むユニークな音楽レッスンを随時おこなっています。真に楽しむための音楽へのアプローチを学びましょう。

2016年12月15日木曜日

キッド・アイラックでの最終「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演

2016年12月12日。
明大前〈キッド・アイラック・アート・ホール〉のギャラリースペースでおこなう「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演の最終回でした。
ホールが年内で閉館が決まったことによる最終スケジュールだったのです。

朗読で共演の野々宮卯妙は毎月恒例の名古屋=豊橋での共感的コミュニケーションの勉強会の巡礼から直接来るということで、私はひとりで明大前に向かいました。
18時すぎに終了後のレセプションで使う紙コップなどの荷物を持って、国立から中央線と井の頭線で明大前へ。

ホールではこれまでずっとお世話になってきた早川くんと工藤くんが迎えてくれました。
ちょうどギャラリー展示がおこなわれていて、脇谷徹さんの彫刻とデッサンが置かれていました。
展示のなかで演奏するのは、それがどのようなものであれ、私は好きです。
ただ、いつもとピアノの配置がちがうのと、椅子をどう配置するのかちょっと悩みました。
結局、椅子はてんでばらばらにあちこちに置いて、参加者に自由に動かしてもらうことにしました(結果的にほとんど動かす人はいませんでしたが)。

野々宮も予定どおり無事に到着しました。
19時半すぎに参加のみなさんが到着しはじめて、ライブ会場らしくなってきました。
このディープな内容のイベントはなかなか告知宣伝がむずかしかったんですが、今回ばかりはキッドでの最終回ということで、なじみの方や初めての方もふくめてたくさん来てくれたのと、ホールの早川くんと工藤くんも最初から最後まで付き合ってくれたのがうれしかったのです。

20時をまわって、まだ予約の方が何人か到着していなかったけれど、お話しからゆるゆるとスタート。
この公演のきっかけや経緯、そして私の個人的な挑戦についての話を、みなさんに聞いてもらうことができて感謝でした。

そして、前半の沈黙の朗読パートからスタート。
野々宮卯妙が私の書いたテキスト「悲しみの壁に希望を探す」を読みはじめ、私もしばらくしてピアノ演奏でそれに参加していきました。

後半は音楽瞑想のパートで、真っ暗ななかでのピアノ演奏。
今回はめずらしく、前半のテキストのイメージを引っ張っていて、そのまま即興演奏につながっていく感じがありました。

約1時間強のパフォーマンスが、静かな余韻を残して終了。
私も野々宮も全身全霊を投入したと思います。

終わってからはワインとつまみを用意して、みなさんと歓談。
この時間がいつも楽しみでした。
今回もみなさんと話ができて、深いつながりを感じることができて、豊かな時間をすごさせていただきました。
重ねがさね、ご参加いただいたみなさんには感謝申し上げます。

この公演は、キッドがなくなったあとどうするのかまだ決まっていませんが、よい場所が見つかればなんらかの形でかならずつづけていきたいと思っています。
どこかよい場所をご存知の方はぜひお知らせください。
また違う形でお会いできるとうれしいです。

2016年12月13日火曜日

水色文庫新作「悲しみの壁に希望を探す」

水色文庫の新作「悲しみの壁に希望を探す」を登録しました。

このテキストは2016年12月、明大前〈キッド・アイラック・アート・ホール〉のギャラリースペースでおこなった「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演のために書きおろした作品です。

2016年12月12日月曜日

映画:トータル・リコール

2012年公開のアメリカ映画。
いわずと知れたフィリップ・K・ディックの小説が原作で、小説の邦題は『追憶売ります』。
先立って1990年にもアーノルド・シュワルツェネッガーの主演で映画化されていて、そのときもかなり話題になりました。
私も見ましたが、CGでシュワちゃんが肥満女性から変身するシーンなどが印象に残っています。

監督はレン・ワイズマンという人。
「アンダーワールド」という吸血鬼もののシリーズでヒットを飛ばして有名ですが、彼が脚本や原案、製作、そして監督で関わった大作は多く、「スターゲイト」「インデペンデンス・デイ」「メン・イン・ブラック」「GODZILLA」「ダイ・ハード4.0」などがあります。
全部観てますね、私。

このリメイクの「トータル・リコール」は原作に比較的忠実ということですが、そのビジュアルはなかなか迫力があります、CGだけど。
建造物や飛行物体などマテリアルの作りこみは半端ではなく、とくに地球の核を通って移動する手段として使われているエレベーターの造形や動きには目をみはります。
ただ、ブレードランナーをはじめとする多くのカルトSF映画の影響がもろ見えで、とくに市街地の雰囲気はブレードランナーそっくりです(もっと作りこまれているけれど)。
ともあれ、シーンごとの「絵」を楽しむSF映画としては、十分にゴージャスなものに仕上がっていると思います。
私は楽しめましたよ。

主演はちょっと地味な感じのあるコリン・ファレル。
「フォーン・ブース」が印象的だったのと、映画版「マイアミ・バイス」では陰のあるキャラクターをなかなか公演していたのが記憶に残っています。

女優はケイト・ベッキンセイルとジェシカ・ビール。
どちらも悪くないです。

アマゾンKindleストアで水城の著書が続々とリリース
『仕事をやめたいと思ったときに――共感ハンドブック Vol.1』『祈る人』シリーズ1~4『共感的コミュニケーション2』『秘密』『桟橋』『ストリーム』ほかにも続々とリリース予定です。一度ご覧ください。

2016年12月11日日曜日

明大前の老舗シアター・キッドの閉館を惜しむ

明大前の最老舗小劇場〈キッド・アイラック・アート・ホール〉の年内いっぱいでの閉館が発表されたとき、私を含む多くの人がショックを受けました。
演劇はもちろん、音楽、美術、ダンス、その他さまざまな表現活動の、いわば「前衛」として存在しつづけてきたホールがなくなってしまうというのは、大きな影響もあります。

私がキッドを使わせてもらうようになったのは最近のことで、その長い歴史とはあまり関わっていないんですが、それでも自分なりに思いいれがあります。
キッドのホールでは現代朗読の公式公演「キッズ・イン・ザ・ダーク」を4回おこなったほか、カルメン・マキさんやキム・ウイシンさん、榊原忠美氏、野々宮卯妙氏らとの自主公演をやってきました。
音楽、ダンス、美術、朗読と組んだ、自分なりに実験的に攻めたアバンギャルドな表現もありました。

もっとも、キッドとの関わりは最初はホールではなく、その地下にあるブックカフェ〈槐多〉でした。
2012年からほぼ毎月のように現代朗読の野々宮卯妙と組んでおこなった、沈黙の朗読シリーズの「槐多朗読」が、私とキッドの関わりの最初でした。
そのあと、ホール公演もおこなうようになったのです。

そして2015年からは3階(と4階まで吹き抜け)のギャラリースペースを借りての「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演がスタートしました。
ギャラリーにアップライトのピアノが設置されたのを機に、こちら、前半が朗読と音楽のセッション、後半が音楽演奏による瞑想というプログラムをはじめたのです。

これは私にとって、そして共演者の野々宮にとっても重要なコンテンツとなりました。
私にとっては長年のチャレンジとしてつづけてきた沈黙の朗読と音楽瞑想それぞれのさらなる追求と、そしてテキスト表現にチャレンジも含まれています。
最初のころは夏目漱石や槐多のテキストを使っていましたが、2015年末から2016年にかけてはほぼすべてが新作テキストでやっています。
毎回、自分にとって、テキスト表現の挑戦として書いています。

今回の公演が私にとって、キッドでの最終公演となります。
そのための新作テキストを準備中です。
キッドなきあと、この公演がどうなるかはわかりません。
どこかキッドに代わる場が見つかるといいんですが。

「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演@明大前(12.12)
深くことば、静寂、音、そして空間とご自分の存在そのものをあじわっていただく「体験」型公演です。年内閉館が決まっているキッド・アイラック・アート・ホールでの最終公演となります。

2016年12月10日土曜日

富士見台の高齢者介護施設でのいきいき音読ケア

毎月恒例になっている富士見台の高齢者介護施設でのいきいき音読ケアワーク、今月も行ってきました。
この季節、風邪やインフルエンザが流行して、ときにはワークが休みになることがありますが、今年はみなさんお元気で、おなじみになった方々と会えるのが私も楽しみにして行きました。

このところ、私と音読療法士の野々宮とふたりで行くことが多く、今回もそうだったんですが、音読トレーナーやボイスセラピー講座を受講した人が見学したり、サポートで参加してくれるのは大歓迎です。
まさに音読療法の「現場」なのです。

