2019年9月30日月曜日

入院の日、病棟の夜、東京湾の夜明け(末期ガンをサーフする(17))

9月27日、金曜日。午前10時。
17回めの放射線治療のために東京都立多摩総合医療センターに行く。

  *

8月6日、火曜日。
治験は受けられないことになったが、そのまま翌日から標準の抗がん剤治療を受けることにして、病院泊。
すでに入院手続きは終わっていたので、とくにやることはない。
ベッドはあるけれど、寝ている必要も、その気もないので、入院着にも着替えず、来客用の折りたたみ椅子にすわって編物。

夕方になると、普通の入院患者とおなじく、夕食が運ばれてくる。
普通の病院食で、とくにまずくもなければ、びっくりするほどおいしくもない。
病院食のうまい・まずいを気にする人がいるが、私はとくに気にはならない。
美食を楽しむために行っているのではなく、病気治療のために行っているので、それに適した食事であれば(あまりにひどい味でなければ)とくに文句はない。

有明病院の上層階の窓からは、有明の埋め立て地と東京湾が一望できる。
右側(西側)には東京ビッグサイトや、その向こうにお台場、左側(東側)には葛西臨海公園の観覧車が見えている。
おなじ方向に東京ディズニーランドもあるはずだが、なにかに隠れて見えない。

真正面は中央防波堤にかかる東京港臨界道路が見えていて、その上向こうをひっきりなしに旅客機が飛んでいく。
東から西へ、高度を下げながら、羽田空港へと降りていく。
その数は数珠つなぎといってもいいくらいで、よく管制は混乱せずに順番に発着陸させられるものだなと不思議になる。

しだいに夕暮れてきた。
部屋は6人部屋で、私以外に5人すでに入院している。
いずれも抗がん剤治療を受けている人らしく、年齢はまちまちだ。
ほぼ寝たきりに近いようなかなりの高齢の人もいれば、私よりずっと若い人もいる。
点滴スタンドを脇に立てて、どこへ行くにもそれをカラカラと押して歩いている。

みなさん、とても静かだ。
たまにひどく咳こんだり、荷物をがさがささぐったりする音が聞こえてくるが、あとはシーンとしている。

夜になると家族が訪ねてくる人もいる。
ぼそぼそと話し声が聞こえるが、なにを話しているのかはわからない。

ベッドサイドにいるのがあきると、私は大きな窓があって景色が見晴らせるフリーのミーティングルームに行ってみる。
そこに座って、ラップトップでものを書いたりしていると、何人かの入院患者が面会の人とそこにやってきて話しこんだり、家族に電話をかけているのが聞こえる。
こちらの話し声ははっきり聞こえて、なにを話しているのかわかる。
たいてい、いまの病状や治療の進みぐあいについて話したり、なにか気がかりなことを尋ねたりしている。

治療については、やはり「食欲がない」とか「吐き気がひどい」とか「寝つけない」とか、逆に「つらくて寝てばっかりいる」といった声が聞こえる。
様子を見ると、みんな点滴スタンドを引きずってヨタヨタと歩いている。

夜になった。
9時消灯。
寝られるかと思ったが、いつのまにかうとうとしたらしい。
が、すぐに目がさめてしまう。
同室の人がたてるかすかな物音でも目がさめてしまう。
嘔吐している音が聞こえる。
苦しそうな呼吸が聞こえる。
突然ベッドから抜けだして部屋のトイレに駆け込む音も聞こえる。
トイレからは苦しそうな声が聞こえてくる。
何度も何度も水を流して、なかなか出てこない。
ナースコールで看護師を呼ぶ人もいる。
まったく寝られない、とか、気持ち悪い、とか、痛みがあるといっている。
朝までそんな調子だ。

断続的に眠ったとは思うが、午前4時すぎには完全に目がさめてしまった。
起き出して、だれもいないミーティングルームに行き、ゆっくりと明るくなっていく東京湾の空をながめた。
このとき私は、自分のなかで明確な選択をした。