2019年12月31日火曜日

現代朗読講義録の抜粋映像まとめ

名古屋で開催した公開個人レッスン講座より、現代朗読についての講義の部分を抜粋した映像シリーズを作って連投したが、そのまとめを作っておく。
それぞれ現代朗読という身体表現としての朗読、現代アートとしての朗読についてのかんがえかたのエッセンスがかいまみえるので、朗読にかぎらず表現に興味があるかたはご覧いただきたい。

これら抜粋映像のもとになった全編映像をいっしょに見ながら、解説したり、質疑応答をおこなう時間を近く用意している。
国立会場に直接来られるもよし、オンラインで参加されるもよし、日程発表までいましばらくお待ちいただきたい。
みなさんが参加できるように、何度かチャンスを作ろうかともかんがえている。

 その1
 その2
 その3
 その4
 その5
 その6
 その7

共感手帳術コミュニティ

いよいよ大晦日となった。
みなさん、手帳の整理はしているだろうか。
私は長年の手帳愛用者で、普通の手帳からノート、システム手帳、電子手帳などなど、ずっと使いつづけてきて、年末年始にはその選択と整理をすることが楽しみのひとつになっている。

今年はiPadで使えるデジタル手帳のすぐれものを見つけて、もっぱらそれを愛用している(写真参照、共感手帳術とはちょっと関係ないけど)。
「Planner」というアプリで、いまのところなかなか気にいっている。

共感手帳術仲間のオンラインコミュニティを作ろうと思っていて、年明けになんとなく集まってミーティングをする予定がある。
日程はあらためて発表するが、土日のどこか、サクッと1時間くらいをかんがえている。
共感手帳術に興味があるかたはどなたも歓迎、ご参加いただきたい。

2019年12月30日月曜日

2019

あと2日で今年も終わる。
今年2019年は私にとって大きな年だった。

ドイツに行った。
フライブルクの「日本文化の日」でピアノを弾いてきた。
一度はやってみたかったサーフィンに初挑戦した。
食道ガンが見つかった。

ドイツはフランクフルトからはいって、シュトゥットガルト、フライブルク、ベルリンとまわってきた。
この経験は電子書籍(Kindle本)『なぜ私はここに来たのか——ドイツ演奏旅行記』にまとめた。

電子書籍では共感的コミュニケーションのシリーズの3冊めとなる『縁側の復権——共感的コミュニケーション2019』も上梓した。
『音読日めくり365日』もまとめることができた。

電子書籍以外のコンテンツとしては、YouTubeで「ピアノ七十二候」を一年間配信し、無事に全72曲を配信終了した。
これらデジタルコンテンツは、いずれもなかなかの労作だと自負している。

共感カフェや音読カフェ、身体文章塾など、主催していた講座や勉強会をいくつか、整理して閉じた。
ただし現代朗読ゼミはほそぼそとつづけていた。
ほとんど個人レッスンのようになっていたが、あらたなゼミ生がひとり、ふたりと加わり、後半には参加者も増えてきた。
来年にはゼミの持続性とあらたな展開についてかんがえている。

名古屋でほぼ毎月おこなっていたNVCの勉強会も、徐々に朗読のワークショップへと移行し、今年は全面的に現代朗読のワークショップとなった。
それにともなって、映画製作をおこなっている伊藤勇一郎くんに毎回の模様を撮影してもらい、最終的に現代朗読の映画を作るという計画がスタートした。
年内にすべての撮影が終了し、年明けの公開を待つばかりとなっている。

6月に食道ガンが見つかってからは、怒濤の展開となった。
ひと前でやるライブやステージの予定を年内にすべてひと区切りさせるべく、着々と準備をすすめた。

長年つづけていた福井県立病院でのピアノコンサート。
16年間サポートしてきた小林佐椰伽ちゃんとのステージ。
オーストラリア在住の矢澤実穂とは「ラストステージ/事象の地平線」という公演を実現させ、それをベースに名古屋では榊原忠美と、東京から引きつづき野々宮卯妙との3人のパフォーマンス公演を2回、実現させることができた。

食道ガンについては、標準的な抗ガン剤治療をおこなわないことにして、9月から10月にかけて放射線の照射治療のみをおこなった。
これらの経験については、電子書籍『事象の地平線 末期ガンをサーフする』にまとめてある。

音楽家の海津賢くんの提案で、彼のプロデュースによる朗読と音楽のオリジナル楽曲の製作もおこなった。
8曲が完成している。
これらは今後どのような形で発表していくか、まだ企画進行中である。

