この季節になると、子どものころに家族で出かけたキャンプのことを思い出す。
前にも書いたが、私の祖父は自動車修理工場を経営していたので、当時はまだ珍しかった自家用車を何台か持っていた。当時というのは、昭和30年代から40年代初頭にかけてのことである。
キャンプ道具を積んで、一家総出で車でキャンプに出かける。それだけ書くとまるでアメリカの50年代みたいな風景だが、もちろん私の記憶の風景は純和風である。
車はニッサン(ダットサン)だった。
道路はもちろん舗装されていない。スピードを出すと、大量の砂埃を巻きあげて、ガタガタと疾走する。後ろを振り返ると、真っ白の砂埃のほかはなにも見えない。しかし、後続の車はまばらで、いまのように「車列」というようなものは皆無だった。
もちろん、クーラーなどはない。夏場は窓全開が基本だった。
私たち子どもは、その窓から首を突きだし、皮膚がしびれるくらい風に顔をさらして景色を見つめていた。
私の記憶のなかでは、キャンプ行きにはじいちゃんはいなかった。ばあちゃんはいた。私の両親とばあちゃん、私と妹、といったメンバーだった。たまに従兄弟たちもいたかもしれない。しかし、じいちゃんはきっと仕事があったんだろう。いっしょにキャンプに行った記憶はない。
私の父が車を運転し、私たち子どもとばあちゃんは後ろの座席だった。
私は山間部の盆地に住んでいたので、海が近づくにつれ空が広くなるのがなんともいえずわくわくした気分だった。空はあくまで青く、白い雲が流れている。後ろを振り返ると、山脈の上には積雲が生まれている。
海が間近になったことは、空気の匂いでわかった。山の子は海の匂いに敏感なのだ。海の匂いをかぐと、もういても立ってもいられないような気分になった。気が早くも車のなかで浮き輪をふくらましたりした。
海が見えると狂喜乱舞した。
いまでもそうだが、北陸の夏の海は格別に美しい。太陽光線が山側から差しているため、ぎらつかず、静謐な青さをたたえている。波打ち際の白さが際立っている。
なぜあれほど海に夢中になったんだろう。いや、いまでも海に夢中であることは変わりない。なかなか海に行く機会は少ないけれど、海に行けば私はそのまま全身でタイムスリップする。
石川県の千里浜というところが、私たちのキャンプの場所だった。泳げるし、蛤が採れるからだ。
また、防砂用の松が植林されていて、キャンプ用のテントを張りやすいこともあった。
いまのようにキャンプ場などというものが整備されていないころだった。まず、水場があることが条件である。水場は海に流れこむ小川だったりする。
海に着くと、私たち子どもはとりあえず裸になって海に飛びこむ。大人たちはテントの準備をする。
いまのような便利なキャンプ用テントではない。いわゆる三角テントというやつで、松と松の間にロープを張ったり、地面に杭を打ったりして、テントを張って固定する。
石を集めてかまどを作る。薪を集めて火を起こす。大人たちはいろいろとやることがあって、忙しそうだったが、子どもは波打ち際でコロコロと波とたわむれているだけだった。そのときの波にかきまわされる身体の感触が、いまでもはっきりと思い出すことができる。
夕方になると、かまどのほかにたき火が作られる。
もちろん虫は多い。いまのように虫除けスプレーなどというものはなかった。蚊取り線香をあちこちに配置しておくが、風があるのでどの程度の効果があるのかはわからなかった。
虫のなかで一番やっかいなのが、アブだった。ハエのでかいやつみたいな感じで、刺されると痛いし、腫れてかゆい。大きい虫なので、子どもとしては怖かった。
ほかに刺す虫としては、ブヨとか蚊がいたが、小さいので怖さはなかった。実際には刺されるとアブよりかゆい。とくにブヨはかゆい。刺されたら虫刺されの軟膏を塗ってもらう。
夕食は大人たちが採ってきた蛤やら、近くの漁港で仕入れてきたイカやら魚やらを焼いて食べる。
だんだん夕日が落ちていき、最後は水平線に真っ赤になって落下していく。これも日本海側ならではの光景だろう。「パノラマ」という言葉を聞くと、私はいまでもこの光景を反射的に思い出す。
日が落ちると、あたりは急に暗くなっていく。いよいよキャンプらしくなってきた。
持ってきた花火で遊ぶのも、楽しみのひとつだ。打ち上げ花火だの、ロケット花火だの、派手なものはなかったが、楽しかった。
そのころには空は満天の星だ。うっすらとミルクを流したような天の川が見える。その川を泳ぐように白鳥座の十字も見える。私の父はそれほど星座は詳しくなかったが、いくつか基本的なものは教えてもらった。北斗七星から北極星を探す方法とか。太平洋戦争で海軍の少尉だった父は、南方で南十字星も見たことがあるといっていた。
そのころになると、遊び疲れた子どもたちはもう目をあけていられなくなる。いつの間にかテントの中に連れていかれ、眠りこんでしまう。
気がついたら朝、という具合だ。
小学校の高学年になっていたと思うが、一度、越前海岸の岩場のほうでキャンプをしたことがあった。そのとき、強烈に覚えているのは、近くの山を分け入ったところに巨大な滝があって、そこの滝壺で泳いだり、滝に打たれて日に焼けた肩が猛烈に痛かったりしたことだ。子どもの記憶だから、それほど大きな滝ではなかったのかもしれないが、いまもあの滝はどこかに存在して、真っ白なしぶきをあげて怖いほど青く深い滝壺を満たしていると思いたい。