NECのPC-8801という機種を、ドットインパクトプリンターや8インチフロッピーディスクドライブとともに買って、セット全部で100万円以上した記憶がある。
そのとき私は京都でバンドマンをやっていて、けっこう稼ぎがあったのだ。
なんのために買ったのかはっきりとは覚えていないのだが、たぶん、まずは音楽製作に使ってみたかったんだろう。
そのあと、ワードプロセッサとして使いたくて、カセットテープでデータが売られていた一太郎を、これも当時何万円もしたものを買ったおぼえがある。
1981年のことで、振り返ってみればいまから37年も前のことになる。
以来、数々のパーソナルコンピューター、ワープロ専用機、ラップトップ、パームや電子手帳を使ってきた。
現在はMacBookProとiPadとiPhoneに落ち着いている(これも将来どうなるかわからないが)。
スマートホンやタブレットしか持っていない人も多くなってきた。
どちらも性能はパソコン並みかそれ以上のものがあり、アプリを駆使すればパソコン以上に利便性がある。
なんに使うのか目的がはっきりしている場合、これほど軽量コンパクトで機動性がある端末はない。
ラップトップがいくら軽くなったといっても、スマホやタブレットにはおよばない。
私も外出時にはスマホとタブレット——ときにはiPhoneをポケットに突っ込んだだけの手ぶらで出かけることもある。
それでも連絡や調べもの、ブラウジングやちょっとしたメモ書きにはなんの支障もない。
なにより常時ネットにつながっているのが機動力を発揮する。
しかし、かといってパソコンを手放すかというと、そうはいかない。
ちょっとした仕事ができそうな時間があるときは、重いけれどもリュックサックにMacBookProを突っこんで出かける。
スマホやタブレットは便利に使っているけれど、いざ仕事するというときには家にいるときとシームレスな環境でやりたい。
私の場合は、執筆、ネット、ブログやウェブサイトの手入れ、音楽や映像や電子書籍の編集といったことだ。
それにくわえて、思いついたアイディアに取りかかってみることも。
やることが決まっていて、その目的にそった作業をするだけならスマホやタブレットで十分なのだが、思いつきに柔軟に対応するにはコンピューターが必要になる。
コンピューターはいわば、なんでもこなせるなんでもマシンだから。
予測できない知的生産性を重視する者にとっては、なくてはならないツールとして手放すことができない。