2020年にかけて企画進行中のものは、ほかにもいくつかある。
しかしガンも進行していて、体調とのかねあいでなにができてなにができないのか、見極めていく必要がある。

マインドフルネスのなかで自分をたっぷりと生き、生かしていくこと。
まだまだ伝えておきたいことがたくさんある。

いまここにいるということ「身体・表現・現象」(末期ガンをサーフする2(21))

例年より早めだが、東京から北陸の実家に帰省した。
車での移動だが、運転手がもうひとりいたこともあって、楽だった。
いまのところ、車を運転することにはなんの支障もない。
むしろ、電車移動よりずっと気持ちも身体も楽だ。

東京・北陸というとけっこうな長時間移動だが、それでも私は車のほうが楽だ(グレタ・トゥーンベリさんにはしかられそうだけど)。
電車の場合、国立からだと、まず東京駅に行かなければならない。
そこから新幹線で米原まで。
米原から北陸線に乗りかえる。
金沢だと北陸新幹線があって便利らしいが、それでも東京駅までは行かなければならない。

飛行機でも羽田まで行かなければならない。
羽田から小松までのフライトのあと、小松空港からはバスとローカル線の移動になる。

いずれにしても6時間くらいかかる。
車とそう変わらない。
そして車だとドア・トゥー・ドアという便利さがある。
途中、好きなときに休めるし、ラジオや音楽を聴きながら運転できる。

原因不明の腰痛も、痛み止めの薬が効いていて、それほど気にならない。
薬はなるべく8時間以上あけるようにしているし、最低でも6時間はあけている。
これがだんだん効かなくなっていくかもしれないが、ペインコントロールについてはどの医者も「心配ない」という。
さまざまな薬や方法が最近はあるらしい。
医療麻薬(モルヒネのようなものか?)も処方できるといっている。

ともあれ、腰痛の原因はまだよくわからない。
お腹のまんなかを通っている大動脈脇にある遠隔転移リンパ腫瘍ではないかと思うが、医者はそれはそんなに痛みが出ないはずだという。
骨への転移の検査を先日おこなったが、その結果は年明けにならないとわからない。

■ノベルスの衰退と電子ネットワークの拡大

ノベルスが急激に売れなくなっていったことで、私の仕事の内容も依頼も変化していった。
もともと「小説を書くことが楽しい」ことからスタートした小説書きだが、やがてそれが売れ、それで生活するようになると「売れる小説を書く」ことが目的になってしまい。
それは出版社側のニーズであり、書き手もそれに乗ってしまうというのは、自分本来のニーズを見失うことでもある。
自分が書きたいものと、マーケットの時流のなかで売れるものとは、かなり乖離してしまう。

私にやってくる注文も、当時のはやりだった仮想戦記とかジュブナイル(いまでいうライトノベルか)などが多くなってきた。
私もそれを受けなければ本が出ないという状況に追いこまれていった。

小説を書く仕事の一方で、地方在住ということも有利に働いたのだろう、地元のラジオ局やテレビ局、タウン誌、カルチャーセンターなどの仕事が増えていた。
FM福井では番組のスクリプトを書いたり、自分も出演したりしていたし、福井テレビと福井放送というテレビ局でもそれぞれ出演番組を持ったりもした。

その関係で、福井放送がやっているカルチャーセンターで文章講座をやったりもした。
これはなかなか人気の講座で、たくさんの生徒さんが来てくれた。
なかにはすばらしい書き手も何人かいた。

これらとは別に、当時はパソコン通信と呼ばれていたが、電子ネットワークにも深く関わるようになっていった。
これについては何度か書いたことがあるのでくわしくは書かないが、地元のテレビ局や企業のBBSの立ちあげに関わったり、そのシスオペを務めたりもした。
また、富士通系のニフティサーブでは「本と雑誌フォーラム」のシスオペを頼まれて引き受けたりもした。

商業小説の仕事が衰退するのに反比例して、ネットとの関わりはどんどん深まっていき、ニフティのフォーラム活動は当時の通産省のなにかの賞をいただいたこともある。
また「小説工房」というネット小説道場のような集まりが盛り上がり、その活動は本にもまとめられた。

ただ、これらのネットの活動は私をひどく消耗させた。
多くの人との関わりが一種の「熱」となり、私は熱病に取りつかれたようにコンピューターに向かった。
ユーザーもまたそんな私を「消費」した。