今回も行ったら大歓迎の風で、おなじみになった方々が「お待ちしてました」「楽しみにしてました」とおっしゃっていただいて、うれしかったのです。
最初のころは一か月に一回のことなので、なかなか覚えてもらえなくて、毎回あらたにリセットしてスタートする、みたいな感じだったんですが、このところ積み重ねていく感じがあってやりがいがあります。
呼吸法についても、ある程度覚えてくれているようで、毎日やってくれている人もいるみたいでした。

ワークにはいるまえに顔なじみの方と雑談をかわすんですが、それがまた楽しいんです。
さまざまな経験を積んでこられた方たちとの話は、ときにびっくりするようなエピソードも飛びだして、興味がつきません。

いつまでも話していたいような気持ちを切り替えて、呼吸法から音読療法のワークにはいっていきます。
今回の音読テキストは、唱歌の「冬景色」の歌詞を使いました。
日本の冬の、朝、昼、晩の風景を描写した歌詞で、歌ってももちろん楽しいんですが、内容を味わいながら音読するのもいいのです。

みんなで声を合わせて読む、リズムを取って読む、リズムを変えて読む、ときには輪唱のようにリズムをずらして読む。
最後には歌いますが、いきなり歌うことには抵抗がある人がけっこういらして、
「私は音痴だから」
「声が出ないから」
と尻込みしたり、あるいは逆に得意な人は他を圧するような朗々とした声が歌いあげて、まわりの人が萎縮してしまったりと、いろんなことが起こってしまいます。
音読療法のプログラムはそういうことがないように作られています。

今回も最後はみんなでしんみりを歌って終了。
ケアワークではあたたかなつながりが生まれるので、いつも去りがたい気持ちになってしまうのが難といえば難。

新年は10日(火)の午後にまたお邪魔する予定です。
音読療法に興味がある方は、1月20日(金)夜に新代田でボイスセラピー講座を開催しますので、お越しください。

ボイスセラピー講座@新代田(1.20)
呼吸や声を使って自分自身や身近の人を癒し活力を養うボイスセラピーの概要を、半日で学び身につけるための講座です。この講座の受講修了が音読トレーナーの資格取得講座の受講要件となります。1月20日(金)19時から新代田駅すぐ近くの会場にて開催。

2016年12月9日金曜日

カフェ・オハナの共感的コミュニケーション

12月5日・月曜日の夜は三軒茶屋の〈カフェ・オハナ〉で共感的コミュニケーションの勉強会とミニライブをおこないました。
こちらでは隔月のペースでこれをやらせてもらっています。
もう随分ながくつづいてますね。
たぶん四年とか五年とか。

この日はNVC(=Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)の経験者ひとり、NVCを知っていてマーシャル・ローゼンバーグのビデオ映像を何度も見て勉強している人ひとり。
あとはまったく初めて接する人ばかりでした。

初めての方がいる勉強会では、私はいつも、共感的コミュニケーションとはどういうものなのか、私たちがふだんやっているコミュニケーションはなぜ共感的ではないのか、だれかに共感するとはどういうことなのか、共感の目的はなんなのか、といった「前提」のようなものを話させていただくんですが、毎回それをちがった表現でおこなうことがチャレンジであったり、楽しみであったりします。
いつもできるだけみじかい時間でこれを表現することを試みています。

そのあとは、みなさんの具体的な事例にそって共感のプロセスを学んでいったり、あるいは実際に共感的に話を聞くことをします。
今回もひとりの方が、とても信頼していた同僚から酒の席で信じられないようなひどいことをいわれた経験について、話を聞かせてもらいました。

このところ、私がだれかの話を共感的に聞いているようすを観察することそのものが学びになる、といってくれる人が増えています。
うれしいことです。
私ももちろん完璧ではありませんし、ふだんはなかなかそのように人と接することがむずかしいと思っていますが、いざこの場面では共感が必要だなと感じたら、長年練習してきたスキルを駆使して話を聞くことに集中できることが、最近すこしはできるようになってきたようです。

NVCの勉強をしているけれど、実際に共感的に話を聴き、共感的につながりが生まれる場を目撃したのはこれが初めて、というような人も時々います。
共感的コミュニケーションはなにより、実践が重要です。
うまいもへたもなく、とにかく自分が学んだことをやってみる、そしてうまくいかなかったり、うまくいったり、といった経験を積んでいく、そのことでしか身につきません。
うまくいかなかったら、そのときは私のところに来て泣けばいいのです。
つぎはどうすればうまくいくのか、いっしょにかんがえたり、練習してみましょう。

今回も何人かのお話を共感的に聴き、最後はオハナでの勉強会がいつもそうであるように、野々宮卯妙の朗読と私の音楽演奏のミニライブをおこないました。
演目は夏目漱石の「夢十夜」から「第二夜」。
このライブも、じつは共感的に表現を受けとる練習なのでした。

カフェ・オハナでの次回の勉強会は、2月7日(火)の夜です。
でも、だいぶ先のことなので、それまでにしばしば開催されている勉強会に、できれば何度かつづけて参加してもらえると、学びが進んでいいと思います。
年内にもあと何回かあるので、お目にかかりましょう。

国立での共感茶話会(12.25)
おたがいに深く聴きあうことのできる場で自分自身の価値とニーズにつながるためのサポートを水城ゆうがおこなう、国立での茶話&勉強会です。ミズキランチ付き。カフェタイムからの参加もオーケーです。今回は終了後、クリスマスパーティーをやります。参加自由。

2016年12月8日木曜日

埼玉県小川町での初共感カフェ

12月4日、日曜日は、埼玉県比企郡の小川町で初めて開催する共感カフェに、ファシリテーターとして参加してきました。
主催は現代朗読のワークに何度も参加してくれていた小川町在住の亜矢子さん。
彼女が世話人となって小川町で会場を確保して、開催してくれたのです。
ありがとう。

会場は古民家を再生してみんなが集える場所にしている〈たまりんど〉という場でした。
こたつを囲んでのリラックスした時間をたっぷりと持つことができました。

ところで、私は小川町というところへは初めて行ったのです。
とっても遠いところ、という印象というか先入観がありました。
池袋からだと東武東上線で川越より向こう?
坂戸より向こう?
そして去年、町政30周年の記念事業でOeufs(うふ)のコンサートをおこなった滑川町より遠い?
地の果てのように思っていました。

実際には案外近かったのです。
国立からだと、西国分寺から武蔵野線に乗って北朝霞まで行き、そこで東武東上線の朝霞台駅に乗りかえて、あとは一本。
時間はかかりますが、座席はすいているし、快適な移動でした。

初めて共感的コミュニケーションを紹介する場だったので、最初にこのもとになっているNVC(=Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)のことや、これを体系化マーシャル・ローゼンバーグ氏のことを話しました。
「共感する」とはどういうことなのか。
ローゼンバーグが定義した人の行動原理とはどういうものなのか。
人と人が共感的につながるとはどういう状態なのか。
そしてそれは実際にどのようにおこなえば実現できるのか。

そのあと、参加の皆さんの実例を取りあげながら、共感のプロセスを解説をまじえて実践していきました。
共感的コミュニケーションのすばらしいのは、人の行動原理を理解する理論がわかりやすいだけでなく、それが実践の方法として具体的に落としこまれていて、実生活での実用に活用できるということです。
つまり、使えるのです。
だからいま、世界中で学ばれ、練習されているのでしょう。
そしてそれは、人々の共感的なつながりや、思いやりの場を確実に広げていっています。

終わって、帰ってきてから、フェイスブックのこのイベントのページに、参加してくれた方のフィードバックのことばがたくさん寄せられていて、うれしい気持ちになりました。
ちょっと紹介させてもらいますね。

◎今日の学びから、これからの人類には(大げさ?)共感的コミュニケーションのような技術は、本当に必要だとつくづく感じました。
何よりもまず「本当の自分」を知ること! そこからすべては始まります。

◎水城先生はじめ関わってくださった皆様、今日はありがとうございました!
単に人と関わる技術というのでなく、まず自分の隠された心(時にはダークサイドかも?)に触れられること、良い意味で予想と違っていました。(*^^*)
またタイミングが合えば、ぜひ参加したいと思います。
どうもありがとうございました。m(_ _)m

◎今日は参加させて頂き大変勉強になりました。本当に有難うございました☆自分自身とつながり自分のニーズをきちんと理解する大切さを知ることが出来て本当に良かったです♡
そして、自分をきちんと誉めてあげる大切さ☆心に深く浸みました。

