とても大事な、シビアで深刻な問題をかかえたかたたちから、個人セッションの申し込みがつづいている。
プライバシーのために内容の詳細については書けないけれど、いまの私の共感的能力がだれかの役に立てるかもしれないというシチュエーションは、私にとってもありがたく、しかし緊張もある場面だ。
パートナーとの問題、職場での同僚や上司との関係、親子関係の問題などなど。
時間を区切られた切迫した問題について緊急に話を聞くこともある。
先日も緊急の問題について話を聞く必要があって、しかしその日にかぎって私には予定がつづいていて、お互いに取れる時間がお昼休みしかなかった。
移動とお昼ご飯に使う予定の1時間を、お昼ご飯はあきらめて移動しながら話を聞くことにした。
待ち合わせの場所にやってきた人は、私のために手作りのお弁当を持ってきてくれた。
これはうれしかったな。
私にたいする深い気遣いを感じてありがたかった。
そして話ができたことで、「落ち着いた」といってもらえて、私の貢献やサポートのニーズも満たされた。
なかにはサポートしきれないうちにセッションを打ち切ってしまう人もいる。
たいていその理由は、「仕事をやめたので経済的余裕がなくなった」というようなものだ。
それを聞くと私はとても悲しくなる。
「お金がないから相談できない」
ではなくて、
「お金がないけど相談したい」
といってもらえると、どれほどうれしいことか。
実際にそのようにいってもらえる人もいるし、喜んで私も話を聞く。
もしセッション・フィーを払えないことに気がかりが残ったとしたら、後日ゆとりができたときに払ってくれればいいし、お金以外にも私のニーズに貢献できることはいくらでもある。
相談してくれればうれしいのだ。
いや、本当に。
◎水城ゆうの個人セッションの申し込みはこちらから。
【追記】
フェイスブックでコメントをいただき、それにたいして私が返信した内容を追記しておきます。
コメント「“お金以外にも私のニーズに貢献できることはいくらでもある”
とは、たとえばどんな事だろう…?」
水城の返信「たとえば、私は自分の活動やコンテンツを人に知ってもらうのにとても苦労しています。私の活動やコンテンツをシェアしたり知り合いに伝えてくれたりするだけで、すごく助かるよね。そんなこと、たくさんあるのよ〜」