相当消耗しながらも、電子ネットワークというものに大きな可能性を感じていたこともまた事実だった。
ネットではパソコン通信だけでなく、ドコモのi-modeなどの公式ケータイサイトや、まぐまぐなどのメルマガサービス、そしてインターネットの本格的普及と、さまざまなサービスと規模が1990年代初頭から後半にかけて急激に拡大しつつあった。

2019年12月29日日曜日

公開個人レッスンでの現代朗読講義からの抜粋その7



2019年12月に名古屋で開催した公開個人レッスン講座より、現代朗読についての講義の部分を抜粋した映像シリーズを作りました。

その7からの抜粋映像です。

口先だけで朗読する、首から上だけで読む、胸から上だけで表現する、などということが起こったり、それ自体意識すらできていないこともありますが、現代朗読では全身が表現にほどよく参加することをめざします。
とくに現代人に欠けがちな上半身と下半身とのつながりについて、「座る」という行動に注目して練習します。

それを練習する練習会の世話人には、抜粋ではなく全編映像を解説付きでシェアする用意があります。
世話人に興味があるかたは水城までご連絡ください。

国立でおこなっている現代朗読ゼミは朗読未経験のかたもふくめ、どなたも体験参加歓迎です。
くわしくはこちら。

春野亭日乗 12月28日(土)子ども共感ゲーム大会、北陸移動

午前中から子どもたち(を連れた大人も)が春野亭にやってきて、ゲーム大会。
共感をそだてられるんじゃないかという「じっくりミレー」というゲームや、ほかにも何種類か、オバマさんがフェイスブックで書きこんでいたのをきっかけに、Mariや娘のあいさん、妹のなみこさん、三木家、のぞみさんらが集まって、年末にやることになった。
お昼は持ち寄りで。

子どもは総勢6人、あまりににぎやかで、私はゲームに参加せず避難していたが、大盛りあがりだったようだ。
お昼ご飯にはちゃっかり参加させてもらった。

子どもたちにはMariからクリスマスプレゼント(本など)。
のぞみさんがいつものように春野亭の冷蔵庫の命の祝福をしてくれた。
なみこさんもいろいろと差し入れてくれた(そもそも子どもを3人も連れてきてくれた)。
オバマさんが高タンパクが必要な私を気遣って激うまのビーフシチューを作ってきてくれた。

ほかにもオバマさんからは生クリーム好きのためのデザート、目かぞえリング、子どもたちへのプレゼント本が。

オバマさんと私のあいだでは編物用の「目数リング」の読みかたが「めかず」なのか「めすう」なのかはっきりさせたいと思っていて、ついにその解決のときが来たかと思ったのに、「目かぞえリング」と斜めに逃げられて大笑いしたという商品。
ありがたくいただく。
使わせていただきます、ありがとう。

午前中、みなさんがゲームで盛り上がっている間に、ちょいと立川まで行って、ユザワヤで年内最後の買物。
会員割引き価格でフンデルヴァッサーのオパール毛糸をいくつか買ってくる。

ゲーム大会は午後4時くらいまでつづいて、解散。
いそいで帰省準備をして、午後5時くらいに車で出発。
高速道路は渋滞もなく、大変スムーズに快適に走ることができた。

公開個人レッスンでの現代朗読講義からの抜粋その6



2019年12月に名古屋で開催した公開個人レッスン講座より、現代朗読についての講義の部分を抜粋した映像シリーズを作りました。

その6からの抜粋映像です。

ひと前で朗読したり表現するときに「気がひける」「劣等感がある」という人は、なにを大事にしているのか。
自分のニーズを把握し、つながることができたら、積極的に練習したり表現にトライできるようになります。

それを練習する練習会の世話人には、抜粋ではなく全編映像を解説付きでシェアする用意があります。
世話人に興味があるかたは水城までご連絡ください。

国立でおこなっている現代朗読ゼミは朗読未経験のかたもふくめ、どなたも体験参加歓迎です。
くわしくはこちら。

2019年12月28日土曜日

公開個人レッスンでの現代朗読講義からの抜粋その5



2019年12月に名古屋で開催した公開個人レッスン講座より、現代朗読についての講義の部分を抜粋した映像シリーズを作りました。

その5からの抜粋映像です。

朗読における感情表現とはなにか。
「楽しい」感情をねつ造、あるいは演技しながら読もうとしていないか。
豊かに自分自身のこころと身体の存在を表現するためには、どんな練習をすればいいのか。

