2019年1月25日金曜日

私の音楽歴——いかにして即興ピアニストになったか(23)

劇団クセックは座長で演出の神宮寺啓の思想とイメージを具現化するための劇団で、古くは早稲田小劇場などいわゆるアングラ劇団にルーツを持っているが、神宮寺が南山大学のスペイン語学科出身ということもあって、スペイン演劇を中心に上演していた。
ロルカやセルバンテス、アラバールらの作品を神宮寺独特の前衛的な味つけをしていて、「動く絵」などとも称されていた。
その劇団から私に脚本依頼が来たのだ。

喜んで書いた。
「エロイヒムの声」というタイトルで、いわゆる脚本形式ではなく、文字と言葉が句読点も改行もなくずらずらと書き連ねられた小説のようなシナリオだった。
それを神宮寺が再構成して演出した。

「エロイヒムの声」は名古屋の七ツ寺共同スタジオ、岐阜の御浪町ホール、金沢のアートシアター石川、豊橋の愛知大学、福井大学の学園祭特設ステージなどで上演された。

自分が書いたものが、ステージの上でいわば立体化されて、役者たちによってリアルタイムに上演されるというのは、かなりエキサイティングな体験だった。
いま現在、自分でテキストを書き、朗読者に読んでもらい、なおかつそのステージにピアニストとして参加するというスタイルが、私にとってもっとも得意でありしっくり来るのは、このあたりに原点があることはまちがいない。

劇団とは別に、榊原とのあらたな企画も持ちあがった。
それはフランスの作家、ジャン・ジオノの『木を植えた人』の朗読会の企画だった。
榊原が朗読し、FM福井のディレクターの杪谷(ほえたに)直仁が昭明や音響など舞台を担当し、私がピアノを弾くという内容だった。

ところが、残念ながら、この企画は実現する前に流れてしまった。
とはいえ、なんらかの形でやれないかということで、私は参加できなかったのだが榊原と杪谷のふたりで別の機会に朗読会をおこない、それを聴いた人が「うちでもやってほしい」ということで次につながり、それがまた次につながっていくという形で、三百数十回を数える連続朗読シリーズとなって現在までつながっているという、おばけ企画に育っている。
私も何度かこの朗読会を自分でも招聘したり、機会があれば演奏で出演したりもしている。