2018年4月14日土曜日

人から頼られるということ

ここ数年、つづいていた定期開催の共感カフェをいくつか閉じはじめているが、それと反比例するように個人セッションの依頼が増えてきた。

10年くらい前にマーシャル・ローゼンバーグのNVC(=Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)というものを知り、学び、練習し、自分でも気づいたことを書くようになった。
この「書く」という行為は、その過程でNVCにたいする理解を深める役にたった。
なにごとかを書いてみようとするとわかるが、なんとなく理解していたり、体験したりしていることを、そのまま人に伝えるためには書けない。
人に伝え、理解してもらうためには、そのことにたいする理解と体験を整理し、クリアなストーリーにしておく必要がある。

もともと書くことが仕事だった私は、さらに書くことで人に伝えたくて、自分自身の体験の場を広げていった。
多くの事例を知るとともに、私自身の共感練習にもなったと思う。
共感的コミュニケーションは知り、学ぶだけでなく、実際に練習し、実生活のなかで試み、身につけていく必要がある。

その過程で、ひと前で話せるような一般的な事例だけでなく、非常にプライベートで扱いがデリケートだったり難しかったりする問題について、相談されることが増えてきた。
個人的で精神的な問題な、内密にしたい対人関係の問題など、オープンな場では話せないような問題を抱えている人が、私を頼ってくれるようになってきた。

とてもありがたいことだが、そこには緊張もある。
その人にとっては重大な人生の問題を、私が共感し聞くことで、その人自身がなんらかの解決策に気づいたり、自分自身につながるお手伝いをするわけだ。
いいかげんな態度で接することはできない。
かといって、身を乗り出して相手にプレッシャーを感じさせるようなことでもいけない。
私はただ私自身でありつづけ、厳しくその場にいつづけることで、安全で安心な共感の流れを作ることをこころがける。

韓氏意拳という武術から学んでいることだが、自分の能力を最大に発揮するためには力んでもだめだし、かといってだらけたり、ばらけたりしていてもだめだ。
すみずみまでゆきわたり、充満した気づきが必要だ。
おなじことが、対人共感においてもいえる。

本当に自分の能力をまんべんなく発揮できる機会をいただいて、緊張すると同時にありがたいと思っている。
いかんなく自分を発揮して、結果的にそれがだれかの役に立つことが、私の最大のニーズのひとつといっていい。

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