それを練習する練習会の世話人には、抜粋ではなく全編映像を解説付きでシェアする用意があります。
世話人に興味があるかたは水城までご連絡ください。

国立でおこなっている現代朗読ゼミは朗読未経験のかたもふくめ、どなたも体験参加歓迎です。
くわしくはこちら。

公開個人レッスンでの現代朗読講義からの抜粋その4



2019年12月に名古屋で開催した公開個人レッスン講座より、現代朗読についての講義の部分を抜粋した映像シリーズを作りました。

その4からの抜粋映像です。

現代朗読ではなにかを読んでいる自分自身を観察する、読みつづけるという練習をします。
なぜなら、表現が進行するとき、表現者の心身は変化しつづけており、その変化は自分自身の声や身体やまわりから受け取っているさまざまなことでもたらされているからです。
変化しつづけながら表現すること、それは自分の生命現象の表現ということです。

それを練習する練習会の世話人には、抜粋ではなく全編映像を解説付きでシェアする用意があります。
世話人に興味があるかたは水城までご連絡ください。

国立でおこなっている現代朗読ゼミは朗読未経験のかたもふくめ、どなたも体験参加歓迎です。
くわしくはこちら。

2019年12月27日金曜日

いまここにいるということ「身体・表現・現象」(末期ガンをサーフする2(20))

昨日は水城ゼミの忘年会だった。
朗読ゼミ生やひよめき塾生のほか、ゼミに参加したことのある人、音読療法やNVCでのつながりがある人など、オンラインも合わせれば10数人が集ってくれて、大変にぎやかで楽しい会となった。
みなさん、ありがとう。

今年最後のイベントだったので、現在と今年を振りかえるいい機会になった。
集まってくれたみなさんの多様性に、混沌を感じつつ、うれしくなった。
人種、性別、年齢、職業、思想信条など、てんでばらばらで、そういう人たちが朗読表現や非暴力コミュニケーション、マインドフルネスなどの勉強の場としてのゼミにつどっていることが、私にとっては大きなお祝いだ。

私自身もこの半年、マインドフルに自分のニーズにつながり、日々やれること、やりたいことに集中してすごしてこれたことは、半年がまるで何十年にも感じるような充実があった。
こんな濃密な時間はこれまでになかったことだ。
ひょっとして子どものころはこんな時間を毎日すごしていたのかもしれないが、あいまいな記憶でしか残っていない。

残り時間はあとどのくらいあるのだろうか、という想像的観念ではなく、いまこの瞬間の永遠にちかい濃密な時間を感じながら生きること、このことが私にとって「生きる」ということにほかならないと、昨日の集まりのなかでみんなの声を聞きながら編物をしながら、思っていた。

■各社からの依頼とバブル崩壊による小説氷河期へ

デビュー長編が徳間書店の徳間ノベルスから刊行されると、驚いたことに、すぐにいくつかの出版社から書き下ろしの依頼がやってきた。
中央公論社、(いまはなき)朝日ソノラマ、(いまはなき)天山出版。
それぞれの出版社に出向いたり、編集者が福井までやってきたりして、それぞれの出版社での最初の長編小説の企画を練った。

そんなふうにして、最初の年から翌年にかけて、4冊くらいの新刊書を私は出すことになった。
そこそこ売れたものもあれば、売れなかったものもある。
すぐにわかったのは、いきなり何十万部というベストセラーを出すことはむずかしく、また私自身もそのようなベストセラー作家の仲間入りをしたわけではないということだった。

しかし、編集者——つまりプロの読み手にはあるていど評価されていたような気がする。
ベストセラー作家にはならなかったが、仕事の依頼はとぎれることはなかった。
ほとんどが長編の書きおろしの依頼で、単発の雑誌掲載短編の依頼もたまにあった。
書き下ろしはノベルスが多く、文庫書き下ろしもあった。
しかし、ハードカバーでの刊行はなかった。
つまり、エンタテインメント小説の——ひょっとして使い捨て的な——書き手として扱われていたのだろうと、いまとなっては思う。

私の小説家デビューは1986年だったが、時代はやがて激動の1989年から1990年、1991年へと進んでいく。
私にはまったく意識も実感もなかったが、この時期はちょうどバブル期にあたっていた。
そして1991年にバブル景気が崩壊すると、小説の世界にも寒風が吹きはじめた。
とくにノベルスという新書版サイズのエンタテインメント小説は、一部のベストセラー作家をのぞいて急激に売れ行きが落ちていった。
もちろん、私の本も売り上げが激減していった。

