水城ゆうブログ
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2009年8月21日金曜日
「プロ」と「アマ」という区分
これは最近に限ったことではないが、よくいわれることに、
「私はプロなので、アマチュアとおなじステージに立ちたくない」
というセリフがある。
あるいは、現代朗読協会にやってくる人で、
「お稽古ごととして朗読をやるつもりはないんです。プロになりたいんです」
という方がいる。
心意気はすばらしいが、では「あなたが考えるプロの定義は?」と訊くと、ちょっと口ごもり、まことにお粗末な答えしか返ってこないことがほとんどだ。
彼女らがいう「プロの定義」とは、「それで生活していけるだけの収入を得ている人」だそうだ。
では、と私は聞き返す。
次の人のうち、どちらがブロ?
・それで収入を得ているけれど、仕事をしていないときは仕事のことをさっぱりと忘れて遊び暮らしている人。
・それで収入を得てはいないけれど、毎日その仕事のことばかり考えていて、生活もその仕事が中心に回っている人。
どちらも実際にいるし、私は多くの実例を見てきている。
たとえば、有名声優で、大企業のコマーシャル用サウンドロゴ一声を吹きこむだけでン百万も報酬をもらえるような人が、日頃はなんらトレーニングひとつせず、飲み歩いてばかりいる人。
たとえばストレッチを一日でもさぼるダンサーがいるだろうか。たとえばスケール練習を一日でもさぼるピアニストがいるだろうか。もしいるとすれば、私はその人をアマチュアと呼ぶ。なぜなら、彼らは生活のために仕事をしているかもしれないが、仕事のために生活をしていないからだ。
もし私が「プロ」という言葉を定義するとすれば、生活のために仕事をしている人ではなく、
「仕事を成立させるために生活している人」
とする。
朗読の場合、それだけで生活するのは至難の業だ。が、朗読を自分のライフワークであり、また表現することが自分の生きることそのものだと考えている人がいる。彼は自分が朗読を続けるために、毎日の生活を整え、トレーニングをおこたらず、また朗読生活を支えるためにはときにアルバイトをしているかもしれず、また別に仕事を持っているかもしれない。
そういう人は山ほどいる。
彼は、生きるということは朗読そのものであり、朗読を中心に生活が組み立てられている。朗読というと特殊なように感じるかもしれないが、「朗読」を「音楽」とか「アート」とか「マラソン」とか、なにかポピュラーなものに置きかえてみると、そう特殊な考えではないことがおわかりのはずだ。
そもそも、「プロ」「アマ」という区分を作るのは、もうやめませんか?