2016年4月28日木曜日

【朗読生活】身体に気づく

朗読という表現は、外形的には書かれている文字を読みあげる、という行為であるため、どうしても「書かれている文字の内容」やそれをどのようなテクニックを持ちいて読むか、という点に目が向きがちです。
もちろんそれらも必要なのですが、表現行為としてはそこに「自分の身体」の存在があきらかになっていなければおもしろくありません。

ちょっと想像してみてください。
本の内容についてとても熟知し、読解を深め、何度も読みこみ、そして何度読んでもおなじように読めるように練習を積んだ朗読者がいるとします。
息継ぎやアクセンス、リズム、音声コントロールも完璧で、朗読しているとき彼の頭脳はフル回転しています。
一方、もちろんたくさん練習はしているけれど再現性については手放し、いまこの瞬間の自分の身体の状態や、自分に起こっていること、自分が受け取っていることに感受性を向け、その変化を受け入れながら読んでいる朗読者がいるとします。
さて、このふたりにはどのような違いがあるでしょうか。

どちらがいいということではありません。
朗読にたいするアプローチが違うのであって、その結果、オーディエンスに伝わるものも変わります。
自分が朗読表現者だとして、どちらのアプローチを望むか、ということです。
もし後者だったとしたら、現代朗読の方法と練習法が有効でしょう。

現代朗読では、表現主体を「本」や「テクニック」ではなく、生きて存在し、かつ刻々と変化しつづけている「自分自身」に置きます。
練習のときに「このように読もう」と決めて、そのように何度も練習したとしても、決めた形をいざ表現する「いま」の瞬間に持ちこむのは、自分のいきいきさを著しく損ないます。
過去の自分に現在の自分を拘束されることになるからです。
現在の自分は、自由で、選択肢が無数にあり、いきいきと変化しつづける表現者でありたいのです。

では、自分がどのように変化しているのか知るにはどうしたらいいでしょうか。
そのために身体に目を向ける必要があるのです。

頭脳はいきいきさを知らせてくれません。
頭脳はかんがえたり、判断したり、記憶したりしますが、頭脳がもたらすものは加工された情報であり、ときには捏造されたり、妄想されたありもしないものだったりします。
自分のいまこの瞬間の生命活動の方向性を知るには、身体に緻密な感受性を向けるしかないのです。

ところが現代人は自分の身体にたいする感受性が著しく衰えています。
「いま、身体はどんな感じですか?」
と問うても、なんだかぼんやりとしか把握できなかったり、まったくわからなかったり、あるいは捏造された脳内イメージが自分の身体感覚だと思いこんでいたりと、いろいろ大変です。

現代朗読では、自分の身体に気づき、さらに感受性を深め、いまこの瞬間の自分自身の生命現象をとらえるための朗読エチュードを、たくさん持っています。
それらをいっしょに練習したり、また日常生活のなかでも習慣的に取りくむことで、居ながらにして表現者としてのクオリティを向上させていくことができるのです。
そしてそれらのエチュードはけっして難解なものでなく、いずれも数分でおこなえるようなシンプルなものばかりです。

体験参加可「朗読生活のススメ」(5.7)
すべての人が表現者へと進化し、人生をすばらしくするために現代朗読がお送りする、渾身のシリーズ講座ですが、単発の体験参加も可。5月7日(土)のテーマは「朗読とコミュニケーション/共感でつながる世界」。