公開個人レッスンでの現代朗読講義からの抜粋その3



2019年12月に名古屋で開催した公開個人レッスン講座より、現代朗読についての講義の部分を抜粋した映像シリーズを作りました。

その3からの抜粋映像です。

朗読するとき、その表現の根拠としてなにを求めるのか。
テキストの内容なのか、作者の背景なのか、日本語ルールなのか、発音発声技術なのか。
現代朗読ではたえず変化しつづける自分の生命現象そのものを表現の根拠としてとらえようとします。

それを練習する練習会の世話人には、抜粋ではなく全編映像を解説付きでシェアする用意があります。
世話人に興味があるかたは水城までご連絡ください。

国立でおこなっている現代朗読ゼミは朗読未経験のかたもふくめ、どなたも体験参加歓迎です。
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公開個人レッスンでの現代朗読講義からの抜粋その2



2019年12月に名古屋で開催した公開個人レッスン講座より、現代朗読についての講義の部分を抜粋した映像シリーズを作りました。

その2からの抜粋映像です。

私たちはだれしも、日常でのさまざまなシチュエーションにおいてすばやく身体性(姿勢、構え)を変化させて、行動したり発言しています。
しかし、そのことを自覚したり、客観的に観察することはなかなか難しいのです。
現代朗読ではなにかを読もうとするとき、自分の身体がどのような姿勢なのか、ある構えになっていないかどうか、繊細に注目する練習をします。
それはとりもなおさず、自分自身を知るという試みでもあります。

それを練習する練習会の世話人には、抜粋ではなく全編映像を解説付きでシェアする用意があります。
世話人に興味があるかたは水城までご連絡ください。

国立でおこなっている現代朗読ゼミは朗読未経験のかたもふくめ、どなたも体験参加歓迎です。
くわしくはこちら。

2019年12月25日水曜日

公開個人レッスンでの現代朗読講義からの抜粋その1


2019年12月に名古屋で開催した公開個人レッスン講座より、現代朗読についての講義の部分を抜粋した映像シリーズを作りました。

その1からの抜粋映像です。

現代朗読は国立で開催しているゼミで学ぶことができますが、オンラインでのネットミーティングを利用した遠隔練習会も準備しています。
練習会の世話人には抜粋ではなく全編映像を解説付きでシェアする用意があります。
世話人に興味があるかたは水城までご連絡ください。

国立でおこなっている現代朗読ゼミは朗読未経験のかたもふくめ、どなたも体験参加歓迎です。
くわしくはこちら。

年末年始の個人レッスンはお休みします

対面やオンラインでの個人レッスン/個人セッションは、この年末年始にお休みさせていただきます。
年内は12月28日まで。
年明けは1月7日ごろから再開します。
12月29日から1月6日までお休みということです。

今年は共感カフェや音読カフェを店じまいしたためか、個人セッションを多くのかたに利用していただきました。
うれしいことです。
また、朗読など表現についての個人レッスンも多く来ていただき、私ならではの知見をみなさんのお役に立てることができたのもうれしいことです。

長年の経験と研究、表現やコミュニケーションについての本質的な考察の継続によって、自分のなかにかなり系統立ったものが構築されてきた感触があります。
これを必要とする人にできるだけ届けておきたい、というのがいまの私の願いです。

また、だれかを見て、だれかがなにかを話したり声を出すのを見て、だれかがなにかをやるのを見て、そこから私にしか気づかないなにかを読みとって指摘したり、気づいてもらったりする演出手法も確立していると感じています。
これもまた必要とする人に届けたいですね。

限りある自分の命をできるだけ多くの人に役立てたいと思っています。

※水城ゆうの個人セッション/レッスンのご予約はこちらから。

2019年12月24日火曜日

いまここにいるということ「身体・表現・現象」(末期ガンをサーフする2(19))

東京紙器の山田俊哉さんが国立までわざわざ会いに来てくれた。
山田さんとは20年以上の付き合いになる。
といっても、ここしばらくはごぶさただった。
私の人生にとって、最重要人物のひとりだ。

というのも、ニフティサーブなどのパソコン通信時代からケータイ公式サイトが爆発的に普及する時期にかけて、私をネットから拾いあげてくれて、いっしょにアイ文庫という会社を作り、私が東京に出てくるきっかけを作った人だからだ。
経営者ではあるが、まったく社長然としたところはなく、知的好奇心やチャレンジ精神が旺盛で、最初から信頼できる人だった。