2016年12月7日水曜日

料理:鶏肉のソテー丼

鶏肉とネギがたくさんあったので、丼仕立てにしてみることにしました。

【材料】二人分
・鶏もも肉……一枚
・ねぎ……一本
・にんにく……ひとかけ
・しょうが……ひとかけ
・ご飯……二杯
・サラダ油、塩、胡椒、醤油、酒、みりん

フライパンにみじん切りにしたにんにく、薄切りにしたしょうがをいれ、サラダ油(大さじ1杯半)をくわえて弱火にかけます。
にくにくとしょうががジュワジュワと火が通って香りが立ってきたら、斜め薄切りにしたねぎを投入します。
火をやや強め(中火)、ねぎを炒めます。

やや火が通ったくらいで、食べやすい大きさに薄切りにした鶏肉を投入します。
塩と胡椒をやや多めに振って(丼のたれとしてやや濃いめの味付け)、全体を炒めます。

鶏肉に火がとおったら、醤油をまわしかけます。
つづいて酒(大さじ2)、みりん(大さじ1)を投入し、全体を混ぜあわせたら、完成です。
あれば、最後にごま油をちょっと加えるのもいいでしょう。

器に盛ったご飯にフライパンのものを盛りつけます。
トッピングにごまを散らしたり、あらたに刻みねぎを加えるのもいいですね。
お好みでわさびを添えるのもいいかもしれません。

映画:ミニミニ大作戦

2003年公開のアメリカ映画。
監督はF・ゲイリー・クレイという人で――私はまったく知りませんでした――ミュージックビデオをたくさん手がけているということです。
どうりで映像がスタイリッシュ。

主演はちょっと地味めだけどなかなかいい俳優だと私は思っている、マーク・ウォルバーグ。
そして女優がシャーリーズ・セロン。
10年以上前に公開された映画ですが、いい女優ですなあ。
シャーリーズの近年の出演作で度肝を抜かれたのが「マッドマックス 怒りのデス・ロード」でした。
フュリオサ大隊長を演じていたんですが、マックスが主人公というより、完全にフュリオサ主演の映画でした。
シャーリーズが全部持っていったのは記憶にあたらしいところです。

それにしても、この邦題はいかがなものか。
なんかB級のコメディ映画みたいなタイトルになってますが、内容はかなりハードなクライムアクションサスペンス映画です。
冒頭は、金塊がごっそりためこんである、たぶんマフィアかなにかの事務所の金庫から、あざやかな手口で金庫ごと金塊を盗みだすシーンですが、凄腕チームが朝飯前といった感じでやってのけます。
が、仲間のひとりの裏切りで、父とも尊敬する仲間を殺され、金塊をすべて奪われてしまいます。
その復讐と金塊の奪還作品が本編のストーリーです。

邦題に「ミニミニ」とついているのは、たしかに改造されたミニクーパーが3台、作戦に使われて、派手なカーチェイスシーンがあるんですが、タイトルにつけるほどのことではないでしょう。
それより、どうやって金塊を奪還し、復讐をはたすか、そして殺された仲間の娘であるシャーリーズ・セロン演じるステラが、血を争えない金庫破りのプロとして登場するんですが、それがいかに仕事をやってのけるか、そこのところがストーリーのかなめなのです。
だれだ、こんな邦題をつけたのは!

最後はもちろんハッピーエンド。
信号をあやつるハッカーとか、たくさんご都合主義の展開はありますが、そこはまあエンタテインメントバカ映画ということで、最後はばかばかしくもけっこうスカッとしますよ。
ということで、暇つぶしにおすすめ。

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2016年12月6日火曜日

「自分とつながる」とはどういうことか

共感的コミュニケーションの目的のひとつは「つながり」ですが、これには「相手と自分のつながり」のほかに「自分自身とのつながり」があります。
自分につながるというのは自分自身に共感することです。
「自己共感」ともいいます(NVCではセルフエンパシー(self empathy)といいます)。

なにごとをおこなうにも、自分自身につながっている状態でいるのは、案外むずかしいものです。
自分自身のニーズを見失ったまま、だれかにいわれて動いたり、社会的なルールのなかで「こうしなければ」と思いこんでおこなっていたり、なんとなく習慣的にやっていたり、反射反応でやってしまったり、などということがよく起こっています。

自分自身につながっていれば、いまどんな状態なのか、なにが必要なのか、どうしたいのか、明確に見えてきます。
自分が必要としていること、大切にしていることを満たすために、いつもいきいきと積極的に行動することができるのです。
それを「自分の人生を生きる」と、NVCの創始者のマーシャル・ローゼンバーグは表現しています。

自分とつながるためにはもうひとつ必要なことがあります。
それは「いまこの瞬間」の自分自身の状態やいきいきさに気づきつづけているかどうか、です。
これをマインドフルネスといいます。

私たちは生き物ですから、瞬間瞬間、状態が移ろっていきます。
一瞬としておなじ状態でいることはありません。
その流動する自分の状態に気づきつづけ、どんなニーズが生まれては消えていくのか把握できていることを、「自分とつながっている」といいます。
これはことばであらわすのは簡単ですし、また観念的に「そのような状態」であると自分で思いこむこともできますが、この状態は「観念」ではありません。
実際に起こっていることをどれだけリアルに、観念的ではなく体認できているかが重要です。

私はこれまでさまざまな表現やワークをおこなってきましたが、気づいたらすべて――といいきっていいでしょう――この「自分自身とつながる」ための練習でした。
個人的にいえば、ピアノを弾くこと、ものを書くこと、武術を稽古すること。
みなさんとおこなうワークでいえば、音を聴くこと、演出すること、呼吸すること、音読すること。

これらを一挙に通して放出(笑)するワークシリーズを、年末に連続でおこないます。
現代朗読、音読療法、共感的コミュニケーション、マインドフルネス、音楽瞑想、そして武術・韓氏意拳をとおして長年つちかってきたノウハウを統合させた、集大成ともいうべきワークです。
26日(月)から30日(金)までの5日間、夜19時から21時半の時間です。
内容はつぎのようになっています。

12月26日(月)「音楽瞑想ワークで自分とつながる」
12月27日(火)「朗読と身体表現で自分とつながる」
12月28日(水)「音読療法で自分とつながる」
12月29日(木)「共感的コミュニケーションで自分とつながる」
12月30日(金)「自分とつながるテキストライティング」

単発参加もできますので、年末の押し詰まった時期ではありますが、タイミングが合えばどこかでお会いしましょう。

年末に自分とつながる五日間連続講座(単発参加可)(12.26-30)

2016年12月5日月曜日

帰省日記

11月、福井に帰る。
って、毎月帰ってるんですが。
でも、12月は帰りません。
このところ、毎年、このパターンです。
12月・師走のあわただしく、移動費も高くつく時期には帰省せず、1月1日の午前中――つまり元旦に移動。
交通機関もすいているし、安い。

話をもどしますが、今回の帰省も羽田から小松まで飛行機での移動でした。
満席。
私の記憶では、この夏以降、小松便はいつも満席です。
理由はわかりません。
今回も秋の観光シーズンは終わっているはずですしね。
黒服のビジネスマンが多いのはいつものことですが。

私の隣の席にすわったのは、私と同年輩の外国人の女性。
まわりにも外国の方が何人かいて、話をしているのを解読すると、どうやら金沢や富山でいくつかのバンドが出演するコンサートがあって、それに出るバンドのメンバーらしい。
バンドはアイリッシュバンドみたいでした。
バンド名まではわかりませんでした。

富士山がきれいに見えたので、彼女が窓際にすわっている私に、
「マウント・フジ?」
と問いかけ、私が、
「イエス。マウント・フジ」
と答えるという、ちょっと間抜けな会話が一度だけありました。

実家では雪囲いの準備に追われました。
雪囲いって知ってますか?
一般的には兼六園などの庭の松の木の枝が、積もった雪の重みで折れないように荒縄で吊っているイメージがあると思うんですが、あれは雪囲いではなく「雪吊り」。
雪囲いというのは、文字どおり、雪で傷まないように家を板などで囲うんです。
最近は板だけでなく塩化ビニールの波板スレートなども使いますが。

大雪が降ると――たいてい降るといつも大雪になるんですが――屋根雪をおろします。
おろした雪はどうなるかというと、道をふさぎます。
そのままにしておくと人も車も通れないので、おろした雪を融雪溝という側溝に流します。
融雪溝にはすごい勢いで水が流れていて、雪をどんどん川の主流のほうへと押しながしてくれます。
かつては融雪溝はむき出しの用水路だったんですが、いまでは暗渠になってます。
ところどころ、鉄柵のような蓋があって、そこを開けて雪を流します。
うっかり開いている蓋に落ちこんだりすると、流されて二度と浮かびません。

そんな勢いで水が流れている融雪溝ですが、みんなが一斉にやると雪が詰まって流れなくなります。
ふたたび流れるようになるのを待って、作業を続けます。
ときに夜中までかかることがあります。

