そこですごす時間を含めて「スペースのニーズ」といいます。
私にもスペースのニーズが強くあって、だれにも邪魔されず、休んだり、好きなことをしてすごす自分ひとりになれる場所を必要としています。
かつてはその場所について「ここでなければならない」とか、「こんな空間でなければならない」というイメージに固執していて、それが得られないとき、とても窮屈な思いにかられ、イライラしていました。
たとえば、このようなイメージ。
家のなかに自分ひとりになれる部屋があって、そこは家族や同居人がけっしてはいってこないことが約束されている不可侵の場所です。
部屋のなかには自分が厳選した好きなもの、有用なもの、便利なものがならんでいて、必要があれば外界ともつながれるネットに接続された電子機器もそろっています。
休むための快適な寝具や椅子もあり、休むときにはだれにも邪魔される心配はありません。
そこまでして、私はなにを守ろうとしていたのでしょうね。
私が守ろうとしていたのは、日々の喧騒のなかで確保できる自分の平安でしょうか。
だれにも邪魔されない保証のある安心の時間でしょうか。
そのためにはたしかに「場所」が必要です。
しかし、その場所について特定のイメージが自分のなかでひとり歩きをはじめてしまって、「こんな場所」でなければならないという執着が生まれていたのかもしれません。
いつもいうことですが、「……でなければならない」というかんがえが生まれているときは、自分はまだニーズにきちんとつながっていない証拠と思っていいのです。
ニーズにきちんとつながれたとき、そこには「……したい」「……してもいい」という思いが自然に生まれます。
自分のスペースのニーズに本当につながったとき、「こんな場所でもいいよね」「あそこに行ってみたい」「ここでも大丈夫かも」といういくつかの選択肢が生まれてきます。
私の場合、特定の場所でなくても、ひとりで釣りに行ったり、カフェで本を読んだり、窓から月をながめたり、といったことでもいいのです。
自分にはスペースのニーズがある、と思うとき、そこにはたぶん、他人の存在が強くあります。
おおぜいのなかにいたり、とても親密なパートナーがそばにいたり。
いまひとりになりたいのに、人が近くにいて気になってしまう。
邪魔されたくないのに、パートナーから気楽に話しかけられていらいらする。
こういったことがよく起こります。
そんなときは、まず、自分のニーズにつながります。
本当にきちんとつながる必要があります。
相手が親密な関係である場合、自分のニーズを伝えるのはたやすいですね。
ただし、相手のニーズも尊重しながら、それをおこなう必要があります。
自分に話しかけてくる相手を拒絶するのではなく、相手のニーズを推測し尊重しながら、自分にもニーズがあることを伝えます。
相手がこちらと話したい、気楽にコミュニケートしたい、つながりたい、聞いてもらいたい、というニーズを受け取りながら、しかし自分はいまスペースのニーズがあってそれに応じる余裕がない。
自分のニーズを満たしてから、あらためてまだニーズがあれば受け取りなおしたいんだけど、そのことを許してもらえるだろうか?
おおぜいのなかにいて、ひとりになる必要があるときは、ただその場を離れることもひとつの手段ですね。
ひとりになれる場所に行く、そこから出ていくなど。
ただしその場合は、だれかに理由を話したうえで、そこからいなくなることをきちんと伝えておくといいですね。
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