とはいえ、現代にいたる文明が起こったのはたかだか数千年前のことで、その文明とて局所的に偏在していたわけで、つい最近まで、いやいま現在も文明社会とは隔絶した生活を送っていた人たちが多くいました。
文明以前は人間も狩猟採取時代が長く、数百万年あったわけです。
つまり、人類は厳しい自然のなかでみずからすみかと食料を確保し、子育てをしてきた数百万年の時を生き残った遺伝子を受け継いでいるといえます。
外敵から守られた住居を確保し、みずから食料を調達して生き残る能力を、私たちは本来全員が持っているはずです。
食料を調達するためには、安全なすみかから移動して採取したり、狩りをしなければなりません。
そういった生活がどれほどの緊迫感のなかにあったのか、どれほど生命維持のための能力を一瞬一瞬発揮しなければならなかったのか、想像することはむずかしいですが、生死を賭けた日々であったことは理解できます。
それを生きぬいた遺伝子を、文明という怠惰装置のなかに生きる私たちも、いまだ持っているはずなのです。
しかし、現代社会のなかで私たちは、住まいを確保するにも、食料を調達するにも、移動するにも、自分の「能力」をまったく使わずにすませることができます。
移動するための自動車、電車、飛行機、いずれも外敵から襲われる心配をすることなく、怪我の心配もほとんどなく、体力の心配をすることもなく、能力をまったく節約できる装置です。
私は長らくものを書いたり、音楽演奏をしたり、朗読演出をしたり、自分を表現することをつづけてきました。
以前はいかに人よりすぐれたものを誇示できるか、人をびっくりさせたり喜ばせたりウケたりできるか、いかにお金を稼げるか、いかに集客できるか、そんないわば社会的・外的基準を設定して自分を鼓舞していましたが、そんなことをいくらやっても自分の成長ははかばかしくないし、第一まったく楽しくないよな、ということに気づいたのです。
それに気づいてからは、自分の内側に表現の根拠を探し、自分自身につながり、自分がすでに持っている可能性を十全に発揮することを練習しはじめました。
これが本当に厳しく、しかし楽しいのですよ!
この十数年来、私が追求しているのは、ありもしない(架空の)能力を身につけようとすることではなく、自分自身が本来持っている能力をあますところなく発揮するための方法でした。
それはマインドフルネスとの出会いからはじまり、瞑想、呼吸法、身体へといたり、現在は韓氏意拳という武術によってそれらと精密に、厳しく向かい合うトレーニングを日々おこなっています。
これはたぶん、一生、死ぬまでやりつづけるでしょうし、それだけの甲斐があることでもあります。
狩猟採取時代の人々が一瞬一瞬を緊迫感のなかに生き、能力を全開にして生きのびてきたような生命の闊達さをもって表現行為にもあたれたら、どれほどそれはいきいきしていることでしょう。
表現行為にかぎらず、怠惰装置に囲まれた現代生活のなかにあっても、本来的な自然能力を解放することができたら、きっとおもしろいに違いありません。
自分自身につながること、自分の能力の可能性にアクセスすること、それを練りあげるトレーニングを楽しむこと。
私の毎日はこれらに満ちていてわくわくするのです。
これを「年末に自分とつながる五日間連続講座」でみなさんとシェアします。
仲間がいたほうが楽しいですからね。
「音楽瞑想」「朗読と身体表現」「音読療法」「共感的コミュニケーション」「テキストライティング」というそれぞれのアプローチで、自分につながるワークをおこないます。
全部参加してもらうのが一番うれしいですが、部分的参加でも歓迎します。
どれか興味を惹かれたものがあれば参加してみてください。
◎年末に自分とつながる五日間連続講座(単発参加可)(12.26-30)
水城ゆうが現代朗読、音読療法、共感的コミュニケーション、マインドフルネス、音楽瞑想、そして武術・韓氏意拳をとおして長年つちかってきたノウハウを統合させた、集大成ともいうべきワークを、この年末に連続で開催します。