それとは別に、道路側ではなく、自分の家の敷地内――玄関先とか裏庭とか――におとした雪は、緊急性はないものの、ほうっておくと縁側のガラスを割ったりします。
すぐにそうならないように、縁側とか玄関先とか、雪がたまりやすい窓の外とかに、板を張りめぐらせておくのです。
これが雪囲いです。

大変でしょ?
大変なんだけど、
「なんでそんな土地にわざわざ住むの?」
という想像力の欠如した質問が、もっとも私を逆上させます。
よくおぼえておいてください。

◎水城ゆうの新刊電子ブック『仕事をやめたいと思ったときに――共感ハンドブック Vol.1』(Kindle)発刊しました。共感ハンドブックシリーズの第一弾で、ボイスコーチング(個人レッスン)のクーポンにもなってます。価格500円。

2016年12月4日日曜日

いまやっている音楽瞑想にいたる道すじ

明大前の〈キッド・アイラック・アート・ホール〉が年内で閉館になるというので、今月12日はここでの最後の「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演をおこないます。
ホールではなく、3階・4階吹き抜けのギャラリースペースです。

と思って、ちょっと過去の記録を振り返ってみたら、キッドでおこなった初めての公演は、2012年2月の「槐多朗読」でした。
これは地下のブックカフェ〈槐多〉で開催したのでした。
ホールでは2013年2月におこなった沈黙の朗読「初恋」が初めてでした。

というようなことを振り返ってみたついでに、沈黙の朗読と音楽瞑想の実演経緯をまとめてみたくなりました。

もともと沈黙の朗読は「ディープリスニング」というライブワークショップをベースにして始まりました。
真っ暗闇のなかで音楽演奏を聴いたり、ソニック・メディテーションの手法でワークを体験したり、それをディープリスニングと称して2003年ごろからおこなっていたのです。
その後、「沈黙の朗読」という名称で朗読と音楽のパフォーマンスがはじまりました。

初回は2010年の3月、中野の〈Plan-B〉というスペースで、名古屋の俳優・榊原忠美と、当時東京芸大生だった菊地裕貴(彼女いまどうしているのかな)をフィーチャーして、古いアップライトのピアノとキーボードを私が弾いたのでした。

そこから始まって、沈黙の朗読のためにテキストがいくつか書きおろされたり、女優の石村みかさんやカルメン・マキさんと共演したり、槐多朗読がはじまったり、音楽瞑想がそれに組みあわさったりして、現在にいたる、という感じです。

現在の「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演にいたる記録をざっくりとリストにしてみました。
抜けているものもあるかもしれませんが、あらためて書きだしてみると、こんなにたくさんやってきたんだと感慨深いものがあります。

〔2010年〕
3月6日
 沈黙の朗読「記憶が光速を超える時」@中野Plan-B
 出演:榊原忠美(朗読)、菊地裕貴(朗読)、水城ゆう(音楽)
9月19日
 沈黙の朗読「特殊相対性の女」@下北沢〈Com.Cafe 音倉〉
 出演:石村みか(演技)、野々宮卯妙(朗読)、水城ゆう(音楽)
12月10日
 沈黙の朗読「記憶が光速を超える時」@愛知県芸術文化センター小ホール
 出演:榊原忠美、坂野嘉彦(クラリネット)、水城ゆう
12月11日
 沈黙の朗読「特殊相対性の女」@愛知県芸術文化センター小ホール
 出演:石村みか(演技)、野々宮卯妙(朗読)、水城ゆう(音楽)、三木義一(映像)

〔2011年〕
10月29日
 沈黙の朗読「初恋」@名古屋・あうん
 出演:榊原忠美、坂野嘉彦(クラリネット)、水城ゆう

〔2012年〕
2月20日
 槐多朗読@ブックカフェ〈槐多〉第一回
 出演:野々宮卯妙(朗読)、水城ゆう(音楽)
 以下、槐多朗読はすべて同出演者による
3月
 槐多朗読@ブックカフェ〈槐多〉第二回
4月16日
 槐多朗読@ブックカフェ〈槐多〉第三回
6月11日
 槐多朗読@ブックカフェ〈槐多〉第四回
9月17日
 槐多朗読@ブックカフェ〈槐多〉第五回
11月19日
 槐多朗読@ブックカフェ〈槐多〉第六回

〔2013年〕
2月22日
 沈黙の朗読「初恋」@キッド・アイラック・アート・ホール
 出演:金宜伸(ダンス)、野々宮卯妙(朗読)、水城ゆう(音楽)、丸山純子(美術)
5月22日
 槐多朗読@ブックカフェ〈槐多〉第七回
9月23日
 沈黙の朗読「記憶が光速を超える時」@キッド・アイラック・アート・ホール
 出演:榊原忠美(朗読)、野々宮卯妙(朗読)、水城ゆう(音楽)
 沈黙の朗読「特殊相対性の女」@キッド・アイラック・アート・ホール
 出演:野々宮卯妙/山田みぞれ/唐ひづる/KAT/高崎梓/町村千絵(朗読・群読)
  水城ゆう(音楽)
11月15日・16日
 白い月あるいは鳥の歌 with カルメン・マキ@キッド・アイラック・アート・ホール
 出演:カルメン・マキ(歌/朗読)、野々宮卯妙(朗読)、水城ゆう(音楽)
  高崎梓(身体/群読)、町村千絵(身体/群読)

〔2014年〕
8月17日
 東京創造芸術祭参加
 沈黙の朗読「記憶が光速を超える時」@中野ZERO
 出演:野々宮卯妙(朗読)、高崎梓/川崎満里菜/晩衛/山田みぞれ(身体・群読)
  森順治(アルトサックス、バスクラリネット、フルート)、水城ゆう(キーボード)

〔2015年〕
2月13日
 音楽瞑想会@本駒込・滴水庵
3月20日
 「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演@キッド・アイラック・ギャラリースペース
 出演:野々宮卯妙(朗読)、水城ゆう(ピアノ)
 初開催。以後定期開催。出演者はおなじ。
4月17日
 「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演@キッド・アイラック・ギャラリースペース
5月20日
 「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演@キッド・アイラック・ギャラリースペース
6月25日
 代田区民センターにて音楽瞑想ワークショップ
6月26日
 「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演@キッド・アイラック・ギャラリースペース
7月27日
 「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演@キッド・アイラック・ギャラリースペース
8月6日 下北沢区民集会所にて音楽瞑想ワークショップ
8月21日
 「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演@キッド・アイラック・ギャラリースペース
9月18日
 「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演@キッド・アイラック・ギャラリースペース
10月28日
 「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演@キッド・アイラック・ギャラリースペース
12月11日
 「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演@キッド・アイラック・ギャラリースペース

〔2016年〕
3月11日
 「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演@キッド・アイラック・ギャラリースペース
6月18日
 「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演@キッド・アイラック・ギャラリースペース
9月18日
 キッド・ギャラリーにて音楽瞑想ワークショップとピアノコンサート
10月23日
 「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演@キッド・アイラック・ギャラリースペース
12月12日
 「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演@キッド・アイラック・ギャラリースペース

「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演@明大前(12.12)
深くことば、静寂、音、そして空間とご自分の存在そのものをあじわっていただく「体験」型公演です。年内閉館が決まっているキッド・アイラック・アート・ホールでの最終公演となります。

2016年12月3日土曜日

映画:ブラックスワン

(以下、私見ですが、批判的な文言がてんこ盛りです。ご注意ください)

2010年公開のアメリカ映画。
監督はダーレン・アロノフスキー、主演はナタリー・ポートマン。

公開当時、ものすごく話題になったのを覚えています。
当時は私は観ませんでしたが。
なので、スリラーだかサスペンスだかホラーだかの類の、クラシックバレーの世界を題材にした映画だという程度の認識しかありませんでしたが、とにかく多くの人が観ていることは知っていました。

アロノフスキーはかなり有名な監督で、いくつもの作品でさまざまな賞をかっさらっています。
しかし、私はほとんどが未見で、ひとつだけ2014年の「ノア 約束の舟」を観ています。
とんでもない駄作で、バカ映画です(と私は思っているということですよ)。

ナタリー・ポートマンはいわずと知れた「スター・ウォーズ」のエピソード1から3までのシリーズのアミダラ姫役で有名で、陰のある役作りはまあまあだと思っていました。
この「ブラックスワン」でも陰影のある――いや、ありすぎる――不安定な若い女の役を、うまく演じています。

しかし!
しかしですよ、映画自体がバカすぎる!

