2018年4月28日土曜日

TV番組:映画作家 想田和弘 アメリカを“観察”する

フジテレビで放送された番組だが、YouTubeで全編視聴できる。
制作・著作はフジテレビではなく、日本電波ニュース社となっている。

想田和弘氏の作品を初めて見たのは、名古屋の小さな劇場だった。
私の盟友で名古屋の劇団〈クセック〉の俳優であり朗読家であり、また年間300本も観るという映画フリークの榊原忠美氏と約束があって会っていた。
どんな用事で会っていたのかは忘れたが、榊原氏が仕事で数時間抜ける必要があり、私はその間の時間を持て余しそうになっていた。
すると榊原氏が「映画でも観てな」といって、どこぞの小さな映画館に私を放り込んで行ったのだ。

以前にも何度かそういうことがあり、そのたびに私は、自分では決して観ないような、無名の、そして超おもしろい映画を観ることになって、その日も榊原氏を信頼し安心て映画館の暗闇に身をひたしたのだった。

観たのは(観せられたのは)「精神」という奇妙な映画だった。
あるちいさな精神病院を舞台にしたドキュメンタリー映画なのだが、ナレーションも字幕も、音楽すら一切ないのだ。
ただただ、カメラが回り、そこでおこなわれていること、話している人が映しだされていくのみ。

それが想田氏の「観察映画」という手法だと知るのはあとのことだ。
衝撃的で、かなり長い映画だったと思うが、私はスクリーンに釘づけになったまま最後まで観続け、終わったあとにはすぐに立てないほどのショックを受けていた。
なるほど、バラさん(榊原氏)はこれを見せたかったのか。

YouTubeで公開されたテレビ番組は、そんな想田氏の最新作の映画作りの過程と日常を追っている。
今回も観察映画であるが、手法が違っている。
興味深い。
そしてニューヨークで生活している想田氏の日常も興味深い。

彼の発言はツイッターでも大量に読むことでできるが、やはり映画こそメインの表現媒体だろう。
しかし、映画監督という感じではない。
まさにこの番組タイトルにあるように「映画作家」なのだ。

作家という極私的視点からただただ「観察」するという姿勢のなかで、なにか普遍的なものを表現し訴えようとする。
映画を見てなにを感じるか、どんな問題意識を持つかは、見る側である観客に完全にゆだねられている。
これはあたらしい手法だ。
そして現代にあって有効な表現方法となっている。

いま、想田和弘氏の最新作「港町」が全国(いや世界?)で封切られている。
このテレビ番組で取材されているのは、「港町」のつぎにあたる作品のようだ。
どちらも観るのが楽しみだ。

YouTubeで観ることができるテレビ番組「映画作家 想田和弘 アメリカを“観察”する」は、こちら