2016年4月2日土曜日

「場」の持続性のために

ことあるごとに、あちこちで話してきたことだが、あらためて書いておきたい。
以下に書くことは、どうやら、一部の人にとってはとても理解しづらい、受けいれがたい、頭でわかった気になっても本当には消化できないことらしいのだけれど。

話をわかりやすくするために、具体的な例をあげてみることにする。
例えば、いま私は、ピアノのコンサートを開催しようとしている、とする。

会場を押さえる、宣伝チラシを作る、告知をする、予約の受付などの事務仕事をする、もちろん演奏曲目の準備をして練習をする。
当日は会場スタッフと打ち合わせをして、音響や照明など会場の準備をしたり、受付や客席整理をだれかに頼んだり、場内アナウンスをお願いしたり、といったことも必要だ。

そういったこともろもろを勘案して、入場料を設定する。
つまり、私がピアノを演奏するという表現の場を成立するための経費を、ご来場いただく方に分担してご負担いただくわけだ。

しかし、そうはかんがえない人がたくさんいる。
入場料は自分が享受すべき「演奏を楽しむ」という行為にたいする等価交換としての対価だとかんがえる人が、まだまだいる、ということだ。
「この程度の演奏だったら500円でいいよね」
「こんなすばらしい演奏なら1万円払っても惜しくはない」
そのように、演奏クオリティについて評価・ジャッジをくだし、それにたいして設定された入場料が高いとか、安いとか判断する人がまだまだいる、ということを実感している。

資本主義社会に暮らしている以上、それはある程度、やむをえないことかもしれない。
資本主義社会においてはすべてのモノやサービスや表現に値段がついている。
値段の決め方はさまざまで、マーケット(受益者)がそれを決める場合もあれば、提供者が決める場合もある。
いずれにしても、なんらかの評価方法にもとづいて値段が決まる。

私のピアノ演奏についても、それがもし「売り場」に提供されるなら
、なんらかの方法で値段が決まる。
買う人が何人いるのか、どのくらいの元手がかかっているのか、利益はどのくらい設定するのか、そもそも売れるのか、売れないのか。

売れない、となれば、それは「商品」としての価値がゼロになる。
つまり「売り場」から退場させられる。
資本主義社会では「売り場」にそれが出ているかどうかが重要であり、その値段が高ければ高いほど、多くの人に買われれば買われるほど、値打ちがあるのだ。

私は自分の演奏に値段をつけられるのは嫌だ。
自分の演奏は自分の生命活動のあらわれとして表現されたもので、それに値段をつけるというのは、私の命の値段をつけられるのとおなじことだ。
しかも他人によって。
同時に、私も人の命に値段などつけたくない。
だれかの表現を金銭価値に換算して評価などしたくない。

しかし、げんに我々は資本主義社会に生きているではないか。
いや、本当にそうなのだろうか。
私たちの社会は資本主義という構造しか持っていないのだろうか。

山の道ばたに咲いている花は資本主義社会とは関係なく、値段も定まっていないけれど、それは価値がないものなのだろうか。
道ばたの花がなくなると寂しく思う人は、道ばたの花が絶えないようになんらかの労力を使ったり、運動したりするかもしれない。
そんな構造も社会のなかにはある。

猫を飼っていて、毎月餌代やらなにやら、お金がかかる。
あなたはその対価に見合うだけの見返りを猫から受け取っているから、猫を飼っているのだろうか。
そんなはずはないだろう。
等価交換ではありえないものを受け取っているはずだし、必要とあれば可能なかぎり、あるいは可能な以上にお金を使うことだってあるはずだ(病気になったとか)。

人と人が出会うには「場」というものが必要で、そこではコミュニケーションや表現がおこなわれる。
その「場」の維持のためには経費がかかるし、場を作る人にも生活がある。
また場を作るスキルを育てるための費用や労力も必要だ。
それらをその場に参加するみんなで負担してもらおう、という考えかたを私はしたいと思うのだ。

演奏者対観客ということではなく、演奏者も観客もその場に参加する者であり、等価交換の場でもない、ということだ。
しかし、場の維持存続には当然経費もかかるし、それにたずさわる人の生活の持続や安心もある。
それらを理解した上で、提示された参加費を参加者が気持ちよく出せるかどうか。
時に金額が定められていないような場もあるけれど、そういう時も場の維持に尽力している人や場そのものに理解と尊重を払い、気持ちよく金銭的貢献ができるかどうか。

そういう考えかたの人が増え、そういう人たちが場を作ったり、参加したりして、等価交換ではない共感的なつながりの場が継続して維持できるようになったら、私はとてもうれしいだろう。
実際にやってみると、それはとても大変なことなのだということがよくわかると思うけれど。

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