スリラーとしても、サスペンスとしても陳腐、ホラーにしては物足りなさすぎる、ストーリー展開も安易で、まったく納得いかない。
観終わってもなんともいえない後味の悪さと中途半端感が残されてしまいます。
私がいつも好んで観ては「バカすぎる!」と吐き捨てているハリウッド超大作バカ映画のほうが、まだ作品としてよくできている。

唯一見られるのは、ナタリー・ポートマンの演技とバレーシーンでしょうか。
もちろん、吹き替えダンサーは使っていると思うんだけど、実際にどの程度ナタリーが踊っているのか、気になるところです。
とにかく、上半身はしっかりと踊っているシーンがたくさんあります(CGでなければね)。
上半身が踊っているとき、同時に下半身がうつることはほとんどありませんでしたが(笑)。

バレーが好きな人にはたまらないシーンがたくさんあるかもしれません。
私にはバレーの練習でオーケストラの代わりにピアノを弾きつづけるバレーピアニストの悲哀がやけに伝わってきましたが。

当時、この映画がなぜあれほど評判になったのか、それが私には謎です。

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2016年12月2日金曜日

本:『仕事をやめたいと思ったときに――共感ハンドブック Vol.1』(Kindle)発刊しました

『仕事をやめたいと思ったときに――共感ハンドブック Vol.1』が、電子ブック・Kindleから発刊されました。

この「共感ハンドブック」はシリーズで発刊していく予定です。
このあとの予定としては『親に運転をやめてもらいたい——共感ハンドブック Vol.2』『子どもにやる気がない——共感ハンドブック Vol.3』とつづきます(予定が変更になることもあります)。

ダウンロード価格500円と、ボリュームとしては少なめかもしれませんが、この本自体が水城とのボイスコーチング=オンライン個人セッション(30分5,000円)のクーポンとなっています。
この本を購入された方はもれなく、水城ゆうのボイスコーチングを500円引きで受けることができます。
ご活用ください。

なお、この本はKindle unlimited(読み放題)にも登録しています。
アマゾンのプライム会員は無料で読めます。

こちらからどうぞ。

紙本が必要な方は水城まで直接お申し付けください。

北陸の実家の居間での音読カフェ

10月に初めて実行して、今月もおこなってみました、北陸の実家での音読カフェ。
私は毎月、数日間、北陸の実家に帰省するのが恒例になっているんですが、84歳になった母親がこのところ物忘れの度合いが顕著になってきていて、ちょっと心配でした。
これを「認知症」とラベリングして、彼女がやっているいろいろなことを取りあげたり禁止したり、医者に連れていって妙なリハビリワークをやらせたり、薬を飲ませたり、というようなことをするのは簡単です。
でも、それはやりたくないのです。
そもそも母がそんなことを望んではいません。

私がオーガナイズしている音読療法が効果的であるのはわかっているんですが、それも母に強要するわけにはいきません。
しかし、興味を持ってもらう方法はあるかもしれないと思い、実家の居間を使って音読カフェを開いてみることにしたのです。

参加してもらわなくても、人が出入りしたり、お茶を出してもらったり、知らない人と話をしたり、といったことだけでも刺激になるし、生活に変化が生まれるかもしれません。
ひょっとしたら音読療法にも興味を持ってくれて、いつか参加してみたいというかもしれませんし。

先日はその二回めをおこないました。
前回も参加してくれた人が来てくれたので、前回よりもくわしく、呼吸法や音読がもたらす心身にとってのよい効果のしくみや、呼吸のしくみ、それがもたらす自律神経と心身調整効果の関係など、解説してみました。
みなさん、ノートを取りながら、熱心に参加してくれました。

後半はお茶を飲みながら、共感的コミュニケーションで日頃の悩みや気になっていることを聞かせてもらったり、対処法をいっしょにかんがえたりしました。
それが楽しくて、初回もそうだったんですが、時間をすぎてもなかなか話の区切りがつかないのでした。

音読カフェの開催はだれでもできますし、ファシリテーション(ワークの進行)は音読トレーナー養成講座を受講していただければそのやり方を身につけることができます。
自分の親を含む人々への健康貢献の仕事として、みなさんにおすすめしたいです。

また、音読トレーナー養成講座を受講するための必要条件となっているボイスセラピー講座では、自分自身の心身を音読療法の方法を用いて整える方法を伝授しています。
こちらはほぼ毎月一回開催してますので、気軽におこしください。
今月12月は3日(土)の日中、来月1月は20日(金)夜に開催します。

ボイスセラピー講座@国立(12.3)
呼吸や声を使って自分自身や身近の人を癒し活力を養うボイスセラピーの概要を、半日で学び身につけるための講座です。この講座の受講修了が音読トレーナーの資格取得講座の受講要件となります。

2016年11月30日水曜日

次世代作家養成ゼミ最終回の感動

長らくつづけてきた「次世代作家養成ゼミ」の最終回が終わりました。
現代朗読協会の「テキスト表現ゼミ」としてスタートしたこのゼミがいつからはじまったのか、記憶がさだかではないんですが、その最初期からのメンバーの奥田くんがいまだに参加してくれていて、今回も参加してくれました。

今年になってあらたに参加してくれるようになった知念さんは、驚愕の「作家性」で、私がかつてニフティサーブで開設していた「小説工房」であらたな才能を発見したときと同様、いやそれを上回る可能性を感じさせる人で、おなじ書き手として嫉妬を覚えるほどの同世代作家ですが、今回も参加してくれました。
小説工房のときと同様、すばらしい書き手だという発見が世間に伝わるまでにはかなりの時間がかかるのがもどかしいですが(小説工房のときに見つけた書き手がいまではベストセラー作家になっていたりしますが)。

つい最近、参加するようになって、とても熱心に私のアドバイスを受け取って、書きなおすたびにめきめきと上達しているいづみさんも参加してくれました。
そして、今回が二回めの参加とはびっくりするほどなじんだ感じで、ふぅさんも参加してくれました。

奥田くんはずっとエンタテインメント小説としては重いストーリーに取りくんでいて、それはおそらく長編に近いものになると思われますが、しぶとく書きついでいます。
小説技法を身につけているということでは、いまどき書店にならんでいるベストセラー作家のはるか上を行くものがあると思いますが、いまはさらにむずかしい挑戦をつづけていて、お話のつづきが読みたくてこちらもうずうずするのです。
がんばって書きとおしてほしい。

知念さんは今回、私から、セリフを極力抑えたものを、という注文をつけられていて、それに挑戦した物語となっていました。
夜の病院を舞台にした物語ですが、それは静謐な、それでいて力強い、人々のつながりといとなみを淡々と感じさせるようなすばらしいものを読ませていただきました。

ふとかんがえてみると、私が職業作家として長編小説を徳間ノベルスからリリースしてデビューしたのが1986年でした。
今年2016年はそれからちょうど30年めにあたるのでした。
長いあいだ書きつづけてきました。
これからも書いていくんでしょうね。

でも、これからどのようなものを書いていくのかは、自分でもまったく予想ができません。
そのことは楽しみでもあり、不安でもあります。
この感じを共有できる場として、次世代作家養成ゼミが終了したあとにできる作家集団〈HiYoMeKi〉があるかもしれないと思うと、かなり楽しみです。

ものを書いて表現するという作業は、もちろん個人的なものであり、孤独をともないますが、同時にその孤独の感触を共有できる仲間がいるというのは豊かな感じがあります。
「個」であることと「つながり」があること。
これがテキスト表現の仲間によって約束されることは、私にとって希望です。

2016年11月29日火曜日

【YouTube】朗読と音楽のセッション「編む人」@吹田〈モモの家〉

2016年11月19日。
大阪・吹田の〈モモの家〉にて、朗読とピアノと琵琶演奏によるライブパフォーマンスの会をおこないました。
後半の朗読と、琵琶&ピアノの即興演奏によるライブセッションの模様を、全編ノーカットでお送りします。

 朗読テキスト「編む人」作・水城ゆう

 朗読 野々宮卯妙
 琵琶 片山旭星
 ピアノ 水城ゆう

映像はこちら

名古屋ワークショップ参加者の声

先日、11月23日に名古屋でおこなった現代朗読の表現と音読療法(共感的コミュニケーション)のワークショップに参加した方から、感想をいただきました。
ご紹介させていただきます。
なお、12月3日(土)には音読療法の全体像を学び、身につけることができる講座を開催します。
興味のある方はご参加ください。

◎私にとって、自分の心と体に聞くという事は本当にむずかしい事です。自他共に認める、人の目、回りを気にして、生きて来た人間です。親しい友人には「○○ちゃんは無理に窮屈な靴下をはいている様に見える」と言われた事もあります。
今日は本当に自分を開放する事ができました。自分を見つめる、大変な事ですが、遅ればせながら気づかせて頂いたので、これから少しづつ考えて実行していきたいと思います。今日は来てよかったです。ありがとうございました。

◎ネコじゃらしであそんでいる猫。猫は外に反応しまくっているおバカさん(=だから可愛い)と思っていた。But、もしかして……フロー・ゾーン状態?
貴重な切り口を知れて嬉しい。「べきである・ねばならない」ではない時間。その反面「ダメ出し・誉め」が欲しくなったり、自由を満喫している人をうらやんで、そこまで自由はやり過ぎじゃん! と非難する心が生まれたり……
んー、カト期な気分。とにかく……来て良かった! 教えてくださり感謝! 続けて広めてくださること祈る!

