2010年9月8日水曜日

げろきょでないと Vol.20 ライブレポート

昨日は毎月2回恒例の中野ピグノーズ「げろきょでないと」だった。開催はこれがちょうど20回め。
女優の石村みかさんが初出演してくれるというので、7時20分に中野駅前で待ち合わせ。いっしょにブロードウェイを抜けてピグノーズへ。
すでに照井数男が来ている。彼は20回のほぼ皆勤である。
出演はもうひとり、野々宮卯妙。こちらもほぼ皆勤。

20時すぎにぼちぼちと始める。まずは照井数男による連続朗読、太宰治の「彼は昔の彼ならず」という中編。だいぶ後ろのほうまで来た。このところしはしばやっているMacBookをつないでの電子音を使いながら。それにピアノ演奏もからめて。
かなり前衛的な雰囲気になる。
私の演奏と照井くんの朗読が興に乗って盛り上がってきたところへ、初めていらっしゃるお客さんがふたり。女性。初めての方にはこれはちょっと刺激が……と思ったが、途中で止めるわけにはいかない。そのまま最後までやる。
その後でうかがったのだが、女性ふたりはネットで「朗読」と検索して、現代朗読協会のことを知り、このライブのことも知って、思い切ってやってきたそうだ。むむ。せめてこの後の演目は手柔らかにいこうかとも思ったが、今夜のテーマは「特殊相対性」であった。

彼女たちが思いっきり引いている感じを受けながらも、いつものようにやる。
野々宮が「洗濯女」をやる。これは「桃太郎」の現代小説バージョン。一見、普通の朗読を装いつつ、途中でふざけた仕掛けがある。いわゆる従来型の朗読ではない。これも聴いて怒る人は怒る。

石村みかが出る。
9月19日に下北沢〈音倉〉でおこなうライブ「特殊相対性の女」のシナリオの一部を朗読する。朗読といいつつ、やはりそこは役者だ。思いもよらないさまざまな表現を乗せてきて、おもしろい。当日はこれに動きが付く、と思うとわくわくする。が、もちろん、従来朗読の枠からは大きくはみ出している。怒る人は怒る。

つづいて野々宮による西田幾多郎の『善の研究』。哲学書を朗読するというのはあまりないだろう。私はミニマルミュージック風に、しかし左右の手指の連動能力の極限に挑戦しつつ、からむ。
照井によるアインシュタインの名古屋における「特殊相対性理論」に関しての講演録の朗読。これまた講演録を読むというのはあまりないだろう。次第に白熱していく照井くんの朗読と私の渾身のフリー演奏とで、非常に過激なパフォーマンスとなる。
前半ラストは、せめて一本くらいわかりやすいものを、ということで、野々宮が新美南吉の「あし」というおばかな馬の話。

少し休憩をはさんで、後半のしょっぱなはお客さんからのリクエストにより、野々宮が芥川龍之介の「桃太郎」を。
つぎに、レイラさんが連れてきてくれたギタリストの曽根一馬さんが演奏に参入。とりあえず、ブルースをやろう、ということで、私とデュオでのブルース演奏に乗って野々宮に漱石の「夢十夜・第六夜」を読んでもらう。楽しい。
照井によるアインシュタイン講演録の、曽根ギター参加フリーバージョン。
石村みかによる「眠らない男」歌入りバージョン、曽根ギター付き。
野々宮による「砂時計」静寂バージョン、曽根ギター付き。

そして今夜もまた、フリージャズの第一人者であるピアニストの板倉克行さんが遊びにきてくれた。
曽根さんとのガチンコセッション、そして朗読との入り乱れてのセッション。
しまいには、全員参加、私も板倉さんと連弾での、「乱れ髪」セッションと、すごいことになってしまった。
第20回にふさわしい濃密なライブの時間であった。