2019年9月14日土曜日

老いを想定しないとき私はどう生きるべきか(末期ガンをサーフする(10a))

9月13日、金曜日。午前10時。
10回めの放射線治療のために東京都立多摩総合医療センターに行く。

ようやく涼しくなったので、ラップトップを入れたリュックサックを背負って歩いて行った。
治療が終わってから、院内のドトールでサンドイッチとコーヒーをいただきながら、仕事する。
なぜかこのシチュエーション、はかどる。

  *

10数年前に父親が亡くなり、一昨年は母が亡くなった。
父方の祖父母も母方の祖父母もすでに他界している。
肉親の死だけでなく、年齢を重ねてくると身近な人や知人、あるいは同級生、ときには同級生の子息、知り合いの子どもが亡くなったという報に接することが増えてくる。
そのたびに、人は遅かれ早かれかならず死ぬんだなあ、と思う。

音読療法のケアワークで高齢者の介護施設に毎月のように行っている。
亡くなった私の両親とおなじくらいか、それより上の年齢の方たちと交流している。
とても楽しい時間なのだが、交流とは別に、人が老いるという現象にあらためて直面するときでもある。

自立して歩ける元気な人もいるが、多くの人は車椅子、なかには寝たきりの人もいる。
歩ける人もたいていは杖をついている。
口も頭も達者な人がいれば、認知症が進んでいる人、老化がいちじるしい人もいる。
そういう方たちを見ていると、私はどのように老い、高齢者としてどのような姿になるのだろうか、といつも思っていた。
そしてその姿をどうしても想像できずにいた。

街を歩いていても、病院に行っても、高齢者が杖をたよって歩いたり、手を引かれて介助してもらっているのを見て、私自身がそのような姿になるということをうまく想像できなかった。

今回、食道ガンのステージⅣと余命を告げられたあと、しばらくたってふと思ったのは、自分が高齢者になってどのような姿や生活を送っているのか、もう想像しなくてもいいのだな、ということだった。

よく老醜をさらすのが嫌だとして自死を選ぶ人がいる。
作家など有名人でも何人かいた。
私はそこまで極端なことをしようとは思わないが、その選択はあるていど理解できる。
自死という、ある意味、暴力的な選択をしなくても、まだ心身に活力があるうちに旅立てるというのは、ひょっとしてラッキーなことかもしれない、なんてことすら考える。

こういう考え方はどこか倫理的なことに触れるのかもしれない。
利己的な考えだし、残される人たちのことにまったく配慮がない。
しかし、私のなかにそのような考えが浮かんだことはたしかで、その考えを自分が悪く感じていないのも事実だ。

また、生きていればだれもがいやがおうでも積みかさなっていく「しがらみ」というか、人間関係の「澱」のようなものからも、いわば強制リセットされる。
この先まだ命がしばらくつづくと想定されていると、あまり引き受けたくない人間関係や仕事も先の利益やまわりに忖度してつい引き受けてしまうことがある。
私についてはもうそんなことはないだろう。
先の利益やまわりへの忖度など、いまにいたってなんの意味があるというのだろう。
私は残された時間——それはどのくらいなのかわからないけれど——、やりたいことしかやらないし、会いたい人にしか会わない。
やりたくないことはきっぱりと断り、義理や忖度を排し、純粋に自分の時間を生きるのだ(できるだけ)。

などと尊大なことをいっているが、実際にはなかなかそうはうまくいかない。
そもそもいまさらそんなふうな生き方にシフトできるというなら、とっくの昔にそういうふうな生き方ができているだろう。
何度も書くけれど、ガンになろうがなるまいが、人はすべからく死を生きているのだ。
ただ、ガンという「死の顔」がくっきりと見えることで、ぼんやりとしたこれまでより多少自分の内面と向かい合う時間が増えることは確かだ。

老いた自分というものを想定しないとき、ではいまこのときを私はどう生きたいのだろうか。
消化器外科の担当医から1週間の猶予をもらってあれこと考えたとき、私はその結論をすでに私のなかに持っていることに気づいた。
いまさらあれこれ思い悩むことはなかった。
ここ20年近く、表現と共感と武の世界で私があれこれ研究してきたこと、みんなといっしょに練習してきたこと、そしてみなさんに伝えてきたこと、そのなかに私がどう生きるべきかという答えは、すでにあった。
(bにつづく)