最近は仕事の接点がなくなり、会うこともなくなっていたのだが、アイ文庫でNVCの共感トランプを作ることになり、その製作を東京紙器に依頼したことから、ふたたび連絡がついた。
アイ文庫は現在、西東万里が代表取締役で、彼女はNVCジャパンネットワークの事務局でもある。
共感トランプの企画からデザイン、入稿まで、仲間のサポートを得ながら、実質的にはほとんどひとりでやっている。

私に会うことを躊躇していた山田さんを誘ってくれたのは彼女だ。
山田さんは私に会うことをなぜ躊躇していたのか。
会って話してみてわかった。

最後に山田さんに会ったのは何年前だったのか、さだかではないが、7年以上前のことにはちがいない。
そのころの私はまだ杖をついていた。
20年以上前にやらかした膝の骨折とそのリハビリの失敗で、杖なしには長く歩けない状態が5年前くらいまでつづいていたのだ。
つまり20年近く杖にたよる生活をしていた。

山田さんはそのころの私の姿しか知らない。
それに加えて、末期ガンを患っているという情報だ。
山田さんは私のことを、ガン治療でやつれはて、ガリガリになって杖にすがって歩く、死期を目前にした無残な姿を想像していたらしい。
なるほど、そんな姿の人間には、私も気楽に会うのを躊躇してしまう。

しかし実際には私は前以上に元気で、しかも杖すらついていない。
かつては杖なしに歩けなかったのに、いまは数キロならジョギングすらできる。
7年前からはじめた韓氏意拳という武術と、その教練である山形の高橋透先生の頭蓋仙骨治療のおかげだ。

元気な私の姿を見て、山田さんは心からほっとしたようだった。
それを聞いて、私は気づいた。
私を知っている多くの人が山田さんのような危惧をいだいて私に会いたくても会うことを躊躇するような心境になっているのではないか。
それを越えて私に会いに来てくれた人たちは、大きな心理的ハードルを乗りこえてくれたのかもしれない。
会いに来てくれた人も、会うのをためらっている人も、ありがたいと思う。

会いに来てくれた山田さんとは、何年ものブランクを感じることなく、かつての仕事仲間というより同僚、旧友のような気持ちで話をすることができた。
ひさしぶりなのに、過去の思い出話にふけることなく(すこしは話したけれど)、いま現在のお互いの状況や心境と、これからのことについて、心を開いて話しができたし、また聞いてもらうことができた。
ほんとうに楽しい時間だった。

たとえ頻繁に会わなくても、いつでも心を開いて話ができる友人がいるということが、これほど豊かなことなのだということを、私はガンという病を得て心底実感するようになってきた。
人生の最終盤がこのような豊かさのなかにあることを、本当にうれしく思っている。

(写真は私がアイスクリーム好きであることをブログを読んで知った山田さんからいただいたアイスクリームのギフト券。うれしい)

2019年12月23日月曜日

語りッ娘ニュースが届いた

豊田の語人(ストーリーテラー)小林佐椰伽ちゃんの活動ニュース紙「語りッ娘ニュース」の最新号が届いた。
お母さんの小林希依子さんが、毎回、執筆・編集をして発行しつづけているもので、10年以上継続して作りつづけていることにはまったく頭があがらない思いだ。

今回は今月、愛知県知立市でおこなわれた知立演劇フェスティバルのようすを写真付きでまとめてある。

知立演劇フェスティバルへの参加協力は、希依子さんによれば平成17年から、ということで、なんと14年前のことになる。
今回で私は4回めくらいの参加になったのかな。
よかったらご覧ください(画像をクリックすると拡大します)。

春野亭日乗 12月22日(日)朗読ゼミ、グリグリ、ひよめき忘年会と塾

午前10時半から現代朗読ゼミ。
年末にもかかわらず——あるいは年末のせいか——参加者がたくさん来てくれて、結局9人での稽古となった。
このくらいの人数がいないとできない群読の練習もあるので、ありがたい。
名古屋の生惠さんもオンラインで参加してくれた。
リアルでいっしょにできることには制限があるけれど、それなりにできることもある。

ゼミのあと、いつものようにゼミ生ユウキにグリグリをやってもらう。
かなり痛いところもあるけど、これ、効いてる気がする。
いずれにしても、私のために忙しい日々の合間の時間を使ってくれることに感謝。

何人かで近所の〈ケルティックムーン〉までランチに行く。

夕方からひよめき忘年会。
つきみんがおいしいパンとか手作りの何品とか、いろいろ用意してきてくれた。
ほかにまりりんとおっくんが来てくれる。
少人数だったけど、たいへん楽しい時間をすごした。
機関誌『HiYoMeKi No.7』の最終校正もめどがついた。

