2016年4月8日金曜日

私たちは憲法を捨てようとしている

憲法カフェというものに参加してきた。
講師は第一東京弁護士会所属で、「あすわか(明日の自由を守る若手弁護士の会)」のメンバーでもある武井由起子弁護士。

憲法「改正」を自民党をはじめとする政治家たちがもくろんでいて、その改正案の内容がひどい、ということはよく聞いていたし、ネットなどでもある程度情報を目にしていたのだが、憲法カフェでは専門家から直接、その「やばさ」の肝はどこなのか明快に学ぶことができて、本当に背すじが寒くなったので、ここに書き記しておきたい。

まず、憲法とはなにか、ということだ。
一般的に憲法は法律の王様などと思われ、すべての法律のてっぺんにあるものというイメージがあるが、民法や道路交通法といった法律とはまったく性格を異にする「一点」が存在する。
それは、この法律を守るべき者はだれなのか、ということだ。

民法とか道路交通法だったら、市民・国民がそれを守るべきものだが、憲法はちがう。
私たち一般市民は憲法を守る義務はない。
では、だれが守るべきなのか。

そのことは憲法に規定されている。

第九十九条「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」

つまり、権力側が国民に不当に権力を行使できないように制限するための法律が、憲法なのだ。
それが憲法の意味だ。
(中国などを除いて)多くの民主的な国家は、このような性格の憲法を持っている。

ところが、自民党の改正案によれば、九十九条に対応する百二条ではこうなっている。

第百二条「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。
2 国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う」

国民が守るべき、となっている。
これはもはや憲法とはいわない。
つまり、自民党の改正案が通れば、私たち日本国民は憲法そのものを失うことになる。

私がもっとも重要だと気づいたのは、武井弁護士からのつぎの指摘だった。
「日本国憲法は第十三条の文言を厳密に成立させる目的ですべて書かれているのです」

第十三条「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、の最大の尊重を必要とする」

これが自民党改正案では、つぎのように変えられる。

「全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない」

一見、似たような条文に見える。
しかし、専門的に見れば非常に問題をはらんだ条文である。
武井弁護士によれば、もし自民党改正案が通り、憲法がこのように変えられてしまったら、日本は明治以前の権力構造に後戻りすることになるという。

世論調査その他によれば、この夏の参院選では自民党ら与党はほぼ確実に、全議席の3分の2以上を獲得するだろう、といわれている。
衆議院はすでに3分の2を獲得している。