NVC(=Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)のつながりのプロセスは、ごく簡単に「OFNR」とまとめられている。
Observation(観察)
Feeling(感情)
Need(ニーズ)
Request(リクエスト/お願い)
私がこれを共感的コミュニケーションとしてシェアするときはもうすこしちがう表現を使うこともあるが、原理としてはおなじだ。
オンライン共感カフェで最初の「観察」について質問があったので、確認・復習をかねて、あらためてかんがえてみた。
私たち人間はほとんどの場合、なにか体験したとき、それを「ただ受け取る」ということができない。
つまり、そこになんらかの判断や分析、評価、批判、連想、予想などといった「思考」をつけ加えてしまう。
つけ加えるというより、思考が引っ張りだされてしまう、といったほうが近いかもしれない。
例をあげる。
知り合いから「お金を貸してほしい。どうしても2万円必要なの」といわれたとする。
そのとき観察される事実としては、
知り合いは2万円必要だといっている。
知り合いはこちらにお金を貸してくれといっている。
ただこれだけだ。
これ以上でも以下でもない。
しかし実際には、私たちはこんなふうな受け取り方をしてしまう。
彼女はお金に困っているみたいだ。
彼女はお金を返してくれるだろうか。
こっちだってお金には苦労している、そのことを彼女は知ってるはずだ。
お金を貸しておけば、こっちがなにか困ったとき助けてもらえるかもしれない。
そういえば前にも貸してくれといわれたことがあった。
あのときはしぶしぶ貸したけど、そのあとなかなか返してもらえなくていやな感じが長引いてしまった。
貸したくないなあ。
どうやってことわろうか。
だれか彼女にお金を貸してやれる人を紹介してやろうか。
もう際限ない思考がずるずると起こってくる。
この観察・事実から脱線した思考は、人と人のつながりをいちじるしく阻害する。
私たちはそれをいつもやってしまっている。
共感的コミュニケーションでは、ただ観察・事実をそのまま受け取り、自分の感情や思考をまじえずに、ただ相手に共感する。
「お金が必要なのになくて困っているの?」
「お金がなくて困っているのは、もしかして安全とか安心が必要だからかな?」
相手の感情とニーズを受けとめ、つながった上で、さらに相手のニーズに寄与したい気持ちがあれば、お金を貸せばいいだろう。
こちらにそれにこたえる余裕がない場合もあるかもしれない。
そういうときは、こちらにもニーズがあることを伝えた上で、お互いのニーズを満たす方法がなにかないかどうか、いっしょにかんがえてみればいい。
このようなつながりも、まずは純粋な観察・事実を受け取るところからはじまる。
◎共感カフェ@下北沢ステイハッピー(4.8)
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