現代朗読協会の「テキスト表現ゼミ」としてスタートしたこのゼミがいつからはじまったのか、記憶がさだかではないんですが、その最初期からのメンバーの奥田くんがいまだに参加してくれていて、今回も参加してくれました。
今年になってあらたに参加してくれるようになった知念さんは、驚愕の「作家性」で、私がかつてニフティサーブで開設していた「小説工房」であらたな才能を発見したときと同様、いやそれを上回る可能性を感じさせる人で、おなじ書き手として嫉妬を覚えるほどの同世代作家ですが、今回も参加してくれました。
小説工房のときと同様、すばらしい書き手だという発見が世間に伝わるまでにはかなりの時間がかかるのがもどかしいですが(小説工房のときに見つけた書き手がいまではベストセラー作家になっていたりしますが)。
つい最近、参加するようになって、とても熱心に私のアドバイスを受け取って、書きなおすたびにめきめきと上達しているいづみさんも参加してくれました。
そして、今回が二回めの参加とはびっくりするほどなじんだ感じで、ふぅさんも参加してくれました。
奥田くんはずっとエンタテインメント小説としては重いストーリーに取りくんでいて、それはおそらく長編に近いものになると思われますが、しぶとく書きついでいます。
小説技法を身につけているということでは、いまどき書店にならんでいるベストセラー作家のはるか上を行くものがあると思いますが、いまはさらにむずかしい挑戦をつづけていて、お話のつづきが読みたくてこちらもうずうずするのです。
がんばって書きとおしてほしい。
知念さんは今回、私から、セリフを極力抑えたものを、という注文をつけられていて、それに挑戦した物語となっていました。
夜の病院を舞台にした物語ですが、それは静謐な、それでいて力強い、人々のつながりといとなみを淡々と感じさせるようなすばらしいものを読ませていただきました。
ふとかんがえてみると、私が職業作家として長編小説を徳間ノベルスからリリースしてデビューしたのが1986年でした。
今年2016年はそれからちょうど30年めにあたるのでした。
長いあいだ書きつづけてきました。
これからも書いていくんでしょうね。
でも、これからどのようなものを書いていくのかは、自分でもまったく予想ができません。
そのことは楽しみでもあり、不安でもあります。
この感じを共有できる場として、次世代作家養成ゼミが終了したあとにできる作家集団〈HiYoMeKi〉があるかもしれないと思うと、かなり楽しみです。
ものを書いて表現するという作業は、もちろん個人的なものであり、孤独をともないますが、同時にその孤独の感触を共有できる仲間がいるというのは豊かな感じがあります。
「個」であることと「つながり」があること。
これがテキスト表現の仲間によって約束されることは、私にとって希望です。