そのとき実家のある福井に住んでいたので、小説を書くための情報にいかに獲得するかが、死活問題でもあった。
都会に住んでいる作家の場合、国会図書館などの大きな図書館に行ったり、編集者と直接会ったり、また大きな本屋もたくさんあったりして、情報を得るのが楽で、そういう話を聞くと自分も都会に移住しなければならないのかなと思ったりした。
インターネットが普及しているいまでは想像もできなくなってしまったが、簡単な言葉ひとつ調べるのに大変な苦労をしたものだ。
だから、最初は日経新聞だったと思うが、新聞記事データベースに一般人がアクセスできるようになったときは、歓喜してすぐに利用をもうしこんだ。
当時はインターネットもなく、電話回線を使ってモデムで接続した。
モデムが使えないときは、音響カプラーという、デジタル信号を音声信号に変換してやりとりする装置を使ったりもした。
当時はパソコン通信といっていたが、NECのビッグローブや、富士通系のニフティサーブというネットも、ごく初期の段階から利用していた。
以来、ちょうど30年。
いまはほとんどすべての人がネットに接続されている。
とくにここ何年かのスマートホンの普及は、人々のネット利用率を急速に押しあげた。
私のように資金も組織的なバックボーンもない純粋な個人が、非常に安価に情報発信ができるのは、大変ありがたいことだ。
書きたいことを書いてネットで配信し、多くの人に読んでもらえるということもありがたいことだが、それも増して自分がやっていること――講座やライブの告知を無料で掲載して、興味のある方やそれを必要としている皆さんに届けることができるというのは、とても貴重な個人ツールだ。
ネット歴30年、パソコン歴35年ともなると、さまざまな風景を目にしてきた。
小説家になった当初は私も原稿用紙に手書きで執筆していたが、すぐにワープロ、そしてパソコン上のワープロソフトに移行した。
その後、ネットを経由して一瞬で送稿できるようになった。
もっとも、出版社側がネットに対応していなかったので、ファクス送信ソフトを使った。
いまではかんがえられないことだが、当時はワープロやパソコンを使っている作家はめずらしく、
「マシンを使うと文体が変わったりするんじゃないの? あと思考にも影響がありそうだし。やっぱり手書きがいいよね」
などと揶揄《やゆ》されたりした。
ネットを使うようになると、
「小説家のくせに無料でネットに文章を流すなんて」
と非難されたこともある。
携帯電話が普及しはじめると、
「いつでもどこでもつかまえられるのはごめんだね」
と拒否する人が多かった(その人たちはいまどうしているんだろう)。
ネットがパソコン通信からインターネットに移行しはじめると、
「だれも管理していないインターネットなんて恐ろしくて」
と嫌悪する人が多かった。
スマートホンが普及しても、
「やっぱりガラケーだよね」
と、かたくなになっている人もいまだにいる。
こういった人も、たぶん、とても安心や安定が大切で、変化するものにたいして警戒心があるのだろうと思う。
それはそれでわかるし、私にもそういう気持ちがあるけれど、それ以上に私は変化を楽しんでいるし、なにより個人として自立した活動を継続するためにはなくてはならない環境になってしまっている。
ネットにかぎらず、ITの普及・進展によって、かつてはとても個人でやれるようなことではなかったことが、たくさん個人の手中にはいってきている。
夢のようなありがたさだ。
ところで、近く、「自力出版講座」というものをアイ文庫主催でやる予定になっている。
そう、出版も自力で、インディペンデントなパーソナルメディアとして、私たち個人の手中に落ちてきているのだ。
◎4月開催:水城ゆうのオンライン共感カフェ(4.27)
自宅や好きな場所にいながらにして気軽に参加できる、ネットミーティングシステム(zoom)を利用した共感的コミュニケーションの60分勉強会、4月の開催は27日(水)16時と20時です。