2016年12月24日土曜日

大きなニーズにつながったとき人はパワフル

もう五十代も終わりかけというのに、体調はかつてなくいいし体力もあるように感じる、睡眠も規則正しく足りていて、日々武術の稽古は欠かさない。
収入こそままならないけれどだれかの役に立てていることを仕事にしている実感があって、書くこともピアノ演奏も新境地にはいってきていて、これほど充実している日々はないと、この一年は感じていました。
夏に〈羽根木の家〉の契約解除という不測の事態があって、あわただしく国立に引っ越すというドタバタがありましたが、それでも手を差し伸べてくれる人がいて、いまは快適な住まいに安心して落ちついています。
国立という環境も悪くないのです。

なにも不満はない、といいたいところですが、自分のなかをつぶさに観察すると、なにかが足りないといっている声がずっと聞こえてくるのです。
それが遠い太鼓のようにわけのわからない焦燥感を私に植えつけていました。
なんだろう、これは。
ずっとさがしていたんですが、先日、ようやくその正体がわかりました。

二十歳のころ、アルバイトをきっかけに社会と関わるようになり、いろいろな職業を経験しましたが、最終的にバーテンダーからバンドマンというのが職業としての私のスタートとなったと思います。
バンドマンをやりながら、将来設計のようなものはまるでありませんでしたが、必死に演奏の腕をみがいたり、自分のバンドを売り込んだりライブをこなしたりしていました。
それだけで目一杯だったはずですが、その合間に私は小説を書いていたのです。

生まれて初めて200枚強の長編小説を書きあげたときは、ちょっとした達成感がありました。
たぶん一週間か10日くらいで書きあげたように記憶しています。
そのころはバンドマンの仕事も(カラオケブームのおかげで)かなり減っていたので、日中の空き時間を使って夢中で書きました。
もちろんワープロやパソコンが普及する前で、原稿用紙にボールペンで手書きしたのです。
1983年のことでした。

その原稿のことはすっかり忘れていたんですが、1985年になって出版社から連絡があり、1986年に商業作家としてデビューすることになりました。
出版社に原稿を送りつけたことすら忘れていたので、かなりびっくりしましたが。
いまからちょうど30年前のことです。

以来、たくさんの本を書きました。
最近は商業出版ではなく、自力出版で書いていますが、なんとなく「足りない」感じはここにあることがわかってきました。
私は長編小説を書きあげたいのです。

この前に書きあげたのは『ストリーム』という長編で、これはブログ連載を経て去年リリースしたものです。
振り返ってみると、このような長尺の物語を書くことが、私に必要なことだとわかります。
いまは長尺ものを書いていなくて、なんとなく「足りない」感じがしているのです。

じつは書きたいものがあります。
まだくっきりと形はあらわれてきていませんが、大枠はわかっています。
それを、ちょうどキリのいい2017年1月1日から、メルマガ連載という形でスタートさせようと思います。
小説家になって31年め、いまの自分がやれるめいっぱいのテキスト表現を、あらたなチャレンジとしてはじめようと思っています。

いまの私はものすごく「みなぎる」感じがしているのです。
漫画でよく、パワーアップしたキャラクターが筋肉もりもりになって、内側から服をばりばりと引き裂いてしまうシーンがありますが、あんな感じです。

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