◎自分に問いかける、自分がどこをどう読みたいのか自分から始める。人の声に耳を傾ける。自分を合わせる。はずれていきたい自分、同じくならないようにする自分をなんとかしようとする自分。まずは自分に問いかけること。読むうちに合わせるうちに、優しい気持ちになる。共に感じること、表現すること。今日受けとったことです。

◎意識を動作に向けると体と声が自由になる? のかも? コントロールしようとする自分を手放す感覚が(少しだけですが)体感できた瞬間があり、その時の感じと、出た声が、ああ、こういう声で話したかったと思えたのが、今回のWSでの最大の収穫でした。

◎インプロのWSに参加したことがあり、それが楽しかったのですが、今回はそれを上回る面白さでした。ありがとうございました。

◎お経の朗読から声が出るようになりました。おもしろい。おもしろかった! 自由! 自分を見つめ、感じ、人の声を聞き、自然と出る声と動く事のたのしさ♡ ありがとうございました。

◎いつも自由でいたいと思いながらも、大人としての役割の演じ続けるうちに、どこかで自分らしくないと考えてしまう今日この頃、とても「自由」な自分にかえることが出来ました。ありがとうございました。

年末に自分とつながる五日間連続講座(単発参加可)(12.26-30)
水城ゆうが現代朗読、音読療法、共感的コミュニケーション、マインドフルネス、音楽瞑想、そして武術・韓氏意拳をとおして長年つちかってきたノウハウを統合させた、集大成ともいうべきワークを、この年末に連続で開催します。

2016年11月27日日曜日

上司が尊敬できない人だとつらい?

仕事をつづける上で、上司が尊敬できない人だとつらい、という人がいます。
逆に、
「そんなの関係ない。上司が尊敬できようができまいが、仕事をする上ではなんの支障も感じない」
という人もいます。
あなたが後者だったら、この記事はスキップしていいでしょう。

前者の場合、一見「尊敬のニーズ」があるように見えます。
つまり、だれかを尊敬したい、尊敬に値する人がまわりにいてほしい、というニーズです。
しかし、これはニーズではありません。

ニーズはよく「手段」と取り違えられます。
ニーズは「ある手段」によって満たすことができますが、その手段そのものをニーズだと思ってしまうことがよくあります。
たとえば、「お金」という手段があります。
とてもパワフルな手段なので、いろいろなニーズを満たすことに使えますが、お金そのものはニーズではありません。
お金はあくまで、なにかのニーズを満たすための手段なのです。

「尊敬のニーズ」というのも、ニーズだと思っていますが、なにかのニーズを満たすための手段です。
だれかを尊敬することによって、あるいは尊敬できる人が自分のまわりにいることによって、どんなニーズを満たそうとしているのか、どんなニーズが満たされるのかを見てみる必要があります。

上司が尊敬できる人だと、なにか刺激を受けるのでしょうか。
インスパイアされますか?
尊敬できる上司の存在に触発されて、あなたも存分に能力を発揮したり、発見があったり、もあるいは成長したりできますか?
もしそうだとしたら、上司にかぎらず、尊敬できる人がまわりにいることであなたのニーズは満たされるかもしれませんね。
つまり、あなたのニーズは刺激、触発、発見、成長などで、そのことを「尊敬できる人」がまわりにいることで満たそうとしているわけです。

いずれにしても、そういう場合、上司にしろそうでないにしろ、あなたが心から尊敬できる人が職場にいないとしたら、ちょっと残念な感じになるかもしれませんね。

カフェ・オハナ(三軒茶屋)で共感的コミュニケーション(12.5)
恒例の三軒茶屋〈カフェ・オハナ〉での共感的コミュニケーション・ワークショップ。朗読と音楽のミニライブ付き。参加費1,000円+ワンオーダー。

2016年11月26日土曜日

年末に自分とつながる五日間連続講座(単発参加可)

ドナルド・トランプの合衆国大統領就任が決まり、TPPの行方も不透明になってきた2016年末、この不安定で行き詰った時代を乗りきるためには、自分とつながり、見失わず、安定しながら、あなた本来の活力を発揮できることが必要になっています。
そのためにできること、水城ゆうが現代朗読、音読療法、共感的コミュニケーション、マインドフルネス、音楽瞑想、そして武術・韓氏意拳をとおして長年つちかってきたノウハウを統合させた、集大成ともいうべきワークを、この年末に連続で開催します。

連続講座なので通して参加することをおすすめしますが、都合があわない方は単発や抜けがあってもそれなりの学びと気づきがあることと思います。

以下、ご案内です。
疑問点、気になる点などあれば、遠慮なくおたずねください。

◆1日め 12月26日(月)19時から約3時間
「音楽瞑想ワークで自分とつながる」

◆2日め 12月27日(火)19時から約3時間
「朗読と身体表現で自分とつながる」

◆3日め 12月28日(水)19時から約3時間
「音読療法で自分とつながる」

◆4日め 12月29日(木)19時から約3時間
「共感的コミュニケーションで自分とつながる」

◆5日め12月30日(金)19時から約3時間
「自分とつながるテキストライティング」

◎場所 JR国立駅徒歩5分の会場
    参加申し込みをされた方に詳細をお知らせします。

◎参加費
  通し5回参加20,000円/4回参加16,000円/3回参加13,000円
  2回参加9,000円/1回参加5,000円
  (クレジットカード(PayPal)、銀行・郵便振込、当日現金が選べます)

※お申し込みはこちら
 メッセージ欄に「自分とつながる○日め」とお書きください。

※ファシリテーターはピアニストで小説家の水城ゆうです。
※ 猫がいます。猫アレルギーの方はご注意ください。

【YouTube】現代朗読と共感のワーク@名古屋

2016年11月23日。名古屋・御器所の〈クロッキーF美術館〉にて、現代朗読と共感的コミュニケーションのワークショップを開催しました。ただ声を出す、なにかを無心に読むという行為から、自分の身体のありように気づき、いきいきした表現へと進行していくプロセスを楽しんでいただきました。

当日の進行役は水城ゆうでした。
ご参加いただいたみなさん、お疲れ様でした。ありがとう。

映像はこちら

名古屋でのワークショップはひさしぶりだった

大阪、京都とまわってきて、東京にもどる前の最後の日、11月23日・勤労感謝の日は名古屋で現代朗読と表現のワークショップをおこないました。
場所は御器所にある〈クロッキーF美術館〉というビルで、普段はこちらでオーナーの福地先生がクロッキー(デッサン?)の会を開いたり、ほかにもいろいろなイベントを開催しているスペースです。
私は福地先生にも初めてお会いするし、こちらを使わせていただくのも初めてでしたが、とても気持ちよく使わせていただきました。

当日は京都での滞在先からきらさんに京都駅まで車で送ってもらって(きらさんにはなにからなにまでお世話になりました)、新幹線で名古屋入り。
そのまま地下鉄で御器所まで行き、会場入り。
今回のワークショップをお世話してくれた野崎のりこさんや深澤さんも来てくれて、会場準備。

今回はあまり大々的に宣伝しなかったということもあって、少人数での開催となりました。
震災前の名古屋での現代朗読の活動〈ウェルバ・アクトゥス〉のメンバーのひとりだったふみさんとそのお友だちやのりこさんのお友だちのほか、野々宮が名古屋で毎月おこなっている共感的コミュニケーションの勉強会のメンバーがふたり来てくれたのもうれしかったですね。
そのうちのひとりの真理子さんは、二月に私が野々宮の代打で講師に行ったときに来てくれた方で、その後オンライン共感カフェにも参加してくれたりしている方でした。

現代朗読と共感的コミュニケーションというと、一見あまり関係がないように見えますが、じつは大変深く関わりあっています。
とくに今回のワークショップを通じて確認できたのは、お互いに相互補完的な役割があるようだということです。

今回のワークショップで一貫しておこなったのは、「自分自身をリアルにとらえる」ということです。
自分がいまどんな状態なのか、身体はどんな感じなのか、なにを周囲から受け取っているのか、どんな欲求や衝動があるのか、どんなことを思いこんだり判断したりしているのか、どんな感情が動いているのか。
こういったことを、朗読のいろいろなワークをとおして観察したり、洗い出したりしていくのです。