夜は19時から年内最後のひよめき塾を開催
忘年会組と、あとはオンライン組。
作品は10篇が提出された。
ちょっと長引いたにもかかわらず、私は元気に最後までほぼ全部参加できた。
楽しかった。
腹がよじれるほど笑ったのはひさしぶり。

2019年12月20日金曜日

いまここにいるということ「身体・表現・現象」(末期ガンをサーフする2(18))

さてどうしますか、しばらくかんがえますか、と2週間の猶予をもらった治療についての返事をするために、病院に行ってきた。
治療方針についてはすでにかんがえてあったので、返事は、
「とくに治療はしません」
と伝えるだけだった。

標準的な治療としては抗ガン剤をおすすめするが、なにもしないとなればこのあとの「最後をどうすごすか」について周囲ともよく話し、決めておく必要がある、と担当医からいわれる。

食道周辺のガン部位は放射線治療でかなり効果をあげることができたが、放射線がとどかない腹部の大動脈脇の転移リンパ腺腫については増大しているので、部分的な照射治療もありうる。
ただ、転移は全身のどこにおよんでいるかわからないので、その部位を治療したからといって根治するわけではない。
抗ガン剤治療ももちろん根治するわけではない。
そのような説明をうけた。

私が行っている多摩総合医療センターは大きな病院だが、緩和ケア病棟はないらしい。
もちろん緩和ケア治療はおこなえるが、ホスピスはない。
ホスピスは手続きにしても入院するにしても「待ち」が長くなることが多いので、早めに手を打っておいたほうがいい、ということで、年明けにケアマネージャー(だっけな?)と相談してアドバイスをもらうことになった。

腰痛がつづいているので、腰椎への転移がないかどうか、骨シンチグラムという検査を来週受けることになった。
治療しないといっても、いろいろと展開ややることが出てくるものだ。

■職業作家になる

私の長編デビュー作は1986年に徳間ノベルスから刊行された。
刊行される前に驚くようなことが起きた。
担当編集者が机の上に置いてあった私のデビュー小説のゲラ刷りを、たまたま用事で編集部に来られていた筒井康隆先生が見つけて、「読ませろ」といって持っていったというのだ。
そればかりか、頼まれてもいないのに、400字詰め原稿用紙に2枚の推薦文を書いて、送ってきてくれた。

その推薦文はそのまま、新刊の帯に掲載された。
直筆原稿はいまでも私の手元にある。

長編小説が刊行される前に、『SFアドベンチャー』に数本、短編SFを書いた。
雑誌掲載用の短編を書いたり、デビュー長編を書きなおす過程で、編集者からずいぶんたくさんの注文や書き直しを命ぜられ、私はかなり鍛えられた。
ちょっとめげそうになるくらい厳しく指導された。
しかし無事にデビュー長編が刊行されることになった。

それは夏のことで、徳間書店の旧社屋には、入口をはいると宮崎駿監督の新作アニメ映画「天空の城ラピュタ」のポスターがベタベタ貼ってあったのをよく覚えている。
そのとき私は29歳になったばかりだった。

ピアノ教師は、一部の大人の生徒をのぞいてやめてしまった。
子どもたち相手にピアノを教えるのは、音大など正規のクラシック教育を受けなかった私にとって、ちょっとうしろめたいところがあったからだ。
子ども相手の塾の先生もやめた。
そうして私は商業職業作家としてのおよそ10年を、その後歩むことになった。

2019年12月19日木曜日

いまここにいるということ「身体・表現・現象」(末期ガンをサーフする2(17))

(写真:KYOKOさん)

12月5日はボイスセラピー講座、その夜から7日にかけての足かけ3日間は音読トレーナー養成講座合宿。
その7日の夜は現代朗読ゼミ。
8日は墨田区のジュニアリーダーの中高生約40名を対象に音読指導のワークショップ。

すこしあいて、12日は名古屋での「ラストステージ/事象の地平線」昼夜2公演。
13日は同会場で公開個人レッスン講座。
15日は知立演劇フェスティバルに小林佐椰伽ちゃんのサポート演奏で出演して、その夜に東京にもどってきた。

かなりのハードスケジュールがつづいた。
体調と相談しながら、なんとか乗りきることができた。
たくさんのみなさんと交流できたし、やりたいこと/やっておきたいことをしっかりとこなすことができた。
抗ガン剤の治療をパスしてきたが、もし抗ガン剤治療を受けていたらとてもこれだけの活動はできなかっただろう。
そもそもピアノが弾けなくなっていただろう。
とても満足している。

