8月21日(土)に下北沢の〈Com.Cafe 音倉〉でおこなうライブ公演「特殊相対性の女」のチラシのための文言を書いた。
午後3時と午後7時に2回公演。
(演劇+朗読)×音楽=「特殊相対性の女」
というコンセプトで、女優の石村みかと朗読の野々宮卯妙、そして私の三つどもえライブ。
さらに映像美術として写真の三木義一も参加。
(チラシの文言)
演劇が役者の身体による表現であることは異論のないところだと思うが、朗読もそうであることはあまり意識されていない。
私は朗読演出においても常に朗読者の身体性、時空性を意識し、また意識させてきたが、すぐれて鍛えぬかれた朗読者の身体性が鍛錬された役者の身体性とどこまで拮抗するのか、興味を持っていた。もちろん朗読者と役者との身体性は、その使用方法やあり方そのものが異質なものだが、それゆえおなじステージ上に存在したときにどのように拮抗するのか、あるいは拮抗しないのか、化学反応を起こすのか、起こさないのか、好奇心をかきたてられる。
野々宮卯妙といういわば現代朗読で純粋培養された朗読者と、石村みかというすぐれた身体感覚を持った役者とのぶつかりあい。見たこともないもの、聴いたことのない声、音、経験したことのない時空を経験したくて、このテキストを書いた。
アルバート・アインシュタインは、物質が光速度に近づいていけばいくほど時間と空間に非日常的な歪みが生まれることを証明した。彼の頭脳が高速(光速)回転していたとき、彼の身体はどんなイメージに包まれていたのだろうか。彼はまた音楽を愛する人でもあった。
私もピアノ弾きという立場でステージにいるのだが、ご来場の皆さんとともに異空間の目撃者、体験者としてそこにありたいと望んでいる。