朗読というのは、書かれた文字を読みあげる、という行為ですが、その行為をとおして自分の癖、たくらみ、思考、判断など、さまざまなことが洗い出されてきます。
それらに気づき、なんちゃってではない本当にリアルな自分の身体や欲求をつかまえていきたいのです。
実際にやってみると、社会性をまとった身体や、記憶と捏造に満ちた思考がそれをはばみ、かなりの困難にぶつかります。

みなさんといっしょに実際に動いてみたり、声を出してみたりすることで、さまざまな気づきや、まだ知らない自分の可能性の方向が見えてきます。

今回参加してくれたみなさんはそれをおもしろがってくれ、どんどんいきいきしていったり夢中になったりして、最後は大変おもしろいワークになったのではないかと思います。
この模様は、近いうちに記録映像の抜粋を紹介できるかもしれません。


名古屋でのワークショップは、つぎはいつできるかわかりませんが、またみなさんにお会いできるとうれしいなあと思いながら、名残り惜しい気持ちで東京にもどってきたところです。

2016年11月21日月曜日

大阪・吹田の〈モモの家〉でのライブ

2016年11月19日。
午前5時半、起床。
昨夜届いたばかりの MacBook Pro 15インチを含む旅行の荷物をリュックサックに詰めこんで、出かける準備。
今回の一週間弱の旅行は、大阪、京都、名古屋とまわるもので、いつもならコロコロ転がしていくキャリーバッグを持っていくところですが、なるべく身軽にしたかったので、いつも持ち歩いているリュックサックに全部まとめてみようというチャレンジをしてみました。
しかも、15インチのMacBookもいれて。

パンパンにふくらんだリュックサックに、寒さ対策で防寒着とマフラーを着こんだ状態で、さらにカメラを首からぶらさげ、杖を持ち、そしてけっこうな雨降りだったので折りたたみ傘を開いて、国立駅まで歩きました。
その時点でかなりきつい感じだったんですが、JR中央線は土曜日の朝にもかかわらず混んでいて、満員電車状態。
なんでこんなに混んでるんだ。

東京駅から新幹線に乗ったんですが、新幹線もまた満席状態。
観光シーズンということなのでしょうか。

京都まで行き、京都で野々宮卯妙と合流して、吹田へ。
きらさんに車で迎えに来てもらって、〈モモの家〉へ。

〈モモの家〉は羽根木の家を思いださせる古民家で、しかし20年来活動を継続してきているということです。
アップライトのピアノがあって、古いカワイのピアノですが、鳴らしてみたらすばらしく響くピアノです。

京都在住の琵琶奏者・片山旭星さんも到着して、かるく打ち合わせ。
でも、リハーサルはなし。

時間になって、NVC仲間のみずきさんや、みずほさん(私を含めて「みず」つながりだ)、なっちゃん、旭星さんの飲み仲間の方も来てくれました。
遅れて来る人が何人かいるということで、最初にすこしお話をさせていただいてから、私のソロピアノからスタート。
なにを弾こうかとかんがえていたんですが、モモの家の空間を感じて、完全即興でやってみることにしました。

すばらしく鳴るピアノで気持ちよく15分くらい演奏。
あとで終わってから、風景が見えた、という感想をもらって、うれしく思いました。

つづいて、旭星さんのソロ。
京都・法然院の彼岸会のために準備したもののひとつ、宮沢賢治の「原体剣舞連」をオリジナルの演奏とともに語っていただけました。
この詩は現代朗読協会のキッド・アイラック・ホールでの公演でも使ったことがあって、私も完全にオーディエンスになっておもしろく聴かせていただきました。

元げろきょゼミ生でいまは大阪在住の朗読仲間の玻瑠さんが遅れて駆けつけてくれました。
モモの家のすぐ近所に住んでいるので余裕こいていたら、なんと時間を一時間勘違いしていたということで、大笑い。

すこしの休憩をはさんで、後半は野々宮卯妙の朗読と旭星さんの琵琶と私のピアノによるセッション。
野々宮は私の「編む人」というテキストを選びました。
深く静かに豊かな空間が編みあがりました。

終演後はきらさんが用意してくれていた食事とお酒が出て、懇親会。
これがまあ楽しい時間となったのです。
ひさしぶりに玻瑠さんと近況や朗読の話がゆっくりできてよかったな。
席を準備してくれたきらさんに心から感謝です。
またモモの家に来てなにかやれる機会があるといいなあ、と思いながら、楽しい会はお開きとなりました。

2016年11月20日日曜日

【YouTube】ののみずきょくせいLIVE@吹田〈モモの家〉抜粋

2016年11月19日。
吹田の〈モモの家〉で朗読とピアノと琵琶によるライブをおこないました。
その模様をごく短くですが、抜粋でお送りします。

 テキスト「編む人」水城ゆう作

 朗読 野々宮卯妙
 琵琶 片山旭星
 ピアノ 水城ゆう

映像はこちら

毎日体操するみたいに共感の練習しよう

私がファシリテートする共感カフェや共感茶会にはさまざまな人が参加してくれて楽しくやらせてもらっています。
この一週間だけでも、もうすぐピースボートで3か月半の船旅に出かけるという大学生の若い女性や、ドイツから日本に研究に来ている女性、もちろん普通のサラリーマンや主婦、治療院に勤めている方や治療室をやっている人、求職中の人、フリーランスの人、ほんとうにさまざまなバックボーンを持った人が来てくれました。

つづけて何度も来てくれている人もいれば、初めて来てくれた人もいます。
そういうなかで、何度もくりかえし来てくれる人はとてもありがたく、また学びも深まっていくのを感じます。
本人は、
「ずっとやっているのになかなか思うように共感力が身につかなくてもどかしい」
といいながら、また来てくれているわけですが、私から見ればあきらかに上達しているのです。
つづけて練習し、上達している人は、自分の「できないところ」がちゃんと見えるようになってきます。
だから逆に「できない」と感じてしまうのです。
でもちゃんとできるようになってきています。
こちら側から客観的に見ればそれは明らかなのです。

逆に残念なのは、一度だけ来てそれっきりになってしまう人です。
私以外の人がやっている勉強会に行ってくれているのならいいんですが、共感的コミュニケーションの可能性や、それを練習し身につけていくことの楽しさをあきらめてしまう人がいるとしたら、それはとても残念なことです。
でも、一度でも興味を持って勉強会に参加してくれたわけですから、なんらかの(気楽な)手段でわからないことを尋ねたり、練習したり、気になっているところを質問したり、あるいはだれかに共感してもらったり、いつも練習しあえる仲間とつながれたり、といった場があると、つづけるのがぐっと楽しくなるんじゃないかと思うのです。

そこで、そういうことが気軽にできたり呼びかけたりできる場を作ろうと思いたちました。
というより、すでにある場を利用すればいいのだ。

フェイスブックのアカウントを持っている人限定になりますが、「共感的コミュニケーションを学ぶ/使う」という秘密のグループがあります。
私の共感カフェやオンラインの勉強会に参加してくれた人を対象に参加してもらっています。
この場をとりあえず、そのまま流用しましょう。

「ちょっとつらいことがあって緊急にだれかに話を聞いてもらいたい」
「ちょっとだけ共感練習をしたい」
「共感的コミュニケーションについてわからないことが出てきた」
「困っている友だちがいるんだけどどうしたらいいだろう」
「夫とひどい喧嘩をしてしまった。だれか仲裁してくれないだろうか」

そのようなことを気軽に書きこんで、だれかが応じたり、コメントしたり、あるいは私ができるときは対応したいと思います。
また、必要なときはすぐにオンラインでつながって、共感的に話を聴きあうこともいいでしょう。

興味がある方は、まずは私のオンライン共感茶会でもいいですし、随時開催されている共感カフェなどに参加してみてください。
その上でフェイスブックで私とつながってくれれば、秘密のグループに招待します。
お待ちしてます。

11月開催:水城ゆうのオンライン共感茶会(11.24)
自宅や好きな場所にいながらにして気軽に参加できる、ネットミーティングシステム(zoom)を利用した共感的コミュニケーションの60分勉強会、11月の開催は24(木)20時です。

国立での共感おはなし茶会(11.25)
おたがいに深く聴きあうことのできる場で自分自身の価値とニーズにつながるためのサポートを水城ゆうがおこなう、国立でのおはなし&勉強会です。ミズキランチ付き。カフェタイムからの参加もオーケーです。

2016年11月19日土曜日

【YouTube】福井県立病院ボランティアコンサート2016.10より「故郷の空」

2016年10月19日。
3か月に1回程度のペースで水城ゆうがおこなっている福井県立病院エントランスホールでのソロピアノコンサートの模様から、「故郷の空」をお送りします。