■東京に呼ばれる

徳間書店の文芸書籍編集部から来た連絡によれば、私の原稿を読んで長編小説出版と商業作家デビューさせる可能性を感じてさっそく連絡を取ろうとしたという。
ところが原稿に付けられていた連絡先に連絡しても、いっこうに連絡が取れない。
住所をあたっても別人が住んでいる。
それはそうだろう、私はすでに何年も前に京都を引きはらってしまっていたのだから。

書かれていた電話番号はファクスにつながってしまう。
そこでファクスに事情を書いて連絡を求めたが、いっこうに要領をえない返事しかもどってこない。
私が京都で使っていた電話は、すでにどこかの会社のファクス番号として使われていたらしいのだ。
当時は(いまでもそうか)電話を移転すると、おなじ管局内でないかぎり、電話番号は地域の局の番号に変わってしまった。

困った編集者は、私の原稿の末尾に付けられていた略歴を調べた。
もともと新人賞に応募しようと思って書きはじめた原稿だったので、規格外の長さになってしまっても新人賞の募集要項にそった略歴のようなものを書きそえておいたのだ。
たぶん、出身地と戸籍名が書いてあったと思う。

まだ家電が主流の時代で、個人の電話番号は「104」で調べることができた。
編集者は私の出身地と戸籍名をもとに、番号案内で私の移転電話番号にたどりつくことができた。

あとで聞いた話だが、私の原稿は投稿されたとき、編集者の机の上の「未決棚」に収められた。
未決棚には投稿原稿が封筒にはいったままずらっと縦にならんでいて、その幅は1メートルくらいあったという。
編集者は暇ができると、未読の投稿原稿を古い順から読んでいく。
ほとんどがそのまま投稿者に返却されていく。

私の原稿も未決棚の一番端からすこしずつ移動していって、1年半以上かかって編集者の目にはいることになった。
その編集者は今井さんという方だったが、私の原稿を読んですぐに編集長の石井さんにそれを見せた。
石井さんもびっくりして、急いで私に苦労しながら連絡をとったというわけだ。

とにかく一度会いましょう、ということになり、私は喜びいさんで東京に行くことになった。
いまでも新幹線が新横浜から東京駅に進入していったときの、東京の街並みの感触を、はっきりとおぼえている。
まだ新幹線は品川駅に停まらなかった。

東京駅から山手線に乗り、新橋駅の烏森口で今井さんに出迎えられたときのことも鮮明におぼえている。
いまはなき徳間書店の旧社屋のことも忘れられない。
この社屋はジブリ映画の『コクリコ坂』に詳細に再現されて出てきたので、ちょっとびっくりした。

2019年12月18日水曜日

だれかのためにできること、全部やる

名古屋・知立から帰ってきてから、かなり余裕のあるスケジュールとなり、編物なども楽しむ余裕がすこし出てきているのだが、それでも毎日数人のオンラインセッションや個人レッスンがあって、うれしいかぎりだ。

オンラインセッションも個人レッスンも、自宅にいながらにしてできることで、体調に不安のある私としてはとてもありがたい。
自宅にいてもだれかと交流したり、私の経験や知識を役に立てることができるチャンスがある。

命にかぎりがあると自覚したとき、自分の命をできるかぎり有効に使いたいと思った。
生きてここにいることを味わいつくす、喜びのためだけの時間をできるだけ多く持つ。
そして私にとってもっと喜びの大きな時間のひとつが、だれかのために自分の命を使うときだ。

もちろん直接会えればいいけれど、インターネットを使ったオンラインミーティングも便利で、工夫すればやれることがたくさんある。
私もまだ試していないことがあるので、これから試してみようと思っている。

電話が発明されたとき、電話機を使うことに抵抗をしめした人々がいたのとおなじく、現代もインターネットを使うことに抵抗がおぼえる人がたくさんいることを知っている。
しかし、必要性は手段をこえるものだし、だれかのために自分の時間を使いたいと思ったとき、テクノロジーの発展は無力な一個人にとってとてもパワフルな側面をもたらしてくれる。

朗読、音楽、小説、表現、コミュニケーション、マインドフルネス……長年追求してきた私の経験と知識がだれかの役に立つなら、全部伝えきりたいと思っている。
興味がある人、なにかに困っている人、手助けが必要な人がもしいれば、気軽にコンタクトしてほしい。

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