大阪、京都とまわってきて、東京にもどる前の最後の日、11月23日・勤労感謝の日は名古屋で現代朗読と表現のワークショップをおこないました。
場所は御器所にある〈クロッキーF美術館〉というビルで、普段はこちらでオーナーの福地先生がクロッキー(デッサン?)の会を開いたり、ほかにもいろいろなイベントを開催しているスペースです。
私は福地先生にも初めてお会いするし、こちらを使わせていただくのも初めてでしたが、とても気持ちよく使わせていただきました。
当日は京都での滞在先からきらさんに京都駅まで車で送ってもらって(きらさんにはなにからなにまでお世話になりました)、新幹線で名古屋入り。
そのまま地下鉄で御器所まで行き、会場入り。
今回のワークショップをお世話してくれた野崎のりこさんや深澤さんも来てくれて、会場準備。
今回はあまり大々的に宣伝しなかったということもあって、少人数での開催となりました。
震災前の名古屋での現代朗読の活動〈ウェルバ・アクトゥス〉のメンバーのひとりだったふみさんとそのお友だちやのりこさんのお友だちのほか、野々宮が名古屋で毎月おこなっている共感的コミュニケーションの勉強会のメンバーがふたり来てくれたのもうれしかったですね。
そのうちのひとりの真理子さんは、二月に私が野々宮の代打で講師に行ったときに来てくれた方で、その後オンライン共感カフェにも参加してくれたりしている方でした。
現代朗読と共感的コミュニケーションというと、一見あまり関係がないように見えますが、じつは大変深く関わりあっています。
とくに今回のワークショップを通じて確認できたのは、お互いに相互補完的な役割があるようだということです。
今回のワークショップで一貫しておこなったのは、「自分自身をリアルにとらえる」ということです。
自分がいまどんな状態なのか、身体はどんな感じなのか、なにを周囲から受け取っているのか、どんな欲求や衝動があるのか、どんなことを思いこんだり判断したりしているのか、どんな感情が動いているのか。
こういったことを、朗読のいろいろなワークをとおして観察したり、洗い出したりしていくのです。
朗読というのは、書かれた文字を読みあげる、という行為ですが、その行為をとおして自分の癖、たくらみ、思考、判断など、さまざまなことが洗い出されてきます。
それらに気づき、なんちゃってではない本当にリアルな自分の身体や欲求をつかまえていきたいのです。
実際にやってみると、社会性をまとった身体や、記憶と捏造に満ちた思考がそれをはばみ、かなりの困難にぶつかります。
みなさんといっしょに実際に動いてみたり、声を出してみたりすることで、さまざまな気づきや、まだ知らない自分の可能性の方向が見えてきます。
今回参加してくれたみなさんはそれをおもしろがってくれ、どんどんいきいきしていったり夢中になったりして、最後は大変おもしろいワークになったのではないかと思います。
この模様は、近いうちに記録映像の抜粋を紹介できるかもしれません。
名古屋でのワークショップは、つぎはいつできるかわかりませんが、またみなさんにお会いできるとうれしいなあと思いながら、名残り惜しい気持ちで東京にもどってきたところです。