映像はこちら

かまいキッチンと共感練習の継続性

毎月恒例の下北沢〈かまいキッチン〉での共感おはなしカフェは、参加者が少人数だったので、ひさしぶりにゆっくりと主催者のかまいキッチンのクミさんも含めて話ができました。

共感カフェは実際のお店のカフェで開催しているケースが何軒かあって、本当はお店の人にも参加してもらっていっしょに学んだり、話を聞いたりしたいんですが、参加者が多いと注文をさばいたり、席が窮屈だったり、ほかにお客さんがいたりと、輪にはいってもらいにくいのが現状です。
でも、今回は参加者がひとりだけだったのと、たまたまほかにお客さんがいなかったのとで、クミさんにゆっくり加わってもらうことができました。
こういうチャンスだけでなく、なにかいい方法があるといいんだけど。

ひとりだけの参加者は、先日「親密な関係」の勉強会に国立まで来てくれたサブリナさんで、留学生といっていいのかな、交換研究者というのかな、とにかくドイツの大学から日本の大学にやってきて論文を仕上げている最中の学生さんでした。

クミさんがお客さんから聞いたお母さんとの関係性のエピソードから、サブリナさんもドイツにいるお母さんとの関係の話をしてくれて、クミさんもそんな話を聞かせてくれました。
娘とお母さんの関係というのは、私には想像もできなかったんですが、なにか特別なものがあるようです。
もちろん、息子とお母さんの関係にも特別なものがあると思いますけど。

お互いにあたりまえだと思って、その関係性のなかで配慮が欠けたり、あるいは期待しすぎたり、思いやりを置き忘れてしまったり、ということが起こるようです。
でもまあ、それは当然のことで、共感的コミュニケーションではいったんそのようにギクシャクしてしまったり、対立が起こったとしても、もう一度つながりなおして関係を修復し、さらに深いつながりを持つということを試みることができます。

そんなことを今回はゆっくりと話すことができて、とてもありがたかったんですが、私のもうひとつのテーマをふたりに聞いてもらうこともできました。
それは、共感カフェに参加した人は、継続的に参加しつづけてくれる人もいれば、たまに参加してくれる人もいれば、一回きりで来なくなってしまう人もいて、なにかみなさんに継続的に共感の練習ができる機会を共感カフェ以外にも提供する方法はないだろうか、ということです。

たとえばかまいキッチンでの共感カフェも月に一回の開催です。
どんなに習得が優秀な人でも、月の一回の練習では共感的コミュニケーションを身につけることは難しいと思います。
日常的に練習したり、おなじように勉強している相手と練習したり、といったことをしてもらえると、習得が早いのです。

なにかいい方法がないかなあといったら、サブリナが「こんなのがあるよ」と教えてくれました。
それは英語のコミュニティですが、フェイスブックにお互いに共感しあうための場所があって、なにか問題があったり気になることがあればそこに書きこむと、ほかのメンバーから共感をもらえたり、場合によってはSkypeで直接話を聞いてもらったりできる、というのです。
そういえば、日本語でもそういうサイトがあるのでした。
緊急共感が必要な人のためのグループです。

私も自分の共感カフェに参加してくれた人でフェイスブックのアカウントを持っている方のためのグループを作っていて、それを継続的な練習や緊急の共感が必要な人のための場所にあてればいいんだと思いあたりました。
さっそくやってみようと思います。
緊急の共感が必要で、そのことをグループで表明し、それを見た人がリアクションしたり、私が対応できたりするといいですよね。

11月開催:水城ゆうのオンライン共感茶会(11.24)
自宅や好きな場所にいながらにして気軽に参加できる、ネットミーティングシステム(zoom)を利用した共感的コミュニケーションの60分勉強会、11月の開催は24(木)20時です。

国立での共感おはなし茶会(11.25)
おたがいに深く聴きあうことのできる場で自分自身の価値とニーズにつながるためのサポートを水城ゆうがおこなう、国立でのおはなし&勉強会です。ミズキランチ付き。カフェタイムからの参加もオーケーです。

2016年11月18日金曜日

音読療法の来た道

音読療法を行政などにアピールして、地域での介護予防運動や健康運動にひと役買うためのアピールのための資料として、音読療法のこれまでの履歴と実績を詳細にまとめる作業をしています。
膨大なリストになったので全部は無理ですが、そのごく一部を紹介します。
もし音読療法に興味を持ってくれる方がいらしたらうれしいです。

音読療法協会(特定非営利活動法人登記申請中)はその前身を特定非営利活動法人現代朗読協会に持ちます。
また現代朗読協会はその母体となったアイ文庫朗読研究会を礎としています。
来歴はそこにさかのぼります。

2000年、アイ文庫有限会社設立。
ラジオやテレビ番組の制作、オーディオブックなどのインターネットコンテンツの制作・配信会社としてスタート。

2003年、アイ文庫朗読研究会がスタート。
これがのちの現代朗読協会の前身となります。

2004年から小中高等学校や高齢者福祉施設などへのボランティア活動を積極的におこないはじめました。朗読パフォーマンスの公演のみでなく、音読エチュードと称する参加型のワークショップを社会貢献活動として展開。

2006年3月、特定非営利活動法人現代朗読協会設立。

2008年、文化庁の後援を受け、世田谷文学館との共同事業として世田谷区内の小中学校での朗読公演、群読ワークショップがスタート。
このあたりで音読療法で用いられている音読エチュードが豊富に誕生しはじめます。

2010年、音読療法の重要な要素となっているマインドフルネスやソニック・メディテーションの実践の先駆けとして、中野plan-Bにて「沈黙の朗読――記憶が光速を超えるとき」を上演。
以来「沈黙の朗読」のシリーズを継続的におこなう(現在も継続中)。
ほかにも児童養護施設の子どもたちのためのボランティアイベントに出演したり、名古屋などでも群読ワークショップを定期的に開催するようになります。

2011年3月11日、東日本大震災大津波が起こる。
活動拠点としていた〈羽根木の家〉で音読を使ってケアワークをスタート。
このとき、医師や臨床心理士の協力を得たことが、音読療法の体系化のきっかけとなりました。
その9月には、三谷産業のバックアップにより音読ケアワークによる東北ボランティアツアーが実現、南三陸町、石巻と巡回。
これは11月と、翌6月も実現し、石巻や釜石などをまわりました。

そして音読療法協会、設立。
定期的にボイスセラピー講座を開催し、音読療法の普及啓蒙と、音読トレーナーの育成をはかる(現在も継続中)。
・11月、東北ボランティアツアーの2回めとして、石巻を中心に巡回。

2012年から「音楽瞑想」のライブとワークショップがスタート。
以来、ブックカフェ〈槐多〉、〈キッド・アイラック・アート・ホール〉ギャラリースペース、ほか多数開催する(現在も継続中)。

この年は音読療法の活動が急に広がり、高齢者福祉施設(特別養護老人ホーム)での「いきいき音読ケア」と称するケアワークもスタートしました。
一般参加者を対象にした「音読カフェ」と称する音読療法をもちいた心身の健康ワークもはじまりました。
「お母さんのための音読ケア」がスタートしたのもこの年です。
これらはいまもつづいています。

2013年には音読療法の重要な要素のひとつである「共感的コミュニケーション」の勉強会を各地で開催しはじめました。
とくにコミュニティカフェでおこなう勉強会は毎月、あるいは隔月で開催し、現在も継続中です。

継続中の活動はたくさんあります。
まず、共感的コミュニケーションの勉強会。
世田谷区のカフェ3か所、現在の活動拠点〈春野亭〉、名古屋コミュニティスペース、豊橋〈いるかビレッジ〉、個人宅数件、オンライン勉強会など、多数。
いきいき音読ケアワークはメディカルホールまどか富士見台、個人宅数件、〈春野亭〉など随時随所にて実施中。
お母さんのための音読ケアも〈春野亭〉にて定期開催がスタートしようとしています。

ボイスセラピー講座は毎月開催。
音読トレーナー養成講座はトレーナー育成のための集中講座として数か月おきに開催予定です。

不定期の活動としては、単発の共感的コミュニケーションの講座や勉強会、音読ケアのワーク、墨田区教育支援ネットワークからの依頼による小学校での音読授業、ほかにも個人宅や地域コミュニティでの音読カフェを随時随所にて開催しています。

ボイスセラピーを社会貢献の仕事としておこなっていくことに興味のある方が、私たちの活動にひとりでも多く参加してくれることを願っています。

呼吸や声を使って自分自身や身近の人を癒し活力を養うボイスセラピーの概要を、半日で学び身につけるための講座です。この講座の受講修了が音読トレーナーの資格取得講座の受講要件となります。